読書日記

いろいろな本のレビュー

ルポ トランプ王国 金成隆一 岩波新書

2017-03-27 08:10:51 | Weblog
 副題は「もう一つのアメリカを行く」だ。「もう一つのアメリカ」とはアパラチア山脈をこえた、オハイオ、イリノイ、カンザス、ネブラスカ州などの地域を指す。これらの州はかつて製鉄業や製造業で繁栄したが、経済のグローバル化でメキシコ、中国などの安い労働力を頼って会社が海外移転した結果すっかり没落してしまった。その余波で、白人のブルーカラー労働者たちの多くは失業の憂き目に会い、かつてのアメリカを支えた中産階級がやせ細ってしまった。特に五大湖周辺はラストベルト(錆びついた工業地帯)と呼ばれ経済的に疲弊している。トランプ大統領はここに目をつけ、再びアメリカを偉大な国にすると言い、自国中心主義によって雇用の増大を訴えた。そして選挙に勝利した。本書はそのトランプを支持した人々を取材したものだ。
 田舎のバーや食堂、床屋、自宅などでのインタビューを聞くと、彼らの現在のアメリカに対する不平不満が爆発していることが分かる。我々外国人が知っている情報とはアメリカの大都会のメディアが発したもので、片田舎の労働者や農民の生活実態のレポートを見聞きすることはまれだ。彼らの都会の知識階級に対する反感は相当なものだ。有名大学を出て、有名な会社に入って大金を得て優雅に暮らす都市生活者を彼らは既得権益層と見なし批判する。富の偏在化はアメリカの大きな課題だと夙に指摘されてきたが、彼らのナマの声を聞くと想像以上だと実感する。
 予備選挙の段階でアメリカのジャーナリストの多くがこの状況を目の当たりにして、トランプが勝つだろうと確信していたらしい。日本ではこんな暴言を吐くオヤジが当選するはずがないというのが大方の予想で、見事に裏切られてしまった。これもトランプが嫌う都会のメディアの報道に知らず知らず騙されていたのだろうか。
 トランプの選挙演説はブルーカラー労働者の心にヒットするフレーズを畳みかけて大いに盛り上がった。メガチャーチ(大教会)で牧師が大勢の人々を前に分かりやすい言葉で説教するのと同じような感じだ。今はやりの反知性主義の実践だ。
 インタビューで彼らは言う「大陸の真んに暮らすオレ達が本物のアメリカ人だ。エスタブリッシュメントは外国に旅行するくせに、ここにはこない。「つまらない」「何もないから行きたくない」と言う。真ん中の暮らしなんかに興味なしってことだ。エスタブリッシュメントは、自分たちがオレたちより賢いと思っているが、現実を知らないのは、こいつらのほうだ」また「テレビに映るカリフオルニア、ニューヨーク、ワシントンは、オレ達とは違う。あれは偽のアメリカだ。(中略)ここが本物のアメリカだ、バカ野郎!」と。
 トランプ大統領は彼らの支持票にどう答えて行くのか。大統領令の連発で実行力をアピールしているが、議会との関係を考えるとそうやすやすと自国中心主義を貫けるとも思えない。彼が開けたパンドラの箱をどうするのか。前途多難である。

「快傑ハリマオ」を追いかけて 二宮善宏 河出書房新社

2017-03-13 10:51:58 | Weblog
 ♪真っ赤な太陽燃えている 果てない南の大空に とどろきわたる雄たけびは 正しい者に味方する ハリマオ ハリマオ 僕らのハリマオ♪ご存じ「快傑ハリマオの唄」である。作詞・加藤省吾 作曲・小川寛興 歌・三橋美智也。この歌はカラオケでもよく歌われている。現に私の同僚は行くと必ずこれを歌う。メンバーは誰も還暦を過ぎていて、昭和30年代を懐かしむよすがとしてこれが出てくる。テレビの「快傑ハリマオ」は昭和30年の4月に放送が開始されて、翌年の6月に65回で放送を終了した。ハリマオを演じたのは勝木敏之で、白いターバンにサングラスのスタイル。これは少年たちを熱狂させた。この時期、月光仮面、少年ジェット、隠密剣士、ナショナルキッド等々、見るべきテレビ番組は多かった。大人たちにはプロレスや大相撲中継が人気だった。
 この放送が始まった当時、私は9歳の小学校三年生。週刊少年サンデーや少年マガジンが40円で、特にサンデー連載の横山光輝の「伊賀の影丸」が好きで発売日が待ち遠しかった。この懐かしい昭和30年代を象徴する「快傑ハリマオ」ゆかりの人物・会社等々をまとめたのが本書である。まず本の装丁が素晴らしい。黄色の地にハリマオがピストル片手に正面を向いて精悍な表情で迫る写真を配置。今にもピストルが火を噴きそうだ。
 第一章は、ハリマオのモデルについての解説、第二章は、製作者・小林利雄や監督を務めた田村正蔵や浅井清のエピソードなど。第三章は作曲者・小川寛興、作詞者・加藤省吾、歌手・三橋美智也について。三橋は民謡歌手出身で、その美声は人気の的であった。歌手・細川たかしの師匠でもあり、当時は「古城」が大ヒットしており、スーパースターだった。そして番組提供の森下ジンタンの「ジンタンの歌」=♪ジンジンジンタンジンタカタッタ♪と作曲者の三木鶏郎の話題。そして当時人気の四人の歌手グループのダークダックスの紹介。最後の第四章は主役・勝木敏之のその後を追っている。勝木は俳優としてはこのハリマオ一本で終わってしまい、その後、東京西五反田に居酒屋「蔵」を開店した。そして1966年に33歳で結婚したが、1983年に離婚した。その後の事跡は「今、どこで、どうしているのかわからない」と著者はいう。ターバンとサングラス姿同様、全体の相貌を明らかにしないところが「快傑ハリマオ」らしい。
 なにはともあれ私にとって56年前の興奮を再現させてくれた本書に感謝するしかない。二宮さんありがとう。

