読書日記

いろいろな本のレビュー

神と仏の出逢う国 鎌田東二 角川選書

2010-01-31 17:24:02 | Weblog

神と仏の出逢う国 鎌田東二 角川選書



 「日本は神の国である」と言ったために辞職させられた総理大臣がいたが、確かに日本は神の国なのである。政治家の文脈でこれを言ったためにこけてしまったが、学会で学者が言えば誰も文句は言わないのだ。山川草木すべてに神が宿ると古人は考えた。「何事のおはしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」と言っていることからも分かる。本書は神の国日本が仏教を取り入れて、神と仏をうまく融合させて宗教を豊かに享受してきた神仏習合の歴史を辿っている。そして世俗化してしまった現代、神と仏が分離してしまった時代にに何が大事かという問題提起をしている。それはスピリチュアリティ(霊性)だという。この件に関しては詳細な説明が無いので次回を期待するしかないが、真摯な提言である。
 この書は前半がメインで面白い。日本の神々をうまく分類しているし、神と仏の違いを簡潔にまとめている。曰く、「①神は在るモノ/ 仏は成る者 ②神は来るモノ/ 仏は往く者 ③神は立つモノ/ 仏は座る者」と。このような原理的な違いを持つ神と仏が、また神道と仏教が、神仏習合という融合を遂げることになる。なぜそれが可能なのかと言えば、それは神も仏も共に自然の中に、また万物の中に神性や霊性や仏性を持って存在しているという自然認識や存在認識が生まれたからだと言う。その典型的な例が修験道である。この修験道の説明が分かりやすく、著者の薀蓄が自然に披瀝される。また鎌倉新仏教の流れとともに興ってきた、伊勢神道と吉田神道の解説も明快。
 伊勢神道とは、伊勢の神宮の外縁部から生まれてきた。内宮には天照大神が、外宮には豊受大神が祀られている。そもそも、古代国家律令体制は、天皇家の祖先神である天照信仰によって全体が包含されていた。ところが、中世に出てきた伊勢神道では、天照大神信仰よりも、外宮の豊受大神に全体像を包含する力を見ようとするのだ。そして、その外宮神学を度会氏という祭祀一族が発信したので、度会神道と言うようにもなった。国家を支えてきた天照大神よりも自分達の信じる神の方がより根源的だという思想である。つまり、国家という枠を超えた視点を持っていたわけで、鎌倉新仏教と合い通じるものがある。等々。
 このような仏教・神道が一番力を抑えられたのが、江戸時代である。著者曰く、徳川家康は寺院諸法度を作って神社や寺院を管理下に治める一方、自らを神=東照宮として祀る東照宮ネットワークを張り巡らし、徳川政治神として幕藩体制を守護し、睨みをきかせた。これは天台僧・天海大僧正の考えで、天照大神のネットワークに対する東照宮ネットワークを確立したのである。これにより宮廷勢力と寺社勢力を完全に封じ込めた。そして天皇家も公家も寺社も世俗化し、多くが体制内の骨抜き文化人になってゆき、遊民・遊興化の道だけが残された。その世俗化された社会で何が発展したのかと言うと、庶民文化であると。
 江戸時代の宗教的側面から分析で、見事と言うしかない。世俗化した平成の民よ、気高い高尚な霊性を取り戻して格調高く生きようではないか。



