読書日記

いろいろな本のレビュー

東京骨灰紀行 小沢信夫 筑摩書房

2010-05-29 09:22:09 | Weblog
 中身は東京名所案内だが、地下に眠る死者の慰霊を兼ねているところが類書にはない特徴だ.最初は総武線両国駅を降りて両国国技館と江戸東京博物館を見ながら南口の回向院へと向かう。ここら辺には芥川龍之介の生家跡や吉良屋敷跡などが点在し、江戸の雰囲気が濃厚に残る場所だ。この回向院には明暦の大火で亡くなった人の慰霊碑が建っている。この火事は明暦三年(1640年)一月十八日本郷菊坂上の丸山本妙寺より出火し湯島、神田、日本橋と燃え広がり、最後は江戸城が西の丸を残して焼けてしまうというすさまじいものだった。死者は十万人余り。実はこれは「牢人の代表的放火計画のうち、初めて成功した火事だった」というエピソードが紹介されている。江戸幕府の不安定さを示す話題である。このように死者を媒介にして江戸の歴史と地理を蘊蓄を傾けて紹介してくれるその名ガイドぶりは著者ならではのもので、感服する。
 両国から始まり日本橋、千住、築地、谷中、多磨、新宿、そしてまた両国に帰るという構成で、吉原の遊女の無残な死や、戦災の犠牲者の死が淡々とした語り口で紹介される。その中で時折挟み込まれる鋭い為政者批判は本書の最大の読みどころだ。築地で東京大空襲に触れて曰く「ノモンハンこのかた軍部は敵をあなどり、おのれに驕り、いよいよ本土空襲への対策はバケツリレーに、火叩きに、防空頭巾に、備蓄食糧はポケットにあぶり豆と烏賊の足があれば上等だった。こんないでたちで一夜に十万人が焼け死んだ。およそこの国に払底したもの、先見の明。有り余るもの、短慮。」なんと見事ではないか、今の政治家に聞かせたい言葉だ。また多磨霊園で曰く、「皇国の興廃この一戦にあり(1905)から、各員奮励努力した挙句のはての無条件降伏(1945)まで、わずか四十年間。われらはなんとせっぱつまった時代を、生き急ぎ死に急ぎしてきたことでしょう。この二十世紀前半に、より責任があるべき綺羅星屑のごとき将軍や大臣や博士や富豪たちが、軒を並べてお眠りらしいこのうっとうしさ。云々」これぞ庶民の目線でとらえた昭和史の総括だ。
 最後の両国で、関東大震災の犠牲者に思いをはせて曰く、「三十階や二十五階の高層ビルたちも、その死屍累々をこそ礎石として、そびえたっているのですね。単に二十一世紀の新品的景観のみであるのならば、所詮は100メートルや200メートルや600メートルにも立ちのぼる陽炎のごときものに過ぎないのではなかろうか」と。歴史に学ぶという姿勢を欠いた繁栄は砂上の楼閣であるということを現代日本人は肝に銘ずるべきだ。形あるものは壊れ、命あるののは死ぬ、このニヒリズムを意識した上での生というものを認識させられた一冊だった。



第三帝国の興亡(4~5巻) ウイリアム・L・シャイラー 東京創元社

2010-05-22 11:18:09 | Weblog
 4巻の副題は「ヨーロッパ征服」。ヒトラーの野望はフランス・イギリス・ソ連征服へと向かう。その結果、フランスは降伏したが、イギリス侵攻作戦は失敗、対ソ連戦はバルバロッサ作戦と称して開戦したが、スターリングラードの攻防戦でドイツ軍は敗走した。ロシアの冬将軍の前に敗れ去ったのだ。このソ連侵攻軍の中に同盟国イタリアの軍も派遣されており、その悲劇を扱った映画が「ひまわり」である。ソフイア・ローレンとマルチェロ・マストヤンニ主演のこの映画は戦争によって引き裂かれた夫婦の悲劇をヘンリー・マンシーニの主題歌とともに切なく歌い上げ、観客は涙を振り絞った。ロシアの大地に咲く無数の大輪のひまわりは人間の悲劇に我関せずとばかり生命を謳歌している。無数の兵士・民衆の死は悲劇だが、それは固有の死が掬い取られない悲劇である。為政者の横暴による民衆の犠牲というテーマは永遠のものだ。
 スターリングラードの敗退でナチスは滅亡の道をたどる。第五巻はホロコースト、ムッソリーニの失墜、ヒトラー暗殺未遂事件、ベルリン陥落、ヒトラーの死、と続く。それぞれの内容については多くの研究書やノンフイクションとして刊行されている。映画になったものも多い。ホロコーストについては、上官の命令に逆らえなかったというのが多くの兵士の言いわけで、これは良心から意識的に逃れられる方法である。アイヒマン裁判でも被告アイヒマンは上からの命令を忠実に遂行したに過ぎないと自己の責任を認めなかった。戦場においてなぜ平気で人が殺せるのかということについて、兵士の心理を分析した『戦場の哲学者』(J・グレン・グレイ PHP研究所)は実際の兵士体験をもとにしていることもあり説得力がある。
 ヒトラーは自殺の直前に愛人エバ・ブラウンと結婚式を挙げた。死の花婿・花嫁だ。個人の幸福を追求すればさぞかし楽しかろうにと思うのだが、世界の征服を夢想したばかりに世界を地獄絵図に変えてしまった。個人の横暴を抑止するのが国家であるが、これが大量殺戮を可能にするというジレンマの中で生きて行かねばならない。個人の幸福をどのようにして守るのか。国家の為政者に課せられた責任は重い。

