読書日記

いろいろな本のレビュー

骨が語る兵士の最期 楢崎修一郎 筑摩叢書

2018-08-28 15:07:32 | Weblog
 楢崎氏は本書における自己紹介の項によると、自然人類学の専門家で、これまで、シリア・ケニア・アメリカ・インドネシア等で古人骨の発掘調査に携わった経験から、戦没者の遺骨を鑑定する人類学専門員として日本人類学会より推薦され、2010年厚生労働省の人類学専門員に就任した。さらに、2017年からは日本戦没者遺骨収集推進協会の人類学専門員に就任し、これまで厚労省時代に14回、推進協会時代に3回の合計17回、遺骨収集現場に派遣された。行先は樺太への1回を除いてすべて太平洋地域である。サイパン島、ペリリュー島、テニアン島など激戦の地が多い。本書のリードによると、太平洋戦争における日本人の海外での戦没者240万人のうち113万人遺骨がいまだに見つかっていないとのこと。著者は旧日本軍兵士及び民間人約500体の遺骨を鑑定してきた実績を持つが、氏が現場の島々の発掘調査の現場でさまざまなトラブルを乗り越えて、骨の特徴分析・DNA鑑定や戦史記録から身元を割り出すプロセスを描いている。
 遺骨収集と言っても、ただ骨だけを持って帰るのではなくて、兵士か民間人か、男か女か、米兵か日本兵かを確定し、焼骨の儀式をした上で持ち帰るという気の遠くなるような話なので、これは大変な仕事だと思った。現地の人々の許可を得るのも苦労があるようだ、収集に際してお金を要求されるなど、収集に対する温度差の違いがあって、一筋縄ではいかない。
 それぞれの島での発掘の状況は戦争の悲惨さを改めて実感させるものばかりだが、とくに第4章の「玉砕の島々」、第5章の「飢餓に苦しんだ島々」は読んでいて胸が痛む。それぞれに銃殺された兵士の遺骨を発掘しているが、第4章ではアメリカ兵に射殺された日本兵士の遺骨の分析が涙を誘う。場所はマーシャル諸島クエゼリン環礁のエニンブル島、ここに米軍が上陸し、主に通信基地の軍人たちが島の北から本島のルオット=ナムル島へ脱出しようとして5人の日本兵が米軍に捕まって島の北海岸に集められた。彼らは海岸にあった10人の日本兵の死体を埋めるように穴を掘らされた。それが終わるとさらに砂浜を掘らせた。そして2人が銃殺され、残りの3人が2人を埋葬。その後、3人が銃殺されたのだが、覚悟を決めた3人が声をそろえて「天皇陛下万歳!」叫び、両手を強く上に挙げた瞬間、銃殺された。ところが3人の真ん中の人物は絶命しておらず、両手を手前に動かした。米軍将校が拳銃をホルスターから取りだし、後頭部にとどめの銃撃を加えた。米軍将校は最後に米軍兵士に命じ、3人の体に砂をかけさせた。これが両手を上に挙げたままの遺骨から読み取った著者の推論だ。なぜ「お母さん」ではなくて「天皇陛下万歳」なのか、という反論には、「お母さん」と言って両手を挙げるのはいくらなんで不自然で、ここはやっぱり、「天皇陛下万歳」であろうという。5体の遺骨からこれだけのストーリーを再現できるとは。まるで映画のようだ。同時に悲しみが込み上げてくる。自分の墓穴を掘らされる、その時間の流れは破滅への序曲。これほどの苦痛はないがここで覚悟を決めた。こういう場面は本当に映画だけにしてほしい。そして第5章の銃殺された兵士は、軍の食料を盗ん事が原因と書いてある。ロクな食糧補給もしないで、盗んだから銃殺とは理不尽この上ない。理不尽と言えば、この戦争そのものが理不尽で、寅さんじゃないが、我々はまだまだ反省と後悔の日々を過ごす必要がありそうだ。
 この遺骨収集についてはもっと多くの国民が知って、協力できる体制を作ることが必要だと実感した。

