読書日記

いろいろな本のレビュー

風の中のマリア  百田尚樹  講談社

2010-11-27 16:38:45 | Weblog
 マリアは人間ではない。オオスズメバチのワーカー(働きバチ)である。オオスズメバチのワーカーはすべてメスであることからマリアと名づけられたのだ。メスだが交尾・産卵はしない。それは女王バチの役割で、彼女が出すフエロモンがワーカーの交尾行動を抑制しているらしい。ワーカーの寿命は30日。その間、女王バチとその子供を守るためにひたすら狩りに出て獲物を狩って、巣に持ち帰ることの繰り返し。そこに人生のアナロジーを実感させる仕組みがある。
 オオスズメバチは昆虫の食物連鎖の頂点に立つ。敵は鬼ヤンマぐらいしかいない。同じスズメバチのキイロスズメバチやミツバチの巣を攻撃して全滅させ、そのさなぎを餌にしてしまう。その獰猛性は際立っていると言える。その獰猛なハチのメスにスポットを当てて小説にしたわけだが、結構読ませる。一般の読者は大抵オオスズメバチの生態に無知であろうが、本編を読むとその生態が過不足なく描かれていて興味深い。特にハンティングの様子はテレビの自然ものを見るような迫力がある。相当研究している感じだ。多分著者は昆虫大好き人間なのであろう。
 限られた時間を与えられた本能に従ってその役割を果たしそして死ぬ。そこに生き甲斐や生きる意味が問われ、反省されることはない。ひたすら餌を狩り巣に持ち帰って幼虫に食べさせるだけだ。まさにルーティーンワークである。女王バチもひたすら卵を産むだけの日常で、その運命を甘受さざるを得ない。それならば彼らの生きる意味は何かと言うと、それは子孫を残すことだ。まさにこのためにこそ彼らの生存意義がある。オオスズメバチは女系社会で、オスの影が薄い。凶暴なハンターがメスというのも何か暗示的な気がする。昆虫にしろ哺乳類にしろ主導権を握っているのはメスで、オスは繁殖期以外は寂しく単独行動をして、老いれば他の昆虫(動物)の餌になってしまう。はかないものだ。とすると人間のオスも例外ではない。老いさらばえた男は野垂れ死にが当たり前と思わなければ。雨露をしのげるあばら家でも置いてもらえるだけありがたいと思わなければ罰があたるというものである。

故郷のわが家 村田喜代子  新潮社

2010-11-21 08:52:32 | Weblog
 村田喜代子の新作。女流小説家で今一番うまいのがこの人だと私は思っている。今回も予想にたがわぬ出来栄えで、老年の人間の諸相を鮮やかに描いている。主人公は九州の久住高原に住む笑子、65歳。それに愛犬のフジ子。一昨年にこの故郷に帰り、老後を過ごしている。本編は短編の連作で、笑子の身辺雑記というべきものだ。それぞれの短編は雑誌『新潮』に2007年6月号から2009年2月号までに発表された9編で、それを集成したものだ。
 小説のテーマは「老い」だと思うが、どうしても避けられないこの運命をどう受け入れるか、あるいはどう戦うか、個人レベルでいろんな展開を見せるが、それぞれにさりげない筆致で温かく描いているところに共感を覚える。第一話の「ラスベガスの男」は世界各地を放浪しているらしい60過ぎのもとエリート社員と、たまたまラスベガス・グランドキャニオンの団体旅行で一緒になった話。金に苦労していないこの男は、ガイドの説明を遮って自分の知っていることを関西弁でベラベラ喋り、みんなの顰蹙を買っている。しかし未知の場所に来た時はそのでしゃばりが急に影をひそめる、そこにこの老人の本当の姿があるのだが、故郷喪失者のように海外を放浪している男の過去は明かされない。しかし日本に身の置き場がないことがだんだんわかってきて、この男の言いようのない孤独が浮き彫りにされるという仕掛けになっている。
他の諸篇もいずれ劣らぬ力作だが、老齢を迎えた人間の感慨を描いた表現のうまさがこの小説を支えていることは確かだ。第三話の「天登り」で、高校の同期生と軽井沢の鬼押し出しに上った時の記述、ーーその時の行けども行けども老人軍団ばかりの異様な道は、何と言ったらいいでしょうか。鬼押し出しの奇観と相まって、笑子さんには忘れられない光景です。「ここは爺イと婆アの谷だな」と同窓会の幹事が呆れたように言いました。「若い者はどこへ行ったんだ」「馬鹿ね。この暑いときに若者が山なんかに来るわけがないでしょ、体力ないのに。青少年は下界にいるのよ。冷房の効いた薄暗い所でじっとしているの。モグラみたいにね」と会計係が笑いました。まったくその通りだと笑子さんは思いました。若者は下界に住んでいます。そして年寄りたちは鬼押し出しに繰り出したり、グランドキャニオンに出没したり、富士山に登ったりの賑わいです。年寄りの高登り、この国の老人たちの行き先に光明が射すようです。ーー現代日本の状況をこれほど的確に表したした文章はない。全編このようなわくわくする表現がタペストリーのように織り込まれている。
 「子どもは可愛いいけれど子育て中は柔らかい肉の鎖に繋がれています。けれど子どもがまとわりつくのはせいぜい七、八年で、後はこちらが手を伸ばしても逃げて行くようになる。それと比べると犬という動物が飼い主を慕い、始終その姿を探してつき従ってくる愛の年月というのには終わりがありません。犬の一生が幕を閉じるまで、その一途な愛は不変なのです。」(犬月)どうです、いいでしょう。二葉亭四迷の『平凡』の中の「ポチの話」の「犬好きは犬が知る」という言葉と同じぐらい、犬に対する愛情があふれています。
 「同窓会で久しぶりに会ったときの佐藤大蔵の風貌が水面に浮かんでいます。半世紀を経た彼は見事に頭の禿げた初老の男になっていました。担任の教師はみな亡くなって、同級生のみんなも一律平等に歳月の魔法の杖の一振りで、変わり果てておりました。」(電気の友) これも私が非常に感動した表現だ。とにかく一度読んでみてください。
 

