読書日記

いろいろな本のレビュー

がん検診の大罪  岡田正彦  新潮選書

2008-09-28 21:20:34 | Weblog

がん検診の大罪  岡田正彦  新潮選書


 最近は健康ブームで街のジムは大繁盛だ。飽食によって肥満した身体をスリムにしようと必死に汗を流す人が多い。メタボ検診というのがあって、腹囲が男性で85cm以上、女性で90cm以上が腹部肥満で、この条件に「高脂血症(中性脂肪とコレステロール)がある」「高血圧症がある」「高血糖症がある」のうち二つ以上が該当するとメタボリック症候群と判定され、医師に相談ということになるらしい。しかし著者によると、例えば高血圧の目安の、「最高血圧130mmHg以上、または最低血圧85mmHg以上」という数字の根拠はいい加減なもので、数字を少し変えるだけで沢山の高血圧症患者が生まれるらしい。高血圧は万病のもとというわけで血圧降下剤を飲み続けるが、これで長生きできるかというとそうではない。逆に薬の副作用で体調を壊し、早死にする例もあるのだ。私の父は高血圧で、降下剤を飲んでいたが、難聴になって苦しい晩年を過ごした。医者からもらった薬を真面目に毎日服用したために副作用でそうなったと確信している。
 このように高血圧一つをとってもこれだから、その他の判定基準値の出し方は信頼できるものばかりではない。基準値オーバーで医者にかかるより、なにもしないほうがましという場合も多いと著者は言う。この基準値の秘密は第一章の統計データの取り方の問題点を解説した部分で詳しい説明があり、なかなか面白い。サンプルの抽出の仕方でいかようにも変わってしまうのだ。
 ガンの早期発見・早期治療も大間違いで、がん検診の有効性を示す根拠は存在しない。かえって検査のために浴びた放射線によってガンになることが多いと言う。胃検診のX線の被爆量は結核検診の100倍から300倍になることが判明している。私は両方とも毎年受診しているから相当量被爆している。大いに不安だ。
 日本は健康保険制度が充実した実にありがたい国だが、これだけ検査が好きだと
無理やり病人を増やしているとしか思えない。いい加減な基準値を設定して病人を作り、病院と製薬会社をもうけさせているのだ。健康保険制度が破綻の危機にさらされるのも当たり前だ。なんとかしてこの連鎖を断ち切らねば、いくら政治家がチエを絞っても解決できないだろう。

 

沈黙を破る 土井敏邦 岩波書店

2008-09-24 22:24:07 | Weblog

沈黙を破る 土井敏邦 岩波書店



 サブタイトルは「元イスラエル軍将兵が語る占領」。パレスチナ自治区の占領地でイスラエル兵によって日常的に繰り返される暴力や殺戮の実態が彼らの口から語られた、その記録である。自らの加害体験を社会に伝えるために結成された青年退役兵たちのグループ「沈黙を破る」へのインタビューを通して「占領」の本質を浮き彫りにする。
 普通の青年が兵士となって占領地の任務についたとたん、殺人マシーンに変貌する。占領地で銃を持つことは、パレスチナ人に対して権力者として君臨することを意味する。ゲームセンターで殺人ゲームに興じていた思慮分別に欠けた若者が、現実に殺人に興じるようになる。人間の尊厳に対する敬意の消滅は、かつてユダヤ人がナチスドイツによってやられたことを、パレスチナ人に対して繰り返していると言えよう。まさに集団的記憶の発現だ。絶対的権力が弱者に対した時にどのような結果を生むのかという具体例が兵士の口から語られる。聞くに忍びない残虐さだ。加害者の青年の心の傷は一生残る。このような青年達が多く存在することはイスラエルの将来にとっても由々しき一大事である。無間地獄に落ちることは必定。平和共存の道を探れ。イスラエルよ!

妻と僕  西部 邁  飛鳥新社 

2008-09-23 10:23:07 | Weblog

妻と僕  西部 邁  飛鳥新社

 西部 邁は現在六十九歳。もと全学連の委員長で、もと東大教授。現在評論家として活躍している。右派の論客としてテレビに出ることが多いが、サンケイ「正論」系の有象無象とは一線を画している。左翼運動を極めたあとの転向で、党派の限界を知り尽くしているがゆえに、その発言は説得力を持つ。
 本書の副題は「寓話と化す我らの死」。高校時代の同級生で、44年間連れ添ってきた妻が、大腸癌で死の渕をさまよったのを契機に二人の歩んだ道を、時代との関わりでたどったもの。ただの病妻看病日記ではない。60~90年代の風俗と時代思潮が織り込まれており、ある種の品格を感じさせる。ショーケンの自分史とは趣を異にしており、すごくストイックな内容だ。これは高校時代は強度の吃音に悩まされたが、それを克服して現在に至っていることが影響していると思う。注に引用された書物の多さをみるだけでも、学者としてひたむきに生きてきた人間の営為が想像され感動する。最後まで書物を読み死んでいくという意志が行間に滲み出ている。家族の誕生と隆盛と解散。晩年はどの人にも平等に訪れる。美意識だけは格調高く持ちたいものだ。

