「夏休みは読書」というのは学校生活で染みついた習慣だが、これは読書感想文が原因になっている。今は感想文のひな型がネットに出ているので、それを丸写しにする生徒が後を絶たない。よく書けているなと思ったら疑ったほうが良い。間違ってコンクールに出そうものなら、選んだ教員の恥になるので要注意だ。よってこの時代では感想文の宿題は廃止したほうが良い。出版業界からすると嫌な話だが。因みにバーナード・マラマッドの小説に「夏の読書」というのがある。ニューヨークの下町に住む19歳のジョージ少年が近所のカタンザラ氏に夏の間に100冊の本を読んで教養をつけると豪語したもののそれがなかなかできなくて、、、、、という展開なのだが、なかなかいい小説だ。このように夏と読書は親和性があるのだ。
夏は文庫本が大量に出版されて書店の売り場はにぎわっている。多いのは2~3年前のハードカバーの旧版を文庫にしたものだ。よく見ないと丸まるの新刊かと間違ってしまう。『囚われの山』もその中の一つで、1902年(明治35年)1月に八甲田山での日本陸軍の雪中訓練で参加者210名中199人が死亡するという、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故を扱ったものだ。この事件については夙に『八甲田山死の彷徨』(新潮文庫 1978)があり映画にもなった。本書はこの事件の謎を推理小説にしたもので、結構よくできていると思う。文庫本は表紙の絵が素晴らしくて販売に寄与していると思ったが、私は図書館で旧版を読んだ。もとは「中央公論」に一年間連載されたものだが、新聞小説の冗漫さがないところが良かった。
新聞小説のダラダラ感が目に付いたのが、『灯台からの響き』(宮本輝・新潮文庫)だ。これも旧版を文庫化したものだが、買って読んだ。今は亡き妻が30年前に高校生から受け取ったはがきの謎を解明すべく全国を駆け回るという話であったが、新聞小説特有の冗漫な感じが否めない。新聞一日分に山あり谷ありの中身を入れるのは困難で、どうしても一週間のスパンで見ていく必要があるのだが、この小説の場合、結論が単純なので一年間持たせるのは大変だったろうと思う。よって主人公の身辺雑記的な記述が多くなり、冗漫になるのだ。芥川賞作家であるが、いつも高水準の作品を生み出すのは難しいという気がした。
最後は同じく芥川賞作家、吉田修一の『湖の女たち』(新潮社)について見てみよう。これも『囚われの山』同様、旧版で読んだが、芥川賞選考委員だけあって壮大なスケールで描くミステリーという感じだ。琵琶湖に近い介護用老施設で、百歳の男が殺された。事件を追う刑事と、施設で働く女。二人はどろどろの関係に突入する。一方、週刊誌記者は、死んだ男の過去に導かれ、旧満州・ハルピンにたどり着き、731部隊に、、、、。「欲望も涙も罪もすべて、湖が吞み込んでいく」という惹句が最後の結論で、人間のはかない営為は自然の中に消えていくという文学的な収斂の仕方がすごい。介護施設における殺人、警察の腐敗の実体、昨今の男女関係の事情、旧満州における日本軍の犯罪、これだけの内容を盛り込んで一編の作品にまとめるとはさすがである。ただ介護施設の女性が、捜査担当の刑事に強引に手籠めにされる体の描写は生理的にいやだと感じる読者がいるのではないか。それでもストーリーテラーとしての才能はすごいと感じた。
夏の読書は小説とばかり、今は白石一文の『秘密』(講談社文庫)を読んでいる。それにしてもこの酷暑、皆さんご自愛ください。
夏は文庫本が大量に出版されて書店の売り場はにぎわっている。多いのは2~3年前のハードカバーの旧版を文庫にしたものだ。よく見ないと丸まるの新刊かと間違ってしまう。『囚われの山』もその中の一つで、1902年(明治35年)1月に八甲田山での日本陸軍の雪中訓練で参加者210名中199人が死亡するという、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故を扱ったものだ。この事件については夙に『八甲田山死の彷徨』(新潮文庫 1978)があり映画にもなった。本書はこの事件の謎を推理小説にしたもので、結構よくできていると思う。文庫本は表紙の絵が素晴らしくて販売に寄与していると思ったが、私は図書館で旧版を読んだ。もとは「中央公論」に一年間連載されたものだが、新聞小説の冗漫さがないところが良かった。
新聞小説のダラダラ感が目に付いたのが、『灯台からの響き』(宮本輝・新潮文庫)だ。これも旧版を文庫化したものだが、買って読んだ。今は亡き妻が30年前に高校生から受け取ったはがきの謎を解明すべく全国を駆け回るという話であったが、新聞小説特有の冗漫な感じが否めない。新聞一日分に山あり谷ありの中身を入れるのは困難で、どうしても一週間のスパンで見ていく必要があるのだが、この小説の場合、結論が単純なので一年間持たせるのは大変だったろうと思う。よって主人公の身辺雑記的な記述が多くなり、冗漫になるのだ。芥川賞作家であるが、いつも高水準の作品を生み出すのは難しいという気がした。
最後は同じく芥川賞作家、吉田修一の『湖の女たち』(新潮社)について見てみよう。これも『囚われの山』同様、旧版で読んだが、芥川賞選考委員だけあって壮大なスケールで描くミステリーという感じだ。琵琶湖に近い介護用老施設で、百歳の男が殺された。事件を追う刑事と、施設で働く女。二人はどろどろの関係に突入する。一方、週刊誌記者は、死んだ男の過去に導かれ、旧満州・ハルピンにたどり着き、731部隊に、、、、。「欲望も涙も罪もすべて、湖が吞み込んでいく」という惹句が最後の結論で、人間のはかない営為は自然の中に消えていくという文学的な収斂の仕方がすごい。介護施設における殺人、警察の腐敗の実体、昨今の男女関係の事情、旧満州における日本軍の犯罪、これだけの内容を盛り込んで一編の作品にまとめるとはさすがである。ただ介護施設の女性が、捜査担当の刑事に強引に手籠めにされる体の描写は生理的にいやだと感じる読者がいるのではないか。それでもストーリーテラーとしての才能はすごいと感じた。
夏の読書は小説とばかり、今は白石一文の『秘密』(講談社文庫)を読んでいる。それにしてもこの酷暑、皆さんご自愛ください。