読書日記

いろいろな本のレビュー

悪名の棺  工藤美代子  幻冬舎

2010-12-25 10:53:00 | Weblog
 本書は日本船舶振興会会長であった笹川良一の伝記である。生前財政界の黒幕と呼ばれ、毀誉褒貶の激しかった人物である。モーターボート競争(競艇)の生みの親として、また「世界は一家 人類みな兄弟」のメッセージをマスコミを通じて流し続けた人物として今も記憶に新しい。
 笹川は明治32年5月4日、大阪府三島郡豊川村大字小野原(現在の箕面市小野原)の庄屋の長男として生まれた。小学校の同級生に文豪の川端康成がいるが、不遇の川端を笹川は陰に陽に助けたらしい。川端は成績優秀で、茨木中学から一高、東大へと進み、後にノーベル文学賞を受賞した。このエピソードは笹川の評価を押し上げる伏線として使われている。うまい。笹川は幼少期からその異相(目も鼻も耳も異様に大きい)と腕白(関西ではゴンタと呼ぶ)ぶりで有名だった。上級学校へ進学できる頭と経済力がありながら、社会へ出ることが勉強だと高等小学校を終えて、二年間正念寺という寺で修行、その後各務原の航空第二大隊に陸軍工兵二等兵として配属される。その後良一22歳の時、父の死に遭い遺産相続。その資金で堂島の米相場に大枚を張り、二度に渡って大金を手に入れた。
 金融恐慌の真っただ中で右翼運動に手を染め、「国粋大衆党」を立ちあげる。資金は相場で設けた金だ。自己資金で運動費をまかなった点が他の運動家と違うところだという著者の指摘がある。しかし、日常生活は極めて質素であった。政治運動の傍ら慈善・福祉事業(ライ病患者の救援など)にも関わり、家庭を顧みず、多彩な女性遍歴を重ねながら、天下国家、世のため人のために奔走し、挙句は戦犯として巣鴨プリズンに入れられた。笹川は東條など、A級戦犯とも近い関係で巣鴨における彼らの様子が非常に卑俗な形で描かれている。笹川の大物ぶりを描きたいという心情が国家の要人を相対化する書き方になったのだろうが、少しやり過ぎの感じがある。
 今笹川を取り上げて「名誉回復」する意味は何か。最近のふがいない政治家に対する当てつけか?カリスマ待望か?まあそれは擱いても、92年の生涯をたどると大正・昭和の一側面を理解できた気がする。

アメリカと宗教  堀内一史  中公新書

2010-12-18 10:57:09 | Weblog
 アメリカは世俗国家だと思われがちだが、実は世界に冠たる宗教大国である。総人口の約8割はキリスト教徒であり、彼らの多くが伝統的な教義を信じている。神への信仰、教会への出席率、死後の世界への信仰、毎日の礼拝などの調査項目で、世界の主要先進国の中でアメリカ人は群を抜いて信心深い国民であることが判明している。例えば、92%のアメリカ人が神または普遍的な霊魂の存在を信じるのに対し、イギリス人では61%、フランス人では56%、スエーデン人では46%である。また四割弱のアメリカ人が週に一回教会の礼拝に出席するのに対して、これら三ヶ国の国民では、わずか5%以下である。(ロバート・フアウラー他『アメリカの宗教と政治』2010年)
 ソビエト連邦崩壊(1991年)後、名実ともに世界のリーダーとして君臨しているが、キリスト教の価値観による世界支配の美学は十字軍のそれに等しいと言えるだろう。イスラム教国家に対する外交を見れば明らかだ。本書はアメリカのキリスト教の主流派であるプロテスタントの歴史をわかりやすくまとめたもので、時の権力者(大統領)との関係も詳細に書かれている。とりわけ注目すべきは1970年以降、政治的影響力を持つようになった宗教右派の存在である。
 プロテスタントは主流派と福音派に分かれるが、この福音派の中のバプテスト派教会が最大規模の教派で、人口比で17,2%を占める。では福音派とはどのような特徴があるのか。著者によれば、1、キリストの代理贖罪効果ーーキリストが人びとの代わりに十字架で死んだことで、神の恩恵によって罪が購われたことを信じる。2、個人的な救い主であるキリストとの霊的交わり、つまり回心体験(ボーン・アゲイン体験)がある。3、『聖書』の記述は神の言葉であり間違いがないと信じている。4、福音を社会に広げたいという実行力を伴った強い意志を持つ。
 1960年代以降、社会の世俗化に伴い、社会との分離主義を続けていけば自分たちの信仰の基盤さえ失うと危機意識を募らせて、1970年代以降、政治的影響力を模索するようになった。1979年以降宗教右派(キリスト教右派)という社会運動を展開するために利益集団を形成し、保守的な福音派を動員して、政治や教育などの公共領域に参入し、1980年の大統領選(レーガン大統領)以降、彼らを共和党の大票田に仕立て上げた。これが原理主義である。レーガンやジョージ・W・ブッシュは福音派の信仰を持つが、原理主義は福音派の四つの特徴に加え、次の三つを持つと言われる。それは1、世俗社会とは一線を画す分離主義を貫く。2、『聖書』の記述を一字一句忠実に理解しようとする。3、プレ・ミレニアリズムとディスペンセーション主義を信奉する。3の詳細は本書を読んでいただくしかないが、レーガン以降共和党の支持母体として宗教右派は政治・社会問題(イスラエル支援・妊娠中絶・同性結婚の否認等)に介入しさまざまの影響力を行使してきたが、ブッシュ退任後民主党のオバマ大統領の登場で衰退しつつある。ブッシュ時代のネオリベラリズム(新自由主義)は格差の拡大を助長したが、これを下支えした反動が表面化したものと言える。オバマは一つのアメリカを宣言し、宗教的に多様なアメリカを強調し、無神論やイスラム教徒にも配慮した。当然の戦略と言わねばならない。宗教右派の衰退とともに今度は左派が勢力を増やしている。右から左への揺り返し。これは普遍的現象で、いずれまた右への回帰ということになるのだろうが、オバマはどこまで頑張れるか、眼が離せない。なお宗教右派の政治介入の詳細については、『神の国アメリカの論理』(上坂昇 2008年 明石書店)に詳しい説明がある。

