読書日記

いろいろな本のレビュー

チョンキンマンションのボスは知っている 小川さやか 春秋社

2020-12-30 13:07:06 | Weblog
 著者は文化人類学者でアフリカ研究が専門の立命館大学教授、本書により2020年度・河合隼雄賞・大宅壮一ノンフイクション省を受賞した。氏はもともと東アフリカのタンザニアで、マチンガと呼ばれる零細商人の商習慣や商実践についてここ18年研究を続けており、今回の受賞に繋がった、気鋭の学者である。タンザニア研究の流れで、香港と中国本土に様々な商品を仕入れに渡航するアフリカ系商人たちの交易活動の考察のため、在外研究で訪れた香港中文大学での活動をまとめたものだ。

 氏は安宿のチョンキン(重慶)マンションに住んで、そこでタンザニア人の中古車ディーラーのカマラ氏と出会う。スワヒリ語ができることで、カマラ氏の信頼を得て、彼の仲間のタンザニア人の商人たちの動向を取材することになった。文字通り体を張ったフイールドワークで、誰でもできるというものではない。カマラ氏は自称「チョンキンマンション」のボスで、アフリカから商売にやってきた同胞の世話役をやっている。その実態は、香港の地理や中古車業者のやり方・手口に不慣れなアフリカ系顧客のやり方や手口に不慣れで信頼できる客かどうかを見極められない業者との「信用」を肩代わりすることで、手数料やマージンをかすめ取る仕事である。すなわち「信用の欠如」によって彼らの仕事が成り立っているので、両者を直接的に出会わせることなく(アフリカ系顧客を香港に渡航させずに)両方から仲介を依頼されることが重要となる。そして彼らブローカーの間では、「客筋の不侵犯」が重視されているが、それ以外の事柄ーー商売のやり方や業者との取引ーーは誰にでも開かれており、商品は早い者勝ちであった。

 カマラ氏たちは顧客にネットワークを通じて情報を流す一方で、日々の情報交換や組合活動のためにSNSにグループページを構築し情報提供を呼びかけている。その中で彼らは組合員の資格や他者への支援に関わる細かなルールを明確化せず、メンバー間の貢献の不均衡や互酬や信頼がそれほど問題にならない。その背景に「ついで」の論理があると著者は言う。例えば、案内して欲しい場所が目的地への通り道なら連れて行くし、ベッドがあいていたら泊めてあげる。知っていることなら親切に教えるし、ついでにできることなら、気楽に引き受けてくれる。国境を越えた遺体搬送のプロジェクトも「ついで」の論理を基盤とした連携プレーで成し遂げられる。このように誰もがついでに便乗してやっているという態度を表明しているので、この助け合いでは、助けられた側に過度な負い目が発生しない。親切に即時的な返礼がなくても気にしないようにすることが目指されているという風に。

 ここには文化人類額の重要なテーマである「贈与」と「返礼」の問題が提示されている。アフリカの狩猟採集民であるブッシュマンやピグミーの社会では狩りの獲物は当然のごとく全員で分配され、獲物を捕った者が偉そうな顔で、分けてやるという態度を示すことはない。逆に獲物が少ない等々の苦情が寄せられるくらいだ。これは部族内の権力の発生を阻止するためである。獲物を分けてもらって当然という顔をすれば、現代社会では礼儀知らずという非難を浴びるが、逆に言うと、生きるための素晴らしい知恵でもある。

 著者は中国の最近の信用システムの実践を例に挙げて、個人の信用度を点数化して人間を序列化することへの危惧を述べている。曰く、評価経済、評判資本、信用スコア、これらすべては、信用の不履行を防ぐことではなく、信用の不履行を引き起こしそうな人間を排除するアイデアである。シェアリング経済は「シェア」という言葉に覆い隠されがちだが、誰にでも開かれている仕組みでもないと。その点、カマラ氏立ち上げたSNS機構(TRUSおユーザーは広義の「友人」である。ここでは評価を数値化することはない。生身の人間を見て商売をやるのだ。このタンザニア人たちの商売の仕方は、今後の一つの道筋を示したものとして期待できる。これをレポートした著者の力量も大いに評価すべきだ。

