またまたYouTubeを見ていたら、
おもしろい動画があった。
私は魔法使いだと言う人がいたのです。
その人は本当はマジシャンである。
マジックは種も仕掛けもあるもの。
観客は初めからそれを承知してる。
だからのマジシャンであると。
ということなら、
それが決してバレないなら、
魔法使いと言ってもいいと。
まあ嘘も方便ということか。
てかそうこともだが、
彼のすることが、
結果として見ているものに、
決定的な効果があり、
現実として表われたら、
それはもう魔法であると。
つまり心のスイッチを押すことができたら、
それはもう立派な魔法だと。
言い得ての妙、
なるほどと思った。
・・・・・
それを思えば、
人間はまさに魔法使いである。
言葉を持たない生き物は言うだろう、
あんたがたこそマジシャンであり魔法使いだと。
言葉なき生き物が言うとは?ですが。
でも現にそうだろう。
鉄の塊が誰よりも速く走る、
鉄の塊が空を飛び宇宙に飛んでいく、
天にも届く建屋を造ろうとする、
海水を真水にする、
気象を動かそうとする、
果ては遺伝子をも改変する、
その為すこと最早魔法のごとし、
なぜならそれらはすべて現実だから。
だがこの魔法には種がある。
それは言葉である。
言葉がそれらの根っこにある。
言葉がすべてを差配している。
だが余りに当り前過ぎてか、
そのことにヒトは気付かない。
だから私は言うのです、それを知ろうと。
言葉とはそういうものだと。
人間は同時にマジシャンである。
種が言葉であるのは魔法使いに同じ。
それは現実に無いものを見せるのである。
それを幻想(イリュージョン)と言うのだが。
これは現実にはなく脳内にだけあるもの。
すでに言ってきた虚構のことである。
これはその構えが大事なのです。
マジシャンなら「その構え」を、
さすればそれはエンターテイメントとなる。
それが魔法使いの構えなら、
幻想を現実と混同させたら、
それは真っ赤なウソになる。
そこを見極める必要がある。
でないと騙される。
騙されるとは他人に騙されるが本意だが、
それがときに自分で自分を騙すことにも、
より深刻なのはこちら。
ということだが、
ともかくも、
マジックならマジックと言おう、
さすればそれはエンターテイメントになる、
ときにそれは未来を照らす灯りともなる、
そしてそれは「今」を輝きの時とする。
・・・・・
思えば、
人間はマジシャンであり魔法使いである。
言葉という種を持っているから。
ときにそれは人を闇に突き落す。
中世ヨーロッパで起こった悍ましい事件、
人が魔女を火炙りにしたと言う。
これは言葉という種を利用して、
目ざわりな女性を魔女に仕立て、
火炙りにして殺したというもの。
裁判という形を取ってはいるが。
先に「人が魔女」をと言ったが、
話は真逆で、
実際は魔法使いが人(女性)を殺したのです。
闇に突き落とされたのは件の女性もだが、
実はそれを先導した魔法使いの方であり、
同時にそれに巻き込まれた偽善者もです。
とか思うのだが、
これはまさに現今の構図に同じ。
言葉という種を利用して目ざわりな人を貶め排除する。
ときの言葉は自由や平等それに人権とか。
極めつけは差別という言葉です。
これらを無節操に使い回し言いたい放題。
それらは実ではなく脳内の幻想。
だからマジシャンと言うべきか。
それはどちらでもいいが、
ともかくも欧米は、
中世の時代から一歩も進んでいないよう、
未だ闇の中を彷徨う。
それに又思うのです。
幻想ではなく文明は現実になっているが、
そこではその魔法が縦横無尽に躍動する。
その技の余りの凄さに彼らは神を遠ざけてしまった。
彼らはそれを己の力で創っていると錯覚。
実は何も創っていないのに。
彼らは神の「こと」を知り、
それを僅かばかり再現しているだけ、
そのことに気付いていない。
すべては自然の力なのです。
現に細胞の一つも創れない。
出来るのは試験管の中での培養だけ。
神の「こと」は決して超えられない。
魔法使いと雖も限界があるのだ。
なのに彼らは神を遠ざけた。
現在の混乱はすべてここに。
それを思うのです。
・・・・・
この種(言葉)は大きく二つに分けられる。
これは私の分け方であって一般的ではない。
一つは現実に届くもの、
一つは幻想に終るもの。
魔法とマジックの違いである。
彼らは今その種の取り扱いで、
その区別が曖昧になっている。
そして幻想を現実だと言って憚らない。
そういう呪文を唱えている。
私にはそれが聞こえてくる。
もう耳に付いて離れません。
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素(電気自動車)
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素(電気自動車)
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素(電気自動車)
鬱陶しい限りです、
参ってます、
嗚呼!
