読書日記

いろいろな本のレビュー

戦後史の正体 孫崎享 創元社

2012-08-25 14:16:25 | Weblog
 最近読んだ中で一番面白い本だった。戦後の歴史を「対米従属」路線と「自主」路線の選択の歴史であったと明快に図式化し、歴代総理大臣を対米自主派か追随派か分類している。自主派は積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たちで、重光葵、石橋湛山、芦田均、岸信介、鳩山一郎、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、宮沢喜一、細川護熙、鳩山由紀夫の名があがっている。岸信介は安保騒動で退陣したが、実際は安保条約の改訂に力を入れ、「駐留米軍の最大限の撤退」を求め、アメリカからよく思われていなかったらしい。安保反対のデモの実態はアメリカの意向を受けて、経済同友会が全学連に資金を渡し、反政府デモの形態をとらせたものだと述べている。確かにデモ隊の学生は日米安全保障条約の条文など読んだこともないというのが現実だった。この辺の事情を細かく書いてあり、目が離せない。日米地位協定を変えようと頑張った政治家はことごとくアメリカの力によって首相の座から下ろされている。
 田中角栄はロッキード事件で失脚したが、あれも確たる証拠はなく、アメリカの陰謀と書いてある。田中がアメリカを怒らせたのは、単独で日中国交正常化を実現したからで、キッシンジャー国務長官は成果を横取りされて、口をきわめて田中を罵った。最近では民主党の初代総理鳩山由紀夫が普天間基地の移転を最低でも県外にと述べて、アメリカの怒りを買ったことは記憶に新しい。本書はそれぞれの首相の対米交渉の詳細が書かれており、案外骨のある政治家だったんだなあと評価を見直すべき人も多い。
 これに対して、対米追随派は、吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎、その他海部俊樹から野田佳彦まで。吉田は戦後の首相の中では骨のある有能な政治家という評価が定まっている感じだが、本書では、それほど評価していない。アメリカに対して米つきバッタのような卑屈な態度だったらしい。米つきバッタと言えば小泉純一郎は見るからにひどかった。アメリカのポチと言われるのもなるほどとうなずける。最近小泉氏の亜流と思しきワン・ポリティカル・フレイズの某市長が国政を窺っていることが連日報道されているが、日本に厄災をもたらすことは必定で、日本人の智的レベルが問われる選挙になるだろう。
 もうひとつ一部抵抗派として四人の名があがっている。これは特定の問題についてアメリカからの圧力に抵抗した人たちである。鈴木善幸、竹下登、橋本龍太郎、福田康夫の四人。鈴木は米国からの防衛費増額要請を拒否。竹下は自衛隊の世界規模での協力要請を拒否。橋本は長野五輪中の米軍の武力行使自粛を要求。福田はアフガンへの自衛隊派遣要求を拒否。破綻寸前の米金融会社への巨額融資に消極姿勢をとるなどそれぞれアメリカに物を申した。
 振り返って今の日本にアメリカに物申す政治家がどれほどいるかと言えば、悲観的にならざるを得ない。衆議院選挙が取りざたされる今、政治家は対米外交をどう展開するか、先人の知恵を学ぶべきである。子曰、「温故而知新、可以為師矣」(為政)
 

消費増税亡国論 植草一秀 飛鳥新社

2012-08-12 12:14:20 | Weblog
 消費増税法案が参議院を通過して、社会保障と税の一体改革案が可決された。野田首相が政治生命をかけると強調していたものである。本書は元民主党のブレーンで小沢一郎支持者の著者が、増税反対の立場から、野田政権を批判したものである。著者は民主主義を踏みにじる三つの過ちとして以下の三点を挙げている。一、マニフエスト違反の官僚利権(天下り)擁護。二、日本財政が真正危機にあるとの風説の流布。三、社会保障制度改革なき「単なる増税」の推進。小沢派を自任しているだけあって、言っていることは小沢一郎と同じである。野田首相は財務省の操り人形であり、従ってシロアリ退治は不可能。シロアリ退治なき消費税増税はおかしいという一点で、批判の正義は批判者にあるが、マニフエスト違反を承知で不退転の決意でこの法案を通したことは、諸外国向けに財政改革に取り組む姿勢をを見せたことになり、海外の特派員からは好評のようである。内向きの議論も大事だが、外向きのもこれまた重要で、今回の法案成立は案外効果があるかもしれない。
 今後の日本の課題は福島原発の処理問題、沖縄の基地問題、とりわけオスプレイ配置問題。TPP問題。領土問題。(折しも韓国の李大統領が竹島に上陸した。)これらの問題にどう対処するかが注目の的だ。首相がころころ変わるようでは足元を見られることは明白。ここは大同団結で乗り切るしかない。アメリカにしっかり物申すということでなければ、なめられることは明白。野田首相には、アメリカの操り人形と言われないよに頑張ってもらうしかない。自民党もこの辺の事情をよく斟酌すべきで、選挙したら勝てるなどと早計に判断すべきではない。
 著者は以前隠し撮りの容疑で逮捕され、早稲田の教授のポストを棒に振った人物だが、この件については権力側の謀略だと言っている。なかなかすぐには信じがたい話だが、一読して、学者としての才能は発揮されている。どちらかと言うと、権力側にはめられたという、その辺の事情の方が、興味津津だ。