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ノモンハン戦争 田中克彦 岩波新書

2010-01-30 11:00:51 | Weblog
 ノモンハン戦争は日本では「ノモンハン事件」、ソ連では「ハルハ河の勝利」と呼んでいるが、モンゴル人だけは「ハルハ河の戦争」と呼んでいる。1939(昭和14)年夏、当時の満州国とモンゴル人民共和国とが接する国境付近で、国境地帯の領土の帰属をめぐって、5月11日から9月15日までの4か月間、日本・満州国軍とソビエト・モンゴル人民共和国連合軍との間で戦われたものであった。戦争と言わず「事件」と言う理由は双方の間に宣戦布告なしに、非公式に戦われたからである。従来この戦争は軍事研究が主で、モンゴル民族がどう関わったかを明らかにしたものは日本にはなかった。今回初めてその研究が上梓されたのは喜ばしい限り。田中氏は戦闘的言語学者で民族問題には早くから発言していた。少数・弱小民族に対する大国の帝国主義的弾圧に批判の目を向けてきた人だ。
 私もこの本を読むまで、モンゴル人がこの戦争に関わっていた実相を全く知らなかった。どちらかというと大平原でソ連軍の前に貧相な戦車で無謀な戦いを挑んだ日本陸軍のアホさ加減を批判する文章ばかり読んでいたというか、それ以外のものは無かったように思われる。その代表が故司馬遼太郎で、自身戦車兵としてこの戦争に駆り出された。曰く、視界をさえぎるもののない大平原で、薄い鉄板のボロ戦車で戦いを命ずる陸軍の戦略性の無さは狂気に近いと。司馬の日本陸軍に対するルサンチマンの原点はここにあると言ってよい。
 この司馬が著者にノモンハン事件の研究を取材させてくれと代理人をよこしたいきさつが明らかにされている。1970年頃の話だ。本人が来るならともかく代理人ではダメと拒否したが、その後司馬に対して打ち解けた気持ちにならなかったと述べている。田中氏の対応は筋が通っていると思う。司馬に非があるのは確かだ。ともかく満州国とソ連の間で翻弄されるモンゴル人の悲劇はこの本っではっきりした。とりわけスターリンに支配されたモンゴル人民共和国の指導者の受難はまさに悪のメシアに処刑されるキリスト者のようで、涙を誘う。ソ連の傀儡としてのモンゴル共和国がそのくびきから脱したのはソ連崩壊の1990年である。しかし中国に併合されている内モンゴル自治区との統一はなかなか困難な状況で、モンゴルの民族自決が今後どうなるか要注意だ。大相撲力士の供給源としてみるだけでなく世界史的な視野でこの国を見ることが肝要と思う。この文脈で言えば、横綱朝青龍の振る舞いはどうだ。しっかり歴史を学んで、国際交流を念頭に入れた生き方をすべきである。それが無理なら、この際ラマ教の僧侶になって修行したらどうか。
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民主主義が一度もなかった国・日本 宮台真司 福山哲郎 幻冬社新書

2010-01-29 21:48:31 | Weblog
 民主党参議院代議士の福山と首都大学東京教授の宮台真司の対談。民主党政権獲得のご祝儀出版という感じ。宮台が民主党のブレーンだとは知らなかった。でも相当頭が切れる。福山は民主党のマニフエスト起草にかかわった人物で、政権獲得後のマニフエスト実現と現実の問題の諸相を語り合う。まあ自民党があまりにも情けない状況だったために地すべり的に民主党の勝利となったわけだが、今最大の懸案は普天間基地移転問題だ。
 自民党政権とアメリカとの間で交わされた辺野古への移転を民主党政権が反古に出来るかという問題である。「事情変更の原則」というのがあり、契約がなされても、契約を支える社会的文脈が変われば、失効することがある、ないし契約条件の一部が無効になることがあるということである。狭義には民法の法理だが、広く捉えれば、社会的文脈が変われば法律の適用条件や解釈が変わるという意味で、国内法全般に成立する。ただし、広義の「事情変更の原則」が効かない領域が二つだけある。憲法と条約ないし外交的約束だ。基地移転問題で、日本が、「国内事情が変わりましたから約束はなかったことにします」はありえない。アメリカからすれば、「日本の国内事情など知ったことではない」のだ。宮台曰く、マニフエストに書いてあるので、普天間基地移設の約束はやめて、県外移設にしていただきますなんていう外交あるわけないでしょうと。
 社民党、国民新党と連立を組んでいる手前、また名護市長選挙で辺野古移転反対派の市長が当選したことで、辺野古移転はないだろうというメディアのバリアーで本質が見えづらくなっているが、辺野古以外はないだろうと思われる。基地反対派の市長が当選したと言うのは国内問題で、外交はそれに引きずられることはないのが原則。平野官房長官の選挙結果を斟酌する必要はないという発言はその意味で正鵠を得ているのに、メディアは官房長官迷走、混迷に拍車、沖縄県人の民意をないがしろにしてどうするなどと言っている。この前までは早くアメリカとの話し合いに決着をつけるべし、日米関係はどうなると鳩山内閣に決断を迫っていたのに、今は民意だ民意だとかまびすしい。外交問題に詳しい前原国交通大臣も、外交と国内問題は別とコメントしているのに大きく取り上げられることはない。五月までに結論と言うが、ここ以外にはないのだ。こうした状況について宮台はマスコミの記者は本当にレベルが低いと嘆いている。総じて日本のマスコミをバカと断定する宮台に私は同感だ。
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トロツキー暗殺と米ソ情報戦 篠崎務 社会評論社

2010-01-23 14:21:18 | Weblog
 レーニンと共にロシア革命を推進した革命家トロツキーがスターリンの意向を受けたNKVD(内部人民委員部)の工作員によって、亡命先のメキシコで暗殺されてから70年が経った。トロツキーの暗殺の実相が伝えられたのはゴルバチョフ政権下の1985年で、事件から45年後のことであった。その間「トロツキスト」と言えば反革命の代名詞として使われた。しかしトロツキーは不条理極まりない「スターリン主義」に生命の危険を顧みることなく果敢な闘争を挑み、挙句の果てに抹殺されたのである。スターリンの本質はフルシチョフ首相のスターリン批判まで暴露されなかったが、この人間の危険性はレーニンが早くから気付いていた。しかし彼の党内での台頭を阻止できず病死した。その後トロツキーはスターリンと対峙したが、党内で支配力を強めたスターリンと敵対することになり、やがて追放される。そして最後の亡命地であるメキシコで惨殺されたのである。
 本書はトロツキー暗殺のいきさつと、米軍通信情報部がNHVDのよるトロツキー暗殺者の奪還計画を暴露した極秘資料「VENONA」を下敷きにして「追うスターリン、追われるトロツキー」の歴史的流れを記述したものである。平易な書き方でトロツキーのひととなりが鮮明に描かれている。トロツキー暗殺といえば、1974年製作の映画「暗殺者のメロディー」が有名だ。暗殺者のラモン・メルカデル役がアランドロン、トロツキー役がリチャード・バートンであった。犯人がアイスピックを使って暗殺する場面は衝撃的であった。身内の知り合いという触れ込みでトロツキーに近づき、機会を狙っていたが、トロツキーは内部の敵に気付くのが遅れたのが真相らしい。しかし、トロツキーがスターリンに代わって権力を握っていれば、世界の状況は変わっていたかもしれない。
 スターリンは猜疑心が強く権力保持のためには同志の粛清も平気な人間だった。彼が犯した罪は多々あるが、本書でも紹介されている通り、ポーランドをナチスドイツと併合した際に、ポーランド軍の将校25000人を虐殺した「カティンの森」事件は特に記憶に留めておくべき重大事件だ。ソ連側の意図は、1920年代のポーランド・ソ連戦争で敗れた報復と、戦後の共産主義化を想定して指導層の空白状態を狙ったことにあった。これは秘密警察を動員して行ったもので、最初ナチス・ドイツの犯行だと白を切っていたが、これもゴルバチョフ時代に正式に認めている。この事件についてはポーランド人の映画監督であるアンジェイ・ワイダが近作「カティンの森」で、自身の父親がこの事件で虐殺された因縁もあって、父を主人公にして撮っている。ポーランド将校の後頭部をピストルで打ち抜く処刑場面は戦争の悲惨さを描いて余りあるものだ。反戦のメッセージがひしひしと伝わってくる。是非ご覧頂きたい。スターリンのような独裁者が出現したことについては、亀山郁夫氏の『大審問官スターリン』(小学館2006)などを読んでもらえばいいと思うが、このような邪悪な人間が支配する国はまさにサタンの国だ。それにもかかわらず、そのようなメシアを待望する何かがギリシャ正教のどこかに潜んでいるのではないかということを姜尚中氏が講演会で言われた事が印象に残っている。改めて権力の恐ろしさを見せ付けられる思いだ。
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貧者を喰らう国 阿古智子 新潮社

2010-01-17 15:44:56 | Weblog

貧者を喰らう国 阿古智子 新潮社



 ここで言う「貧者」とは農民のこと。中国の経済発展は目覚ましい勢いだが、その陰で犠牲になっている農民の実態をフイールドワークによってまとめたもので、弱者に対する著者の眼差しはどこまでも暖かく、誠実な人柄がしのばれて読んでいて心を洗われるようなすがすがしさを覚えた。
 初めは河南省のエイズ村の報告で、この事件については夙に、ピエール・アスキが『中国の血』(文藝春秋)で発表しセンセイションを巻き起こした。河南省の地方の役人が血液センターをつくり農民に売血を奨励したが、採血の注射針を使い回した結果エイズが流行したという近代以前の国家実態があからさまになった。貧しい農民は血が高く売れると言って喜んで売血したが、エイズに罹ってしまった。病院と一蓮托生の共産党地方幹部はこの危機を座視して、適当な対策を講じなかった。やめると利権と地位が危ういからだ。党中央と地方幹部の関係はどうも室町将軍と守護大名の関係のような気がしてならない。地方で好き勝手なことをしているのである。
 農民はいつまで経っても発展の恩恵に浴すことができないのは、戸籍の問題が大きいと著者は言う。農民は基本的に移動の自由がなく、都市に戸籍を移すことができない。したがって農民工として大都市に出稼ぎに行くわけだが、都市住民と差別され福利厚生・教育等の面でハンデを負わされている。農民で大学に入学できる者の割合は都市住民に比べて圧倒的に低い。中国共産党は農民出身の毛沢東が市民革命ではなく農民革命で権力を握ったわけだが、共産党の基の農民がかくも悲惨な目に遭っていることを毛が知ったらどう思うだろうか。毛沢東が健在の時、さんざんいじめられた小平が改革開放政策で農民の毛沢東に対するル・サンチマンを晴らしたとも言える。
 農民を追い詰めているもうひとつの要因は農民税という苛酷な税金である。これは収穫によって増減するのではなく、予め決められているもので都市住民の税金と比べてもはるかに高いものであった。農民の直訴によって党中央はこれをなくしたが、地方幹部の税金の取立ては厳しく、納税のために農民工となって都市へ出稼ぎに行かざるをえない状況に追い込まれている。そのために農村は荒廃し、カネのためなら何でもするという拝金主義が蔓延りモラルが低下する。「貧すれば鈍す」というやつである。孔子様のお国で孔子もびっくりの現実があるのだ。日本でもそうだが、農業は労働に対する報酬が非常に少なく、進んでやろうという者は少ない。割が合わないのだ。日本では補助金を出して農家を保護しているが、中国では農民を共産党が搾取しているのだ。これでは国の行く末は危ういと言わねばならない。胡錦涛主席は民族問題と農民問題に頭を悩ますことになる。北京オリンピックの成功と今度の上海万博、大国としてのデモンストレイションは続くが、この二つの問題がアキレス腱となることは確かだ。
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朝鮮戦争 デイヴィッド・ハルバースタム 文藝春秋