週末ちょっとディープなタイ旅 下川裕治 朝日文庫

2017-03-03 09:34:30 | Weblog
 この「週末~ちょっと~」シリーズは今回で9作目だと思うが、半年ごとに出版されている人気シリーズだ。毎回購入しているが、類書と違う点は訪問地(アジア諸国)の風俗だけでなく政治状況に対する分析・批判が書かれているところだ。前回の台湾では内省人と外省人との問題を、その前のマレーシアではマレー人優遇のプミプトラ政策が中国系の華僑の人々の経済活動を制約して国全体のバランスが歪んでいる状況を切り取って見せてくれた。中国では共産党政権の人権抑圧が人々の生活に影を落としている姿とそれに抗うでもなしに厳しい生存競争に投げ込まれている姿が描かれる。言ってみれば少し辛口の旅行記で、私の好みでもある。
 今回のタイは著者のホームグランドとも言うべき所で、愛憎こもごもの表現が楽しめる。第一章は「タイ料理」を席巻する「タイ中華料理」の具体例、グリーンカレーぐらいしか食したことが無いので、一度食べ歩きしなければという感想だ。第二章はバンコク市内のバイクタクシーの実態。タイの交通機関は日本の白タクみたいな感じのものが大勢をしめており、運賃は交渉制。これを著者は「アジアの風に支配されている」と表現している。また「朝は電車も混む。しかし日本のように殺気立たない。羨ましい国だ」と写真のキャプションに書いている。まったく同感である。日本の交通機関は定時運行を至上目標としている。ちょっと遅れただけで車掌は遅れてすみませんと何度も放送する。しつこいったらありゃしない。あれは遅れたことにクレームをつける客が多いからだろう。会社もクレーム対策としてしつこい放送を繰り返す。お陰で社内の静謐さは失われる。本当に神経質だなあと思う。
 そして第三章の「清廉さをアピールする軍事政権の胡散臭さ」で著者の本領が発揮される。以前タイはタクシン派と反タクシン派の対立でバンコクは都市の機能がマヒしたことがあった。結果2014年にクーデターで軍事政権が誕生して現在に至っている。その政権が人々の暮らしを窮屈にする政策を次々に実行し出した。その一つが禁酒政策だ。タイは仏教国で酔うという状態を理念的に嫌うので、仏教関係の祝日は酒類の販売が禁止されていた。でもそこはタイだけあっていろいろ融通がきいたのだが、軍事政権はそれを厳格にやりだしたのだ。歓楽街の営業時間の厳守、列車内の禁酒等々、マジ?と人々は驚いた。ゆるいタイ独特の生き方を根本的に縛ることは不可能だと思われるが、それが清廉さの証だと思っているのだろう。いつまで続けられるかは疑問だ。日本相撲協会が立ち合いを厳密にしようと躍起になっているのと同じ感覚ではないか。そこには阿吽の呼吸を軽視する見当外れのリゴリズムがある。
 第四章はプミポン国王の死去に伴う、タイ国民の喪の服し方が書かれている。プミポン国王はタイの象徴として国民の信頼が厚い王様で、しばしば政治的対立の仲裁をされた方だが、死去に当たってのタイ国民の喪の服し方は尋常ではない。バンコクではみんなが黒のTシャツを来て弔意を表そうとしたのだ。とにかく黒一色。ところが著者が地方に行くとそれほででもないことがわかった。これはバンコクの中核を担っている中間層のモラルに裏打ちされているのではないか。中間層は他人の視線を気にしながら生きる人々なのだと著者はいう。中間層はいわゆるインテリと言い換えてもいいと思うが、近代化を牽引して行く連中だ。これが増えるとタイの鉄道も日本のようにうるさい車内放送を始めるのではないか。難しい問題だ。
 その他、タイの鉄道には乗り継ぎの発想が無いとか、隣国のラオスに影響力を発揮する中国の姿等々、興味深い話題が満載だ。