読書日記

いろいろな本のレビュー

1941 決意なき開戦 (現代日本の起源) 堀田江里 人文書院

2017-01-29 09:45:03 | Weblog
 本書は昨年11月、毎日新聞社主催の第28回アジア・太平洋賞の特別賞受賞作品で、対米戦争にはまり込んでいく日本の指導者たちの行動をヴィヴィッツドの描き出したものである。元々はアメリカの一般読者向けに「日本側から見た真珠湾」という切り口で書いたもの(著者談)で、今回日本語版として出版したものである。
 受賞の言葉で、著者は「日米開戦は軍部の独走によってもたらされた」「日本はぎりぎりまで追い込まれ、戦争はやむを得ない究極の選択だった」という民間に流布している誤りを正すべく書いたと述べている。そのような解釈は、「一億総ざんげ」ならぬ「一億総無罪」に通ずるもので大変危険だという指摘は尤もである。
 本書を読むと、対米戦争は日本に勝ち目がないことを指導者たちは明確に認識していたことがわかる。そして開戦までに日本はいくつかの対米外交緊張緩和の機会を逃し、あげくの果ては一か八かの真珠湾攻撃で、後の沖縄戦、広島・長崎の原爆投下を招いてしまった。返す返すも無念なことである。
 昭和天皇、近衛文麿首相、東條英機、松岡洋佑外相、野村吉三郎駐米大使、東郷茂徳外相、賀屋興宣蔵相、ソビエトのスパイ、ゾルゲと協力者尾崎秀実などが登場し、破滅に向かって突き進む悲劇の役者として渾身の演技を見せる。人物の描きわけが非常に巧みで、引き込まれる。一読して近衛首相の責任が大きいような気がする。幾度もあった戦争回避のチャンスをあたら逃してしまったのは、り―ダーとしての決断力の無さに負うところが大である。戦後、東京裁判にかけられるとわかって、服毒自殺を遂げたが、それなら在任中一命を賭して非戦の決断をすべきであった。ホントに読んでいてじれったくなった。お公家さんのする政治はこういうものかというのがよく表れていると思う。国民の命を守るという発想が薄い。これは権力を握ったものの通弊と言えるが、この戦争の反省をしないまま70年が経ってしまった。現在の為政者は同じ過ちを繰り返さないとは限らない。それを危惧せざるを得ないほどに、質が落ちている。政治・外交においては対米戦争のように「万が一の勝利」を期待するようなことはご法度である。

サイコパス 中野信子 文春新書

2017-01-16 10:25:56 | Weblog
サイコパスとは「精神病質、あるいは反社会性人格障害などと呼ばれる極めて特殊な人格を持つ人々の事を指す言葉。良心や善意を持っていない」と辞典に書いてある。だとすれば社会生活できずに犯罪などを犯して刑務所や施設で生活しているのかと思うとさにあらず。著者によれば100人に一人はサイコパスであるそうで、経営者、弁護士、外科医など社会的地位が高い人に多いという。だからサイコパスは犯罪者ではないのだ。彼らの特徴は、相手の目から感情を読み取るのは得意で、他人を意のままに操ることができたり、ハイリスク・ハイリターンを好み、自分の損得と関係のないことには無関心なことだと書いてある。
 本書はサイコパスを最新の脳科学で分析したものである。著者曰く、「サイコパスは脳の扁桃体と前頭前皮質の結びつきが弱く、その結果熱い共感を持たず、恐怖や罰から社会的な文脈を学習して痛みや罪、恥の意識を覚えることができない。社会的地位を獲得した勝ち組サイコパスは前頭前皮質の灰白質の体積が多い等々」と。そして革命家・独裁者にもサイコパスと思われる人物が散見されると言って、織田信長、毛沢東、ピョートル大帝、またジョン・F・ケネディやビル・クリントンをはじめ、何人もの歴代アメリカ大統領も顕著なサイコパスの特性を示しているという。また意外なところでは、20世紀に活躍した聖女マザー・テレサもそうだったとアメリカの臨床心理学者の指摘を引用している。それによれば、彼女は、援助した子どもや彼女の側近たちには冷淡だったという。著者は、博愛主義者とは、特定少数の人間に対して深い愛着を築けないサイコパスなのかもしれませんと援護射撃をしている。因みに日本の政治家にもこのような気質を持った人物が多く見られる。特に弁護士あがりの某氏などはピッタリという気がする。無慈悲な「改革」を断行するにあたって、自分から「独裁」は大事だというくらいなのだから。
 独裁者と呼ばれる人間は、平気で人を殺し、それを罪に思わないという面からすればこの器質を持っている可能性がある。凡人からすればどうしてそんな残酷なことができるのか(例えば信長)という疑問を解消する説明ではある。「独特の人格」という言葉では説明できないものがあると前から思っていたが、だとするとヒトラーやスターリンはどうだったのか。研究してほしいものだ。
 狂気の独裁者はどのようにして生まれるのか。最近、美しき美少年が狂気のモンスター=独裁者へと変貌するという映画、「シークレットオブモンスター」を見たが、個人の資質と家庭環境・時代状況が独裁者を生み出すという内容だった。これもサイコパスだったいうのでは映画にならないから、難しいテーマだったと思う。

