読書日記

いろいろな本のレビュー

狂うひと 梯久美子 新潮社

2017-04-25 19:48:53 | Weblog
副題は『「死の棘」の妻・島尾ミホ』である。660ページにわたる大作で資料の整理に多大の労力を費やしたと推察するが、非常に読みやすくて島尾ミホの人となりが鮮明に描かれている。ミホの夫は島尾敏雄で、「死の棘」の作者。この小説は妻ミホとの驚天動地の夫婦生活を日記形式で綴ったもので、映画にもなった。ミホの精神が異常をきたす中で、妻と向き合う敏雄の日常を記したものだ。
 島尾敏雄は太平洋戦争中、予備学生として魚雷艇の訓練を受け、後に特攻志願が許されて震洋艇乗務に転じ、昭和19年11月、第18震洋特攻隊の指揮官として180余名の部下を引き連れて、奄美諸島加計呂麻島の基地に向かい、そこで出撃を待ったが、出撃前に終戦となった。その詳細は『魚雷艇学生』(新潮文庫)に書かれている。ミホはこの時、加計呂麻島の国民学校の教師で、敏雄と知り合い恋愛関係になり、昭和21年に結婚した。本書のカバーにミホの若い時のポートレートが使われているが、彫りの深い南国美人である。この時、敏雄29歳、ミホ27歳であった。本書によると特攻隊の指揮官時代に敏雄は梅毒を患っており、ミホにそれをウツしたことでトラブルが発生したようだ。敏雄の小説は、特攻隊の指揮官として死を決意したものの、終戦によって命拾いしたその空虚感をテーマにしたものが多く、非常に生真面目な感じを与えるが、実生活ではかなりの艶福家であったようだ。それがもとで、妻のミホとのいさかいが絶えず、彼女を精神的に追い詰める結果になった。
 敏雄は愛人との交際ぶりを日記に書いており、それを見たミホが激情して、ある日訪ねてきたその女性に対して敵意むき出しで暴力をふるうというようなことが日常の一こまとして描かれているが、敏雄はその日記をわざとミホの目に入るように仕向けた可能性もあり、敏雄の創作方法の一面を垣間見たような気がする。
 序章の口絵の所に、ミホが市川市の国府台精神病院に入院していた昭和30年8月19日、敏雄が書いた血判入りの誓約書の写真がある。それに曰く、「至上命令 敏雄は事の如何を問わずミホの命令に一生涯服従す 敏雄  ミホ殿  (如何なることがあっても厳守する。但し病気のことに関しては医者に相談する)」と。
 この誓約書がこの夫婦のありようを端的に表している。敏雄は基本的に女性に対して優しい。だから持てたのだろうが、これだけ夫と妻の人格が格闘した夫婦は珍しいのではないか。特にミホはその感情の量がやたら多い。洪水のように溢れ出る喜怒哀楽を敏雄は黙って浴び続けたのであろう。ミホも後年作家として活動するが、これだけの思いがあれば書くことはいくらでもあっただろう。要するに二人はもともと作家的資質(破滅的傾向)に恵まれていたと言えるだろう。それゆえ日々の格闘も作家としての営為の範疇に入っていたので、凡人が想像するほど苦にならなかったのかもしれない。でも私だったら逃げるだろう。どろどろし過ぎている。