脱マニュアル小論文 中井浩一 大修館書店

2008-09-20 22:20:03 | Weblog

脱マニュアル小論文 中井浩一 大修館書店



 大学入試に小論文はつきものだが、著者の指摘の通り、1980年頃まで高校現場では作文や表現指導はほとんど行われていなかった。私は1970年に高校を卒業して大学を受験したが、入試科目は学科試験のみで論文を課す大学はなかった。ただ国語の現代文の試験で記述式の本格的なものがでることはあった。昭和43年(1968年)の京大入試の国語で高村光太郎の「火星がでている」の全編を出して、思うところを述べよという問題が出たが、これは本格的な記述問題のはしりであったのではないかと思われる。最近昔のことが鮮明に思い出せるようになってきたが、ボケの前兆ではないかと危惧している。まあとにかく当時は小論文など出さなくても、高校生はよく本を読んでいて、今の高校生とは比べ物にならないくらい教養があったということだ。
 著者は小論文で高校生が陥る欠点は①「観念病」と②「情緒病」だそうだ。①は生活経験を通さずに抽象概念と論理操作に終始すること。②は筆者の感情、情緒の吐露に終始することで、ともに、きちんと事実に向き合わないことだという。したがって良い論文を書くためには生活経験を綴ることから始めるべきだということが強調されている。それがなければ作ればよいと断言する。その経験から一般化できる問題を取り上げて敷衍していけばよい。また「作文・論文」は「道徳」ではない。「建て前」「正論」「説教」は不要。根拠・事実に基づいて、論理的に述べるだけと話は明快だ。小手先だけの作り物は小論文に限らず、人の心を打たない。中井氏の言葉を肝に銘じておこう。

江戸時代 山本博文 東京書籍

2008-09-19 22:20:10 | Weblog

江戸時代 山本博文 東京書籍



サブタイトルは「教科書には出てこない将軍・武士たちの実像」で、教科書併用の資料集のようなものか。出版元が大手の教科書会社なので、内容は少々硬い。私が目新しいと感じたのは、参勤交代の実情を解説した第二章だ。
 幕府が大名を窮乏化させようとして参勤交代という制度を作ったという説があるが、著者によるとこれは結果論で、本当の狙いはあくまで将軍のところに挨拶とお礼に来させ、幕府に服従を誓わせることだった。絶えず幕府は大名を潰そうとし、大名はいつ幕府を倒そうかと考えているという、誤った歴史観が広く普及しているが、これは時代小説の悪い影響で、そういうことはまったくないということだ。
 参勤交代で他藩の領地を通過する時の作法も石高の多寡によって違ってくる。なにごとにつけ、階層性が大きくものをいってくるのである。参勤交代の費用は加賀藩で四億から五億という金額になる。宿泊費は160文から200文ぐらいで、一文20円で換算すると3200円から4000円。今のビジネスホテルの安い所ぐらいだ。このようにしてかなりのお金が全国各地に落ちた。かくして参勤交代を通じて、日本全国の均質化と文化の交流が促進されたことは忘れてはならない。
 また幕末の尊皇攘夷運動も倒幕を意識してなされたものではなく、非常に複雑な歴史過程の中で生まれた思いも寄らない結果だったという指摘は非常に新鮮だ。世間はすぐに、善と悪、権力と反権力というようなニ項対立の図式で物事を捉えようとするが、歴史のダイナミズムはこの視点では理解不能だ。人間のやることはそれほど簡単なことでは理解できない。二百年以上続いた政治権力はただの独裁政権ではない。階層社会とはいえ、生きていて面白いと感じさせるものが必ず存在したはずだ。今、平成という時代に閉塞感を抱く身からは、江戸時代の実相をさらに知って生きる喜びのもとを授かりたいという気がする。毎日、本当に息がつまるよ。

