読書日記

いろいろな本のレビュー

ジョージ・オーウエル 川端康雄 岩波新書

2020-09-25 09:30:02 | Weblog
 ジョージ・オーウエル(1903~1950)はイギリスの作家・評論j家で本名はエリック・アーサー・ブレア。『動物農場』や『1984』などのディストピア小説で、全体主義国家の恐怖を描き、最近とみに人気が高い。本書は没後70年のタイミングで出されたオーウエルの伝記で、作家の人となりや文学的評価を描いていて大変読みやすく中身も濃い。オーウエルの父リチャード・ウオームズリー・ブレアは英領インド帝国政府の阿片局の官吏で、オーウエルは英領インド、ベンガルのモティハリで生まれ、後に父をインドに残し、イギリスに帰国しパブリックスクールのイートン校に奨学生として入学。卒業後、19歳で英領インド帝国警察官となりビルマに向かった。

 彼はイギリスの上流階級に属していたが、ビルマ赴任以後、英国人の現地人に対する理不尽な対応を見ているうちに、それに対する反発心が沸き起こり、その感情をエッセイ風の文章にまとめている。彼のこうした反帝国主義・反全体主義のメンタリティーが後にスペイン内乱に反フランコの民兵組織POUMに身を投じ、その体験を『カタロニア讃歌』に綴ったのである。自ら所属した民兵組織POUMがソヴィエトの指令で非合法化され弾圧された現場に居合わせ、かろうじて捕縛を逃れて帰国するという体験をした。これによってソヴィエト神話を暴露する内容の小説を書きたいと考えるようになった。これが『動物農場』のできる前段階である。

 その後、1944年3月に『動物農場』は完成したが、これを引き受ける出版社はなかった。というのもこの時期ソ連は連合国側に属しており、ともにナチスドイツと戦う同志であったからだ。英国民は概ねソ連とその指導者スターリンに好意を寄せていたのだ。オーウエルは「ロンドン通信」の44年4月17日の記載で、「ロシアへの好感情が表面上はかつてないほど強くなっている。あからさまな反ソ的なものを発表するのは今やほとんど不可能に近い」と書いている。そのような状況の中で、1945年8月やっと出版にこぎつけることができた。。『動物農場』は『1984』とともに多くの読者を獲得し、オーウエルは作家人生で初めてカネに困らない境遇となった。しかしこれらの作品は東西冷戦の文脈に置かれて、資本主義からソ連の共産主義を叩く「反ソ・反共」の作品という風に読解の幅を狭めることになった。これはオーウエルにとってはつらいことであった。

 1930年代からソ連のような全体主義国家に対する危惧を表明していた彼からすると冷戦構造の中で反共宣伝に使われるのは心外であったが、最近見た「赤い闇」(スターリンの冷たい大地で)に、1930年前半のオーウエルの反ソ活動をはっきり描いた場面に遭遇した。この映画は1930年前半にウクライナにおいて、スターリンの誤った食糧政策で深刻な食糧危機が起こっているという情報を得たイギリスの記者ガレス・ジョーンズが現地に行きそれを確かめるという内容である。全体主義が農民を死に追いやるという実例で、これを世界に発信しようとした記者の勇気を顕彰したものだ。この記者がオーウエルと交流する場面があったのだ。よってオーウエルは先験的な反全体主義者だと言える。その先験的把握者の作品が今も読まれているというのは大きな希望である。彼の全体主義批判の功績を多としたい。

関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか 伊原 薫 交通新聞社新書

2020-09-13 13:14:57 | Weblog
 阪急のブランド力を検証した本である。阪急電車は沿線に芦屋等の高級住宅街を抱えて、昔からハイソなイメージが定着している。確かに梅田から三宮行き特急に乗ると、乗客の雰囲気、車内の内装の色等々、他社の電車とは明らかに違う。私の母などは、阪急に乗るときはきちんとした服装で乗るようにとよく言ったものだ。庶民が描くこの高級イメージを支えるのは、電車の車両にあると私は思う。マルーン色と呼ばれるこげ茶色の外装と、濃い緑色の座席シート、アルミの鎧戸型の日よけ、広い室内、どれをとっても他社より抜きんでている。

 またこの高性能車両はスピードにおいても素晴らしい能力を発揮している。私の記憶では、神戸線の塚口近辺の直線で120キロを出していたと思う。そしてこの直線では、レールの継ぎ目を感じさせないほど静かである。その辺の保線技術にも力を入れていることは確かだ。今の阪急梅田駅は、神戸線・宝塚線・京都線が乗り入れ、10面9線の壮観だが、昭和48年に現地に移転するまでは、もっと南にあり、国鉄(JR)のガードをくぐっていかなければならなかった。ガードの近くでスピード落としていくので時間がかかった。おまけに京都線は十三で折り返し運転をしていたため、駅の北側への移転が図られた。ただ当時はこの移転について、駅が遠くなるなどの批判があったことは確かで、新聞の記事にもなっていた。しかし、今やそれが嘘のように駅周辺は発展している。

