読書日記

いろいろな本のレビュー

ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎・大澤真幸  講談社現代新書

2011-08-28 09:03:34 | Weblog
 最近キリスト教関係の一般読者を対象にした本が多く出版されている。背景に何があるのかよくわからないが、キリスト教とは何ぞやという問題意識を持っている人が多いということか。本書の前書きで大澤氏は近代の相対化即ち西洋の相対化が現代の国際関係を把握するためには重要で、勢いキリスト教の理解が求められると述べている。グローバル化の余波とも言えるが、本書は5月の出版以来売れ行き好調で、現在15万部のセールスを達成したようだ。橋爪、大澤両氏対談して、大澤氏の質問に橋爪氏が答えるという形式になっている。第1部は「一神教を理解するーー起源としてのユダヤ教ーー」の見出しで、「ユダヤ教とキリスト教はどこが違うか」等の16項目、第2部は「イエス・キリストとは何か」について19項目、第3部は『いかに「西洋」を作ったか』について17項目の質疑応答が記録されている。それぞれ理解の深浅、興味の有無によって関心のあるテーマを確認すればよい。
 例えば、一神教の偶像崇拝の禁止は、神の存在を確認するあらゆる方法が禁止されることから由来するとして、「僕は神を見た」と言ってしまえば、それは本物の神ではなくて、偶像になってしまう。預言者でさえも、例えばモーセでさえも神をまともに見ていない。そうすると、普通の意味では存在から最も遠く隔たっているものが最も存在している、という逆説になってしまうのです。偶像崇拝を厳しく禁止するということは、こういう逆説を受け入れるということですという説明がされる。確かにわかりやすい。
 第2部がメインになると思われるが、イエスは人か神か(人である)、何故イエスは処刑されたか等々、興味ある内容が説明される。イエスは本来メシア(救世主)ではない。しかし、イエスの事跡を記録する新約聖書によって一人の人間が神へと階段を上って行くのだ。その総体をキリスト教というのだが、これが仏教になじんだ我々には理解しにくい。キリスト教に多くの流派が生まれるゆえんである。第3部ではマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を取り上げて、プロテスタントのカルヴァン派の教義(予定説=神に救われるか否かはあらかじめ決められている)とそれがのたらす生活態度がどうして資本主義の精神に繋がっていくのかという部分が面白い。またキリスト教とマルクス主義の相似についても同様。日本人がキリスト教やマルクス主義を受け入れない理由もよくわかる。

松井石根と南京事件の真実  早坂隆  文春新書

2011-08-27 21:43:01 | Weblog
 南京事件については昭和40年代前半に、朝日新聞の記者であった本多勝一が「中国の旅」というルポを紙上に連載して旧日本軍の中国での暴虐ぶりを描いて話題になった。なかでも、二人の将校が百人斬り競争をしたというのは衝撃的で、当時中学生だった私も読んで衝撃を受けた。そこで南京事件のことも触れられたはずである。中国人被害者のインタビューで構成されたものだったが、中国寄りの内容だということで本多は右翼から命を狙われ、地下に潜伏せざるを得なくなったことは有名だ。その後、鈴木明の『南京大虐殺のまぼろし』(文藝春秋)が出て、言われているような大虐殺はなかったということをアピールした。以後40年近く、あった、なかったという議論が繰り返された。その間、江沢民は南京にこの事件の記念館を造り、三十万人が犠牲になったと石に彫りこんだ。彼は国内の民衆の共産党に対する不満を反日政策で目先を変えようと、愛国教育という名の反日教育を徹底させたのである。中国侵略は事実であり、この件に関する正義は常に中国側にある。したがって南京事件の犠牲者30万人と「白髪三千丈」的誇張表現で言われようと、正面から反論しにくいことは確かだ。
 南京事件で総司令官であった松井石根は東京裁判で死刑になったが、松井自身は中国人民を愛した中国通の軍人で、南京戦でも軍律違反を厳しく取り締まったが、現実には中国人民に対する暴力を防げなかったということを詳細に綴っている。今まで松井の経歴と南京事件の関わりを書いたものはあまり書店に並んだことはなかったと思う。その意味で、今回の本書の記述で松井の名誉回復をはかろうとしたことは、「犠牲者30万人」のアンチテーゼとして中国に一矢報いようということかもしれない。一読して松井の誠実さは理解できた。さらに東京裁判の不合理もそれなりに分かるが、だから無実だということにはならない。松井が人格者だったということと南京虐殺はなかったといことは別問題である。本書では、ともすると松井の再評価を焦るあまり虐殺はなかったという文脈で展開されているところが気になった。前掲の『俘虜記』で大岡昇平はフイリッピンの日本兵捕虜の中で中国を転戦してきた兵が南京での暴虐ぶりを大岡に述べる記述があることを考えると、虐殺はあったのだろう。それが30万人だったかどうかは疑問だが。
 何度も言うが、正義は中国側にある。あちらは義勇行進曲(抗日戦争を闘い抜くテーマ)を国歌にしている以上、いくら松井が国民党を倒して中国人民にとってもっとふさわしい政府の樹立を模索したとは言っても、他人の領地に勝手に入り込んでの施策の議論に正義はない。