古代ローマ人の24時間 アルベルト・アンジェラ  河出書房新社

2010-11-13 10:21:50 | Weblog
 副題は「よみがえる帝都ローマの民衆生活」。ローマ帝国が全盛期にあったトラヤヌス帝治世下の「紀元115年のある日のローマ」の一日の庶民の生活を一人の語り手が紹介するというもの。いわば古代ローマ世界をめぐるガイドブックだ。この時ローマの人口は150万人。貴族階級や富裕層はドムスと呼ばれる小さな庭付きの戸建て住宅に住んでいたが、大多数の住民はインスラと呼ばれる大規模な高層集合住宅に身を寄せ合うように暮らしており、環境はかなり劣悪だった。その数は4万6000棟にも及んだと言われ、違法建築は日常茶飯事だった。現代では高層住宅の場合、上に行くほど値段が高く、金持ちが住むことになっているが、この時代は水道・電気・ガスがないので炊事場・風呂・便所はせいぜい2階までしかできない。それゆえ富裕者は1~2階に住む。それ以上の階は貧民窟となり、掃除もされず不衛生な状態で何十年もほったらかしにされる。
 その結果、庶民は公共便所・食堂・公共浴場に出かける。高台から見渡すと小さな細い煙が何本も規則的に立ちのぼっている。巨大な公共浴場から出ている煙だ。150万都市の入浴者をカバーするためにどれくらいの木材が消費されるか想像もできない。大浴場は何カ月、何年、何世紀にもわたって来る日も来る日もほぼ絶え間なく木を燃やし続ける、環境保護の観点から見れば、怪物のような存在だったのだ。浴場は広く、熱い風呂、冷たい風呂、ぬるい風呂があるので、長時間過ごすことができる。それであらゆる階層の社交の場となり、政治談議や商談なども行なわれた。皇帝も例外ではない。現代版スーパー銭湯か。
 古代ローマは奴隷制が有名だが、彼らはアフリカをはじめいろんな所から連れてこられたが、奴隷市場で売買される。その非人間性は目を覆うばかりだが、主人次第で全く別の人生展開になるという指摘はなんとも痛ましい。自分の意思で人生を切り開けないことは人間として耐えがたい苦痛である。セネカをはじめ、「奴隷は物でなく人間であり、人間として扱うべきだ」と考えるストア学派の哲学者など、抗議する者も少なくなかった。しかし、ローマ帝国の経済や財務においては奴隷の存在はあまりに重要だったため、奴隷なしで社会が成り立たなかった。
 ところで街角で出会う人が奴隷かどうかは、どのように見分けるのか。外見的には自由人と何ら変わりなかったので、服装で見分けるしかなかった。たいていの場合、奴隷は簡素な服を着ていた。そして、しばしば首に札を下げていたり、現代の犬・猫のように首輪をはめられている者もいた。札には奴隷の名前と、時には主人の所まで連れてきてくれた人に支払う謝礼まで書かれていることもあった。奴隷が逃亡できない理由はここにある。
 その他コロッセウムで行なわれる公開処刑がすさまじい。「猛獣による食い殺しの刑」は二人の執行人が罪人を見動きできない状態にして、罪人をライオンにかぶらせるという非道なもの。ライオンと一騎打ちであれば、せめて一太刀ということもあるが、これでは抵抗のしようがない。また剣闘士の命をかけた戦いも圧倒される。群衆は命のやり取りを目の当たりにして熱狂する。死が日常化した社会がここにある。その他、ローマの日常生活の細部が興味深く描かれる。塩野七生氏の「ローマ人の物語」と併読すれば、さらに面白い。