「おもてなし」という残酷社会 榎本博明 平凡社新書

2017-04-18 20:00:51 | Weblog
 最近過労死が問題になっている。某大手広告会社の24歳の新入女子社員が「人生も仕事も辛い」というメールを母親に送ったあと自殺した事件は社会に衝撃を与えた。その女子社員は東大文学部卒で、受験競争を勝ち抜いてきたと思われるが、志半ばの無念の死であった。私のような凡人であれば、そんな会社さっさと辞めてしまうのだが、受験エリートは仕事の困難くらいは乗り越えなくてどうするという強い意志があって、それが逆に災いしたのかもしれない。母親の手記が新聞に出ていたが、母一人子一人の家庭で、経済格差・教育格差・地域格差を周囲の人の協力で克服して東大合格を果たしたとのこと、それがこんな結果になってと読むのも辛い内容だった。彼女のような例は沢山ある。本書は最近の過酷な労働の原因の一つとして「おもてなし」という言葉にあらわれる「顧客至上主義」を挙げている。それを支えているのが欧米生まれの「顧客満足度」という概念だ。
 著者によれば、もともと日本人は人と人との「間柄」を大切にする文化を育ててきた。それゆえ、接客の場で心地よい「おもてなし」が実践されてきたのである。欧米ではサービス業に携わる人間においても自己主張が強く、いやなことはいやとはっきり言う傾向が強い。だからこそ「顧客満足度」というようなものが出現してきたのである。そこそこの「おもてなし」をしてきたにもかかわらず、日本は更に過剰な接客の道を選んだ。それが過労死に繋がっているのだ。
 本書は西欧の「自己中心」の文化に対して日本を「間柄の文化」と捉え、その特徴を詳しく説明してくれている。そして顧客に対して気を遣う仕事、即ち「感情労働」の過酷さをえぐり出している。「お客様は神様です」は三波春夫のキャッチフレーズだが、当時はそこまで言うかという感じで、誰も三波を見下すことはなかったと思う。ところが最近の「お客様」は、こちらがお金を払ってるんだからということで、「神様」に成りきる手合いが多い。そうなると当然クレームが増えて、企業はそれに対応すべく「お客様相談室」を設置して対応に当たる。それのクレーム電話の多くは派遣社員が担当するという図式になっている。「感情労働」はますます過酷になる。
 その余波が今や教育界にも押し寄せて、モンスターペアレンツを出現させた。教育を物品売買のアナロジーで捉えて、教育をサービス業と勘違いさせる言説が定着した。その悪い流れは、教員を既得権益集団だと名指して、教育改革の名のもとに教員の給料・福祉をカットした某首長によって助長されたのは確かだ。ささくれ立った世相を出現させた罪は大きい。それに力を貸した関西のメディアは猛省すべきなのにその気配がない。遺憾である。
 とにかく「おもてなし」はもう結構ですとみんなが声をあげる時が来ている。本書が刊行されたのは時宜にかなっている。多くの人に読んでいただきたい。

日本人の9割が知らない遺伝の真実 安藤寿康 SB新書

2017-04-08 14:54:38 | Weblog
 この本で行動遺伝学の研究者である著者が一卵性双生児や二卵性双生児のデータをもとに次のように述べている。曰く「知能検査の結果であるIQは70%以上、学力は50~60%くらいの遺伝率があります。生まれた時点で配られた、子ども自身にはどうすることもできない手札によって、それだけの差が付いているわけです。残りは環境ということになるわけですが、学力の場合、更に20~30%程度、共有環境の影響が見られます。そして、共有環境というのは家族メンバーを似させるように働く環境のことですから、大部分は家庭、特に親の提供する物質的・人的資源によって構成されていると考えられます。親が与える家庭環境も子どもはどうすることもできません。つまり、学力の70~90%は、子ども自身にはどうしようもないところで決定されてしまっているのです。にもかかわらず、学校は子どもに向かって<頑張りなさい>というメッツセージを発信し、個人の力で何とかして学力を挙げることが強いられているのです。これは科学的に見て、極めて不条理な状況といえるのではないでしょうか?」と。少々長くなったが、本書の内容を端的に要約しているので引用した。
 前半のIQや学力は遺伝率が高いということと、学力は家庭環境との相関関係が高いというのも私自身の経験からしても間違ってはいないと思う。しかし後半の、学校が能力のない生徒に無理な頑張りを強いているのは科学的に見て不条理だというのはどうかなあと思う。学校とは小学校か中学校か高校かわからないけれど、そんなに学力を伸ばすために汲々としているとは思えない。特に義務教育では基本的なことを学ばせて国家の礎となる人材を担保するのが目的なのだから、反復練習で知識・技能を定着させるために教員は頑張っている。高校は義務教育ではないし、子どもの能力・学力に応じた学校が存在する。
 本書を読んで、頭の悪い者は勉強しても無駄だというメッセージとして受け取る人もいると思うが、頭が悪くてどこが悪いと居直ることもできる。だって世の中頭のいい奴だけが得をしているということもないのだから。秀才、凡才、鈍才それぞれ身の丈に応じて生きて行くだけの話である。著者によると、本書は2016年4月に出された橘玲氏の『言ってはいけない 残酷すぎる信実』(新潮新書)の出典として著者の本が引用されて、行動遺伝学のメッツセージが日の目を見たのを機に便乗出版したものだという。橘氏の本を私は読んでいないが、学力は遺伝するということを書いているのだろう。それで便乗は素早くとのことで、ライター一人を雇って編集者と3人で作ったと楽屋内の話を披露している。この点は正直でいい。道理で、これからの教育はどうあるべきかというまとめがもう一つだ。
 教員は子どもを教育する中でこどもの個性を理解し、その子に応じたアドバイスをするものである。誰彼なしに叱咤激励して勉強させるものではない。時には限界を指摘することもある。とにかく与えられた条件の中で前向きにガンバル子どもは多い。そういう子どもたちの努力に水を差す冷笑主義にならないように学問の成果を利用してもらいたいものだ。

