読書日記

いろいろな本のレビュー

「学力」の経済学 中室牧子 ディスカバー

2015-12-21 09:58:58 | Weblog
 本書は教育の施策・問題を経済学的・統計学的に分析して、その費用対効果について述べたもの。著者は教育学者ではなくて経済学者であるところがみそで、冷静な語り口がいささかシニックにも感じられて面白い。たとえば、「褒めて育てる」という言葉がある。よく校長が「生徒を褒めてやってくれ」と言うが、これは自尊心を高めてやる気を起こさせてくれという意味だと解せられるが、著者によると、成績が悪かった子の自尊心をむやみに高めるようなことを言うのは逆効果であると断言している。そして子どもを褒める時には、もともとの能力ではなく、具体的に達成した内容を挙げることが重要だと言っている。できる子は、自尊心が高いから学力が高くなるのではなく、学力が高いという「原因」が、自尊心が高いという「結果」をもたらしているのだと。 目から鱗の言葉で、同感である。その他、重要な指摘を列挙すると、「他人の子育て成功体験を真似しても自分の子どももうまくいく保証はない」自分の子どもを難関大学の医学部に入れた母親の子育て方法は、などという本が出されたりしているが、これがベストセラーになるというのは、本気で真似して我が子を医者にしようという親がいるのだろう。アホらしいヨタ話を信じてしまう母親には、なんとなく愛おしさを感じてしまう。昨今の「お受験」ブームを支える人々だ。「話半分に聞く」という言葉を。彼女たちに贈ろう。
 子どもを学力の高い学校へ入れたら、自分の子どもも高くなるとよく言われるが、これに関しては、平均的な学力の高い友だちの中にいると、自分の学力にもプラスの影響があるが、「学力の高い友だちといさえすればよい」は間違い。学力が優秀な子どもに影響を受けるのは、上位層だけらしい。それで、「習熟度別学級が特に大きな効果をもたらしたのはもともと学力が低かった子どもたち」だと。そりゃそうだわなあ、できる子はどこにいてもできるのだから。
 教育全般について次の指摘は非常に重要と思われる。曰く、非認知能力(例えば、生きる力等)は将来の年収・学歴や就業形態などの労働市場における成果に大きく影響する。学校は、学力に加えて非認知能力を養う場である。非認知能力は成人後まで加鍛性のあるものも少なくない。しつけは勤勉性という非認知能力を培う重要なプロセスであると。学校があれだけの敷地に校舎・運動場・体育館・プール・庭園を確保しているのは、まさしく学力以外の能力を培おうとしている証左である。塾がビルの一室で開けるのとはわけが違うのだ。そこを見過ごして、もう学校は入らないとほざく連中こそ、亡国の輩である。奴らの発言に惑わされてはならない。
 最後に文科省の役人に贈りたい言葉がある。著者曰く、「学力テストの結果だけを見ても、政策的に有用な情報はほとんど得られない。もしも学力テストの結果を公表するなら、家庭の資源を表す情報も紐づけて公開すべき。教員研修が教員の質を高めるというエビデンスは多くない。教員免許の存在は教員の質を担保しているわけではない等々」と。
 ホットになりがちな教育界にクールなデータで目を覚まさせてくれた、本書の意義は大きい。

ネオ・チャイナ  エヴァン・オズノス 白水社

2015-12-05 14:04:12 | Weblog
 人口13億の大国中国は、共産党が支配する大国である。ところが最近の格差社会、環境汚染、民族問題等を見ても非常にそのかじ取りが難しくなってきている。本来、共産主義は人民皆平等で、すべてに幸福感を与えるのを第一義としているが、現状はまったく逆である。かつて小平は遅れた中国を見て、これではだめだ、経済を自由主義化して,まず富めることのできる者が富んで、それからだんだんと貧しいものが富めるようにすればよいという「先富論」を掲げて、経済の自由化を導入して、国民の生活レベルを上げようとした。ところが富める者はますます富み、内陸の農民をはじめとする貧しいものはますます貧しくなるという結果になった。この状況を打破するために、共産党指導部は腐心しているわけだが、国民は豊かな自由主義経済の洗礼を受けた結果、共産主義でもって一元支配することの理不尽を悟ってしまった感がある。このネット社会で西側の情報を遮断することは困難だが、党は莫大な費用をかけてコントロールしている。でも、それも段々と不可能になりつつある。その中で庶民は、政治よりも経済優先、お金があればなんでもできるという拝金主義に冒され、地位利用の汚職が蔓延し、党内外に腐敗がはびこる社会となった。等しからざるを憂う共産主義とまったく違う社会が現出しているのである。
 その中で、人々はどのような考えでこの社会を生きているのだろうか。それを考察したのが本書である。本書には体制内外で活躍する人物に焦点を当てて中国社会の現状を浮き彫りにして見せる。登場人物を紹介すると、林毅夫は金門島(台湾)から大陸側に泳いで渡り、中国に亡命した世界銀行の元チーフエコニミスト。胡舒立はスクープを連発し、政府批判も厭わない『財経』元編集長。唐傑は、自身が作成した愛国主義的なネット動画が絶大な人気を博した大学院生。韓寒は、若者の圧倒的な人気を集め、一躍時代の寵児となった新進作家。艾未未は、四川大地震で倒壊した後者の下敷きとなった児童たちの被害状況を調査し、当局の責任追及に奔走した芸術家・建築家。劉暁波は、天安門事件後も国内で民主化運動を続け、ノーベル平和賞を受賞した人権活動家。陳光誠は、決死の脱出行で自宅軟禁を逃れ、アメリカに保護された「裸足の弁護士」。他多数の人間が登場し、各自のものがたりを紡いでいく中で。現代の「共産主義社会」に生きることの意味を問いかける構図になっている。読み物として大変面白い。
 例えば、中国高速鉄道のトップであった劉志軍は叩き上げの苦労人で、権力を握るや新幹線をスピード第一というポリシーで作っていった。異論を差し挟む人間を無視して、自分の思う通りに王国を築いて行った。その中であの温州の事故が起こった。鉄道部の監督機関は鉄道部自身であり、チェック体制は事実上昨日していなかった。事故後、鉄道部は指導部によって解散させられた。このような組織のありようは他にもたくさんあって、これが指導部の苦慮するところであろう。その最大のものが人民解放軍であろう。
 また前出の唐傑は、著者に次のように言ったという、「すべてのことが一つの方向に向かっているんです。米国という方向にね。それが主流の見方だし、そこに異論を唱えられるという雰囲気ではないんです。経済学でも、法学でも、ジャーナリズムでも、あらゆるものが米国がやっているようにしなくっちゃいけないと言うんです。それが一般的な考えになってしまっているんですよ」と。これは政府の大半も口にしていることらしい。そして「改革開放が国策となって以来、、政府の役人のほとんどは改革支持派ですし、それに代わる見方を受け入れることは難しいのでしょう」とも語っている。それで腑に落ちた。習近平の娘はハーバード大学に留学していたし、幹部の子どももほとんどがアメリカの大学に留学している。また一旦ことあらば、逃げる先はアメリカで、そこに汚職で貯めた大金を預けているのだ。中国人にとってアメリカは理想郷で、ここと戦争しようなどとはつゆほども思っていないのである。
 しからば、台湾統合を機に自由主義国家になればよいのである。指導部はそれを本気で考えるべきだ。