ヒトラーの脱走兵 對馬達雄 中公新書

2020-12-10 11:20:08 | Weblog
 ナチスドイツ支配下の国防軍は過酷な軍法に支配されていて、脱走兵は例外なく死刑と決められていた。ヒトラーは『我が闘争』の中で、「脱走兵は死ななければならない」と述べており、彼の意向が反映されていると言えよう。本書に掲載された、「第二次世界大戦時の死刑判決と処刑数」の表を見ると、ドイツの19600人(陸軍のみ、民間人も含む)に対してアメリカは146人、イギリスは40人、フランスは102人とドイツの多さが際立っている。軍全体では国防軍の脱走兵は、捕らえられて死刑判決を受けたものが3万人以上になるという。

 このナチスの軍法が重視したのは戦時の国防体制を維持することであり、1934年には「悪意法」を制定し、「ナチ体制とその指導者たちに対する悪意」「扇情」「愚劣な考えによる」とみなされる言動を、取り締まっていた。さらに戦時体制を念頭に「脱走の阻止」という懸案事項を含めて考案されたのが「国防力破壊」という規定である。この先例のない規定をもって、前線銃後の別なく重罪を科すようにした。例えば1938年の軍法の五条の第一項は、「国防力破壊の犯行には死刑を科す」であり、注として、公然と兵役義務の履行拒否を進めるか、それを先導する者、あるいは脱走を唆し軍の規律を低下させようとする者等の文言が付されているが、曖昧な表現になっている。1940年の国家軍法会議の決定によると、「公然」という語には、「どんな私的な話し合い」も含まれるという。こうなると政治的な軽い発言もできなくなり、密告が横行し内心の自由が奪われる結果となる。

 このようにナチスは自らの体制が悪であることを自任したうえで、戦争遂行を図ったのである。悪を悪として批判する国民の口を封じることに専念したのである。そして「ユダヤ人問題」を持ち出すことで国民の目をそらそうとした。このような流れの中で、兵役を拒否する者が出てくることは必然である。ここでは「エホバの証人」(別名「ものみの塔」)の信者が断罪された例があげられている。「エホバの証人」にとって、「一切の戦争はこの世における悪魔の見えざる支配の表れ」であり、兵役はキリスト教信仰を全否定するものであった。ナチスにすれば、彼らは相いれない敵であり、処罰せざるを得なかったのである。

 こうした中、本書は一人の生き延びた脱走兵ルートヴィヒ・バウマンに焦点をあてて彼の人生と、脱走兵の名誉回復のプロセスを描き出す。バウマンはナチス全盛期に青年期を迎えたが、自伝で次のように述べている、「ヒトラーはラジオでいつも東部の生存圏をドイツのために要求していました。私はしかしその地で生活を営んでいる人々がどうなるのか、なぜ追放されねばならないのか、自問していました。<人種学>の授業で、〝自分たちより優れたユダヤ人がいるのにどうして下等人種だと決めつけるのかわからない〟とつぶやいたところ、友達があわてて〝そんなこと言っちゃだめだ〟と口止めしたのを覚えています。後略」無理筋の戦争を仕掛けるヒトラーの狂気を一瞬にして見抜く人間が多くいたことは確かで、彼のような脱走兵が三万人以上いたことをもってしても、この悪の体制に勇気をもって反抗した崇高な人間がいたことを物語っている。

 バウマンは戦後脱走兵の名誉回復に取り組むが、裏切り者、臆病者という批判にさらされることが多く、苦悩に満ちた晩年であった。しかし2009年ドイツ連邦議会本会議で、「ナチス不当判決破棄法の再改正法案」が議決され、脱走兵の名誉回復がなった。その後、2018年96歳で逝去。天与の長寿と人権意識によってなされた偉業といえる。ある元脱走兵は言う、「ドイツの兵士は脱走兵のためではなく、厚顔無恥な戦争指導者のために危険に晒されていた。したがって崩壊している前線を去った脱走兵が軍事的に重大な影響を与えた、と再三強調されてきたが、適切ではない。むしろ犯罪的な戦争にすまいと、生死を賭けた脱走兵に対して敬意を示す時なのだ。脱走は臆病の故ではない。思慮の結果なのであって、これを無責任とか仲間への裏切りなどとしてはいけない。脱走には責任と勇気が求められる」と。至言である。