ルポ 貧困大国アメリカⅡ 堤未果 岩波新書

2010-11-03 20:44:03 | Weblog
 We can changeでおなじみ オバマ大統領の誕生はアメリカのみならず世界の注目の的になり、ノーベル平和賞まで受賞するというおまけがついたが、その後のアメリカはどうか。折しも中間選挙で、民主党は歴史的大敗を喫し、上院では過半数を辛うじて維持したものの、下院では過半数を共和党に占められ、オバマはこれからの議会運営に苦労することがはっきりした。救世主のごとき出現は不景気を一掃して雇用を確保し、国民の生活向上を実現するかに思われたが、オバマも人の子、そうは簡単に問屋が卸さなかった。選挙戦の話題は中国の人民元レートの安さによる中国経済の好調がアメリカの雇用を奪っているという中国叩きが前面に出された。これはオバマの対中国外交が弱腰のせいだという批判である。
 オバマが今進めようとしている国民皆保険は本書を読む限り、なかなか難しそうだ。医療保険業界と製薬業界が政府に食い込んでその利権を手放そうとしないからだ。日本、カナダ、イギリスなど多くの先進国で適用されている単一支払皆保険制度。医療を受ける側が民間の企業を介さず政府や公的機関に直接保険料を支払い、少ない自己負担で診療を受けられるシステムに変えれば貧困層でもましな医療が受けられるのだが、既得権を死守しようとするこれらの業界の壁を崩すことはクリントン政権でもできなかった。ロビーストを駆使して議員に圧力をかけるアメリカの政治システムの悪い面が出ている。富の偏在が自己責任に帰せられ、勝者と敗者がはっきりする。いったんしくじれば負のスパイラルに落ち込んでしまう今のありようを改革するためにオバマ大統領が誕生したはずだが、快刀乱麻の活躍からは程遠い印象だ。任期中に何とか足がかりを作って、再選され、その4年で再びアメリカの栄光を復活させてもらいたい。というのもアメリカの衰退は中国の台頭を助長し、日本の東アジアにおける地位を危うくし、緊張状態を引き起こす可能性が大であるからだ。
 それにしても本書を読むと、アメリカ社会の貧困化はゆゆしきものがある。大学を出てもまともな就職先がないので、学資ローンに追い立てられる若者。アイビーリーグなど一部の有名大学出と明らかに格差が生じている。私が最も驚いたのが、刑務所が民間委託されてビジネスとして巨大市場を形成していることだ。囚人を作るために裁判所がこれと組んでいる現実には背筋が寒くなる。市場原理という名のもとに人権が脅かされている。これじゃ中国を人権侵害国だと非難することはできないだろう。このアメリカの現実は近未来の日本の姿を暗示しているのではないか。なんとなれば、民間でできることは民間でという言葉が政治家の間で合言葉のようにささやかれているからだ。要注意だ。

伊勢物語の表現を掘り起こす 小松秀雄 笠間書院

2010-11-03 09:18:50 | Weblog
 著者は国語学者で音韻論が専門だが、古典の解釈についても多くの著書がある。学会ではその舌鋒の鋭さで、若い頃から煙たがられていたようだが学問に対してはリゴリスティックな態度を変えていないところが偉い。最近満を持していたかのように本をお出しになっているが、どれもみな面白いし役に立つ。今年81歳だがもっと長生きして国語・国文学会をにぎわして欲しい。
 本書は伊勢物語の「あづまくだり」の段を中心にした詳細な注釈だが、類書では触れられていない事柄が沢山書かれている。まず第一段の冒頭「昔、をとこ、初冠して、奈良の京かすかの里に、しる由して狩りに往にけり」について。著者曰く、「かすか」は、まず「微か」を喚起し、次に、「奈良の京」から「春日の里」を喚起します。かすかな記憶に残る春日の里ということです。そして、「かすか」は平城京を造った藤原氏の守護神であった春日神社をも喚起します。「奈良の京、春日の里」という表記は「微か」を喚起しません、仮名表記だからこそ、こういう表現が可能だったのですと。そして「しる由して」はたいていの注釈書は、「領地がある縁で」、すなわち、「治る由して」という解釈をしていますが、それを取り入れるとしたらまず、「知る由して」という意味に理解したうえで、「治る由して」という意味が喚起されることになります。元服の儀式をする家柄なら、平安京に遷都する以前は奈良の京に住んでいて、領地を所有しており、この「をとこ」もそこで幼児を過ごした春日の里が、「かすか」な記憶に残っていたことになりますと。小松先生のっけから絶好調。このような仮名の連鎖を目で追って読み解く技術は平安初期の和歌の技法で、仮名文がそれを踏襲しているというという指摘は目から鱗だ。
 また次の「その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり」の「女はらから」をたいていの注釈書は「ふたり姉妹」としているが、どうして、ひとりではなく、また、三人、四人でもなく、ふたりだとわかるのか、その根拠が示されておらず、注もないとしたうえで、「はらから」は同父異母の兄弟姉妹をさす語で、この場合その姉か妹のどちらかだろうと述べている。従来この部分を読む時、どうしてふたりの女性に恋して同じ歌を贈るのか腑に落ちなかったが、これではっきりした。先生の自説を述べる際の引用は多方面に渡り、勉強してますという感じがにじみ出ている。他人の説を批判する場合も確かな根拠に基づいているので、決して嫌味ではない。
 本題の「あづまくだり」の中身を紹介する余白が無くなってしまったが、読んでからのお楽しみということでご勘弁願いたい。なるほどと感心するところが十カ所以上はあると思う。これで1980円は安い。