俘虜記  大岡昇平  新潮文庫

2011-08-20 11:47:06 | Weblog
 文庫としては昭和42年以来63刷改版で、活字が大きく読みやすくなった。終戦(敗戦)記念日に合わせての発刊である。著者は昭和20年1月25日フイリッピンのミンドロ島南方山中で米軍の捕虜となり、終戦後帰還した。その間捕虜となった日本兵(終戦前の招集兵が多かった)の姿を冷徹に観察し批評しているが、その人間観察力に裏打ちされた記述は哲学者のレベルまで到達している。
 まず、「捉まるまで」の項では、マラリアにかかりジャングルで置いてきぼりになり、藪の中で身を屈め、もし米兵に遭遇したら射つか、射たないかで思索が展開される。結局、若い米兵を目の前にして射たなかったのであるが、その理由をこう書いている、あの時私が敵を射つまいと思ったのは私が「神の声」を聞いたのであり、米兵が迫って、私がその声に従うことが出来るか出来ないか不明に立ち至った時、別の方面で銃声を起こらせ、米兵をその方へ立ち去らせたのは「神の摂理」ではなかったか、という観念であると。著者は東京のあるミッションスクールの中学生であった13歳の時、聖書の真理に打たれ神を信じたと書いている事を考えると、汝の敵を愛せというキリスト者の本分を実践したのかも知れない。しかし、私の感じでは、射つのが面倒くさかったのではないかと思う。敵を射ち殺す慙愧の念と射ち殺される無念とを秤にかけたら、射たれる方が楽だというのは大いにありうると思う。ことほど左様に33歳のインテリ補充兵の厭戦気分は小説全般に横溢している。
 捕虜収容所で同胞の捕虜を見た時の印象を「私が彼等に会うのを欲しなかったということは考えられない。いかにも私は昭和初期に大人になったインテリの一人として、所謂大衆に対する嫌悪を隠そうとは思わないし、軍隊にだまされた愛国者と強いられた偽善者に満ちていたが、しかし比島の敗軍にあっては、私達の間に一種の奴隷の友情が生じていたのを私は知っている。私は自分を憐れむと同じ程度に彼らを憐れんでいた。どうして私にレイテの傷兵にまみえるのを喜ばぬ理由があろう」と書く。インテリの矜持と捕虜としての奴隷根性の自覚、これらは日本人の特性として戦後いろいろ議論になった。また「戦友」の項では、詐欺師同然の兵を目の当たりにして、「こう書いてくると、遺憾ながらわがミンドロの将校や補充兵がただ軍人として劣るばかりでなく、人間としても甚だ愛すべき存在でなかったことを認めざるを得ない。そしてもしこうした世に摺れた中年男の醜さが、戦場という異常の舞台に氾濫するに至ったのが、専ら彼等に戦意が足りなかったという事実に拠るとすると、国家が彼等を戦場へ送ったのは、国家にとっても、彼等自身にとっても、遺憾なことであった。無論機会を送るのが最上であったが、機会を持たない日本は、そのかわり訓練によって戦意を持たされた人間を送った。しかし教えられた戦意が事実の前に脆いのは、補充兵でも現役兵でも似たようなものである」と書く。こういう人間たちが戦争に関わったのであるから、結果は火を見るより明らかだったろう。戦争末期の実相を端的に捉えている。
 政治学者の丸山真男は『超国家主義の論理と心理』で、太平洋戦争に組み込まれて行ったメカニズムを分析して、大衆がその役割を担ったと言っているが、大岡の立場もこれに近いものがある。『俘虜記』はいわばインテリから見た大衆の愚かさということになるのかも知れない。しかし最近はこの大衆の愚かさを批判する文化人がめっきり少なくなった。新聞・テレビ等のメディアが大衆の側に埋没しているので、これに同調する文化人・インテリが批判の視座に立てないのだ。

