読書日記

いろいろな本のレビュー

不可能性の時代 大澤真幸 岩波新書

2008-07-30 09:45:52 | Weblog

不可能性の時代 大澤真幸 岩波新書


 戦後の社会風俗史を社会学的見地から分析したもの。様々な事象を専門の社会学関係の文献によって説明するが、これいわばマージャンの後付みたいなもので、事象の本質的な分析になっていない。早い話がわたしはこういう本を読んで来ましたということを戦後史の中で披瀝しているに過ぎないという感じだ。そして最後にアフガニスタンで井戸を掘り、用水路を作って、現地の人々とともに活動している医師中村哲氏と松本サリン事件の被害者河野義行氏の実践を紹介して、真に徹底した民主主義への希望があると評価する。これはどういうことかというと、吉田氏は現地へ直接出向いて、<他者>に近づこうとしていること。近づくことは他者性を感受するための不可欠の条件だからと言い、河野氏はオウムによる犯罪の最大の被害者の一人であるにもかかわらず、オウム信者と直接に会い、交流を持っているからだと言う。
 自己と困難な他者の交流が真の民主主義だというのは初めて聞いたが、ホンマかいなと思ってしまう。民主主義は最大多数の最大幸福を企図したもので、全員が幸せになれるものではない。全ての構成員と真の交流なんて夢みたいなことをよく言ったもんだ。これで大学教授が務まるんだから、橋下知事ならずとも文化人なんて本当にしょうもないと思ってしまう。「岩波のスノッブ」とわたしは呼んでいるが、またしてもこれが出たということだ。
 
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日本語のゆくえ 吉本隆明 光文社

2008-07-27 21:26:43 | Weblog

日本語のゆくえ 吉本隆明 光文社
 

 久々の評論集で詩人、評論家としての実力を遺憾なく発揮している。最近は老人問題等のエッセイや対談でお茶を濁していた感があったが、本書は自作の「共同幻想論」の解説も含めて、鋭い指摘がたくさんあった。
 いま、巷では源氏物語が話題になっているが、著者によると源氏は近代小説の条件を全部具えているので、現代語訳で読んで十分。中でも与謝野晶子のものがお勧め、ただ、読んでいて退屈なのが欠点とのこと。また西洋詩との等価性ということに関して、伊東静雄の「わがひとに与ふる哀歌」を引用して、この詩はドイツ語を手本にして書かれていること、わざわざ翻訳口調を使って詩を書くこと自体が詩の一部なのだと述べている。以前から伊東静雄の詩は難解な語法が多いと感じていたが、吉本の指摘でその疑問が氷解した。一時代ないしニ時代前の詩人たちは、どうやって詩の普遍性を獲得するか、日本語で書いてかつ近代的な詩であるという普遍性をどうすれば獲得できるかを考えたのだ。また立原道造の詩は「新古今和歌集」をお手本にしており、詩でもって日本の古典的な和歌とつながっていた唯一の現代詩人という記述は文学史の教科書に載せたいほどのものだ。
 第三章の「共同幻想のゆくえ」では、共同幻想論という言い方はマルクスに由来しており、観念としての人間の集合体のひとつが国家であるという意味で、国家のことを「観念の集合体」と呼んでいる。そして日本ではこの「観念」という言葉を「幻想」と訳しているので「国家は幻想の共同体である」ということになるという風に解説している。分かりやすい説明だ。その他、現代の日本の状況を読み解くヒントがたくさんあって退屈しない。吉本は現在84才。これからも健筆を揮ってもらいたい。

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クリント・イーストウッド 中条省平 ちくま文庫

2008-07-26 08:45:31 | Weblog

クリント・イーストウッド 中条省平 ちくま文庫
 

腰巻に「映画にヤキを入れた男の鮮烈な肖像」とある。テレビの「ローハイド」以降この50年間ともに生きてきたという実感があるが、「荒野の用心棒」「夕日のガンマン」で大ブレイクしたのを昨日のことのように思い出す。著者の個々の作品批評は映画好きを証明するような上手さがあり、読んでいて飽きさせない。イーストウッドの作品は反骨精神が基調としてあり、常にハリウッド映画に対するアンチテーゼを基本的なスタンスにしているところが特徴で、私も含めて結構ファンが多い。最近のでは「ミリオンダラー・ベイビー」「硫黄島」二部作を見たが、テーマは安楽死から国家による集団的「人殺し」すなわち戦争だ。著者の言うように、「硫黄島」はイラク戦争の泥沼にはまり込んだブッシュ政権下のアメリカの現在が射程に収められていることはまちがいない。
 このようにイーストウッドの作品は金と豪華俳優を使っての破壊と消耗の能天気な予定調和的大団円ハッピーエンドのハリウッド映画とは明らかに一線を画している。ところで私としてはただ一本だけ不満な作品があった。それは「マディソン郡の橋」だ。ベストセラーの映画化だが、相手役のメリル・ストリープは例によって農家の主婦になりきってぶよぶよの身体に変身していた。彼女のやり方はロバート・デ・ニーロと同様、役になりきるというもので「メソッド法」という演技法だ(デニーロとは「ディアーハンター」で共演している)。農家のおばはんと年寄りのカメラマンがそう簡単に恋に落ちるとは思えない。あれは小説として読むべきで映画にすべきではなかったと思う。熱演の二人には気の毒だが。メリル・ストリーブで良かったのは「ソフイーの選択」の母親役だ。あの作品は彼女の最高到達点だったと思う。ウイリアム・スタイロンの原作が素晴らしかったのも追い風になった。