2010-01-16 11:05:24 | Weblog

朝鮮戦争 デイヴィッド・ハルバースタム 文藝春秋



 朝鮮戦争の実相を克明に捉えた労作。アメリカ側の動きが豊富な取材によって明らかにされているのが特徴。著者はこの作品を脱稿後、交通事故によって不慮の死を遂げた。誠に残念である。本書を読んで面白かったのは、この時代の英雄・マッカーサー将軍の唯我独尊性がアメリカにとってどれだけ厄介なものだったかということである。彼の父も軍人で、母は強烈な個性を持ったいわゆる「孟母」で、息子を完全に支配していた。曰く「マッカーサーの母はマッカーサーを限りなく自己中心的な、したがって自閉的な人間に育てた。初めから、マッカーサーは孤立していた」と。彼は純粋な同志的友情を求める能力に欠けていた。なぜなら、彼自身の中に、友人といえるものは必要なかったからだ。この人格がアメリカの朝鮮戦争戦略を混迷の道に放り込むことになる。トルーマン大統領との確執はドラマを見ているようだ。
 北朝鮮軍は38度線を超えて南朝鮮に侵入し、連合国軍はあっと言う間に釜山近郊まで撃退された。マッカーサーは北朝鮮軍の力を軽視し、戦いはすぐに終わると高を括っていたのだ。最高司令官として日本を占領して絶対的な権力を揮い、昭和天皇とラフなスタイルでツーショット、日本人の精神年齢は12歳と嘯く最高権力者から見たら、北朝鮮軍などは物の数に入らなかったのであろう。
 予想外の展開に慌てたマッカーサーが採った作戦が、北朝鮮軍の背後を突く仁川上陸作戦だ。このリスクの多い作戦をマッカーサーは一か八かの大勝負をかけて成功させる。仁川上陸から二週間後、韓国軍第二師団が38度線を越えた。一週間遅れて1950年10月7日、米軍第一騎兵師団の部隊もこれに続き、平壌に向かった。そして11月初め、雲山で中国軍と不幸な遭遇をみることになる。
 アメリカは最初中国軍は参戦しないと予想し、短期決戦で北朝鮮を殲滅と考えていたが、毛沢東は参戦を決意し、農民の将軍と呼ばれてた彭徳懐を司令官として半島北部の雲山で米軍を待ち伏せしていた。そうとは知らず米軍は冬の装備もせずに北進し、手痛いダメージを受けることになる。
 下巻は絶対権力者あるいは無能な指揮官に死命を制せられる兵士達の悲惨が浮き彫りにされる。詳細かつ瑣末な事実を積み重ねて歴史を再現するという手法で、ノンフイクションと言うよりは小説を読んでいるような錯覚を覚える。ハルバースタムの力量の高さを感じる部分だ。本書の副題は「コールデスト・ウインター」だ。極寒の朝鮮半島北部で命を捨てさせられる兵士達の無念さを思うと胸がつまる。
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わらの犬 ジョン・グレイ みすず書房

2010-01-09 13:37:34 | Weblog

わらの犬 ジョン・グレイ みすず書房



 副題は「地球に君臨する人間」で、評論と随筆の中間を行くような文章だ。中味は理性で地球を支配する人間、ここでは人間主義者(ヒューマニスト)と呼ばれているが、善を体現するという意味も掛詞的に含意するヒューマニストを弾劾する内容だ。ヒューマニズムは著者によると19世紀初頭にフランスの実証主義者アンリ・サン・シモンとオーギュスト・コントが、創始した「人類教」がもとになっている。これは科学に基づいた世界文明の理想像を掲げる新宗教で、二十世紀の政治的宗教の原型になった。これがイギリスの哲学者で経済学者でもあるジョン・スチュアート・ミルに強い影響を与え、リベラリズムを現在の世俗信仰たらしめたと言う。キリスト教以前のヨーロッパでは、歴史は果てしない循環であって、そこの一貫した意味はないと考えていた。しかしキリスト教は歴史を罪と贖いの寓話と解釈した。キリスト教の救済の理念を人類解放の祈願に置き換えたのがヒューマニズムであり、進歩の概念は神慮を待望するキリスト教信仰の世俗版だと言い切る。
 一読して進歩を至上の命題とする科学に対する批判と傲慢に地球を支配する人間批判、そして科学と一見相容れないと思われる宗教(キリスト教)批判だ。キリスト教と現代科学は対立するようだが、終末論の果てにやがて来たるべき新しい世界の希望を託す信仰と、加速的に増大する科学知識に人類の満ち足りた明日を思う楽天主義は血を分けた兄弟のように瓜二つだと断定する。
 最後の審判では善なるものが救われる。科学は善である。したがって、科学の発展こそは救済へ通じる道であるという三段論法にも等しい短絡思考がヒューマニストの進歩信仰を煽っている。この流れに対する批判が文章のすみずみに現われる。ヨーロッパでこれを発表することはかなり勇気のいることだ。
 タイトルの「わらの犬」とは老子の第五章に出てくる言葉で、祭祀のとき奉げられたもので、祭りの間、丁重に扱われるが祭りが済んで用がなくなると踏みつけにされ、惜しみなく捨てられるものだ。人間もこのわらの犬と同じで、滅亡後地球は人類を忘れ去り、その他の生命は生き続けるという連想が働いている。西洋文明に対峙するものとして「老子」が持ち出されていることに注意すべきだ。しかし「老子」や「荘子」の道家思想はただの牧歌的ユートピアを賛美しているのではない。強烈に政治主義的な書物なのである。その辺をよく理解する必要がある。
 本書はいろいろな話題を載せているが、ルワンダのツチ族とフツ族の抗争の原因を水不足によるものと言っている。オヤと思ったが、動物としての人間が水のために生きるか死ぬかの戦いを繰り広げたに過ぎないという指摘は本書の文脈からするとなるほどと思ってしまう。なにはともあれ、進歩の脅迫観念から抜け出せたら、さぞかしほっとできるだろう。表紙の写真も秀逸。
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アウシュヴィッツ以後の神 ハンス・ヨーナス 法政大学出版局

