読書日記

いろいろな本のレビュー

ルポ 死刑 佐藤大介 幻冬舎新書

2022-01-17 14:09:06 | Weblog
 副題は「法務省がひた隠す極刑のリアル」。先進国で死刑を実施しているのは、アメリカと日本だけ、全体主義国家では中国と北朝鮮が有名である。全体主義国家では人民統制の手段として死刑が実施されるが、公正な裁判がそもそも期待できないし、その実態は不明である。以前中国を旅行した時のガイドの話だと、麻薬犯と14歳以下の少女を凌辱した場合は即死刑だということだった。また死刑促進週間というのがあって、刑務所に入っている死刑囚を街中の公園に複数名連行して、一挙に銃殺するというのも週刊誌で見た。いわゆる見せしめだ。これぐらいやらないと治安維持ができないと当局は考えているのだろう。恐ろしい話である。

 一方、アメリカは州政府が権限を握っているが、死刑のない州もあるし、実施する州でも死刑執行の情報は開示されている。ところが日本は副題の通り、死刑の詳細は伏せられており、実態を知っている人は少ない。そのせいだろうか、世論調査では日本国民の八割が死刑制度に賛成という結果が出ている。死刑執行を命じた法務大臣が、遺族の被害感情を鑑みると執行もやむをえないというコメントを付けるのが通例になっている。法務大臣は霞が関の立派なオフイスでハンコを押すだけで自分の手を汚すことはない。しかしこの執行命令書を実施する拘置所の刑務官たちの苦労を知る人は少ないのではないだろうか。死刑制度は官僚機構のおかげで成り立っている。末端官僚の苦悩は並大抵ではない。何しろ国家による殺人を実施する要員なのだから。本書にもあるように、暴れて嫌がる囚人をどうやって刑場に連れていくのか?執行後の体が左右に揺れないように抱きかかえる刑務官はどんな思いか?絞首刑にこだわる理由は何か?等々、死刑囚、元死刑囚の遺族、被害者の遺族、刑務官、検察官、教誨師、元法相、法務官僚など異なる立場の人へのインタビューを通して日本の死刑制度の全貌と問題点を描いた力作である。

 死刑制度の問題点を描いたものとして私が最初に出会ったのは辺見庸氏の『いま語りえぬことのために(死刑と新しいフアシズム』(2013年刊 毎日新聞社)であった。次が小坂井敏晶氏の『増補 責任という虚構』(2020年刊 ちくま学芸文庫)であった。いずれも絞首刑の残虐さ、死刑囚の執行を待つ精神的ストレス、執行する末端官僚の苦悩をナチのジェノサイドを命じられたドイツ軍兵士の苦悩のアナロジーとして書かれており、説得力がある。まさに近代国家の官僚主義の成果としての死刑制度と言えるだろう。特に『増補 責任という虚構』の中で小坂井氏は、75歳の死刑囚が高齢と長年の独房生活で脚が弱り、車椅子生活だっのに執行された話を書いている。曰く、「あなたに想像してほしい。ひとりでは歩けない老人を絞首台まで連行し、車椅子から降ろしてロープに吊るすその光景を」と。死刑制度賛成多数の陰で行われている死刑の実態である。この辺のことに想像力を働かせる時代が来ているのだろう。

 本書には被害者の遺族の立場で死刑を望まないという人のことも書かれている。原田正治氏で、1983年にトラック運転手だった弟は、雇い主の男に保険金目的で殺された。被告は死刑になったが、10年後に面会して話すうちに、相手の真摯な反省態度に心を打たれ、許せないという気持ちは変わらないものの、このまま死刑にしていいのだろうか、もっと対話が必要ではないかと思っていた矢先に死刑が執行された。この話は最近朝日新聞でも報じられており、原田氏は「被害者は死刑を望むと決めつけないでほしい。まずは加害者と対話できる仕組みを作り、それから死刑制度の是非の議論はすべきではないか」と言っている。最もだと思う。「遺族感情に鑑み」の中身を精査・研究すべき時が来ているのではないか。ヨーロッパ諸国では日本の死刑制度に対する批判が大きいと言われている。もしアメリカが死刑を廃止したら、日本はどうするかを考えておかなければならない。日本も人権抑圧国家だというレッテルを張られかねないだろう。中国をウイグル人ジェノサイド国家だとどの顔さげて言ってんだいと逆に中国から反撃されることは必定。