狼疾正伝 川村湊  河出書房新社

2010-05-16 09:55:52 | Weblog
 中島敦の文学と生涯を扱ったもので、一読して彼の作品群が快刀乱麻のごとく整理されて分析されている。中島の父は旧制中学の漢文教師で、国内のみならす朝鮮半島まで赴任している。その中で生母とは五歳のとき生き別れになり(生母は別の男性と結婚)、その後二人の母に育てられたが度重なる転居もあり、家庭的には幸福ではなかった。父親も女運が悪いというか、漢文教師のイメージといささかの落差があるのが面白い。中島は学生時代にダンスや麻雀に熱中して果ては雀荘の従業員の橋本タカと結婚したが、そのような父母の遺伝子を確実に受け継いでいると言える。大学を出て勤めた横浜高等女学校でよく生徒と問題を起こさずやらたものだ。いや、少しぐらいトラブルはあったかも知れない。ともかくその家庭的不幸が彼の文学的栄光と比例しているのかどうかは定かではない。中島はそのなかでも学業優秀で、第一高等学校から東京帝国大学国文科に進み、大学院まで行っている。彼は女学校の国語の教員をしながら小説や詩を書いていたが、彼の名を有名にしたのは『山月記』である。虎になった哀れな詩人の運命を描いたものだが、この虎について著者は従来あまり言及されなかった説を出している。著者曰く、虎は中国においては王者の象徴でその姿がそのまま虎という文字になっており、文字すなわち権力の象徴である。その象徴に詩人が変身したことはこれは悲観すべきことではなく、詩人として光栄なことではないかと。なかなか面白い。また曰く、中島の作品は中国のような文字社会と辺境の無文字社会の相克を描いており、これは『李陵』という作品に結晶している。これは中島が昭和十六年に南洋庁内務部地方課国語編修書記としてパラオに赴任した経験によるものだと。中島の仕事は現地の人間に日本の国語習得をさせるものだが、無文字社会に文字を移植することにどれほどの意味があるのかと疑問を呈している。自身息苦しい日本を後にしてパラオに行ったが、そこでの奔放な女性の性的ありようには溶け込めないもどかしさを感じたようだ。教養が邪魔をしたのである。この仕事を斡旋したのが文部官僚で高校大学の同級生であった釘本久春である。彼は後年、中島の『山月記』を教科書に採択した人物だ。
 このような新しい視点で中島敦の作品を見つめ直して再評価した本書の存在意義は大きいと言える。

