読書日記

いろいろな本のレビュー

項羽 佐竹靖彦 中央公論新社

2010-09-26 10:11:08 | Weblog
 前作『劉邦』の続編。劉邦はライバルの項羽を打ち破って漢の高祖となり漢帝国の基礎を築いたが、項羽は敗者故死後もその悲哀を味わった。史記では本紀に載せられていたものが、漢書では列伝に降格させられている。史記は当時の巷間伝承された説話を多く取り込んでいるが、漢初の部分は陸賈『楚漢春秋』を引用している。この書は皇帝劉邦たちの前で行なわれた語り物に由来するもので、劉邦中心の記述が多い。
 その影響で史記の項羽本紀と高祖本紀では説話の配置と性格が大きく違う。項羽本紀では鴻門の会と垓下の戦い、すなわち両者の対抗に関するものであるが、高祖本紀の場合は、劉邦が蜂起して沛公、実は沛の県令になる前の物語である。高祖本紀の場合には、劉邦が赤帝の子であり、いずれは天子になることが約束された存在であることを示すさまざまな不思議な話であり、項羽本紀の場合には、両者の対抗の真相を隠すための作為に満ちた話である。
 以上のことを踏まえて著者は次のように言う、鴻門の会は実は、「鴻門の降」、少なくとも「鴻門の約」と言うべきで、劉邦の全面降伏の場面であった。鴻門説話はこの事実を隠蔽するために作り挙げられて作為に満ちた物語である。一方四面楚歌でおなじみの垓下の戦いは実は斉の陳下の戦いで、四面斉歌の状況下で韓信の軍に圧殺された事実を隠蔽する役割を与えられていると。この辺の地理的考察を綿密にされた労はこれを多としたい。
 四面楚歌の場面で項羽が抜山蓋世の歌を作り虞美人がこれに唱和した部分は血涙を絞らせる場面だが、これも項羽絶望説話の影響と著者は断定する。虞美人の存在は虚構であり、項羽の運命甘受の姿勢も劉邦を持ちあげるための方策と言う。烏江の亭長との会話で、江東の子弟八千人を失った項羽に「江東の父兄にあわせる顔がない」と語らせたのも実は劉邦の感慨であるという指摘も興味深い。
 以上漢文の教科書の定番教材の真相を解き明かせてもらったわけだが、自分の運命を甘受して慫慂として死につく項羽の姿は日本人好みであり、小説を読むような面白さがある。勝者が歴史を自分の都合が良いように書き換えるというのはどこにでもあることだが、敗者項羽の価値はこの場合おとしめられて余計に名を残したということは皮肉である。
 

小さいおうち 中島京子 文藝春秋

2010-09-25 09:11:38 | Weblog
 本年度直木賞受賞作。中島氏はすでに作家としての著作が複数あり、新人ではない。戦前の東京の上流階級の平井家に家政婦として仕えた女性を主人公として語られる、家族史・社会史である。戦争にいやおうなく巻き込まれていく人びとの不安・焦躁が淡々と述べられて行く。その中で起こる事件とは、平井家の妻・時子と平井家ゆかりの板倉正治の不倫だ。戦争末期、赤紙召集され入隊直前の板倉に時子が逢引の誘いの手紙を出すが、偶然見つけた主人公が手紙を板倉に渡すことを断念させるというストーリー。戦後年老いた時子の一人息子が母の手紙の存在を知らされ、灌漑にひたるというものだ。戦時下の不倫は成就しかかったが、阻止した家政婦の判断はそれでよかったのかどうかという問いかけで終わる。そんなの放っておけばいいのにという人も多かろう。でも小説としては面白い。
 これが直木賞で芥川賞でない所以は何か。ついでに芥川賞受賞作『乙女の密告』(赤染晶子)読んでみた。こちらはバリバリの新人で、『アンネの日記』をもとにした学園物。文章力は並みではない。京都人の特徴がうまくとらえられている。蓋し通俗的かどうかではなくて、発行部数が多そうなのが「直木賞」で、少なそうなのが「芥川賞」か。でも通俗的なものはよく売れるので同じことか。芥川龍之介は短編が得意で、典故を入れて構成力が優れていたので、何か仕掛けがあって起承転結がはっきりしている作品が選ばれるのか。今年の場合、『アンネの日記』が『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に相当するのかも知れない。赤染氏には、処女作が最高傑作とならないように願いたい。芥川は結局これで苦しむことになったのだから。

