読書日記

いろいろな本のレビュー

台湾の歓び 四方田犬彦 岩波書店

2015-05-24 08:14:45 | Weblog
 著者は文藝・映画評論家である。以前、自分の高校時代の回想や大学の恩師についての本を書いていたと記憶するが、そういう志向のある人なのだろう。今回は還暦を機に勤務先の大学を辞め、台湾の大学や研究所で映画史を講義するために日本を離れ、台北や台南を歩き回った紀行文である。類書に多い食べ歩きや観光地巡りではなく、学者らしい視点で書いているのがポイントである。それが最も顕著に出たのが第二部の「媽祖」の探求記である。媽祖は海の女神で、航海の守護神でもあるが、台湾ではこれを祀る廟が非常に多く、民衆に熱く信仰されている。著者は実際に媽祖像を載せたみこしと共に巡礼の儀式に参加し、東アジアに広く分布している媽祖信仰が一つの水脈をなしていることを実感する。媽祖信仰のトランス状態が何よりも自由であるという感覚が「台湾の歓び」というタイトルになったのだろう。
 著者は言う、韓国人にしても台湾人にしても、日本が植民地化したことのある場所に生まれ育った人間にもし「反日」・「親日」というような二分法を適用するならば、それは知日と無知日(無識日)の二通りしかないだろう。(中略)東アジアで現在最流行であると言われる反日ナショナリズムの中にどれだけ知日の人々が存在しているかは、やはり冷静に考えてみるべき問題だという気がする。私は台湾を親日国だから安心だと無邪気に言ってのける日本人にこそ歴史的無知が横たわっていると思うと。
 確かに台湾は親日的だというのをアプリオリなものとして捉えてはいけない。かつて植民地化したという事実は消えることはない。同じく植民地化した韓国が一貫して反日の姿勢を崩さず、日本に反省を求めているのに比較して、台湾はその反応が幾分ソフトだというその温度差を捉えて「親日」と捉えているにすぎない。また、共産党に敗れて大陸から渡ってきた国民党の軍隊が日本よりひどかったという問題もあるだろう。
 嘉義農林が甲子園出場を描いた映画「KANO」は台湾で大ヒットしたが、日本人の監督が漢人・現地人・日本人を分け隔てなく偏見なしで指導して甲子園出場を勝ち取って大活躍するというものだ。著者はこの映画の分析もしているが、植民地における人種の軋轢・葛藤を見逃すべきではないと警告している。

顔氏家訓1・2 顔之推・宇都宮清吉訳注 平凡社東洋文庫

2015-05-08 08:14:57 | Weblog
 本書は1969年平凡社刊の『中国古典文学大系』第九巻所収の「顔氏家訓」を補訂したもので、1990年に刊行されたが、現在絶版になっている。「顔氏家訓」は7巻。北斉の顔之推(531~590)の著。隋の仁寿年間(601~604)に成立。著者の顔之推は琅邪(山東省)の人で、有名な貴族の家に生まれた学者。はじめ南朝の梁に仕えたが、興亡の激しい南北朝の末期に、北朝の北斉・北周、更に隋と四代の王朝に仕えながら身を全うした。本書はその体験をもとに子孫に残した処世訓の書で、家庭生活から、宗教・学問・文学・社会・風俗・言語に至るいろんな事柄について、具体的に述べられているので、当時の貴族の生活、社会の様子をうかがうことのできる貴重な資料となっている。
 それにしても中国の士大夫階級の底力を見せつけられる書ではある。宇都宮氏の訳注も非常に詳しくわかりやすい。一日も早く復刊して欲しいものだ。ところで、何故この書を読むことになったかと言うと、今年の滋賀大学の入試に「顔氏家訓」が出題されており、たまたま問題文を読む機会があり、その面白さに引き付けられたからである。中身は読書の大切さを述べたもので、次のような内容であった。「学問と技芸を身につけている者は、たとえどのような場所に行っても安住の地は見つかるものだ。あの侯景の乱以来、囚われの身になった人々は多く、その中には先祖代々の庶民でありながら『論語』や『孝経』が読める者は、それでも先生と呼ばれる人物になったのである。しかし反面、先祖代々の名家の出ではあっても、書物を読みこなせない者は、誰もが耕したり、馬の世話方にでもなるほかはなかったのも事実である。こうした事実を見れば誰しも、勉強しなければという気持ちに駆られるだろう。もし常に数百巻の書物さえ家蔵できていれば、たとえ何百代を重ねても身分もないような階層に落ち込むことはないだろう」以上、「学は身を助く」について、また読書の功徳について「自分で自分の生活を守るためには読書術を身につけることが肝要だ。優れた人物の業績、参考になる事物を少しでも広く知りたいと思うなら、読書によってこの欲求を満たせばよいのに、世間の人はこれをやらない。これは腹が空いたと思いながら、料理の支度に取り掛かるのをおっくうがるのと同じではないか。(中略)実に読書こそは、天地も納めきれず神々もかくしきれない諸々の事象を細大漏らさず教えてくれ、解き明かしてくれるものなのである」と述べている。誠にお見事という他はない。
 侯景の乱という国家を揺るがした大乱を経験し、その中で読書の効用を説くこの姿勢。多く刑死したり絶望の中で死んだものが多い中、身を全うしたということは、それなりの生きる知恵があったということだろう。読書はなぜ必要か。その答えがここにある。本なんか読んでどんな意味があるという輩に進呈したい一冊である。これを入試問題に出した滋賀大学の先生に敬意を表する次第である。合格した学生は先生の「本を読んでほしい」というメッセージに応えねばならない。