2010-01-09 11:00:23 | Weblog

アウシュヴィッツ以後の神 ハンス・ヨーナス 法政大学出版局



 ユダヤ人のアウシュヴィッツの災厄に対して神の救いはなかった。ユダヤの神は沈黙したままだった。これを契機にして著者は神概念の検討に入る。かつて遠藤周作は小説『沈黙』で、神(キリスト)の救いの無さを嘆いて見せたが、今回のはユダヤの神について哲学的思考の苦悩のプロセスを読者に披瀝する。曰く、神は世界の事物がくりひろげるこの世のなりゆきに介入する力を断念したのだ。曰く、神は私たちを助けることができず、私たちが神を助けなくてはならないのだと。これは神は全能ではないということで、神学の伝統を大きく逸脱する。しかし、善かつ全能の神がアウシュヴィッツを看過したとすれば、神は理解不能となる。ユダヤの神は理解可能な神である。神の理解可能性と善性を維持するためには神の全能を捨てなくてはならない。かくして、ヨーナスは歴史を支配するはずのユダヤの神がアウシュヴィッツの前で沈黙した、その神はいかなる神かという神義論を捨てる。そしてアウシュヴィッツが仮借なき悪であることを譲らず、そのかわりに、善にして理解可能だが、全能ならざる神の概念に行き着いたのである。一種の論理学と言っていい。神がこの世の成り行きに介入する力を断念したのは、世界と人間の自立を尊重するためである。そしてこの神に救済を訴えることもできない。救済は知と自由を持つ人間の手に委ねられているのだ。この意味で私たちが神を助けなくてはならないのだ。神は永遠に沈黙したままなのである。
 もうすぐ十日戎だが、民衆は戎様にご利益をいただいて救われることはない。逆に戎神社は民衆のお賽銭によって大いに救われるのだ。ヨーナスの言うことは分かりやすい。どうか病気が治りますように、幸せになりますように、試験受かりますように等々、縁無き衆生の願いに対して神はすべて不介入なのだ。世の善男・善女にこの書を読ませてはいけない。少なくとも十日戎が終わるまでは。
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差別感情の哲学 中島義道 講談社