街場のメディア論  内田樹 光文社新書

2010-09-19 08:22:39 | Weblog
 内田氏は今最も売れている大学教授・評論家で自信がメディアの寵児であるが、彼自身がメディアの不調を冷静に距離を置いて批評していることに大きな意味がある。
 まずはメディアの不調は日本人の知性の不調と同期しているという指摘は誰もが首肯するものであろう。大宅荘一が夙にテレビによる「一億総琶白痴化」を危惧していたが、それがかなり前から現実化している。視聴率を上げるための俗悪番組、視聴者を馬鹿にしたニュースキャスター等々。資本主義の論理にたやすくからめとられた姿が今現前しているのだ。
 私は前からニュースキャスターの質が劣化していると思っていたが、本書で内田氏がその質の悪さを抉りだしている。テレビのやらせ問題を指弾する新聞は「こんなことをしていたなんて信じられない」というコメントを出すが、実は全部知ってて知らないふりをしているのだ。この「知らないふり」が極めてテレビ的な手法だと氏は説く。曰く、テレビの中でニュースキャスターが「こんなことが許されていいんでしょうか」と眉間に皺を寄せて慨嘆するという絵柄は「決め」のシーンに多用されます。その苦渋の表情の後にふっと表情が緩んで、「では、次、スポーツです」という風に切り替わる。(中略) 僕はこの「こんなことが許されていいんでしょうか」という常套句がどうしても我慢できないのです。「それはないだろう」と思ってしまう。そこには「こんなこと」には全くコミットしていませんよ、という暗黙のメッセージが含まれています。(中略)「知らなかった」ということを気楽に口にするということは報道人としては自殺行為に等しいと思うのですと。キャスターの個人名が浮かんでくるほどリアルな指摘だ。氏は指摘していないが、キャスターは一見貧乏人や社会的弱者の側に立つようなふりをしているが、自身は桁外れの高給を取っている。庶民が知ったら怒るだろう。こういう偽善的風潮に鉄槌を喰らわせたのが『衆愚の時代』(楡周平 新潮選書)だ。併せて読まれたい。
 本書のこの部分を読んだだけでも溜飲が下がったが、本と著作権の問題を論じた第六講以降も知識人の見識が窺われてたいそう面白かった。本書はベストセラーになっているが、逆に言うと、これが売れるということは日本人の知性がまだまだ劣化していないことを証明していることになるのではないか。

闇の奥 辻原登 文芸春秋

2010-09-12 13:45:51 | Weblog
 辻原登の最新作。和歌山県田辺市出身の生物学者三上隆(架空の人物)をめぐるフアンタジーである。三上は京都帝国大学を卒業後、台湾総督府嘱託となり動物地理と原住民調査の傍ら小人族の調査をしていたが、徴兵されボルネオ消息不明になった。その三上の探索の中で三上はチベット、インドネシア、日本の熊野などの小人族の中で生き延びているという情報が飛び交い、調査団は現地を尋ね回るという趣向だ。そこに和歌山ヒ素カレー事件を織り込んで重層的なストーリー展開となっている。
 小人の国に紛れ込んだ人物を訪ねるというわくわくするような展開は著者の処女作『村の名前』で桃源郷に入り込む話と同じ趣向だ。それに主人公のゆかりの人間を適所に配して一大パノラマを描きだす力量は前作『許されざる者』でも発揮されていた。三上が熊野に帰って来ていてそこの小人国生きているというというのは、熊野の神秘性をいやがうえにも盛りたてる。古来熊野は神の国として人びとの信仰を集めてきたが「小人国」とは意表を突く。
 和歌山県生まれの著者ならではの土着性が現れる。三上の小人国を探すその心の闇とヒ素カレー事件の犯人の女の心の闇は一見無関係のように見えるが、心の奥で通底する何者かがあるということなのだろう。とにかく読んでいて、辻原ワールドに引き入れられ、小説の面白さを堪能した。ぜひ一読されたい。

