マリアは人間ではない。オオスズメバチのワーカー(働きバチ)である。オオスズメバチのワーカーはすべてメスであることからマリアと名づけられたのだ。メスだが交尾・産卵はしない。それは女王バチの役割で、彼女が出すフエロモンがワーカーの交尾行動を抑制しているらしい。ワーカーの寿命は30日。その間、女王バチとその子供を守るためにひたすら狩りに出て獲物を狩って、巣に持ち帰ることの繰り返し。そこに人生のアナロジーを実感させる仕組みがある。
オオスズメバチは昆虫の食物連鎖の頂点に立つ。敵は鬼ヤンマぐらいしかいない。同じスズメバチのキイロスズメバチやミツバチの巣を攻撃して全滅させ、そのさなぎを餌にしてしまう。その獰猛性は際立っていると言える。その獰猛なハチのメスにスポットを当てて小説にしたわけだが、結構読ませる。一般の読者は大抵オオスズメバチの生態に無知であろうが、本編を読むとその生態が過不足なく描かれていて興味深い。特にハンティングの様子はテレビの自然ものを見るような迫力がある。相当研究している感じだ。多分著者は昆虫大好き人間なのであろう。
限られた時間を与えられた本能に従ってその役割を果たしそして死ぬ。そこに生き甲斐や生きる意味が問われ、反省されることはない。ひたすら餌を狩り巣に持ち帰って幼虫に食べさせるだけだ。まさにルーティーンワークである。女王バチもひたすら卵を産むだけの日常で、その運命を甘受さざるを得ない。それならば彼らの生きる意味は何かと言うと、それは子孫を残すことだ。まさにこのためにこそ彼らの生存意義がある。オオスズメバチは女系社会で、オスの影が薄い。凶暴なハンターがメスというのも何か暗示的な気がする。昆虫にしろ哺乳類にしろ主導権を握っているのはメスで、オスは繁殖期以外は寂しく単独行動をして、老いれば他の昆虫(動物)の餌になってしまう。はかないものだ。とすると人間のオスも例外ではない。老いさらばえた男は野垂れ死にが当たり前と思わなければ。雨露をしのげるあばら家でも置いてもらえるだけありがたいと思わなければ罰があたるというものである。
オオスズメバチは昆虫の食物連鎖の頂点に立つ。敵は鬼ヤンマぐらいしかいない。同じスズメバチのキイロスズメバチやミツバチの巣を攻撃して全滅させ、そのさなぎを餌にしてしまう。その獰猛性は際立っていると言える。その獰猛なハチのメスにスポットを当てて小説にしたわけだが、結構読ませる。一般の読者は大抵オオスズメバチの生態に無知であろうが、本編を読むとその生態が過不足なく描かれていて興味深い。特にハンティングの様子はテレビの自然ものを見るような迫力がある。相当研究している感じだ。多分著者は昆虫大好き人間なのであろう。
限られた時間を与えられた本能に従ってその役割を果たしそして死ぬ。そこに生き甲斐や生きる意味が問われ、反省されることはない。ひたすら餌を狩り巣に持ち帰って幼虫に食べさせるだけだ。まさにルーティーンワークである。女王バチもひたすら卵を産むだけの日常で、その運命を甘受さざるを得ない。それならば彼らの生きる意味は何かと言うと、それは子孫を残すことだ。まさにこのためにこそ彼らの生存意義がある。オオスズメバチは女系社会で、オスの影が薄い。凶暴なハンターがメスというのも何か暗示的な気がする。昆虫にしろ哺乳類にしろ主導権を握っているのはメスで、オスは繁殖期以外は寂しく単独行動をして、老いれば他の昆虫(動物)の餌になってしまう。はかないものだ。とすると人間のオスも例外ではない。老いさらばえた男は野垂れ死にが当たり前と思わなければ。雨露をしのげるあばら家でも置いてもらえるだけありがたいと思わなければ罰があたるというものである。