読書日記

いろいろな本のレビュー

平等バカ 池田清彦 扶桑社新書

2021-10-28 17:35:57 | Weblog
 池田氏は生物学者で、山梨大学教授から早稲田大学教授を経て定年退職。最近はテレビのコメンテーターとして活躍している。前に『本当のことを言ってはいけない』(角川新書)を読んで、今回は二冊目。傾向としては、呉智英や菜摘収の系統に分類できる人物かなと思う。ただし池田氏は生物学の見地からコメントするのが、他の二人とは味わいが異なる。本書の副題は「原則平等に縛られる日本社会の異常を問う」で、横並び社会の欠点をあぶりだしている。

 先般ノーベル物理学賞を受賞されたプリンストン大学の真鍋淑郎氏は、日本に帰りたくない理由として、協調を求められる社会風土が嫌だからと述べておられた。ハーモニーを大事にする社会とは自分は相いれないという強烈なコメントだった。事程左様に自由人にとってこの国は息苦しいのであろう。私など市井の一庶民だが、テレビをつけるとどの局も同じような内容のものばかりで本当にあきれてしまう。これだけバカなことを垂れ流していたら権力に対する批判精神はなくなり、権力側の好都合な人間が大量生産されて、政府の思うつぼである。

 一読して著者の言うことは大筋で首肯できる。第一章の「コロナ禍と平等主義」では、全国一斉休校措置がやり玉にあげられている。休校の根拠に乏しい政治的判断の甘さがこの愚策に結実した。こうやっとけば不公平感が解消されて文句が言いにくいだろという判断だ。こうやって平等にやっておけば手間がかからないからだ。国や役人の仕事が軽減されるから都合がいい。

 第二章「見せかけの平等が不公平を生む」では、国立大学の授業料の高さが問題視されている。私立大学との差が大きいと公平感に欠けるというのが理由なのだろうが、著者曰く、「税金を使ってまで国立大学まで通わせて、それなりに教養がある知識人を増やしたところで、資本主義にはたいして役に立たないばかりか、政府の政策にいちいち文句をつける、反政府分子になる恐れのほうが強い。だったら授業料を高くして、貧乏人を遠ざけてしまおうという魂胆だったのだろう」と。これはまさに全共闘世代の著者ならではの発言と推察した。

 第三章「人間はもともと不平等」では、平等主義の教育が才能ある子供をつぶしているとか平準化は教育になじまない等々、教育現場に身を置いての経験則から発せられたものが多く、正鵠を得ている。ジェンダー平等の議論にしても、女性は平均値として、生まれながらにして料理や子育てに向く、何らかの能力を備えており、力仕事は身体的特性からして男性に向いているのは間違いないし、数学者や論理学者、あるいは哲学者に男が多いのも脳の仕組みと無関係ではないと述べ、ここを押さえておかないとなんのためのジェンダー平等かわからなくなると強調している。同感である。その他、第四章「平等より大事なのは多様性」、第五種『「平等バカ」からの脱却』と続くが、ネタばらしをすると読む楽しみが薄れるので、あとは読んでいただきたい。「目からうろこ」の話が面白い。

 原則平等の日本社会だが、格差は広がるばかり。これを解消するのが政治家の課題だが、時の首相は富裕層の課税を実行すると総裁選で公言したにも関わらず、衆院選の前にこれを翻した。新自由主義からの撤退と言うが、具体策は提示されていない。今度の選挙で国民はどのような審判を下すのだろうか。選挙権は国民に等しく与えられた権利であるが、この「平等」を放棄する国民が多いことを著者は憤っている。平等を言い募るだけでなく、実践することが必要だ。