アメリカン・デモクラシーの逆説  渡辺靖  岩波新書

2010-12-11 15:41:05 | Weblog
 自由主義の大国アメリカは民主主義の代名詞として、世界に君臨してきた。嘗ての軍国主義国家日本も太平洋戦争敗戦後、アメリカの傘下に入り、民主主義国家としての成熟度はもうひとつだが、いまや自由主義国家としてその歴史を重ねている。その本家のアメリカは一部の富裕層が富を独占し、多くの国民が貧困にあえいでいる。新自由主義の思想が格差社会を生み、その矛盾を解消すべき救世主として現れたのが黒人の大統領オバマだ。彼が多元的な価値の尊重を訴えて人種の垣根を越えたアメリカという国家の下に連帯することを呼びかけたのは記憶に新しい。しかし実際の政治に目を向けると、オバマも失業対策や国民皆保険の施策では苦戦している。それは国による過度の介入はアメリカのモットーである「自由」をないがしろににするものだという反論に揺さぶられているからだ。「自由」が政策遂行の足かせとなっているのだ。
 本書はアメリカの自由や多様性がもたらした光と影を検証し、それでもアメリカのデモクラシーに希望をつなぐという展開になっている。格差社会を象徴するゲーテッド・コミュニティー(フエンスに囲まれ、部外者を閉めだす町)や宗教共同体とも言うべきメガチャーチ(保守的な巨大教会)の出現などはアメリカの多様性が如実に顕れたものと言えるだろう。反面、住民の協働で再生したボストンのインナーシティー(スラム)や児童の半数を難民が占めるが、富裕層の子どもも在籍する学校など、アメリカの懐の深さを実証する事例も紹介してバランスを取っている。
 さまざまの言説(カウンター・ディスコース)が存在し、せめぎ合う社会アメリカ。そこはまさに民主主義の実験場として進化していく。グローバル社会アメリカの有りようは今後の世界の国々の進むべき道を示唆する。アメリカ研究の必要が説かれる所以である。

世界史の構造  柄谷行人  岩波書店

2010-12-05 13:30:13 | Weblog
 本書は世界史を交換様式の観点からとらえ直し、人類社会の秘められた次元を浮かび上がらせることで、未来に対する想像力と実践の領域を切り開こうとするもので、大変刺激的だ。著者は交換様式を次の4つに分類する。A 互報(贈与と返礼)  B 略奪と再配分(支配と保護)  C 商品交換(貨幣と商品)  D X そしてそれぞれに対応する近代社会の構成体を、A ネーション  B 国家  C 資本  D X と分類する。Xは例えば、社会主義、共産主義、アナーキズム、評議会コミュニズム、アソシエーショニズム等で、それらの概念には歴史的にさまざまな意味が付着しているため、どう呼んでも誤解や混乱をもたらすことになるのでXと呼ぶという注がある。
 歴史的な社会構成体を以上のパターンで説明していくのだが、「原都市=国家は、何よりも共同体間の交易を可能にする場として始まったのである」とか「部族連合体は共同体の間の戦争状態を贈与の互報によって乗り越えるものだ」とかいう感じで経済学的分析が展開され、非常に新鮮。特に私が感動したのは、交換様式Dが普遍宗教として現れたこと、それゆえ、社会運動もまた宗教の形態をとってあらわれたという指摘である。氏は言う、最初のブルジョア革命というべきものは、イギリスにおいてピューリタン革命(1684年)として起こった。つまりそれはブルジョアではない階層による社会運動として、しかも宗教的な運動として開始されたのである。なかでも重要なのは、水平派と呼ばれる党派である。彼らは資本主義的経済の拡大の中で、没落しつつあった独立小商品生産者の階級を代表していた。その点で、19世紀のアナーキストと似たところがある。さらに、開拓派となると、農村のプロレタリアを代表して、明瞭に共産主義的であった。しかし、彼らの主張は『至福千年』という宗教理念として語られたのである。(中略)19世紀以降も、社会主義運動はいつも宗教的な文脈と結びつけられていたのである。」と。この指摘は目から鱗で、宗教の分析としては斬新だ。そして1840年代にプルードンは社会主義を「科学的社会主義」と捉え、宗教的な愛や倫理ではなく、「経済学」に基づかせようとした。これ以後、社会主義者は宗教を否定するようになった。しかし宗教を否定することによって、そもそも宗教としてしか開示されなかった「倫理」を失うことにことになってはならない。それをプルードンに先立って追究したのがカントで、「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」という格率を普遍的な道徳法則であると考えた。それが実現された状態が「目的の国」である。それはまさに自由の相互性(互酬性)で、交換様式Dに相当すると、カントを軸に議論は続き、カントの哲学が人類の将来を左右するという話になっている。こうなるといやがおうでも前著『トランスクリティーク』を読まざるをえないということになる。この500ページの大著は社会システムについて色んな方面から議論をしており、非常に有益だった。カントの哲学が今後の世界のありかたを示唆するという指摘は、軽薄短小な昨今の民情のアンチテーゼとして痛快極まりない。