読書という荒野 見城徹 幻冬舎

2018-08-15 10:48:37 | Weblog
 著者は幻冬舎社長で、もと角川書店の取締役編集部長。43歳で幻冬舎を設立し、多くのベストセラーを生んでいる。いわゆる「やり手」である。本書は氏の読書論だが、自分史と言った方がいいだろう。本の表紙に自分の写真をでかでかと出しているのが普通じゃない。それもただのポートレートじゃなくて、本に囲まれて仕事している姿で、こちらを向いているその視線は鋭い。表紙の見開きには「読書の量が人生を決める。本をむさぼり読んで苦しい現実を切り拓け。苦しくなければ読書じゃない!」著者と同世代の人間からすると「すいません。楽な読書ばかりして」と思わず謝りたくなるほどアツイ言葉が並べられている。各章の前にエピグラフがあるのだが、第一章「血肉化した言葉を獲得せよ」、第二章「現実を戦う〈武器〉を手に入れろ」、第三章「極端になれ!ミドルはなにも生みださない」、第四章「編集者という病」、第五章「旅に出て外部に晒され、恋に堕ちて他者を知る」、第六章「血で血を洗う読者という荒野を突き進め」とあり、これだけでも本書のテンションの高さがわかろうというものである。
 このエネルギーは那辺に由来するのか。氏は飲んだくれの父親を持ったことと自己の容貌にたいするコンプレックスをあげている。逆境を乗り越えるための自己修練の一助として「読書」があったということだろう。よって氏にとっては気晴らしの暇つぶしの読書は意味がないということになる。この辺の評価はなかなか難しいが、確かに氏の指摘するような面はあるだろう。氏は言う、「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」と。その心で編集者として作家に向き合いベストセラーを作り上げて来たのだ。氏の読書傾向は、大学時代の高橋和巳や吉本隆明は私と同じだが、それ以外それほど重なるものがない。村上龍、石原慎太郎、林真理子、山田詠美、百田尚樹などを編集者の立場で最高の評価を与えているが、残念ながら私には興味がない。これは本が売れるか売れないかという編集者の視点での評価ゆえのことだろう。
 石原慎太郎を口説くときには、彼の作品を空で言えるまで読んだという話には驚いた。大物に書いてもらうためにはそこまでやらないとだめらしい。編集者でそこまでやる人間は珍しいのではないか。いっそ、一般企業の営業部長でもやれば、よかったのかもしれない。でもこういうタイプの人間が大社長になれるかどうかはわからない。なぜなら先述のエピグラフのような世界観は普遍性がなく、下手をすると独りよがりになってしまうからだ。でも氏は自分の会社を作って社長になったのだから、好きなようにやればいいわけで、こちらがとやかくいう筋合いではない。氏のアツイ生き方がにじみ出た本書は自分史としてはよくできていると思う。

バッタを倒しにアフリカへ 前野ウルド浩太郎 光文社新書

2018-08-15 09:07:19 | Weblog
 名前の間に挟まっている「ウルド(Ould)」とは、モーリタニアで最高に敬意を払われるミドルネームで、「00の子孫」という意味らしい。モーリタニアの研究所長ババ氏から授かったのだという。本書はバッタの研究者である著者が、アフリカでバッタの大量発生によって農作物が食い荒らされ深刻な飢饉を起こしている現状を解決するため、モーリタニアに渡ってサバクトビバッタの生態を探るという一種の旅行記である。ただの観光旅行ではないところにこの本の存在意義がある。
 一読して今まで知らなかったことがいろいろわかってきた。まず、モーリタニアとはアフリカ西海岸のセネガル北部にある国で、正式名をモーリタニア・イスラム共和国と言い、イスラム教国家である。またバッタとイナゴの違いだが、イナゴはバッタ科の一種でバッタの中に含まれるということ。またバッタの幼虫は仲間が少なく密集していない場合は「孤独相」と呼ばれる単独行動を行なう普通の成虫に成長する。一方、密集し過ぎてしまうと集団行動を行なう「群生相」と呼ばれるタイプに成長する。これを「相変異」と呼ぶ。群生相のバッタは孤独相に比べて後ろ足が短く、翅が長くなる傾向にあり、高い飛翔力を得るのだ。なるほど、この「群生相」があちこち飛び回って植物を食い荒らすわけだ。
 このバッタの実地調査でモーリタニアに渡った著者の現地での奮闘と交遊をユーモラスに書いており、読んでいて退屈しない。そして本書の通奏低音になっているのが、ポスドク(博士研究者)の問題である。ポスドクは博士課程修了後、常勤の研究者に就く前に任期付きの契約で研究を続ける者の事で、博士号(理系)を持っていてもなかなか常勤の就職先が見つからないという日本の状況を著者自身の体験を踏まえて問題提起している。幸い著者は人類に貢献しそうな研究内容が認められて、京大白眉センター特定助教から国立研究開発法人・国際農林水産業研究センター研究員の地位を勝ち取ったことはご同慶の至りだが、並みの苦労ではなかったことが本書を読むとわかる。京大白眉センターの面接に文字通り眉毛を白くして行った下りは、一瞬ホンマかいなと思ったが、こういうシャレ心があるから苦しい下積みの状況を打破出来たのだろう。まあ一種の成功譚として読めないこともないが、嫌味がないのは著者の人徳に依るのだろう。
 結局、サバクトビバッタの大群との遭遇はなかなか実現せず、最後に一回あっただけで、研究はこれからという状況だ。今後の成果を期待しよう。