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〈宗教化〉する現代思想 仲正昌樹 光文社新書

2008-07-24 10:40:27 | Weblog

〈宗教化〉する現代思想 仲正昌樹 光文社新書


 著者はかつて十一年間統一教会に入信した経験があり、現在は金沢大学教授。統一教会といえば、文鮮明を教祖とするキリスト教の一派で、信者の合同結婚式は有名。もとアイドルの桜田淳子もこれで話題になった。本書の眼目は、現代日本の思想界が擬似宗教化していることを批判するもので、統一教会信者の体験が役立っている。ご承知の通り、統一教会は反共産主義を標榜しており、勢いマルクス・レーニン主義批判という形態をとる。敵の思想を徹底的に研究して批判するという体験が本書にも随所に現れる。精神と物質の二元論のあいまいさ、真理を追究するというが、真理はアプリオリなものとして存在するのか、等々。宗教、特にキリスト教における、告白と共感と回心というプロセスは左翼思想集団にも共通して存在するという指摘は興味深い。思想を信奉するということは、宗教を信じることと似通ったメンタリティを持つことはよく理解できる。
 本書では現代思想に特に強い影響を与えたハイデガー、アーレント、デリダなどの論考が披瀝されているが、これがなかなか面白い。特にアーレントの「革命について」(1963)を引用して、ロベスピエール等のフランス革命の指導者たちがルソーの自然状態論の影響を受けて「哀れみ」という感情的な要素を「政治」の中に持ち込んだことが、大量虐殺の「恐怖政治」が引き起こされた原因だと指摘している。「哀れみ」が「同情しない人非人」の殺害を正当化する逆説が生まれてきた。「哀れみ」の政治の人たちは、自分たちの人類浄化計画を遂行し切れば、「歴史」が進歩し(「自然状態」のように)ピユアな人たちだけからなる理想の共同体が出来上がると信じているので、少々の暴力を行使することも許されると思ってしまうというのはジェノサイドのメカニズムの一面を言い当てていて興味深い。政治が宗教化するときに悲劇がおこる可能性がある。
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ボスニア内戦 佐原徹哉  有志社