おもしろい動画があった。
私は魔法使いだと言う人がいたのです。
その人は本当はマジシャンである。
マジックは種も仕掛けもあるもの。
観客は初めからそれを承知してる。
だからのマジシャンであると。
ということなら、
それが決してバレないなら、
魔法使いと言ってもいいと。
まあ嘘も方便ということか。
てかそうこともだが、
彼のすることが、
結果として見ているものに、
決定的な効果があり、
現実として表われたら、
それはもう魔法であると。
つまり心のスイッチを押すことができたら、
それはもう立派な魔法だと。
言い得ての妙、
なるほどと思った。
・・・・・
それを思えば、
人間はまさに魔法使いである。
言葉を持たない生き物は言うだろう、
あんたがたこそマジシャンであり魔法使いだと。
言葉なき生き物が言うとは?ですが。
でも現にそうだろう。
鉄の塊が誰よりも速く走る、
鉄の塊が空を飛び宇宙に飛んでいく、
天にも届く建屋を造ろうとする、
海水を真水にする、
気象を動かそうとする、
果ては遺伝子をも改変する、
その為すこと最早魔法のごとし、
なぜならそれらはすべて現実だから。
だがこの魔法には種がある。
それは言葉である。
言葉がそれらの根っこにある。
言葉がすべてを差配している。
だが余りに当り前過ぎてか、
そのことにヒトは気付かない。
だから私は言うのです、それを知ろうと。
言葉とはそういうものだと。
人間は同時にマジシャンである。
種が言葉であるのは魔法使いに同じ。
それは現実に無いものを見せるのである。
それを幻想(イリュージョン)と言うのだが。
これは現実にはなく脳内にだけあるもの。
すでに言ってきた虚構のことである。
これはその構えが大事なのです。
マジシャンなら「その構え」を、
さすればそれはエンターテイメントとなる。
それが魔法使いの構えなら、
幻想を現実と混同させたら、
それは真っ赤なウソになる。
そこを見極める必要がある。
でないと騙される。
騙されるとは他人に騙されるが本意だが、
それがときに自分で自分を騙すことにも、
より深刻なのはこちら。
ということだが、
ともかくも、
マジックならマジックと言おう、
さすればそれはエンターテイメントになる、
ときにそれは未来を照らす灯りともなる、
そしてそれは「今」を輝きの時とする。
・・・・・
思えば、
人間はマジシャンであり魔法使いである。
言葉という種を持っているから。
ときにそれは人を闇に突き落す。
中世ヨーロッパで起こった悍ましい事件、
人が魔女を火炙りにしたと言う。
これは言葉という種を利用して、
目ざわりな女性を魔女に仕立て、
火炙りにして殺したというもの。
裁判という形を取ってはいるが。
先に「人が魔女」をと言ったが、
話は真逆で、
実際は魔法使いが人(女性)を殺したのです。
闇に突き落とされたのは件の女性もだが、
実はそれを先導した魔法使いの方であり、
同時にそれに巻き込まれた偽善者もです。
とか思うのだが、
これはまさに現今の構図に同じ。
言葉という種を利用して目ざわりな人を貶め排除する。
ときの言葉は自由や平等それに人権とか。
極めつけは差別という言葉です。
これらを無節操に使い回し言いたい放題。
それらは実ではなく脳内の幻想。
だからマジシャンと言うべきか。
それはどちらでもいいが、
ともかくも欧米は、
中世の時代から一歩も進んでいないよう、
未だ闇の中を彷徨う。
それに又思うのです。
幻想ではなく文明は現実になっているが、
そこではその魔法が縦横無尽に躍動する。
その技の余りの凄さに彼らは神を遠ざけてしまった。
彼らはそれを己の力で創っていると錯覚。
実は何も創っていないのに。
彼らは神の「こと」を知り、
それを僅かばかり再現しているだけ、
そのことに気付いていない。
すべては自然の力なのです。
現に細胞の一つも創れない。
出来るのは試験管の中での培養だけ。
神の「こと」は決して超えられない。
魔法使いと雖も限界があるのだ。
なのに彼らは神を遠ざけた。
現在の混乱はすべてここに。
それを思うのです。
・・・・・
この種(言葉)は大きく二つに分けられる。
これは私の分け方であって一般的ではない。
一つは現実に届くもの、
一つは幻想に終るもの。
魔法とマジックの違いである。
彼らは今その種の取り扱いで、
その区別が曖昧になっている。
そして幻想を現実だと言って憚らない。
そういう呪文を唱えている。
私にはそれが聞こえてくる。
もう耳に付いて離れません。
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素(電気自動車)
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素(電気自動車)
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素(電気自動車)
鬱陶しい限りです、
参ってます、
嗚呼!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます