読書日記

いろいろな本のレビュー

恋の蛍 松本侑子 光文社文庫

2012-06-22 16:42:22 | Weblog
 副題「山崎富栄と太宰治」。昭和23年6月、太宰は玉川上水で入水自殺したが、その連れ合いが山崎富栄である。山崎は日本初の美容学校創設者の娘で、当時30歳の戦争未亡人であった。この時太宰40歳。肺結核がかなり進行していて、彼女は同居のヘルパーのような役割だった。この二人の出会いから情死まで時系列に沿って丹念に描く。美容師風情が天才作家を道連れにしたという悪意のデマを払拭して、山崎富栄の名誉回復を試みたもので、その目的は達成されている。2010年、第29回新田次郎文学賞受賞作である。読みごたえのある力作だ。
 一読して太宰治が女にもてるわけがよくわかった。天性の女たらしと言うか、女の方から自然とよってくるのだ。フエロモンが出まくり状態と言える。与謝野鉄幹と同類ではないか。著者によると、太宰は女がらみで動揺すると、すぐに死ぬの生きるのと切りだすのが癖だったようだ。心中事件を複数回起こして、自分は助かっている。富栄とつきあっている時も、家には妻と三人の子どもがおり、さらに別の愛人大田静子が妊娠中という状況である。
 昭和22年7月、太宰は富栄に自殺する意思を初めて告げた、「ぼくは死ぬよ。やることに決めた」と。でも富栄は「太宰さんは私のために死ぬんじゃないってこと、判りますわ」というまなざしを向ける。図星を指された太宰は「今僕が生きているのはサッちゃんのためだよ。君がいなかったら、とっくに命を絶っているさ」と言い訳した。手のつけようのない独占欲にじっとしていられなかった。その後「私もご一緒します」という言葉を聞いて、うれしさに太宰はふざけて富栄をつねり、そして、にわかに死ぬ気をなくした。けれど小説の執筆という孤独な仕事に疲れ、未知の人々の来訪と世間づきあいの煩わしさに嫌気がさして気が滅入り、厭世と無力感に沈み込むと、また死にたくなる、その繰り返しだった。
 この11ケ月後、心中は実行された。情死の相手になる女性とそうでない女性の差はどういうものなんだろう。昭和22年の5月には富栄に対して「死ぬ気で、死ぬ気で恋愛してみないか」と語りかけていた。死をちらつかせて女を引きよせるのは、若いころからの癖だった。著者の表現では「はったりでも脅しでもない。死を覚悟した矜持が、本気の恋愛を示す証だと思い込んでいた」ということになる。
 富栄の昭和22年5月3日の日記にはこうある、「先生は、ずるい 接吻はつよい花の香りのよう 唇は唇を求め 呼吸は呼吸を吸う 蜂は蜜を求めて花を射す つよい抱擁のあとに残る、涙 女だけしか、知らない おどろきと歓びと 愛しさと、恥ずかしさ 先生はずるい 先生はずるい 忘れられない五月三日」一読して何があったかわかる文章である。通俗的な措辞だが真摯な思いが読む者の胸を打つ。純真な女性の心を弄ぶ太宰はある意味、人でなし、犯罪者である。でも本人は退路を断って生きる天才小説家の特権と思っているのだろう。罪な話である。

怪優伝 佐野眞一 講談社

2012-06-09 14:26:24 | Weblog
 副題は「三國連太郎・死ぬまで演じつづけること」。三國は大正12年生まれで現在89歳。俳優・佐藤浩市の父でもある。この個性的な俳優の全貌を明らかにしようと、対談を挑むのが佐野眞一。今やノンフイクション作家として売れっ子である。本書の特徴は三國連太郎出演の10本の映画をDVDで鑑賞しながら佐野と三國が対談するというもので、昭和・平成の映画史になっているところが素晴らしい。その10本とは、1「飢餓海峡」2「にっぽん泥棒物語」3「本日休診」4「ビルマの竪琴」5「異母兄弟」6「夜の鼓」7「襤褸の旗」8「復讐するは我にあり」9「利休」10「息子」である。因みに時系列でいうと、2の1952年から10の1991年まで39年の流れがある。
 私は1、8、10の3本しか見ていないが、1の伴淳三郎と左幸子、8の緒形拳、9の山崎努の評価などは大変面白い。10は山田洋次監督との唯一の作品。三國によれば、山田に一番嫌われた役者らしい。理由は稽古をやるたびに演技が変わるからだと言う。山田はそれが嫌だったらしい。松竹の役者は行儀が良くて稽古通りにやるが自分はそれが出来なかったと言っている。これ以外に共演した監督・俳優の感想がたくさん紹介されている。また三國の女性遍歴も多彩だが、有馬稲子のことを一番の美人だと言っているのは、私も同感だ。
 三國は昔から人権問題に熱心だったが、それは彼の出自にと関わりがある。彼の祖父は伊豆半島のある村で棺桶職人を生業としていたが、それは被差別の出身を意味する。三國の父はそれを嫌って村を出てサラリーマンとなり、没落した網本の娘と結婚し三國が生まれたが、実の父は別にいるということが分かる。この家庭のありようが、三國の人格形成に大きな影響を与えたことは間違いない。後に怪優と言われる原点がここにある。
 三國は「俳優とは?」と問われて、「人に非ずして、優れた者」としばしば答えている。その答えは、三國の深い悲しみと、それを超えた自負を感じさせたと佐野は最後に書いているが、これだけの個性的な俳優は二度と現れないだろう。「釣りバカ日誌」の西田敏行との軽妙な演技は彼の人生を知った上で鑑賞するとまた違った味わいがある。