紅梅  津村節子  文藝春秋

2011-08-12 08:26:35 | Weblog
 作家・吉村昭氏は2005年2月に舌癌を患い、その後膵臓癌が発見され、全摘出の手術を受けたが、2006年7月31日亡くなった。氏は歴史小説に金字塔を建て、今でも多くの読者を持っている。私は北海道開拓民がヒグマの恐怖に曝される『羆嵐』という小説が好きで、再読、三読、そのたびにこの作家の力量に感服している者である。ヒグマの襲撃になす術もなく立ち尽くす開拓民の恐怖・悲哀を冷静な筆致で描いているが、これは「ノンフイクション小説」と呼ばれている。
 本書は氏の妻である作家の津村節子氏が一年半の夫の闘病生活を「ノンフイクション小説」に仕上げたものだ。登場人物はほぼ特定できるほど現実に近いが、ただの看病記録では表現しにくい夫婦の感情の機微が綴られている。夫婦共に作家として生きる日常とはどういうものか。子どもを設けて、育てる苦労は並大抵ではないが、さらに作家として生き残る努力を考えると夫婦の感情的な軋轢はいかばかりかと推察される。特に吉村氏は芥川賞の候補に何回も上がったが、結局受賞出来なかった。ところが夫人の津村氏はあっさりと受賞、作家としての才能は吉村氏を上回るものがあったという気がする。その辺の状況はこの小説にも微妙に現れている。
 舌癌の放射線治療を受けてから一年後、よもやの膵臓癌告知。全摘手術のあと退院、夫婦水入らずの平穏な日々が訪れるも、癌は転移し、夫は死期を強く意識し出す。一方で締め切りを抱え満足に看病ができない妻は、小説を書く女なんて最低だ、と自分を責める。その悔恨が吉村氏に通じていたかどうかは不明だが、氏はある晩自宅のベッドで突然思いもよらない行動を起こす。看病していた長女に「死ぬよ」と告げ、自ら点滴の管を向抜き、首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜き、数時間後に亡くなったのだ。
 この時の様子は次のように描かれている、夫は、看護士の手を振り払った。看護士は夫を落ち着かせようとして、名前を呼びながら応急処置をしようとする。しかし夫は、長く病んでいる人とは思えぬ力で、激しく抵抗した。とても、手のつけようもない抵抗だった。育子は夫の強い意志を感じた。延命治療を望んでいなかった夫の、ふりしぼった力の激しさに圧倒された。(中略)呼吸が間遠くなり、最後に顎を上げるようにして、呼吸が止まった。部屋中に、泣き声が響いた。育子はその時、何を叫んだか全く記憶がない。あとになってから娘に聞くと、「あなたは、世界で最高の作家よ!」と叫んでいたと言う。何ということだろう。そんな言葉を、夫は喜んで聞いていただろうか。「あなたを愛しているわ」でも、「私もすぐ行くから」でもなかった。(中略)育子が夫の背中をさすっている時に、残る力をしぼって軀を半回転させたのは、育子を拒否したのだ、と思う。情の薄い妻に絶望して死んだのである。育子はこの責めを、死ぬまで背負ってゆくのだ。
 妻の才能にコンプレックスを感じていた夫。作家を妻に持った夫の不幸。これらを忖度した妻の最後の悔恨の告白はたとえ夫に通じなくともそれ自体貴重なものだ。「あなたは、世界で最高の作家よ!」はまさにこの夫婦の半世紀のありようを表している。