2008-07-22 10:31:14 | Weblog

ボスニア内戦 佐原徹哉  有志社



旧ユーゴスラビア内戦の実相を克明な記述でたどり、民族主義者たちが跳梁跋扈し、多数の人間が虐殺されたメカニズムが明らかにされている。希に見る力作である。旧ユーゴスラビアは第二次世界大戦後、チトー大統領のもと共産主義国として出発した。クロアチア人、ボスニア人(ムスリム人)、セルビア人からなる連邦を束ねていたわけだが、民族の共存は一種のイデオロギーとなって体制を支えていたのである。ところが、1980年代の経済危機でチトー体制の構造的欠陥が露呈し、インフレが進行し国民の生活が一挙に苦しくなる。これが民族の共存を破壊し、共産主義体制を崩壊させる契機になった。
 著者は言う、1980年代後半のユーゴスラビアは、経済のグローバル化の圧力で国内経済システムの変革を強いられたことをきっかけに、政治構造が流動化し始めていた。クチャンやミロシェビッチのような新興エリートは民族主義者と同盟して、この政治の空隙をうまく利用したが、その一方で、「友愛と統一」を墨守するチトー主義者たちは益々無力な存在に変わっていった。連邦の解体と内戦を引き起こす原因は、単に民族主義が台頭したことではなく、共和国間の利害を調整するメカニズムが機能不全を起こし、政治の混沌が生まれたことなのであると。冷静な分析である。生活の困窮が民族間の軋轢を生み、民族主義者の台頭を許してしまう現実は、イラクやアフガニスタンを見ればわかる。
 かくしてユーゴスラビアはセルビア、クロアチア、モンテネグロ、スロベニアの各国が独立したが、ボスニアは上記の三民族が混在していたがゆえに、そのイニシアチブをめぐって血で血を洗う戦闘が行われ、ジェノサイド(大量虐殺)が頻発した。一時的に生じた無法状態の中で、日ごろの妬み嫉み、抑圧感など民族間の軋轢が露呈した。人々がその土地土地でのローカルな価値観に従って自己保存のために働いたことからジェノサイドが発生したのである。ボスニアの場合、このローカルな価値観はジェノサイドへの恐怖であり、いずれの集団も多かれ少なかれこの恐怖心に突き動かされて残虐行為を展開したのであった。内戦が宗教紛争や民族紛争の外見を呈するのは、ジェノサイドを逃れるには、ジェノサイドの対象となる集団が結束しなければならないという思考様式が働いた結果であった。こうしてむき出しになったローカルな価値観は、社会主義時代にイデオロギー化した他民族の共存や、それに代わるものとして提唱された民主主義や人権といった外在的なグローバルスタンダードを遥かに凌駕するリアリティーを持ち、時に正義そのものとまで意識されることになった。
 ボスニア内戦は1995年国際連合の調停で終結し、ボスニア・ヘルツエゴビナ連邦とスルプスカ共和国(セルビア人)の連合国となり、以後は民生面を上級代表事務所(OHK)、軍事面をNATO中心の多国籍部隊(SFOK)が担当し停戦監視下に置かれ治安も回復した。旅行社のパンフにはこの地域へのツアーの案内もある。あの凄惨な殺戮の場は表面上は平和な姿に復元されたが、ジェノサイドの集団的記憶がいつ蘇るとも限らない。十数年まえの記憶はそう簡単に消せるものではなく、今後の政治状況の如何によってはという側面も否定できない。ちょうど本日7月22日、もとセルビア民主党の党首でジェノサイドの罪で国連旧ユーゴスラビア国際法廷(オランダ・ハーグ)から起訴されていた、ラドバン・カラジッチ被告(63)がベオグラードで身柄を拘束されたというニュースが入ってきた。
国際法廷は彼をどう裁くか注目したい。
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すらすら読める論語 加地伸行 講談社

2008-07-19 07:51:51 | Weblog

すらすら読める論語 加地伸行 講談社 


看板に偽りなし。本当にすらすら読めた。この書の画期は、「君子」を「教養人」、「小人」を「知識人」と訳したところにある。本来はそれぞれ「立派な人」「つまらない人」と訳されていたが、なるほど加地先生のように訳されて見ると、論語の世界全体が把握できて理解がしやすい。最近某国立大学の教授がこの訳語を著者に無断で自著に引用し、加地先生の怒りを買い、新聞に取り上げられた。引用する場合はきちんと出典を明記するのがルールで、これを怠ったことは教授側に非がある。
 その他、「民は之を由らしむべし。之を知らしむべからず。」は「人々に対して、政策に従わせることはでるが、政策の意義・目的などを理解させるとなると、なかなかできない。」となっており、「べし」を「可能」で訳している。従来は「命令」で訳している場合が多かった。これも新鮮な感じがした。論語全体の訳を楽しみたい方には「論語 全訳注」(講談社学術文庫)がお勧めである。
 「論語」と「徒然草」は中高年必携の書といえる。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。」無常の世に何か確としたものを掴んで生きたい(死にたい)ものだ。それが人の生き方と言えるのではないか。
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ブータンに魅せられて  今枝由郎 岩波新書

2008-07-18 05:57:16 | Weblog

ブータンに魅せられて  今枝由郎 岩波新書


ブータンは大ヒマラヤ山脈東端近くの南斜面に、インドと中国のチベット自治区に挟まれた小さな王国である。九州よりやや小さく、人口は約60万。5人のうち4人が農業により生計を立てている。著者は1970年ごろからこの国と関わり現在に至っている。敬虔な仏教徒が多く、「国民皆幸福」を目指して独自の路線を歩んでいる。隣国の中国、インドは経済発展著しく、貧困からの脱出をスローガンに貨幣経済の波に呑み込まれているが、ブータンはそれとは一線を画している。お金を持つことと幸福であることは違うという考え方だ。これは国民が熱心な仏教徒であることと大いに関係がある。 
 中国のチベット自治区では西寧からラサ間の鉄道開通でチベットを経済発展させようとしたが、先ごろの暴動でその限界が露呈した。自然と仏教とつましい生活が中国人の拝金主義に汚されたことに対する、天罰が下ったのだ。なりふりかまわぬGDPかさ上げ政策は、チベット人を幸福にはしなかった。ブータンの人々はそれを他山の石として、肝に銘じてほしい。お金で幸福が買えるはずがないのだから。
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公安調査庁の深層  野田敬生  ちくま文庫

