読書日記

いろいろな本のレビュー

スターリン  サイモン・セバーグ・モンテフイオーリ 白水社

2010-04-27 23:07:55 | Weblog
 上下二巻 註を入れると1300ページの大作だ。レーニン亡きあと、権力を握ったスターリンと彼を取り巻く共産党幹部とその家族の20年に渡る歴史が生き生きと描かれている。副題は「赤い皇帝と廷臣たち」で、まるで小説を読むような感じだ。始まりは1932年のスターリン夫人ナージャの自殺から、終わりはスターリン自身が脳梗塞で没する1953年までだ。素朴な感想だが、ボルシェビキ権力の中枢の実態はマフイアの権力闘争とあまり変わらないということだ。しかしマフイアは縄張り争いはするが、何百万もの無辜の人間を殺戮することはないので、こちらの方がたちが悪い。思想の大義は往々にして大量殺人を引き起こす。テロルのすさまじさはナチスを凌ぐ。
 まずはボルシェビキの農民に対する嫌悪がすごい。富農(クラーク)に対する弾圧は、ウクライナの大飢饉となって現れる。中国共産党が農民によって組織されたことを思うと、これはまさに本家本元の市民革命だ。そして共産党の通弊である反革命勢力の粛清だが、容疑者個人の名前を特定せず数千人単位の数字を割り当てて逮捕・処刑せよという命令が下される。著者は言う、命令の目的は、すべての敵と社会主義的再教育が不可能なものたちを一掃することで、階級の壁を取り払い、人民の天国を実現することにあった。最終解決としての殺戮に意味を見出すためには、ボルシェビズムが掲げる理想への信頼が不可欠だったが、それはある階級の組織的壊滅を善として信ずる宗教に等しかった。だからこそ、五カ年計画が工業生産を割り当てたのと同じ手法で、人数を割り当てて殺戮するやり方が当然のように採用されたのである。細かいことはどうでもよかった。ヒトラーのユダヤ人殺戮がジェノサイドだとしたら、ソ連で起こったことは階級闘争が食人主義(カニバリズム)に転化した結果としての「デモサイド」だったと。まことに明快な分析である。これを主導したのがスターリンという空前絶後の独裁者だった。そしてスターリンの手先となって、虐殺を主導したのが殺人鬼エジョフである。このエジョフもベリアに取って代わられ、自身もスターリンによって処刑される。ミコヤンとフルシチョフはうまく立ちまわって生き延びたが、気まぐれな絶対者スターリンにいかに気に入られ、嫌われないようにするかが幹部連中の至上命題になった。もはや人民の幸福を追求するという共産主義本来の役割が見失われ、自分たちの身分保障と権力闘争自体が目的になってしまった。人民の天国とは似ても似つかない国家が実現してしまったのだ。

ジャズ喫茶論 マイク・モラスキー 筑摩書房

2010-04-17 10:03:58 | Weblog
 著者はミネソタ大学アジア言語文学科教授でジャズピアニストという異能の人だ。日本各地のジャズ喫茶を尋ねてマスターとインタビューを織り交ぜて日本のジャズ喫茶文化を分析している。
 私もジャズフアンで、1970年代前半の学生時代にジャズ喫茶に入り浸っていた。その当時コーヒーは350円で、平均2時間滞在というのがパターンだった。輸入盤は2000円以上していたから、新着のものはリクエストして試聴しとことん気に入ったものは購入した。中央線中野駅前のクレッセントとサンロードのビアズレーが中心だったが、ビアズレーはその名の通りオーブリー・ビアズレーの版画が店内に並べられており、黒い壁の装飾の中で独特の雰囲気を漂わせていた。そのころ盛んにリクエストしたのが、ハンク・モブレーの「ディッピン」(ブルーノート)のA面のリカード・ボサノバだった。この盤は長らく廃盤になっており入手が困難だった。今は簡単に国内版が手に入るがその当時のことを思うと感慨深い。その後ジャズ喫茶はドンドン廃業して厳しい時代を迎えている。同じく中央線吉祥寺のジャズ喫茶も少なくなった。70年代は時代的に右肩上がりで何となく高揚感があった。こちらが若かったということもあるが、ジャズの世界でもマイルス・デイビスが電気トランペットで60年代とは全く違う方向を模索していたし、ウエザー・リポートがマイルスのラインに呼応したようなコンセプトで人気を博していた。
 本書でも書かれている通り、ジャズ喫茶は修行の場と捉えられている事が大きな特徴である。コーヒーを飲みながら音楽を聴いて、でも会話をしてはいけないのである。静かにマッキントッシュのブルーに輝くアンプの光りとJBLのスピーカーの前で瞑想して聴くのだ。著者はここはお寺だと書いているがそう言われればたしかにそうだ。巨大なスピーカーが仏像でマスターが住職、何回か通って初めて住職と会話を許されるというまさにジャズ道を極める修行の場である。最近はカネを払ってまで修行しようという人間は少ないから、客が来なくなるのは当然の帰結だ。マイナーな世界なのである。しかしこのマイナー性は少数派の真理を含むがゆえに尊いと私は思っている。いわば自分自身のアイデンティティーである。

