読書日記

いろいろな本のレビュー

人生が変わる55のジャズ名盤入門 鈴木良雄 竹書房新書

2021-09-28 17:58:27 | Weblog
 本書は5年前の出版で、当時買おうか買うまいか逡巡していてそのままになっていた。今回図書館で見かけて借りて読んだが、素晴らしい内容だった。著者の鈴木氏は1946年生まれで、今年75歳のジャズベーシストだ。早稲田大学モダンジャズ研究会の出身で、渡辺貞夫カルテットでベーシストとして参加。1973年に渡米、ニューヨークで活動開始した。スタン・ゲッツのグループに参加後、アート・ブレイキーのバンドでレギュラーベーシストとなり、1985年帰国。その後、リーダーとしていくつかのバンドを結成して現在に至る。ジャズ界を生き抜いたまさに巨匠である。

 彼はチンさんの愛称で、1970年代から活躍していた。当時スイングジャーナルというジャズ雑誌が出ていたが、そこで彼の活躍が報じられていた。当時はLPレコードで、新譜の紹介記事が売り物だった。そこでよさそうなレコードをジャズ喫茶でリクエストして気に入ったら購入という感じだった。当時LPが2000円くらいしていて、学生にとっては貴重品だった。本書にリストアップされている作品は1950年代から60年代が中心で、学生時代に聴いた作品が多く懐かしさがこみあげてきた。

 55作品の選出方法は、鈴木氏のジャズ仲間50人に入門ベストアルバム20枚を答えてもらったアンケートを基にしている。第一位はマイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」だ。冒頭の「ソー・ホワット」は名演として名高い。今それを聞きながらこれを書いている。第二位はソニー・ロリンズの「サキソフオン・コロッサス」。第三位はキャノンボール・アダレイとマイルスの「サムシン・エルス」。そして第55位はケニー・ドーハムの「クワイエット・ケニー」だ。まさに名盤中の名盤が選ばれているので。ジャズに興味をお持ちの方はこれを基にコレクションを増やしていかれたらアルバム収集の喜びが味わえると思う。

 鈴木氏はこの55枚についてコメントを加えているのだが、それがまた素晴らしい。実際本場の有名ジャズマンと仕事をしているので、彼らのすばらしさを肌で感じた経験をもとにコメントしているので、非常に暖かい筆致で進めている。氏は多分人間としても素晴らしいのであろう。マイルスの「マイ・フアニー・ヴァレンタイン」(1964年リンカーンセンターでの実況録音)は私のフエイバリットアルバムだが、鈴木氏は「これはフオービート・ジャズの最高峰ですよね。いわゆるストレート・アヘッド・ジャズ、王道をまっすぐ進んでいるジャズです。音楽的にも素晴らしいし、音も素晴らしいし、録音も素晴らしい。ジャズがさらに次のレベルに到達した、という感じでしょうか」とマイルスバンドのレベルの高さを称賛している。私自身ジャズ鑑賞歴50年だが、まさに当を得たコメントと言えよう。また別のアルバムの「このアルバムのピアノのマッコイ・タイナーのバックがいいですねえ。素晴らしいです」などの賛辞は本当に演奏者としての目線から出されるもので、読んでいて気持ちがいい。このような鈴木節が至る所で炸裂する。本書を読めば、50年代から70年代のジャズ黄金期の歴史が俯瞰できるので、まさにジャズ入門としては最適の書と言えよう。

 

本当の翻訳の話をしよう 村上春樹・柴田元幸 新潮文庫

2021-09-14 09:34:02 | Weblog
 本書は表記の二人がアメリカの小説についての対談したのを集めたもの。村上氏は小説家として夙に有名で、ノーベル賞の候補に挙げられているが、なかなか受賞しない。その理由については後で私見を述べたい。英文の小説の翻訳家としても活躍している。柴田氏は元東大英文科の教授で翻訳家としても有名で、朝日新聞の夕刊に「ガリバー旅行記」を毎週金曜日に連載している。この連載は、挿絵を平松麻氏が描いているのだが、それが素晴らしい。翻訳は勿論だが、、、、。柴田氏の翻訳で最近読んだのが、マラマッドの小説で懐かしい名前だ。「アシスタント」という作品が有名だ。私は1970年初頭に大学に入学したが、当時はサリンジヤーが人気で、大学の一般教養の「アメリカ文学」の授業もサリンジャーだった。私は漢文学科だったが、興味半分で受講した。講師は利沢行夫先生で、アメリカ文学科の助教授だった。先生はサリンジャー以外に、アップダイクの「走れウサギ」なども紹介されて、アメリカ文学への興味を掻き立ててくださった。残念ながら、二年前87歳で亡くなった。

 本書によると二人は翻訳作業において30年来の知己で、その親しい関係が対談のそこかしこに窺われる。阿吽の呼吸みたいなものが横溢している。馴れ合いではなく。個人的には冒頭の「帰れ、あの翻訳」が面白かった。読むべき作品で、絶版になったのを復刻すべしというのを章末に挙げていて参考になる。まあ一種のアメリカ文学史のようなもので、作家と作品の注が詳細に書かれている。村上氏は高校時代からアメリカの小説を熱心に読んでいたそうで、英語(米語)の教養が小説家、翻訳家としての村上春樹を形成したと言える。彼は早大文学部入学後、ジャズ喫茶でアルバイトをした後、学生時代に結婚して二人でジャズ喫茶を経営したという異色の経歴を持っている。1970年代の東京はジャズ喫茶全盛時代で、商売として十分成り立った。中央線の吉祥寺には多くのジャズ喫茶があってはやっていた。そういう時代だった。でも、大学生が自分で経営するとなるとなかなか難しいことが多かったのではないか。一日中レコードかけてコーヒー淹れてという日常は、私の個人的見解だが、「儲からないし暇だ」ということではないか。そこである日小説を書こうということになって、作家に転身したということである。

 村上氏は文章の手本として日本の小説家をまねたことはない、評価しない断言している。彼のバックボーンはアメリカの小説なのだ。1979年に発表した「風の歌を聴け」で第22回群像新人文学賞を受賞、同年の芥川賞の候補にもなったが、受賞は逃した。この時の選評で、瀧井幸作は「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが、、、、、(中略)しかし、異色のある作家のようで、私は長い目で見たいと思った」と評価している。一方、大江健三郎は「今日のアメリカ小説を巧みに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向付けにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた」と手厳しく批判している。このように、村上の作品は評価が分かれる。

 私は村上の作品は何かまとまりがなく、わざとらしい繰り返しが多く、中身も軽いので評価していない。大江氏の評価がすべてを言い尽くしていると思う。ノーベル賞作家に評価されないということは、今後、村上氏がそれを獲得するのは難しいということではないか。翻訳小説風の浮き草的内容は一面グローバルだということも言えるが、一面民族性が希薄ということも言えるのだ。2015年にノーベル文学賞を獲得したベラルーシのスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチを見ればノーベル賞の獲得条件が見えてくるはずだ。彼女の『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』『チェルノブイリの祈り』等の作品を読めばわかる。生きることの困難さ、それをどう克服するかというテーマが通奏低音として流れている必要があるのだ。民族性の表出という評価軸がある限り村上氏の受賞は苦しいかもしれない。それを弁証法的に解決した作品を発表すれば、また別の話になるが。