2008-07-12 17:19:32 | Weblog

公安調査庁の深層  野田敬生  ちくま文庫



公安調査庁といえば、2007年六月、朝鮮総連中央本部の不動産が、元公安調査庁長官名義のペーパーカンパニーに移転登記(同月一日付)されていたことが発覚した。朝鮮総連は整理回収機構から627億円の返還を求められており、支払いに応じなければ、本部不動産は差し押さえられてしまう。緒方重威・元長官との売買取引が成立すれば、その強制執行を回避できる。公安調査庁は破壊活動防止法に基づいて、総連を調査対象団体に指定している。つまり、公調の元最高幹部が、動機はともあれ敵対組織である朝鮮総連に協力した形になる。この事件についてはいろんな憶測が飛んだが、今のところ元長官の欲得ずくの犯行ということで公判を待っているところだ。
 退職後とはいえ、敵対組織に絡んで金儲けを企むとは恐れ入った話だが、こういう輩をトップに頂いた公安調査庁は著者によれば、法務省の付属機関で、公安警察と違い捜査権も逮捕権もない影の薄い存在であるらしい。日本版のCIAかというとそれほどの規模も人材もなく、共産党やオームや過激派などの調査に当たるのが仕事だ。まことに地味な役所である。大体諜報活動に携わる機関が検事上がりを幹部に据えて一丁あがりでは、いま流行のインテリジェンス(諜報)活動などできるわけが無い。ただの公務員の意識だから、簡単に敵対組織から買収されて機密事項をもらしてしまう。やはり防衛省に移管して、軍人的な発想で対処できる人材を育てるべきだ。聞くところによると、アメリカ大統領の机には毎朝、CIAが世界各地から集めた情報をA4の紙一枚にまとめられたものが置かれているらしい。大統領はそれを読んで、次の一手を考えるのだ。日本はまだまだ甘い。
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見えないアメリカ  渡辺将人 講談社現代新書

2008-07-10 07:59:53 | Weblog

見えないアメリカ  渡辺将人 講談社現代新書



アメリカに於ける「保守」と「リベラル」は政党で言えば「共和党」と「民主党」という図式で表されることが多いが、実はそれほど単純にはいかないようだ。分かりやすい例としてスターバックスコーヒー好きがリベラルで、クアーズビール好きが保守というのをあげている。前者はデリカテッセンのニドルのコーヒーよりはるかに割高の「ラテ」や「モカ」をすすりながら、「ニューヨークタイムス」のページをめくるライフスタイルのことで、後者はけばけばしいネオンやアメリカンフットボールのテレビ中継が流れるバーやダイナーで、フライドチキンやチップスをかじりながら飲むものである。ハイネケンでもギネスでもなくアメリカ製のクアーズであることに意味がある。
 著者は米下院議員事務所、ヒラリークリントン上院選本部=アル・ゴア大統領選ニューヨーク支部アウトリーチ局(アジア系集票担当)で働いた経験をもとに「保守」と「リベラル」の移ろい易さを実証的に説いていく。かつては「民主党」の牙城だったアメリカ中西部が「共和党」の地盤に変わっていく過程は非常に興味深い。中でも宗教と政治の分離について、アメリカでは、一つの宗教だけを優遇しないと言う意味であり,宗教の敬虔な信者であることと政治を司ることは矛盾しないという指摘は重要だ。証人として宣誓するときにバイブルを手に、神に誓っている情景が一般的である理由がよくわかった。しかし「進化論」を排撃するようになると「超保守」という烙印を押されて、村八分状態になる。微妙なバランス感覚が求められる所以である。
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偏屈老人の銀幕茫々  石堂淑朗  筑摩書房

2008-07-07 20:39:45 | Weblog

偏屈老人の銀幕茫々  石堂淑朗  筑摩書房
 

著者は脚本家で、昔、必殺仕事人(藤田まこと主演)の脚本を書いていたと記憶する。東大を出た後、松竹に入社し、大島渚の助監督となる。大島は当時の人気女優の小山明子と結婚するが、石堂も小山に気がありアプローチしたがだめだったらしい。このことは本書には書いていないが、知る人ぞ知る話である。本書は破天荒な生き方をした一脚本家の交友を、大胆な筆致で書いたもので、昭和の裏面史という色彩が強い。今村昌平、浦山桐郎、実相寺昭雄、種村季弘など懐かしい名前がでてくる。
 私も学生時代、ATGアートシアターで実相寺昭雄の映画をよく見た。今思い出せるのは、三島由紀夫原作の「音楽」だ。主演は篠田三郎。あの頃は文学作品をマジメに映画化していたものだ。懐かしい。石堂の自分史は共に過ごした「昭和」という時代を回顧させてくれた。ありがとう。謝謝。
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