 この阪急にも15年ほど前、阪神電車との合併という大きな問題が起こった。ことの発端は村上世彰という人物の率いるフアンド会社が阪神電鉄の株を買い占めてこれを短期に高値で売り抜けようと画策して、阪神側に役員の派遣等のプレッシャーをかけたことだった。これをライバルの阪急が引き受けて、阪神を傘下に収めたのだ。モラルなきハゲタカのようなフアンドが企業を苦しめた例である。株式会社の宿命と言えばそれまでだが、なんともやりきれないはなしである。しかし以後阪急は阪神のアイデンティティーを守りながらやっているところは立派である。

 ターミナル駅には百貨店がつきものだが、阪急の場合、阪急百貨店がある。本書によると、2019年 全国百貨店 店舗別 売上ランキングでは、一位の伊勢丹新宿本店の2888億円についで2507億円で第二位になっている。全面改装がいい結果を生んでいるのだろう。ちなみに難波の高島屋大阪店は1472億円で第五位、あべのハルカス近鉄本店は1245億円で第九位になっている。阪急が他の二店を圧倒的に引き離している。これにはいろんな要素が考えられるが、私が感じるのは例えば、地下の食品売り場の構成だ。阪急の場合、ワンフロアーで通路を広くとって、ゆっくりと買い物ができるようになっている。これは近くの阪神や大丸と比較すればすぐわかる。一見無駄と思われる空間を作って、これを有効に活用している。まさに「無用の用」の実践だ。スーパーでは味わえない買い物気分を味わえる工夫をしている。これが販売戦略というものだろう。

 マルーン色の車両(1947年から1997年までアルナ工機、その後は日立製作所が製造)を堅持して、費用の安いステンレス車に乗り換えない頑固さと、買い物を楽しくというモットーこそが、今の阪急の繁栄に繋がっていると思う。

わが敵「習近平」 楊逸 飛鳥新社

2020-09-05 08:28:48 | Weblog
 楊氏は中国人の女性作家(現在は日本に帰化)で、1964年ハルピン生まれ。1987年留学生として来日し、1995年お茶の水女子大教育学部(地理学専攻)卒。2008年『時が滲む朝』(文芸春秋)で日本語を母語としない作家として初めて芥川賞を受賞し、作家としての地位を築いた。来日20年で芥川賞とは並みの才能ではない。私はその作品を実際読んだが、天安門事件を題材にしたもので、楊氏自身は中国の民主化に期待していたものと思われる。そこには自身の文化大革命の過酷な体験が投影している。

 著者によれば1970年、5歳半の時突然「ハルピンから農村へ行って再教育を受けろ」と共産党から命じられたという。理由は明らかにされず、一家は極寒の東北地方で塗炭の苦しみをなめることになる。両親はハルピンの平凡な教師だったという。文革は知識階級を再教育することに腐心したが、これは一律ではなく、選び方は恣意的だった。当局にコネのあるものは逃れられた可能性がある。反革命と指弾するのも共産党の一存で、こういう理不尽は全体主義国家の通弊である。著者はこういう体験を通じて、共産党に対する批判を強めていった。

 本の表紙は習近平の不敵な笑顔の写真が大写しになっているが、彼も中学生の時、下放に遭い、北京から陝西省の農村に行かされた。父の習仲勲は人民解放軍の幹部だったが、毛沢東に批判され軟禁された。その余波で、息子の近平も下放の憂き目にあったのだ。彼は農村の生活に慣れることができず、幾度も北京に逃げ帰ったそうだ。その人物が今や毛沢東を礼賛し、絶対権力者としての地位を築きつつある。全体主義の恐ろしさを体験したにもかかわらず、その恐ろしさを学習していない。その辺の著者の憤懣が本書のタイトルになっていることは確かだ。文革が終わってから40年余り、共産党は文革を誤りと総括しているにも関わらず、今の共産党の諸外国に対するやり方は、かつての国内の混乱を国外に展開しているように見える。穿った見方をすれば、習近平自身腐敗撲滅運動をやりすぎて、自身が下野するとその反動で命が危うくなるゆえ、その地位にしがみつかざるを得ない側面もあろう。

 著者は親戚の紹介で来日したが、来てみて日本の豊かさに驚いたという。大学入学後のある時、地理学の実地調査で静岡県の農家を訪れ、その豊かさを目の当たりにして、中国の農家との差を実感したという。その中国は今やGDPで世界第二位の国に躍り出たが、実際の市民生活を享受しているのは、4億人程度で、あとの9億人の農民は農民籍も含めて、彼らにこき使われる奴隷のようなものだ。この農民問題と、ウイグル、チベット、宗教問題等々、内政に難問を抱える一方で。対米問題で外交で最大の難問に直面している。習近平は11月の大統領選を視野に入れて、沈黙を守っているが、彼にこれらのかじ取りをする能力があるかどうか。また共産党内部の権力闘争も予想される。

 本書は前半で、コロナウイルス問題で中国の責任を追及し、武漢ウイルス研究所の危険性を具体的に指摘している。次にウイグル、チベットなど少数民族の抑圧問題を述べ、さらに強欲な共産党の「世界支配」の野望を暴き、最後は中国人に「目覚めよ」と呼びかけ、返す刀で「日本人よしっかりしろ」と叱咤激励して終わっている。かつて魯迅が蒙昧な中国人民を覚醒させなければ、近代化と自主独立は難しいと医者から文学者に転向して、人民の啓発に一生を掲げたが、今、魯迅に擬せられる人物が現れる必要があるだろう。楊氏を第一号として、二号、三号が現れることを期待する。加油!