中国乙類図像漫遊記 武田雅哉 大修館書店
武田氏は北大教授で中国文学が専門だが、文学というよりも民俗学的なアプローチで雑学的なものを得意としている。中野美代子氏の弟子で、中野氏退官後は北大中文の顔と言える。「乙類図像」とは「B級の挿絵・ポスター」の意味で、文革前後の中国の雑誌等に掲載された挿絵や街のポスターを広く渉猟してコメントしたものである。
何と言っても中心は毛沢東であり、彼以外のものはありえないという状況が看取できる。それほど彼の神格化が進んでいたということだが、大躍進時代、反ソ時代、文革時代と共産党政権樹立以降の政治的諸問題が挿絵によって読み取れる。この時代は今の北朝鮮の雰囲気とよく似ており、毛沢東は金日成・金正日父子に擬せられるだろう。描かれる像も他と比べてやたらと大きい。独裁者なのである。中でも毛主席から下賜された「マンゴー」を喜ぶ人民の姿を描いた図は正直笑える。ガラスの容器に入った一個のマンゴーを農民達が取り囲んで笑顔を振りまいているのだ。決して食してはならないマンゴー。まさに禁断の木の実である。まさに神からの贈り物だ。このような図が中国各地に発信され、毛の神格化がどんどん進むのだ。
また反ソ時代の物資欠乏期に描かれた電線を各地に張り巡らせて、電化を普及させるキャンペーンでは、金属不足で電線が足りないのを人海戦術で乗り切ったという図もすさまじい。山間部の送電線が途切れたところに多くの人間が手をつなぎ、端の人間が電線を持って電線の代わりをして送電したというものだ。そんなことしたら感電死するじゃないか。でも毛主席の慈愛で守られた者は高圧電流も何者かはというのだろう。北朝鮮も真っ青の図で、まさにB級図像だ。でも1950~1960年代の人間はある種素朴だったのだろう。それを支えていたのが毛と同じ農民だ。農民こそは国家の礎だったのに、最近の改革開放政策ですっかり割を食ってしまった。
文革時代毛沢東は都市住民(学生が中心)を農村へ下放して、農民に学べと言ったが、これは農民出身である毛の都市生活者、とりわけインテリに対するルサンチマンの表出ではないかと思う。今の中国の農民受難打破の切り札が無いのは、共産党政治局員に農民出身者が皆無で農民の苦しさを体感出来ないからではなかろうか。