読書日記

いろいろな本のレビュー

赤と青のガウン 彬子女王 PHP文庫

2024-08-21 10:59:14 | Weblog
 本書は女性皇族による英国留学記で、10年前の単行本を文庫化したもの。現在30万部を超えるベストセラーとなっている。SNSである女性が内容が面白いと絶賛したことがきっかけで人気が広まり、文庫化されることとなった。中身は三笠宮家の彬子女王が5年間オックスフオード大学に留学して、日本美術研究をテーマに大学院博士課程を修了するまでの生活を振り返ったもので、皇族の生活の一端が垣間見ることができて大変興味深いものであった。「赤と青のガウン」とは博士課程を修了した者が卒業式で身にまとうことができる、まことに名誉なものらしい。博士論文を英語で書いて、論文審査に通ったということは並大抵の努力ではなかったろうと推察する。実際本書で、彬子女王は博士論文性胃炎で七転八倒したとユーモアたっぷりに書いておられる。

 本書のポイントは故エリザベス女王にバッキンガム宮殿に招かれて約1時間に及ぶ女王陛下と二人きりでアフターヌーン・ティーをした場面だ。「何をお話ししたかはぼんやりとした記憶しかない。でも、女王陛下が本当にお話し上手で、緊張している私のためにいろいろな楽しいお話をしてくださったこと、そしてお孫さまのウイリアム王子やヘンリー王子のお話をなさるときは、本当に柔和なおばあちゃまのお顔になられることがとても印象に残っている」と回想されている。全編平易な語り口でイギリス生活のあれこれが書かれており、読者は大いに関心を持って読んだことだろう。私が個人的に興味深かったのは「理解できない英国のあれこれ」の項の、「水と熱湯」のくだりだ。英国の水道の蛇口は二つあって、それぞれ水とお湯が出る仕組みになっている。日本のように水とお湯が混ざって一つの蛇口から出てくる仕組みになっていないそうだ。よって食器を洗う場合シンクに栓をして、お湯と水を調整しながら溜め、食器用洗剤を溶かして、その中でスポンジを使って洗い、洗剤の泡が付いたまま水切り籠に置き、そのまま布巾で拭いてしまうとのこと。これが蛇口二つの理由らしい。日本のように洗剤をきっちり洗い流す習慣はないとのこと。著者は最初これを見て驚愕したと述べている。以前イギリス映画を見た時、洗った食器を家族が丁寧に布巾で拭いていてヘーと思った記憶があるが、これだったんだと合点がいった。

 彬子女王は三笠宮寛仁親王と信子妃の第一女子で、寛仁親王は三笠宮崇仁親王(昭和天皇の弟君)と百合子妃の第一男子である。三笠宮崇仁親王はオリエント学者としても有名で『帝王の墓と民衆 オリエントのあけぼの』(光文社1957年)の著書がある。たまたま我が家の古い本だなを整理していて見つけたものだが、奇遇である。寛仁親王は2012年6月6日、66歳で薨去された。本書の末尾に「父・寛仁親王の思い出」として特別寄稿されている。ずいぶんと破天荒なお方だったようだ。それだけに彬子女王のお悲しみも一入だったと推察申し上げる。でも今はこうして著書がベストセラーになり、最近は高校野球のフアンとして開場100周年を迎えた甲子園球場で朝日新聞の取材に応じられるなど活躍されている。皇室に関しては毀誉褒貶あるが、象徴天皇制の維持のためにも頑張っていただきたい。

「モディ化」するインド 湊一樹 中央公論新社

2024-08-07 09:20:59 | Weblog
副題は「大国幻想が生み出した権威主義」。インドについてはカースト制の話はいろいろ書籍化されているが、それに比べて政治についてのものは少ない。本書は現下のインドでモディ政権が行っている強権政治の実態をつまびらかにして、「大国インド」の実相を明らかにした好著である。

 まず著者の結論を言うと、冒頭の8ページに、「世界最大の民主主義国」であるインドが「超大国」への道をひた走っているという見方は、あまりにも現実離れしていると言わざるを得ない。インドが経済や外交・安全保障の分野で困難に直面しているのは、現政権の政策に根本的な原因があると多くの専門家が指摘しているとある。そうだったのか。日本のメディアはこのことに触れることは少なく、したがって国民もインドの現況についての知識がない。これは日本国の現政権のスタンスによるのだろうが、「IT大国インド」が喧伝されるばかりで、モディ政権の政策についての報告は聞いたことがない。そもそもナレンドラ・モディ首相とはいかなる人物か。

 彼はインド西部の北グジャラートのメサーナ地区にあるワタナガルで生まれた。貧しい紅茶売りの子で、上位カーストに比べて社会進出や教育水準で遅れているその他後進諸階級の生まれである。現在74歳。その彼が首相の地位を獲得することができたのは、若い頃からヒンドウー至上主義の中心的組織である民族奉仕団(RSS)で活動して認められたことに起因している。インドの宗教についていうと、ヒンドウー教79,8%、イスラム教14.2%、キリスト教2.3%、シク教1.7%、仏教0,7%、ジャイナ教0.4%という内訳になっており、ヒンドウー教は圧倒的多数派だ。その強い影響下にあるのがモディ首相で、ヒンドウー至上主義の主流化は必然的に民主主義の形骸化をもたらす。中でもイスラム教徒に対する弾圧は座視できないものであるが、現政権は平然と暴力をふるっている。一般的に言って宗教的対立は暴力を誘発しやすく、政治体制がこれをコントロールするのは難しい側面がある。民主主義の原則は「話し合い」だが、それを抜きにした暴力の行使は、この一点で「世界最大の民主主義国」の看板は下ろさざるを得ない。

 このインドを西側の「普遍的価値を共有」する国と認めてよいのかということについて、著者はそれは説得力がないという。なぜならインドはウクライナ戦争をめぐって、国連でのロシアに対する非難決議では棄権を繰り返しているし、西側諸国が主導する経済制裁に加わらないどころかロシア産原油を安い価格で大量に購入し続けているからだ。インドにしてみれば外交的には中国との軋轢、隣国パキスタンとバングラデシュとの関係等々、内政的には宗教・貧困問題と課題山積の中で、どう舵を取るか苦慮する中での対応で、批判は無用ということだろう。しかし本書に書かれている政権の強権的施策は、中国共産党のやり方と相通ずるものがあり、とても民主主義的とはいえない。

 最後に著者は、インドについての現実離れしたイメージが大手を振ってまかり通る現実を何とかしなければならないとしながらも、逆に本当のインドを知ることの困難さも指摘している。日本にとって遠い国なのかもしれない。しかし今後重要な国になることは確かだ。