武士の日本史 髙橋昌明 岩波新書

2018-08-01 10:23:56 | Weblog
 民間に流布する「武士」のイメージと言えば、「正々堂々真っ向勝負」と言いつつ、「武士道」を奉じて死を恐れず刀を振るって切り結ぶというものを思い浮かべることが多いが、これは本当かという素朴な疑問から本書は始まっている。著者によると、中世の文献『普通唱導集』(14世紀初頭に完成)には、武士は遊女・白拍子・鼓打・猿楽・琵琶法師と並んで芸能人に分類されているのだそうだ。そして武士は、武という芸(技術)によって自他を区別する社会的存在であるだけではなく、「ツワモノの家」「武芸の家」「武器の家」などと呼ばれる、武芸を家業とする特定の家柄の出身でなければならなかった。このような武士は平安前期の頃から存在していた。その後、乱鎮圧の功績で、源氏・平氏・秀郷流藤原氏などは貴族として朝廷に入り、彼等が身につけた鎧・甲は朝廷のある京都で作られたのである。
 著者は、武士の武器・武具が貴族社会の産物であるのは、武士が天皇の周辺や貴族社会の中から生まれたという発生の経緯のせいばかりではなく、武士が天皇や朝廷の権力を「代表的に具現」していたからだという。「代表的に具現」とはユルゲンハーバーマスの言葉で、要は社会全体が危機に陥った時、天皇や朝廷はそれらを、普遍的利益(公共性)の名のもとに、抑止・制圧する姿勢が求められる。その時武士が、美々しい大鎧を身にまとい、貴族的に飾り立てた馬に跨り、太刀を帯び弓を引っ提げて現場に現れれば、人々は目に見えない朝廷の医師が、形を取ってそこに示されていると理解するということである。
 鎌倉時代に武家政権が誕生して貴族から武家に国家権力の中心が移行し、それが700年に渡って続き、日本は「武国」になったという教科書の記述訂正を要するというのはなかなか興味深い。そもそも鎌倉時代の都や西国の人間にとっては、幕府のお陰で平穏な世の中になったが、彼らは東国はなお「夷」「東夷」の世界で、西国こそ王朝貴族が支配する日本国の主体だと考えていたから、「武国」とひとくくりにはできない。また元寇時以外は、比較的平和な時代が続き、軍事的脅威が自覚されない時代であった。こうした中で武士が成長して行って、日本が「武国」になったということはできない。武士は刀を振り回して敵を殺傷するというより、魔よけや行財政マンとしての役割の方が大きかったと著者はいう。前者の例として、宮廷に仕える滝口の武士をあげている。滝口の武士は宮廷内の警護をするのが仕事だが、彼らの仕事で重要なのは鳴弦である。これは弓に矢をつがえず、張った弦を手で強く引いて鳴らすことで、弦打とも呼ばれる。弓は武勇の象徴だけでなく、邪霊を払い眼にみえぬ精霊を退散させる呪具としても用いられた。滝口は蔵人所職員の立ち合いのもと、弓の技量をテストされ採用された。武士の血統と技量があればこそ、悪霊を退散させることができたと考えたのであろう。後者の例としては江戸時代の武士を例にとればわかりやすい。すでに徳川幕府によって戦乱の可能性はなく、武士が武器を取って闘うことはなくなった。武士は官僚に成らざるを得ないのである。こうした中で『葉隠』のような武士道を鼓吹するような書物が現れる。全編いかに死ぬかという内容で、フアナティックな感は否めないが、これも平和であればこそのアンチテーゼだが、花火のようなもので消え去るしかなかったのだ。
 しかし、昭和以降この武士道が悪い意味で敷衍されて、戦争賛美の手段として使われた事を我々は忘れてはならない。すると、あとがきにある、サッカーの「侍ジャパン」や「なでしこジャパン」のネーミングに対する著者の物言いも同感できる。日本は「武国」ではないのだ。