また、桜の国で 須賀しのぶ 祥伝社

2017-04-03 10:47:19 | Weblog
 第二次世界大戦の始まる直前の1938年10月にポーランドの日本大使館員としてワルシャワに赴任した棚倉慎(タナクラ・マコト)がポーランド人やアメリカ人の友人を逃がすためにドイツ軍に投降し、その後殺害されるという悲劇を扱ったものだ。史実を時系列で織り込みながらポーランドとの友好を計るためにナチスドイツやソ連と戦う一日本人外交官の姿を描いて感動的な小説に仕上がっている。
 棚倉慎の父はロシア人、母が日本人という設定だ。父はロシアに生まれ、研究のため日本にやってきて、革命(1917年の2月革命)で祖国を失い、以降ずっと日本に住み続けている。従って息子の慎には、反革命政府という父の遺伝子が組み込まれていて、それが彼の反ナチ、反ソ連の行動の原理になっている。その父のことは物語の最後に明かされるので、読者は「ああ、そう言うことか」という感想を持つことになる。いわば隠し味的技巧というべきものだ。
 日本とポーランドが友好的だったというのは、シベリア孤児の問題で、日本大使館がシベリアに流されたポーランド人の子どもを救ったことに由来する。孤児院の院長のストシャウコスキ氏が会長を務める極東青年会と日本大使館はその点で非常に関係が深い。
 1939年10月1日、ドイツ軍はポーランドに侵攻して首都ワルシャワを占領した。東方からはソ連が侵攻してポーランドは無政府状態になった。そこにナチのユダヤ人に対するジェノサイドが起こって、悲劇が倍増した。東方のポーランド軍はソ連に攻撃され、ポーランド軍将校が捕虜となり、スモレンスク郊外のカチンの森で銃殺された。これが有名な「カチンの森事件」である。ソ連は最初はドイツ軍の犯行だと言い逃れをしたが、ソ連はこの事実を後年認めている。スターリニズムの悪行として名高い。日本大使館員・棚倉慎はこの二つの国に蹂躙されたポーランドのために献身して、命を捧げたのだ。ポーランドと日本の関係を題材にした小説を読んだのは初めてだが、冒頭の慎が赴任するためにポーランドに着き、列車に乗り込んだ時の酷薄なナチ隊員の描写は読ませる。「身を捨つるほどの祖国はありや」とは寺山修司の短歌の一節だが、慎は祖国でもないポーランドに身を捨てたのだ。ポーランドについて知りたいという気持ちが湧いてくる小説だ。