アンゲラ・メルケル マリオン・ヴァン・ランテルゲム 東京書籍

2021-10-17 14:18:17 | Weblog
 副題は「東ドイツの物理学者がヨーロッパの母になるまで」で、著者は1964年、パリ生まれの女性ジャーナリスト。『ル・モンド』元記者。普通フランス人はドイツ人をほめないものだが、ここではメルケルを褒めている。同じ女性としてのしてのシンパシーがあるのかもしれない。メルケルは1954年生まれで、現在67歳。16年間ドイツ連邦の首相を務め、今年引退する。16年間首相の地位に座り続けるのは、独裁国家でも並大抵ではない。中国の習近平でもまだ10年だ。彼は終身主席の地位にいることを目指しているが、その苦労は並大抵ではない。いつ寝首を掻かれるかわからないからだ。毎日が恐怖の連続で、疑心暗鬼に陥り理不尽な粛清を繰り返すことになりかねない。ロシアのプーチン然り。民主国家のドイツでしかもEUの盟主としてこれだけの期間、首相を務めたことは、やはりリーダーとしての指導力があったからだ。一年で首相を辞めたどこかの国の御仁とは出来が違う。本書を読んで、リーダーとしての資質とは何かということを考えさせられた。本書によって日本の政治家の欠点が逆照射されるのが面白い。

 メルケルは1954年7月、西ドイツのハンブルグで生まれた。父親はプロテスタントの牧師で、メルケルが生まれた年に西ドイツから東ドイツに移住した。共産主義国家で牧師という仕事は困難を伴うにもかかわらず、宗教的信念で赴任したようだ。1973年ライプツィヒ大学(カール・マルクス大学)で物理学を専攻。1990年、東西ドイツ統一後、第四次コール内閣で女性・青少年相。2005年に歴代最年少で初の女性首相になった。彼女の政治手法は複雑な案件でも可能な限り詳細に検討して、話し合いで解決する。そこに強固な倫理観が一本筋として通っているというものだ。そして金銭に恬淡で地位名誉にこだわらないという性格がある。これは牧師の娘として東ドイツで育ち、物理学を専攻した経歴に負うところが多いと書かれている。これだけでも日本の政治家とは大違いであることがわかる。

 メルケルは福島原発事故の後、三か月の原子力モラトリアム、2022年末までのドイツの原発を停止した。また難民の受け入れも、強い反対があったにも関わらず、積極的に行った。その他毀誉褒貶があるものの自分の信念に従って進んで行った。ムッターと言われる所以である。そして最も印象的だったのは、2020年12月9日の連邦議会でのコロナ感染拡大抑制対策として、行動の抑制を国民に訴えた演説だ。「心の底から、誠に申し訳なく思います。しかし、私たちが払う代償が、一日590人の命だとすれば、私には受け入れられません」と述べ、詳細な説明を加えながら、感染予防のための行動制限を守るようにドイツ国民に呼びかけた。「いかにつらくともーーホットワインやワッフルの屋台を皆さんがどれほど楽しみにしているか、私にはわかっていますーー、飲食はテイクアウトにして家で味わうことのみにすることへの合意が何より大事なのです。この三日間に解決を見出すことができなかったなら、百年に一度の出来事を後世の人々が振り返ったときに何と言われるでしょうか?」と普段は見せない感情的なしぐさに国民は感動した。著者曰く、「この時の演説は政治家というより、牧師の者だった」と。私は「ホットワインやワッフル」という具体的な市民の愛するもの持ってきたのが非常にうまいと思う。そしてそこにドイツの豊かな市民生活が想像でき、やはりヨーロッパの先進国だなあと感心した。

 この演説に比べて我が国の首相の言葉はどうだったか。八百長の記者会見でもまともに記者の質問に答えられず、ぶら下がりの会見でも痛いところを突かれて、畳みかける同じ記者にいちいち名を名乗れとブチ切れて、後ろに控えていた女性の広報官に「きちんと注意してください」と色をなして𠮟りつけていた。見ちゃいられない場面だった。これを民放では流したが、NHKは流さなかった。けしからん話である。今回の総選挙でNHKをつぶす云々の党が出ているが、一定程度の支持を得られるのではないかと思う。権力側のプロパガンダになってしまっているからだ。そのようにしたのも「ワクチン百万回」の前首相である。権力の乱用を屁とも思わぬ首相が二代続いたことで、この国は三流国に転落しつつある。その詳細は『権力は腐敗する』(前川喜平 毎日新聞出版)参照されたい。