人を殺すとはどういうことか 美達大和 新潮社

2012-08-12 11:29:29 | Weblog
 前掲『刑務所で死ぬということ』での疑問点は次の二点であった。①無期懲役囚がどうして本を出版出来たのか。②二件の殺人事件はどのようにして行なわれたのか。
 ①については、本書の前書きに、著者自身から出版社宛てに直接原稿が送られてきたと書かれている。新潮社が出版に値すると判断したのだろう。②については著者が暴力団に居た頃の犯罪だと自身で説明している。借金の取り立て等の中で、被害者との軋轢が殺人に発展した模様。二人は同時にではなく、時間差がある。それにしても二人を殺すとは重大犯罪で、本人は死刑を覚悟していたようだが、幸か不幸か無期懲役になり、現在に至っている。
 出自についての言及があり、著者によれば父は韓国人、母が日本人で、父は粗暴な性格ながら商売を手広くやって、幼少期は非常に恵まれた経済状況の中で育ち、学校の成績もよかった。読書をする習慣はその頃からあったようだ。その後、父が愛人を作って家を出た頃から商売も斜陽になり、著者自身の転落も始まった。
 本書は『刑務所で死ぬということ』の前に書かれたもので、内容に共通する部分もあるが、囚人たちの無反省ぶりがここでも強調されている。著者本人は真摯に罪を反省しているようだが、そういう人間は殆ど存在しないと書かれている。最近の裁判の判決で、できるだけ長く刑務所においておいた方がいいという判断で、検察の求刑よりも重い判決が出ることがあるが、これに対して被告の人権無視という抗議が起こっている。著者によれば、出所しても再犯で帰ってくるものが殆どだという証言もこの際、しっかり考える必要がある。
 人間の悪なる部分を真に矯正できるのかどうか、なかなか難しい問題だ。後半、著者が房内の囚人にインタビューを行なっているが、なかなか面白い。ヤクザでも最近は堅気に迷惑をかけないという任侠道を実践している者は珍しいことがわかる。これは一般人の最近のレベルを見れば、ある程度予測がつく。
 最近、二名の死刑囚が死刑を執行されたというニュースが流れた。滝法務大臣の命令である。生前、一人はできれば生きて償いをしたいと言い、一人は死刑囚の精神的不安感は並大抵ではないので、そこが苦しいというコメントをしていた。絞首刑の残酷さを改めるべきだという議論もある。死刑については課題が山積している。

別海から来た女 佐野眞一 講談社

2012-08-01 14:50:54 | Weblog
 「木嶋佳苗悪魔祓いの百日裁判」という副題が付いている。被告は婚活サイトで知り合った中高年男性から多額の金を奪い。自分が作った料理や飲み物に睡眠薬を入れて眠らせ、練炭中毒で三人を殺害、未遂も多数という事件である。被告の写真が発表されると、明眸皓歯とは程遠いその容姿にどうして男たちが夢中になったのかということで話題になったが、実は女性としての武器がすごかったということが、公判の本人談として語られるに及んで話題沸騰となった。明らかな状況証拠があるにも関わらず、肝腎の証拠に決め手を欠き、被告本人も殺人を否定するという状況の中判決が下された。結論は死刑。裁判官は検察の主張通りの判決を下した。この百日間の裁判を傍聴した著者の記録である。
 木島は北海道の別海町生まれ。土地の名家の出であるが、幼いころから盗癖があった。これは父の後妻とうまくいかないことに起因するストレスがあったようだが、ただそれだけでもない。後に男を婚活の末、カネだけ巻き上げて練炭で殺すという荒っぽいやり方をしている。練炭とはまた古風なものを使ったものだと感心する。
 佐野の手法はまず、出身地の別海町に飛んで徹底的な身元調査をすることである。その根性は他に例を見ないほどの執拗さだ。彼のルポの基本的手法と言って良いだろう。これは前著『あんぽん』(講談社)にも見られた。孫正義の家系を調べた挙句、彼が韓国の両班の出であることを族譜をつけて書いていた。(閑話休題)これによって読者は見も知らぬ被告のイメージを描きやすくなるという利点がある。次に被告に対する歯に衣着せないストレートな批判。公判中、のらりくらりと検察の尋問をかわすそのテク二ックは尋常ではない。佐野はこれを見て、前代まれに見る悪女だと言いきる。
 私は木嶋の婚活詐欺もさることながら、彼女のメールにだまされた男達の身の上に興味が湧いた。たいがい四十から六十の独身者だが、中には七十を超えているジイサンもいた。それを巧みな誘い(もちろんセックスへの誘いも込めて)カモにする手法は並みではない。そこにこの女性の特異さがある。どうしてあんなブスにだまされるんだという巷の声も、本人たちには聞こえるはずもなく、殺されなかった男たちは一様にすごい良い人だったと感想を述べている。男女関係の奥深さを語るものとして興味深い。三人殺害という重大事件であるにもかかわらず、事件からは凄惨さや凶悪さなどの匂いがあまりしないことがこの事件の特徴だと佐野は述べているが、同感である。まさにIT時代の事件と言える。
 判決で死刑が言い渡されたが、その時の様子を次のように述べている。大変面白いので紹介する。以下引用。判決文は右陪席の裁判官が書く通例通りなら、これを書いたのはおそらく、木嶋が〝名器〟など臆面もない発言をすると度、眉をひそませていた東大出の美人裁判官である。二十八歳という彼女の年齢を、それこそこの判決文に頻繁に出てくる「併せ考慮すると」、仕方ないとも言えるが、「量刑の理由」の最後の、「被告人は、当公判廷において独自の価値観を前提に不合理な弁解に終始するばかりか、各被害者を貶める発言を繰り返すなど、真摯な反省や改悛の情は一切うかがえないことも併せ考慮すると、被告人の刑事責任は誠に重大である」という文章は、余りにも感情的にすぎる。彼女は木嶋佳苗が大嫌いなのだろうが、それと判決とは別問題である。気持ちはわからないではないが、今後の裁判員裁判制度を考えると、もやもやしたものが残った。「死刑」判決が言い渡された瞬間、機械的に表に飛び出す記者たちの振る舞いも、判決後に開かれた裁判員のかた通りの記者会見も、まるで安手のテレビドラマを見終わったような徒労感しか残らなかった。以上。裁判官にも批判の矛先を向けるのも佐野らしい。
 並行して『毒婦(木嶋裁判100日傍聴記)』北原みのり(朝日新聞出版)も読んだが、佐野とは反対の女性の目でみたという感じが横溢していて、それなりに面白かった。木嶋と付きあった男たちの日常がいくらか批判的に書かれていた。木嶋は自分の意思で即日控訴したそうだ。そう勝手に死刑にされてたまるかいということだろう。
 