2010-01-08 20:42:45 | Weblog
 差別感情はそれが表明されたとき差別問題となって由々しき事態になることが多い。著者は差別感情を「他人に対する否定的感情」と言い換え、具体的には「不快」「嫌悪」「軽蔑」「恐怖」の四つを差別の動因として考察する。哲学者らしい多方面からの引用・分析でなかなか面白い。日頃街中の騒音・看板などにイチャモンをつけている著者ならではのこだわりがある。結局これらの感情は、「自分に対する肯定的感情」即ち「誇り」「自尊心」「向上心」等の裏返しの感情であるということだ。
 それで、差別感情にどう向き合えばいいのかということだが、カントの言う「最高善」の実践だ。著者曰く、「差別したい自分」の声に絶えず耳を傾け、その心を切り開き、抉り出す不断の努力をすることなのだ。こんな苦しい思いまでして生きていたくない、むしろすべてを投げ打って死にたいと願うほど、つまり差別に苦しむ人と「対等の位置」に達するまで、自分の中に潜む怠惰やごまかしや冷酷さと戦い続けることなのだ。この努力を(カントの言葉を使えば)自分に「課せられたもの」と見なし、自分の人生の大枠をそして中核を形づくるもの、逃げられないものとみなすこと。そう覚悟してしまえば、血を流しながらも、むしろ晴れやかに、自然に、軽快に、決して細部を見逃さずに、やり遂げることができるのではないかと。まるで修行僧に説くような知的負荷の多い内容で、一般人には実践不可能な内容だ。哲学者の面目躍如たるものがある。
 もう一つ、本書を読んで面白かったのは「誠実性」ということで、自分の感受性と信念に忠実でありたいという欲求自体が差別感情と独特な親和性を持つという指摘である。その例としてヒットラーのユダヤ人殲滅感情をあげている。彼はユダヤ人が諸悪の根源であるという「真理を語る」ことに全人生を懸け、「自分が沈黙していることに耐えられず」語りさらに行動した。しかも、このすべてを「自己に真摯でありたいという道徳的な動機のため」に行ったのだと言えると。誠に誠実であることの極端な例であるが、その危険性を鋭く指摘している。さらに曰く、ナチズムの相等部分がドイツ人の向上心に訴えて成立しており、怠惰な者は排斥され勤勉な者が賞賛された。ナチスを最も熱心に支持したのは、公務員であり教師であり科学者であり実直な勤労者であった。当時の社会で最も真面目で清潔で勤勉な人々がヒトラーの演説に涙を流し、ユダヤ人という不真面目で不潔で怠惰な「寄生虫」に激しい嫌悪感を噴出させたのであると。
 このくだりは独裁者が市民の差別感情をうまく利用して敵を作り上げていくプロセスを言い当てていると思う。ヒトラーは根っからのアジテーターであった。知的負荷の少ない言葉で敵を攻撃し市民を煽動する。こういう手合いは現代においても間々見かける。みなさん十分注意しましょう。
 
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野球は人生そのものだ 長島茂雄 日本経済新聞出版社

2010-01-04 21:48:52 | Weblog
 ミスタージャイアンツ・長島茂雄の一代記。一時代を画した名選手のサクセス・ストーリーだ。長島は昭和11年生まれで、日本の高度経済成長と活躍の時期が重なり一躍日本のスターになった。私も子供の頃は彼のプレーに魅了された思い出がある。あの頃は子供は皆巨人フアンだったと思う。彼の華麗なプレーは自然発生的なものではなく、計算されたものだったということが書かれている。いわばケレンの塊だ。王選手の思索的な雰囲気とは違う、陽気で明るく、屈託の無いのが持ち味で、人々は彼のその性格を愛した。
 野球に打ち込んだ青年の栄光と苦悩がひしひしと伝わってくる。立教時代の砂押監督のしごきに耐えて素質を開花させたのだが、全然理不尽と思わず精進するところがすごい。砂押監督はやがて部員から、総スカンを食って退陣するが長島の才能を認めたが故のシゴキで、名伯楽だったことがわかる。野球を人生道と考える指導者で、今もその教えは高校野球に継承されている。
 長島は巨人に入ってスター街道を驀進する。そのハイライトは昭和39年東京オリンピックでコンパニオンを務めた西村亜希子さんとの出会いだ。長島は一目ぼれした彼女に押しの一手で突進、見事結婚にゴールインする。野球のスターと才色兼備の美人の結婚に当時のメディアはおおいに湧いた。このとき私は中学生だったが、どうしてこんな美人と結婚できるのかと羨ましくて仕方がなかった。当時私は、若尾文子のフアンで、どうしてこんな美人が存在するのか不思議に思っていたので、美人が誰かと結婚する時は言いようのない寂しさを覚えていた。後年、若尾文子は建築家の黒川紀章と結婚したが、そのときはすでに若尾にそれほど魅力を感じていなかったので、得に感慨はなかった。
 その長島はその後、長男一茂を儲け、夫人と三人でカルピスの宣伝に出た事がある。三人が笑顔で並んだ写真が宣伝に使われた新聞広告を昨日のことのように思い出す。何と素晴らしい家族かと中学生の私は感動した。その時の亜希子夫人の美しさは例えようもなかった。その後時は移り、亜希子夫人は死去、ミスターは脳梗塞でリハビリの日々、一茂は父と軋轢を起こし、ミスターの記念品をひそかに好事家に売りさばいているという週刊誌の記事を見るにつけ、世の無常をひしひしと感じる。命長ければ恥多しとは蓋し名言である。
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