 この国の現状をメルケルの事跡と照合すれば、そのひどさがわかる。本書の刊行はその意味でタイムリーと言える。今回の衆議院選挙で、国民はどのような判断を下すのか、民度が問われる。


 

戦国の村を行く 藤木久志 朝日新書

2021-10-05 10:05:05 | Weblog
 本書は1997年刊の朝日選書の同題の書を改定したもの。解説・校訂は明治大学教授の清水克之氏。腰巻解説・惹句によると、戦国時代の戦場には、一般の雑兵の他、「濫妨衆・濫妨人・狼藉人」といったゲリラ戦や略奪・売買のプロたちが大名軍に雇われ、戦場を闊歩していた。戦場の惨禍の焦点は、身に迫る奴隷狩りにあったという。これに対して村の人々や領主は、どう対処したのか。したたかな生命維持装置としての村とは何かというのが本書のテーマで、誠に興味深い。

 「戦国の村」と言えば、黒澤明監督の「七人の侍」を思い出す。野武士に襲われる百姓たちが、それに対抗するために七人の武士を雇って村を守るという内容だった。最後の方で村の老婆が落馬した野武士を棒でしたたかに打ち付ける場面が印象的で、積年の恨みを晴らさではおくまいという執念を感じさせた。結局村人たちの勝利に終わるのだが、実は戦国の村では武士を雇うどころか、自分たちで武器を持って戦っていたようだ。戦国時代は人心が殺伐として人殺しは日常的に行われていた。村と村の対立抗争も頻繁に起きていた。その中で、村では城を作っており、いざ敵に襲われそうになると、村の屈強な若者たちは村の城に籠り、残った村人は家財を牛馬に積んで非難していた。また村の安全を守るために大金を払っていたということも指摘されている。和泉の国の日根野に根来寺の僧兵が乱入しようとしたとき、村役人たちは根来寺に乗り込んで折衝したが、この時大金を積んで乱入を食い止めたらしい。

 私たちは戦国時代というと、大名の動向や生活ぶりばかりに目を奪われているが、農民の側に視点を移すと彼らは大変な苦労をしていたことがわかる。村は村で強固な統治機構・官僚組織に似たものを作り上げていたようだ。例えば、村どうしの争いが起きたとき、敵方の村へ危険な交渉に行って、もし村の身代わりになって殺されたら、その者の跡取り息子には、雑税を村として長く肩代わりする。村が周到な補償システムを作り上げていたのだ。また村どうしの水争いで激しい戦闘になり、豊臣秀吉から、関係した八十三人がはりつけにされるという騒ぎになった。その時、それぞれの村を代表して処刑されたのは、村の庄屋ではなく、村に養われていた乞食たちが身代わりにされた。乞食たちは身代わりの代償に、村中での身分の扱いを高めて末代までの生活保障を要求したという。このように中世の村は、いざというときの身代わりのための「犠牲の子羊」を普段から村で養っていた。その多くは名字もなく、普段は村の集まりにも入れない、乞食などの身分の低い人々や、牢人と呼ばれた流れ者たちであったらしい。この背景を見ると「村八分」という言葉が非常にインパクトがあるように思えてくる。

 また興味深いのは、村で盗難が起こった時、これを投票によって決めていたという。これを「入れ札」というのだが、あの人が怪しいといって投票するのである。これは百姓のみならずその小作人も投票して、札が多く集まった者は村から追放されるというのだが、なんともすさまじい掟である。逆にいうと村を常に戦う集団として位置づけるための戦略であったのかもしれない。国の末端組織の村であるが、その生命維持装置はただものではない。