ショーケン 萩原健一 講談社

2008-09-18 21:33:21 | Weblog
 
ショーケン 萩原健一 講談社




 グループサウンズ・テンプターズのリードボーカル、萩原健一の自分史。「エメラルドの伝説」は今も耳にこびりついている。私とほぼ同世代なので、時代の移り変わりを実感できた。本来、自分史というのは共産党の独裁政権が政敵を粛清する前に、自分の罪を赤裸々に書き残させるためのものらしい。本書も反省の筆致が多く、自己批判の書と言ってもいいだろう。もう幸せはつかめないという予感がする文章だ。
 自分の生い立ちの秘密と多彩な女性関係がポイントだ。これだけ女に持てたら本望だろう。五十七歳の今、仕事はなく一人ぼっちだというが、かつて、江波杏子、いしだあゆみ、前橋汀子(バイオリニスト)、倍賞美津子、石田えりなどの女優と親密な関係を結べただけで本望だろう。江波杏子との関係は本書で初めて知った。少々意外な感じがした。でもこれだけぶちまけてもいいのだろうか。とにかくキリギリス的人生を堪能したのだから今の不幸などどうということはないでしょう。思い出だけに生きればそれで十分。

台北歴史散歩 邸景一・荻野純一 日経BP企画

2008-09-16 17:34:18 | Weblog

台北歴史散歩 邸景一・荻野純一 日経BP企画



 台北市内の日本統治時代の建造物を訪ね、写真と記事でまとめたもの。私も数回台湾旅行の経験があり、懐かしさがこみ上げてきた、特に総統府(旧・台湾総督府)の内部の写真は珍しく貴重だ。この建物は1907年(明治40年)に設計コンペが実施されてできたものである。これは若く有能な建築家を発掘するためであった。ところが最終選考でも最優秀作は選ばれず、やむを得ず二等の長野宇平次の作品が選定された。しかし、時の政府は全体設計には了解を出したが、随所に口を挟む。一番の要求は威圧感や権威を感じさせる建物にすることであった。そこで森山松之助が登用され、今もそびえる高さ60メートルの塔が作られることになった。コンペが始まってから12年、建設に7年を要して1919年(大正8年)に総督府は完成した。この総督府はいまも現在も使用されている。ソウルの朝鮮総督府の建物が金永三大統領の時、日帝の残滓は残すべきではないという世論に突き動かされて破壊されたのとは全く好対照だ。台湾は大人の国だという感を深くする。私は韓国にも数回旅行したことがあるが、ナショナリズムの発露の仕方の直線的な部分が植民地時代の建造物に対する態度に表れているのかもしれない。
 本書はその他、台北市内の古い建造物が沢山紹介されており、生きた歴史の勉強にもなる。類書にはない格調の高さがある。是非、訪問したいものだ。

韓国の品格 重村智計 三笠書房

2008-09-16 16:43:16 | Weblog

韓国の品格 重村智計 三笠書房

韓国の李明博新大統領の略歴を綴り、今までの大統領とは違う対日姿勢を評価し、エールを送ったもの。李氏は極貧の少年時代を過ごし、苦学して高麗大学商学部を卒業後、現代建設入社、わずか12年で社長に就任した。その猛烈な働きぶりはは周りを圧倒した。その後ソウル市長を経て、大統領になった。経済通ということで、不況にあえぐ韓国経済の建て直しの切り札と期待されたが、思うような結果が出ず、支持率は落ちるばかりだ。けちの付きはじめは狂牛病の虞のある牛肉をアメリカから輸入し、その後もアメリカの言い分を信用し何も対策を取らなかったことだ。アメリカとの関係を壊さないようにと気を遣うあまり後手後手にまわって、国民の非難を浴びた。この件で国内の反米感情は燃え上がりデモが繰り返された。韓国のプチ・ナショナリズムはいつものことだが、もう少し長い目で見られないものか。せっかく北朝鮮外交も今までの太陽政策を改めると宣言しているのだから、政権をバックアップする姿勢が欲しい。おりしも北朝鮮の金正日が脳梗塞で倒れ、身体はケイレン状態というニュースが報じられた。若い頃から暴飲暴食(暴淫暴触)、高級ワインと美食(特にスシのトロが好物と元調理人が書いていた)。夜は喜び組と酒池肉林。あのブヨブヨの身体を見たら、長くはないと誰でも思うだろう。今こそこの独裁者なきあとの北東アジアの外交政治のフレイムワークをしっかり立てることだ。
 この大事な時期、日本外交についても未来志向で行きたいと言っている大統領だから日本も真剣に協力すべきである。拉致問題、核問題を解決する端緒を見つけられるチャンスだ。チャンスはそう何度もない。久しぶりに政治家の品格を持った人物が出てきたという著者の期待は同感できる。これで「韓国の品格」が実現すれば、日本としても喜ばしいことだ。