刑務所で死ぬということ 美達大和 中央公論新社

2012-08-01 09:26:53 | Weblog
 副題は「無期懲役囚の独白」。著者は殺人犯(二人を殺害)して無期懲役になった人物。兇悪犯である。このような人間がどうして本を出せるのか知りたいところだが、連続ピストル殺人犯で死刑囚の永山則夫が『無知の涙』を出版したこともあるので、出版社とコネがあったのだろう。著者自身小さいころから読書が好きで、今でも年300冊は読むと豪語している。ならば、何故二人も殺したのか。その辺は他の著書に書かれているのかも知れない。最後の方に、「私は多くの同囚と異なり、出会い頭の犯行でも、その場の衝動による犯行でもありません。自分の誤ったドグマの為に、計画的に醜行に及んだ確信犯です。カネや性欲の殺人ではありませんが、計画的に人の命を亡きものとする罪も重いものと思っている以上、それにふさわしい死に方があります」と書いてある。確信的に計画的に殺人におよび二人の人間を殺す。この手の人間は一番危険だ。絶対に仮釈放してはならない。
 著者によれば、刑務所の中の時間の流れは速くあっという間に十年二十年が経過するらしい。囚人に反省の色はなく(もちろん遺族に対しても)、ただ目先のことしか考えない人間がほとんどで、刑期が終わるのをじっと待つだけという。逆に刑務所の居心地が良すぎて、ここを出たがらない者も多いようだ。著者は食事ににしても結構うまいので、刑務所が良いという囚人の甘えを助長していると断言している。本当に毎日「クサイ飯」を食わされたら、こんなところ早く出て、シャバで頑張ろうという気になるだろう。
 したがって出所しても、働く気が無いものだから、また罪を犯して刑務所に逆戻りとうケースが殆どだ。最近大阪心斎橋であった、通行人二人が出所したての男に包丁で惨殺された事件は世間を恐怖に陥れた。ホントに理不尽な事件で、刑務所の責任は大きいと言わねばならない。犯人は「幻聴が聞こえた」と警察に言っていたそうだが、完璧に病気である。こういう人間がなぜ出所できるのか。今後の課題だ。著者によると、最近は無期懲役者の仮出所の規定が厳しくなり、そう簡単に出られないと言っている。当然のことだ。
 このまま刑務所で死ぬことを義務付けられている無期懲役者だが、いくら居心地がいいと言って、ここで最期を迎えたくないという囚人が多いと最終章で書いてある。目先のことしか考えない囚人が人生の最期を迎えてやっと自分の愚かさを悔いるというのは余りに悲しい。例えば、「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」という親鸞上人の言葉を生前考えさせるなど、人間の在り方を宗教教育を通じて考えさせるこたが必要なのではないか。
 後書きで、「加害者が猛省し、更生を期することは当然であるのに、それを特別なことと賞賛する世間、第三者の言葉に、少なからず戸惑いを覚えます。その心は尊いものですが、加害者としてそれに甘んじたり、自戒の心を緩めることを赦してはいけません」と言っているが、正しい意見だと思う。最近の人権感覚は非常に緩く甘いものになりつつある。人間には善と悪の両方が備わっているというのが近代的な認識だが、悪ばかりの人間の存在を否定してはいけない。かつて性悪説を唱えた荀子の思想をもう一度考えるとよい。