習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐 遠藤誉 ビジネス社

2022-01-09 14:50:24 | Weblog
 長いタイトルだが、さらに小見出しがあって、それは「裏切りと陰謀の中国共産党建党00年史」というもの。表紙カバーの裏には本文からの引用で以下の記述がある。曰く、中国共産党の歴史は、血塗られた野望と怨念の歴史だ。それを正視するには、「鄧小平神話」を瓦解させなければならない。毛沢東から始まり、習仲勲によって支えられた革命の道。その「おいしいところだけ」をいただこうとした鄧小平の野望と陰謀。その背骨があってこその、習近平の国家戦略だと。週刊誌的な惹句のオンパレードで中身を読まなくても大体の内容がわかるトンデモ本かと思いきや、中身は結構学術的だ。以前遠藤氏の『チャーズ』という中国共産党による国民党統治下の長春を食糧封鎖したことで30万人民衆が餓死に追い込まれた事件の実録を読んだことがあり、彼女の履歴には関心を持っていた。
 
 著者は1941年、満州国新京市(吉林省長春市)生まれ。日中戦争終了後も、父親が技術者であったため共産党から中国に残って指導してくれと頼まれ、1953年に帰国するまで中国で教育を受けた。帰国後は東京都立大を経て中国社会科学院研究員や日本の大学教員を経て筑波大学名誉教授で終わった。現在は中国問題グローバル研究所長。中国の国内事情に精通しているので、書物だけで勉強した学者とは一線を画している。何といっても七歳の時に長春封鎖事件を体験したのだから。

 本書では習近平の父である習仲勲が鄧小平の陰謀で何度も失脚させられ、一家が塗炭の苦しみを味わった歴史が語られている。習仲勲は共産党創設以来の毛沢東の同志で、まじめな人柄と革命への情熱で周りの評価も高かった。ところが文革時に批判され一家は下放されて農村での厳しい労働に従事させられた。習仲勲は十年以上にわたって軟禁状態で、息子の習近平は当時中学生であったが、北京から陝西省の農村に下放され、ヤオトンという穴倉暮らしを余儀なくされた。習仲勲を粛清したのは毛沢東だと思っていたが、本書では鄧小平が陰謀を巡らせてライバルを追い落としたのだと書いてある。それは小説『劉志丹』事件というもので、かつて失脚した党の幹部の劉志丹という人物の名誉回復のために彼の自伝的小説を党の機関紙に掲載してはどうかという話になり、責任者の習仲勲に決済する話になった。彼は最初は反対だったが、その時の流れで承知してしまった。その後、鄧小平がその件でクレームをつけて毛沢東に密告して粛清された。

 鄧小平は中国を経済大国に導いた先駆者として党内では毛沢東に次ぐ地位を得ているが、実態は類を見ない策士であるようだ。彼も幾度となく失脚し、その都度這い上がってきた歴戦の勇士である。党内で生き抜くためには権謀術数を駆使せざるを得なかったのだろう。『白い猫でも黒い猫でもネズミを捕るのがよい猫だ』『まず豊かになれるところから豊かになれ』など、共産党員としては珍しい柔軟な発言をしている。この人物が習一家にとって悪魔のような存在だったのである。その後、習仲勲は1980年に名誉回復され党幹部に返り咲いたが、十年後に再び鄧小平によって失脚させられた。本書は習仲勲を中心に権力闘争の状況を丹念に記述していて、おもしろい。著者は党内に相当数情報提供者をを持っているのだろう。そして一貫して習仲勲をまともな政治家だったと好意的に描いている。

 さてその息子の習近平である。今彼は自分を毛沢東を擬して終生主席の座に座ろうとしている。その本意は何か。著者は鄧小平の負の遺産の解消だという。一、全国に蔓延した腐敗の解消。二、社会主義にあるまじき激しい貧富の解消。三、ソ連式軍事体制を引きずったままの軍事力の弱さの解消。四、中国共産党の権威の失墜の解消。五、経済成長のみを重視したことによるハイテク産業の遅れ。ざっくりこの五点があげられているが、最近の習近平の政策がこの通りに動いていることを考えると正しい指摘と言わざるを得ない。父の仇敵である鄧小平の政策をひっくり返して、その一派を駆逐してしまう。そして毛沢東の信頼が厚かった父の遺志を継ぐために自身は永久主席を目指す。この壮大な夢の実現は可能なのか。