大本襲撃  早瀬圭一  新潮文庫

2011-08-08 08:32:49 | Weblog
 大本教は幕末から明治にかけて誕生した民衆宗教で、教祖の出口なおは、極貧生活の中である日突然神がかりをし、激しい神の言葉を「筆先」という形で民衆に伝え始めた。彼女にとり憑いたのは「丑寅の金神」で、すさまじい終末観を伴うこの世界全体の根本的な変革を教義にしていた。そのため権力側の弾圧をうける結果となった。なおについては『出口なお』(安丸良夫 洋泉社MC新書)に詳しい評伝がある。
 本書の副題は「出口すみとその時代」である。すみはなおの三男五女の末子で、明治十六年生まれ。なおに招かれて大本入りした出口王仁三郎と、明治三十三年に結婚。大正七年、なおの昇天後、大本の二代教主となる。昭和十年、第二次大本事件で逮捕され、六年以上の獄中生活を余儀なくされる。昭和二十七年、六十九歳で死去。その人柄はおおらかで多くの人に愛された。
 昭和十年特高(特別高等警察)は王仁三郎となおを不敬罪、治安維持法違反で逮捕。信者らを大量に検挙し、苛烈な拷問を加えた。本書は特高課長の杭迫軍二を主人公にして大本教弾圧の実相を描いているところが類書に無いパターンである。権力側の視点で宗教を取り締まるということを改めて確認するという意味で興味深い。権力側も最初は大本教の実態がよくわかっていなかった.内務省は杭迫課長に「大本を地上から抹殺せよ」という命を授けて京都に派遣したが、杭迫自身どうやって摘発するかその根拠が不明で、教義の研究等で、無為に時間が過ぎて行った。結局、検挙・逮捕でっち上げの根拠が不敬罪と治安維持法という天下の悪法ゆえ,逆に王仁三郎とすみの人間的魅力が世間にアピールされる始末。ここに宗教弾圧の基本的なパターンがある。ただの「陽気暮らし」を説く宗教であれば、権力側に目をつけられることはなかったであろう。しかし、大本教の教義は、一言で言えば、立替え立直し思想で、時の右翼と結びつき、国家転覆の危険性があるとの危惧を抱かせたのであろう。ここらへんはオウム真理教の場合と似ているが、オウムの場合、教祖の風体・言動からして、いかにも邪教という感じゆえ、一緒にしては大本教に失礼であろう。
 とにかく出口王仁三郎となおの公判の様子が子細に描かれ、結果二人の人間像が浮き上がってくる。オウムの教祖とは一線を画しているということが分かっただけでも、大本教の名誉は保たれたと言うべきだろう。現在、信者は公称で十八万ほど。神道系の新宗教としては、天理教が公称の信者数を二百十万としているのと比べると十分の一にも満たないが、大正と昭和の二度、厳しい弾圧を受け、教団が壊滅的な被害を被ったことを考えれば、よくその力を維持しているとも言える。現在の教祖は五代目の出口紅氏(1956~ )で、代々教祖は女性である。彼女は独身で、今後後継ぎはどのようになるのか、気にかかることではある。本書巻末に付いている「裁判資料」は貴重なものだ。