街場の読書論 内田 樹 太田出版

2012-06-02 09:57:57 | Weblog
 今、旬の文人・内田樹氏の読書論。氏の博覧強記ぶりには圧倒されるが、どうしたらこんなにたくさん本が読めるのだろう。秘訣を知りたいものだ。中で最も興味深かったのは福沢諭吉の『瘦我慢の説』を論じた項。小見出しは「公共性と瘦我慢について」で、冒頭、高橋源一郎氏の「午前0時の小説ラジオ」から全文引用する。中身は「尖閣」問題等で「愛国」「売国」というよう言葉が飛び交うと「公と私」はどう考えたらいいのか考えてしまう。この問題のヒントはカントの『啓蒙とは何か』の中の「理性の公的な利用と私的な利用」の部分にあり、カントは、「理性の公的な利用とは、ある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、自らの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである」と言っている。要するにカントによれば、「役人や政治家が語っている公的な事柄」は「私的」であり、学者が「私的」に書いている論文こそ「公的」だというのである。なんだか逆のような気がするが、高橋氏はこれについて思索する。その結果、「公的」であるとは、「枠組み」などなく考えることだ。そして、一つだけ「公的」である「枠組み」が存在してしている。それは「人間」であることだ。国家や政治や戦争について考えるから「公的」なのではない、実はその逆だ。それが典型的に現れるのが領土問題である。僕たちは、思考の「枠組み」から自由ではないだろうし、いつも「人間」という原理に立ち戻れるわけでもないだろう。知らず知らずのうちに、何らかの「私的」な「枠組み」で考えている自分に気付くはずなのだ。「公」に至る道は決して広くはないのである。
 内田氏は高橋氏の分析を称賛した上で、日本にも同様のことを述べた人がいると言う。それが福沢諭吉だ。『瘦我慢の説』の冒頭「立国は私なり、公に非ざるなり。なんぞ必ずしも区区たる人為の国を分かちて人為の境界を定むることを須いんや。いわんやその国を分かちて隣国と境界を争うにおいてをや」とあるが、これは国家というのは、本質的に「私的なもの」であり、国境線を適当に引いて、「こっちからこっちはうちの領土だ、入ってくるな」とか言うのは所詮「私事」だと言っているのであると述べる。以下、氏の解説を引用する。立国は私情である。瘦我慢はさらに私情である。けれども、これ抜きでは頽勢にある国家は支えきれない。「私事」を「公共」に変成するのは、私情としての「瘦我慢」なのだ。福沢はそう言う。なるほどと腕組みした方もいるだろう。ところが話はこれで終わらない。この文のあて先は一般国民ではない。勝海舟と榎本武揚という二人の幕臣だからだ。これは「私信」なのである。この二人の傑物が。幕臣でありながら、旧恩を忘れて新政府に出仕し顕官貴紳に列せられたことを難じて福沢はこの一文を草したのである。勝や榎本のようなのような人間は「シニカルな正論」を吐いてはならない。「無茶な瘦我慢」をして見せて、百年国民の範となる義務がある云々。
 見事と言うほかはない。カントと福沢では文脈は違うが、人間の思想としては普遍的だ。しからば「公務員は全体の奉仕者」の意味をもう一度考え直す必要がある。公務員は市民の奴隷ではない。「枠組み」から自由に思索して、国のありようのあるべき姿を求めて労働することではないか。今の公務員叩きはナンセンスである。