逆説の日本史15 井沢元彦 小学館

2008-09-14 22:19:17 | Weblog

逆説の日本史15 井沢元彦 小学館
 


 この15巻のタイトルは「官僚政治と吉宗の謎」で腰巻のコピーは「徳川吉宗は経済に関してバカ殿だった」である。徳川吉宗は名君として誉れが高いが、実はそうではなかったというのが基本的なスタンス。彼が断行した「享保の改革」は本当の改革には程遠いしろものだったというのが筆者の意見だ。今で言えば緊縮財政を庶民に強いて質素・倹約を奨励したが、それは経済活動のダイナミズムを理解しない最大のチョンボだったと言う。どこかのバカ知事に聞かせたい言葉だ。
 吉宗のこのような思考は何によるのかというと、それは彼が儒者だったからだ。儒教は金儲けを、君子のやるべきことではないと軽蔑する。特に江戸の朱子学は知識人のありようを商人と対極の地点に置くゆえ、一種のリゴリズムの住人にならざるを得ない。これが経済発展を阻害し、改革を失敗に終わらせたという展開である。吉宗と儒教の関係はもう少し説明が必要な気がする。朱子学についても同様。
 吉宗の履歴を分かりやすく書いているので結構面白い。特にライバルの尾張の徳川宗春との確執は読み応えがあった。ここでも著者は宗春に肩入れしている。宗春の景気刺激策をことごとく吉宗がつぶしてしまったのだ。また吉宗の孫の松平定信も一刀両断にされている。あの寛政の改革も吉宗同様、経済音痴のカタブツがやったお陰でさんざんだったというニュアンスだ。逆に持ち上げられているのが、悪人という評価の定まっている田沼意次である。賄賂政治というが、経済の活性化に貢献しており、悪人説は間違いだと言う。「逆説の日本史」の面目躍如たるものがある。その他、貨幣改鋳で評判の悪い、荻原重秀も評価されている。
 著者は資料にとらわれすぎると、歴史の真実を見逃してしまうという警鐘を鳴らしているが、引用文献は自説に都合のいいものばかりを並べている感じが無いでもない。しかも数が少ない。まあ好き勝手な駄法螺を吹いているようなものだ。でもフイクションとして読めば、そう腹も立たない。何しろ「週刊ポスト」連載なのだからそう深く考えて読むひともいないだろう。

宗教に揺れる国際関係 蓮見博昭 日本評論社

2008-09-14 21:31:26 | Weblog

宗教に揺れる国際関係 蓮見博昭 日本評論社



 副題に「米国キリスト教の功と罪」とある。最近アメリカは付き合いづらい国になってきたと言われるが、本書はアメリカの国際関係、対外関係と宗教、特にキリスト教の関わりをいくつかの側面から検討を加えたものである。
 ヨーロッパ人はアメリカを宗教的すぎると考える割合が結構多く、これが反米感情に繋がっていると筆者は言う。9,11以降アメリカのイスラム教に対する攻撃はファナティックと言っていいほどのものだった。敵を殲滅するのは神の思し召しとばかり、世界を善と悪の二元論に収斂させ、武力攻撃を正当化したことは記憶に新しい。その正当化の手段としてキリスト教が利用されているのである。特にプロテスタントの福音派がネオコンの拠点となっていることはしっかりと押さえておかなければならない。最近のアメリカの軍事介入は宗教テロの様相を呈しており、非常に憂慮すべき事態になりつつある。また福音派は旧・新約聖書を歴史的・文法的解釈(文字通りの解釈)と呼ばれるものによって、国家としてイスラエルについての約束が、救い主イエス・キリスト自身が支配する「地上の国」における成就に存する点で、旧・新約聖書が終末論的に一致しているとみなす救済史観に立つものである。かいつまんで言えば、千年王国説に基づき、イエス・キリストが再臨して建国・支配する地上の王国で、国家としてのイスラエルの復興も実現すると考えるわけである。これは独自の聖書解釈で「経綸主義」と呼ばれるものだ。ネオコンに牛耳られたアメリカがイスラエルに肩入れする理由はここにある。
 このようなキリスト教原理主義は比べようもない悪と戦い、それによって世界を救済するのだとして、第二次大戦において無差別爆撃を正当化した。それが広島・長崎への原爆投下で頂点に達したことは言うまでも無い。どうしてあのような残虐な行為ができるのかと思っていたが、一種の宗教的陶酔というべきものによって行われたのである。イスラムの聖戦とどう違うのか。アメリカにイスラム教を非難する資格は無い。
 このような宗教的信念によってなされるアメリカの国際政治外交に日本はどういうスタンスで対応するのか。いつまでもアメリカの番犬状態では大いなる禍根を残すことになるだろう。日本の国益を真剣に考えねば。