宗教で読む戦国時代 神田千里 講談社選書メチエ

2010-05-08 10:19:48 | Weblog
 神田氏は一向一揆の研究で夙に有名だが、本書では戦国時代の宗教のありようをキリスト教との比較で述べているところが興味深い。戦国時代にキリスト教はポルトガルのイエズス会宣教師によって布教されたが、その当時の日本人の宗教感覚は神・仏を「天道」として理解していた。「天道」はいわば絶対者の概念だ。ならばキリストはこれとどう違うのか、宣教師の説くことはわれわれが今まで聞いてきた仏教の教説と同じはないかという感想を仏教関係者が述べたということが紹介されている。外面は世俗道徳に従い、信仰は内面の問題という形の信仰が一般的だったのだ。そうであれば、世俗の権力者と対立するような信仰は原則的にあり得ないし、宗派同士の教義の違いも一般的には武力闘争に発展しにくいと思われる。しかし門徒が世俗の権力者に反抗した一向一揆が起こっているのはどう考えてたらいいのかというのが、本書の眼目である。
 元来一向一揆は信仰の危機に対する戦いと見られてきたが、著者はそうではなく教団の政治的立場の選択の結果の蜂起であり、宗教戦争の側面は薄いと結論している。加賀の本願門徒が守護大名の富樫政親を攻め滅ぼした有名な事件も詳細に調べれば、政治闘争に本願寺が関わった結果で、純粋な信仰を守るための戦いではないことを述べている。また織田信長が門徒を弾圧したと言われるが、この強大な宗教集団を殲滅させる意思はもとよりなく、共存を図っていたことも述べられている。長島の門徒皆殺しは信長の門徒に対する憎悪がいかんなく発揮されたものと見る見方があるが、あれは結果であり本願寺を否定したものではない。この論議は神田氏の従来の見解と変わるものではない。
 私が興味を持ったのは、この頃キリスト教に帰依した大名が現れたが、彼らの領国支配がキリスト教以外の宗教に対して非常に厳しかったことである。逆に言えば、キリスト教の排他性と攻撃性が浮き彫りになった。織田信長はキリスト教に寛容だったと言われるが、その頃はキリスト教はまだ影響力を持たない時代で、問題はなかった。豊臣秀吉のころはその弊害が顕著になって、彼はキリスト教禁止令を出したのだ。ともするとキリスト教を弾圧する悪の為政者という構図で語られがちだが、そうではなかったのだ。キリスト教の純粋性・暴力性を見抜いていたのである。これはヨーロッパの宗教戦争を見ればよくわかる。
 この流れでいけばあの有名な「島原の乱」も今までの認識を転換する必要がある。著者は島原農民のキリスト教信者の他宗に対する排他性と暴力性を抜きにして、島原藩のキリシタン農民に対する弾圧と搾取という面だけで語ってはいけないということを資料を駆使して述べる。目からうろこというか歴史の多面性・重層性を思い知らせた気がする。
 以前、民主党幹事長の小沢一郎氏が、キリスト教は排他的で寛容性がないと言って批判されたが、正しいことを言っているのかも知れない。宗教問題にコメントすると厄介なので、みんなだんまりを決めているのだろう。
 

学校の先生が国を滅ぼす 一止羊大 産経新聞出版

2010-05-02 09:00:59 | Weblog
 物騒なタイトルだが、要は大阪の公立高校の校長が日の丸・君が代問題で教員集団(組合)を批判したものである。この筆名の由来は不明だが、いかにも胡散臭い。著者は支援学校(養護学校)の校長だが、この種の学校は職員が多く、管理するのに相当エネルギーを使う。その中で奮戦した記録である。しかも、この問題に限ってであるところに注意する必要がある。日の丸・君が代は年二回、入学式と卒業式に掲揚と斉唱が教育委員会から強制される。年二回の行事でいかに組合とやり合ったかが記録されているのだが、その他日々の支援学校の教育実践についてはどうであったか不明である。教員は日々ハンデを持った生徒に真摯に対応していることであろう。それを書かずして「先生が国を滅ぼす」とは校長としての資質に欠くし、品位のかけらもない。こういう書物を出す出版社も出版社だ。
 一読して校長の答弁は模範的で、文部省の通達通り。対する組合の職員の発言は非常識で乱暴、常識のかけらもないという記述の仕方だ。分会の校長交渉のやり取りが記録されているが、録音でもしていたのか。普通これほど正確に発言を再現できるとは思えない。まるで小説を読むように、校長の正義と公正さが際立つ。本人これを読んで、恥ずかしくないのだろうか。
 日の丸・君が代問題は戦後権力側(自民党政権)と反権力側(旧社会党や共産党の野党)の争いのメルクマールとして意識されたきた経緯がある。それゆえ、これを学校現場に強制して実施させることは政府の威信を高めることになり、反権力の教職員を表面上服従させるという意味があった。組合側は団結してこれ戦う必要があったのに、政党の下部組織であるという側面が前面に出てしまい、組合自身が分裂してしまった。これに失望したノンポリ組合員の多くが脱退してしまったことは痛恨の極みであった。しかし、社会党や共産党の活動家はこの方が組合をまとめやすいので、いわば確信犯的に分裂させたのである。今日の組合の衰退の原因はここにあると私は確信している。旧社会党の支持団体の日教組は現民主党の支持団体として権力側に立ったが、安部政権以降あまりに右旋回し過ぎたので、いくら左旋回してももとに戻せないくらいだ。今の民主党の力からして、日教組の顔を立てることは不可能だろう。とにかく教員を日の丸・君が代で雁字搦めにして、学校現場を息苦しくさせることは教育立国日本の将来に大きな禍根を残すことになるだろう。