潜行三千里(新書版) 辻政信 毎日ワンズ

2017-01-09 09:27:59 | Weblog
 辻は陸軍大学卒業後大本営参謀となり、太平洋戦争時、第25軍主任参謀としてマレー作戦、シンガポール攻略を指導、「作戦の神様」とうたわれた。1943年8月大佐に昇進、南京に赴任し支那派遣軍参謀を務める。1944年7月ビルマ派遣軍33軍参謀としてビルマに赴任するが、1945年5月タイ国駐屯軍参謀となり、1945年バンコクで終戦を迎えた。
 終戦後タイの僧に変装し、バンコクの日本人納骨堂に潜伏。イギリス軍の戦犯追及の手がのびるとバンコクの中国国民党の地下工作部と接触、藍衣社(国民党を支える秘密結社)の載笠に会って日華合作の道を提案して重慶行きを希望して許された。そしてバンコクを脱出、メコン川を渡りラオス、ハノイから昆明を経て重慶に辿りついた。さらに南京に出て国民政府国防省に勤務するが、国民政府の腐敗ぶりに呆れ日本帰国を決意し、昭和23年(1948年)5月、大学教授の肩書きと変名で引き揚げ船に乗り佐世保に帰港した。
 本書はバンコクでの終戦から佐世保に帰国するまでの事跡を書いたもので、昭和25年(1950年)に毎日新聞社から刊行され一躍ベストセラーになった。そして昭和27年(1952年)から連続4回衆議院議員に当選したが、昭和36年(1961年)衆議院議員として再び東南アジアに向かいラオス付近で行方不明になり、その消息は杳として知れぬままだ。
 辻は作戦の神様と言われたが毀誉褒貶の激しい人物で、その個性は強烈だ。彼の上司はさぞかし困ったことだろう。さらに正義感が強く腐敗堕落を許せない性分で周りとトラブルを起こしていた。バンコクを脱出して重慶に辿りつくまで、何度も死の危険にさらされながらも生き延びたという記述が続くが、まるでスパイ小説を読む心持だ。ホンマかいなという感じ。しかし藍衣社の幹部の載笠に談判して、日華合作の道を提案するなど、政治家・策謀家としての資質は十分ありとみた。「作戦の神様」とうたわれたのも伊達ではない。
 重慶に到着して国民党政府に仕えてからも、辻の批判眼は冴えわたる。たとえば南京政府(親日政権・主席は王兆銘)と国民党について次のように言う、「南京政府の功罪は今は述べる時ではないが、蒋介石主席をはじめ国民党首脳部が漢奸を許しえなかった狭量こそ、中共と対立しついに自ら墓穴を掘ったものであろう。南京政府を寛容しえないものが中共を包容し得る道理はない。この予感は不幸にして的中した。血を以て血を洗う内戦が勝利の祝杯のなかにきざしていた。かつて南京政府を裁いた人たちが、今は北京政府から裁かれる位置にある。運命は皮肉なものだ」と。国民党の迷走が結局共産党の勝利を呼び込むわけだが、それは国民党の人材不足が大きいと辻は言う。その象徴的なものが、藍衣社の載笠の死去であった。蒋介石を諌める者がいなくなったのである。さらに辻は提言する、「政治の腐敗を徹底的に粛清すべきである。小悪をやる前に大悪の高級官吏数名を銃殺し人心を一新しなければならぬ。政治の腐敗が経済を混乱し、民心を離反させ軍の戦意を喪失している。土地政策を断行して農民大衆をつかむことが対共政治の根本である。共産党を養うものは国民党内の腐敗分子である」と。非常に明快である。この言葉、腐敗防止に汲々としている習近平政権に謹呈したらどうか。
 この国民党が台湾に逃れ、ここで蒋介石が日本に代わって政権を担当したわけだが、先ほどの腐敗の実態からしてロクなものではなかったことが推測できる。台湾の本省人の苦悩に共感せざるをえない。辻のこの本は国民党の実態を知る重要な資料にもなっている。辻がその後も国会議員を続けていたら、結構大成したかもしれない。どうしてラオスに行ったのだろう。