吉本は昨年亡くなったが、本書は2004年から2009年にかけて、雑誌「SIGHT」に連載されたもので、聞き手は渋谷陽一。吉本は晩年、テレビに出ることが多かった。コピーライターの糸井重里が吉本に心酔して講演会を企画、それをNHKが放映するという形で我々は戦後の思想の巨人の話をリアルタイムで聞くことができた。車いすで『言語にとって美とは何か』の「自己表出」と「指示表出」を熱く語る姿は多くの聴衆のみならず、テレビで見ていた者にも感動を与えたと思う。昨今の、ものを食べるか、クイズか、お笑か、しかないテレビの中では出色の硬派番組であった。吉本曰く、テレビを見ててもね、この頃は食いもんとお笑しかないんですよ、極端に言うとそれが一番多い番組なんです。それもはっきり言ってロクな内容ではない。それは戦争中と同じでね、でももう笑うより仕方がないっていうかね(笑)と。戦時中と同じだという彼の言葉は非常に重いと考えなければならない。そういうバカなものに慣らされて、思考力をマヒさせられた結果、戦争の波に飲み込まれ、大きな厄災を招いてしまったのである。バカなテレビで人気を博した者が選挙に出て、バカな人間の支持を受けて当選し、バカな政策を打ち出す、これまた戦時中に劣らぬ厄災と言うべきだろう。
吉本は軍国少年として戦時中を過ごし、二十歳までには死ぬであろうと覚悟を決めていた。そして死ぬなら天皇のために死のうと考えた。吉本にとって自分の命と引き換えになるのは天皇しかいなかったわけだ。死を前にして普遍なるものに繋がりたいというのは、人間の大きな願望であろう。しかし、生き残り、戦後を生きなければならなくなった時、戦後の民主主義とどう折り合いをつけるかが問題になったが、左翼として生きる道を選んだ。でもその心情は、かつての軍国少年であった自己をあっさり捨て去るのではなく、後ろめたさを感じつつのものであった。この視点があるからこそ、共産党が主導していた党派的性格を帯びた極めて画一的な戦争責任追及に対する痛烈な批判を展開し、その後全共闘運動に共感を示し得たのであろう。
最近中国で起こっている愛国無罪のデモについても、「愛国とか民族主義っていうのは、歴史や文化史のある段階で誰もが通るわけですよ。で、今中国は、ちょうど愛国と社会主義的な理念がくっついたんだから民族社会主義、要するに日本の軍国主義と同じですよ。これを現実的な悪だっていうふうに決めつけると、それは本当に昔ながらのリベラリズムになっちゃうわけです。それは間違いだと思います。反日は愛国だからいいんだって言ってるのは、それは日本からはありがたいこと言ってるわけじゃないけど、でもこれが間違いだっていうことはない。」とかつて愛国でやられた自分を振り返って、その愛国というメッセージに対して何が出せるかという具体的な方法がない限り戦後は無いと強調する。
吉本の党派性に対する批判は『「反核」異論』(1982年 深夜叢書社)においてピークを迎える。1982年1月に中野孝次ら36名の作家の連名で雑誌『文藝』に掲載された「署名についてのお願い」に端を発する「文学者の反核声明」は大きな盛り上がりを見せ、同年3月には523人の署名が集まった。この運動は2千万人の署名運動に進展し、翌年5月には大規模な集会も行なわれた。そうした情勢の中で敢然と反旗を翻したのだ。米レーガン政権の欧州核軍備強化を受けて、親ソ連的な党派性を持つことを批判したのだった。この反核声明は一見無害な平和メッセージに見えるが現実的には反米親露的なものであり、ロシアの核戦略に乗ってしまっている党派性の強いメッセージなのになぜそこに気づかないのだという失望が表明されたのだった。この程度の政治家のよく使う嘘に乗るっていう手はないでしょう。乗ったらそれは最後まで連れていかれてしまうという危惧の表明だった。戦争を体験し愛国に振り回された軍国少年であったればこその魂の叫びだった。私も当時、身一つで抗うている吉本に共感し、この本を買い求めた記憶がある。
このように全編箴言に満ち溢れている。本当にその死が惜しまれる。合掌。
吉本は軍国少年として戦時中を過ごし、二十歳までには死ぬであろうと覚悟を決めていた。そして死ぬなら天皇のために死のうと考えた。吉本にとって自分の命と引き換えになるのは天皇しかいなかったわけだ。死を前にして普遍なるものに繋がりたいというのは、人間の大きな願望であろう。しかし、生き残り、戦後を生きなければならなくなった時、戦後の民主主義とどう折り合いをつけるかが問題になったが、左翼として生きる道を選んだ。でもその心情は、かつての軍国少年であった自己をあっさり捨て去るのではなく、後ろめたさを感じつつのものであった。この視点があるからこそ、共産党が主導していた党派的性格を帯びた極めて画一的な戦争責任追及に対する痛烈な批判を展開し、その後全共闘運動に共感を示し得たのであろう。
最近中国で起こっている愛国無罪のデモについても、「愛国とか民族主義っていうのは、歴史や文化史のある段階で誰もが通るわけですよ。で、今中国は、ちょうど愛国と社会主義的な理念がくっついたんだから民族社会主義、要するに日本の軍国主義と同じですよ。これを現実的な悪だっていうふうに決めつけると、それは本当に昔ながらのリベラリズムになっちゃうわけです。それは間違いだと思います。反日は愛国だからいいんだって言ってるのは、それは日本からはありがたいこと言ってるわけじゃないけど、でもこれが間違いだっていうことはない。」とかつて愛国でやられた自分を振り返って、その愛国というメッセージに対して何が出せるかという具体的な方法がない限り戦後は無いと強調する。
吉本の党派性に対する批判は『「反核」異論』(1982年 深夜叢書社)においてピークを迎える。1982年1月に中野孝次ら36名の作家の連名で雑誌『文藝』に掲載された「署名についてのお願い」に端を発する「文学者の反核声明」は大きな盛り上がりを見せ、同年3月には523人の署名が集まった。この運動は2千万人の署名運動に進展し、翌年5月には大規模な集会も行なわれた。そうした情勢の中で敢然と反旗を翻したのだ。米レーガン政権の欧州核軍備強化を受けて、親ソ連的な党派性を持つことを批判したのだった。この反核声明は一見無害な平和メッセージに見えるが現実的には反米親露的なものであり、ロシアの核戦略に乗ってしまっている党派性の強いメッセージなのになぜそこに気づかないのだという失望が表明されたのだった。この程度の政治家のよく使う嘘に乗るっていう手はないでしょう。乗ったらそれは最後まで連れていかれてしまうという危惧の表明だった。戦争を体験し愛国に振り回された軍国少年であったればこその魂の叫びだった。私も当時、身一つで抗うている吉本に共感し、この本を買い求めた記憶がある。
このように全編箴言に満ち溢れている。本当にその死が惜しまれる。合掌。