なぜ北朝鮮は孤立するのか 平井久志  新潮選書

2010-09-04 11:52:21 | Weblog
 本書は北朝鮮の金正日の権力掌握から今日に至るまでの権力内部の状況を客観的に記述したもの。最近は北朝鮮の本と言えば、いかにひどい国かということをこれでもかというぐらい書きたてるものが多い。本書はそいう立場ではなく、金正日体制の危うさを冷静に記述しいる。副題は『金正日 破局へ向かう「先軍体制」』だ。民衆の生活は後回しで軍隊を優先するいまのあり方は早晩権力崩壊の要因となるだろう。北朝鮮が直面している今の問題は第一にデノミの失敗による経済的混乱、洪水による食糧不足、第二に金総書記の健康不安と後継者問題。最近金総書記が中国を訪問したことが報じられたが、食糧支援と後継者問題の説明だと言われている。中国は体制崩壊は望んでおらず、生かさぬように殺さぬようにが基本的なスタンス。日本としては拉致問題の解決が急務だが、北朝鮮はいまそれどころではないというのが実情で、民主党政権では無理な気がする。市民派の総理と幹事長では公明正大過ぎて北朝鮮相手に寝技・裏技を仕掛ける外交はとても無理だ。最近の韓国に対する謝罪声明も間が抜けている。政治は真剣勝負だということが分かっていないのではないか。小沢ならあの百戦錬磨のゴロツキ風の面体で何かやってくれそうな気がするから不思議だ。
 本書によると「先軍体制」のもと、「苦難の行軍」の時期に生まれた子どもたちが栄養欠乏のために、青年になっても十人のうち二、三人は認知能力が不足して軍隊にも行けない状況になっているらしい。中学生でも小学生ぐらいの体格で、これを年齢破壊現象と言う。先軍が軍を壊すというアイロニー、金正日は何を考えるのか。個人商店じゃあるまいし、子どもを独裁国家の後継者に指名して一族の安定を図るなんて、毛沢東が聞いたら激怒するに違いない。胡錦濤主席は霊媒師に頼んで毛の霊魂と対話して指針を仰ぐべきだ。なんだったら幸福の科学の大川隆法師に頼んでもいい。
 あとがきによると本書は最初2009年十月に「金正日未完の終焉 北朝鮮後継体制への道」という題で某出版社から出版される予定だった。しかし、明確な理由もないまま出版中止になった。その後、新潮社から出版されることになったが、最初の「金正日『先軍体制』と後継への道」という題が出版直前に変更された。非常に遺憾なことだという著者のコメントがある。思うに「後継」という言葉が金正日の死を連想させるので、出版社がその筋(朝鮮総連)のクレームを恐れて自粛した可能性がある。逆に言うと総連の力は今でも大きいということだ。

毛沢東(ある人生) フイリッツプ・ショート 白水社

2010-09-04 09:21:26 | Weblog
 上下二巻1000ページ(含む注)の力作。十年前に刊行されたが、最近日本語訳が完成して日本で刊行された。著者はポル・ポトの伝記(2008年)も書いており、世界的に高い評価を受けている。毛の伝記としては初めてのもの.上巻は国共合作までの履歴を書いている。共産党内部の李立三との戦略論争で、毛が主導権を握って行く過程が克明に描かれる。それは紅軍にゲリラ戦を実行させること、紅軍に都市攻撃をさせることなどである。さらに紅軍内の反革命闘争で多くの共産党同士を粛清したこと、農民問題に真剣に取り組んだことなどが書かれているが、私が感心したのは、共産党の初期において毛が国民党左派と連携して活動していたくだりだ。このあたりは類書にはない記述でよく調べている。
 下巻のポイントはなんといっても文化大革命を仕掛けた毛の様子だ。古参の幹部を次々と粛清していくその冷徹さは恐ろしい限りだが、国土を荒廃させるリスクを背負ってあれだけの芝居を打った毛の権力に対する執着はすごい。周恩来だけが被害を免れたが、気まぐれな皇帝に仕える臣下のようなもので、逆に周の立ち回りのうまさが浮き彫りにされる。晩年周は膀胱ガンで苦しむが、毛は最後まで治療を許可しなかった。(この事実は本書には書かれていない)最後の最後まで手を緩めないその意志力の感嘆せざるをえない。
 この意志力について著者は言う、「毛沢東の政策によって殺された圧倒的多数は、飢餓による意図せざる犠牲者だった。それ以外はーーと言っても三、四百万人はいるがーー中国を変えようという叙事詩的な闘争における、人間の残滓であり瓦礫なのであった。そう言われても犠牲者としては何の慰めにもならないだろうし、毛のすさまじい社会工学がもたらした途方もない悲惨をいささかも和らげるものではない。だがそれは、彼を他の二十世紀独裁者たちとは別格にしている。法律でも、殺人、謀殺、過失致死では扱いが違う。同じく政治でも、自国の人民に大量の苦しみをもたらす指導者の責任には、動機と意図に応じて程度の差があるのだ。スターリンは、臣下が何をしたか(あるいはしそうか)を気にした。ヒトラーは、彼らが何者かを気にした。毛沢東は彼らが何を考えるか気にした」と。
 したがって自分の政策が何百万人もの死を引き起こしている時でさえ、毛は人びとの考え方を改めて償わせるというのが有効だという信念を改めたことはなかった。これが文化大革命の悲劇を生む要因になったことは確かだ。独裁者のかくあらねばならないという強い意志は必ず人民に悲劇をもたらす。振り返って、日本の政治家の状況はどうだ。民主主義国家の為政者は独裁者とは同じ土俵に立っていないが、かくあらねばという意志力ありや否や。政治主導が聞いてあきれる。米軍基地問題、経済政策、年金問題、これらを全力で重点的に解決すべきである。総花的にやったのではだめだ。