戦争報道メディアの大罪 ピーター・ブロック ダイヤモンド社

2010-04-11 14:36:10 | Weblog

戦争報道メディアの大罪 ピーター・ブロック ダイヤモンド社



 副題は「ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったのか」で、偏向報道の罪を改めて問い直すというものである。ユーゴはチトー大統領没後、ボスニアが92年に独立を宣言、独立賛成のムスリム人とクロアチア人、反対のセルビア人の3民族の衝突から旧ユーゴ連邦軍の介入に発展し、紛争は95年まで続いた。この間、いずれの勢力も同様の残虐行為を行っていながら、戦争犯罪人として告訴されるのは一勢力だけだ。具体的にはセルビア人勢力が戦争犯罪人の汚名を着せられ、最高指導者のラドバン・カラジッチは国連旧ユーゴスラビア国際法廷(オランダ・ハーグ)から集団殺戮などの罪で起訴され、昨年拘束された。「スレブレニツアの虐殺」だけで7千人以上の死者が出たとされる。ところが本書によると、実際に出た死体はごく少数でジェノサイドといえるものではないと言うことなのだ。それではなぜこのような報道がなされたのかというと、アメリカを中心とした西側の戦略で、非常に政治的な偏向報道がなされた結果だと著者は言う。ありもしない虐殺・レイプ事件をでっち上げるのは西側の記者で、彼らはセルビア人に不利な報道を継続した。その記者達にピューリッア賞がご褒美として与えられるという仕組みらしい。そうすると国際法廷も公正な裁判を実行できるのかという疑問が出てくる。なんか東京裁判の様相を呈して来たではないか。カラジッチはアイヒマンのようになるのではないかという一抹の危惧がふと沸き起こった。
 アメリカやイギリスやフランスの旧連合国はヒトラーに対する「正義の戦争」を戦ったという自負があり、これがその後の60年間の戦争を正当化している。イギリスに対しても大国アメリカに対しても、道義の白紙委任がなされているというケンブリッジ大学のリチャード・ドレイトンの言を引いて「民主主義の戦争」の実態を暴いている。イラク戦争はまさにその典型と言える。
 蓋しアメリカをはじめとする西側諸国の「正義の戦争」の変形が捕鯨反対運動である。クジラ・イルカは可愛い動物でこれを食す野蛮人は許せないという正義の論理を振りかざし、シー・シェパードという狂信的な半捕鯨運動に手を貸して日本をいじめている。太地のイルカ漁を盗み撮りした映画がアカデミー賞を受賞したなんて全くどうかしてる。またその映画を日本の興行会社が日本で上映したいと言っているのを聞いて、あいた口がふさがらない。どこまで馬鹿なんだ。
 キリスト教文明に対抗しているのはイスラム教だが、仏教国日本も何とか一矢報いることを考えるべきだ。民主党の小沢幹事長がキリスト教は云々と批判していたが、その程度ではダメだ。

マルコムX 荒このみ 岩波新書

2010-04-04 08:36:28 | Weblog
 マルコムXは本名マルコム・リトル、キング牧師と並ぶ黒人運動の指導者だが、1965年2月暗殺された。生地はボストンだが、父親を早くに亡くし、母親は精神病院に収容され、兄弟や異母姉エラ・コリンズの愛情と精神的支えによって何とかやっていた。エラがいなければその後のマルコムの人生はなかったと思われるほど彼女の影響力は大きかった。マルコムの父母はガーヴイー主義の信奉者で、これが彼の思想形成に大きな役割を果たした。ガーヴイー主義とは西インド諸島ジャマイカ出身のマーカス・ガーヴイー(1887~1940)の思想と運動を指す言葉で、簡単に言うとパン・アフリカニズム(アフリカへ帰ろう)ということである。後にマーカスは国外退去させられたが、その思想は黒人社会に深く根付いて行った。
 マルコムは少年時代は問題児で、ボストンの繁華街で犯罪に手を染めるようになっていたが、1945年窃盗罪で8~10年の刑を言い渡された。このころに「ネイション・オブ・イスラム」の伝道師・イライジャ・ムハマドと親交を結び、彼の思想に影響されつつあった。マルコムは1946年2月27日から1952年8月7日までの6年半服役した。20歳から27歳にかけての成人になる時期である。25歳ごろ獄中からムハマドに宛てた手紙には、今までの人生を反省し愛と正義のために生きる決意を述べている。マルコムは自分を本当に理解してくれるメンター(師)を求めていた。そこに登場したのがイライジャ・ムハマドだった。「ネイション・オブ・イスラム」への帰依は、自分を受け入れない権威であるアメリカ社会=キリスト教という「父親像」に代る、新たな精神構造をマルコムに与えてくれたのだ。当時ムスリム勢力は抑圧された黒人の中で勢力拡張のため積極的に黒人街に入り込んで布教をしていた。当局もそれを監視するという状況があった。
 マルコムがイスラム教に帰依していたことは本書で初めて知ったが、公民権運動のマルティン・ルーサー・キング牧師の流儀とは違う過激さはここから来ているのではないかと思われる。著者はマルコムは公民権よりも人権を説いたと述べているが、それは時代を先取りした、当時としては前衛的思想だったと思われる。その中で、黒人の意識を改革するため言葉は過激で鋭角化する。それは両刃の剣のごとく相手を倒すが、自分も傷つく。結局、暗殺という結果でキング牧師と同じ運命を辿ったわけだが、その精神的遺産は継承されオバマ大統領の誕生という事実で開花したと言うことか。