欧米はキリスト教国である。
聖書の民である。
なのだが、
欧米の基底はギリシャ・ローマである。
キリスト教国となったのは、
ローマ時代の中頃以降からである。
そこにジレンマがある。
・・・・・
ギリシャはロゴスの国である。
言葉を使い真理を極めようとする。
哲学者のアリストテレスやプラトン、数学者でもあるピタゴラス、
等々諸々の知者を輩出した。
言葉は人のものであり、それを駆使したのである。
それが欧米をして近代文明を開かせた。
ところがである。
聖書では言葉は神なのである。
神聖なものなのだ。
この世界を創ったのは神であり、
それも言葉でもって。
またイエスの弟子であるヨハネは言う。
その福音書の冒頭で、言葉は神だと。
言葉はあくまでも神との交信において使うものである。
神の言葉を預かること、
神に言葉を伝えること、
において。
前者は選ばれた者、預言者にのみ与えられる。
後者は選ばれた者、祭司が執り行う。
・・・・・
ここにジレンマがある。
言葉は人のものか神のものか。
その間で揺れる。
だからである。
本来信仰の民である欧米人の中に揺らぎが現れる。
自らの信仰に疑問を持つのである。
そして信仰を外に求めようとする。
それは多くはインドであり、
ときに日本である。
間違ってもシナはない。
もうひとつの揺らぎがある。
無神論である。
無神論は欧米人の中にこそ起こる。
信仰に対するアンチテーゼとして。
ちなみに日本人には無神論はない。
そもそも信仰が融通無碍で見えないから。
見えないとはつまりありすぎて見えないのだ。
ちなみにシナにもない。
そもそも神観念が無いのだ。
もとは有ったと思うのだが、今はまったく見られない。
信仰と祈りの無い不毛の国になってしまった。
・・・・・
ここに典型的な言葉がある。
一人はニーチェである。
彼は「神は死んだ」と言った。
もう一人はアインシュタインである。
大正時代に日本を訪れたのだが、
その時彼は言った。
「神に感謝します」
「この世界に日本という国を残しておいてくれたことを」
と。
この二つの言葉に欧米のジレンマが現れている。
と思っている。
聖書の民である。
なのだが、
欧米の基底はギリシャ・ローマである。
キリスト教国となったのは、
ローマ時代の中頃以降からである。
そこにジレンマがある。
・・・・・
ギリシャはロゴスの国である。
言葉を使い真理を極めようとする。
哲学者のアリストテレスやプラトン、数学者でもあるピタゴラス、
等々諸々の知者を輩出した。
言葉は人のものであり、それを駆使したのである。
それが欧米をして近代文明を開かせた。
ところがである。
聖書では言葉は神なのである。
神聖なものなのだ。
この世界を創ったのは神であり、
それも言葉でもって。
またイエスの弟子であるヨハネは言う。
その福音書の冒頭で、言葉は神だと。
言葉はあくまでも神との交信において使うものである。
神の言葉を預かること、
神に言葉を伝えること、
において。
前者は選ばれた者、預言者にのみ与えられる。
後者は選ばれた者、祭司が執り行う。
・・・・・
ここにジレンマがある。
言葉は人のものか神のものか。
その間で揺れる。
だからである。
本来信仰の民である欧米人の中に揺らぎが現れる。
自らの信仰に疑問を持つのである。
そして信仰を外に求めようとする。
それは多くはインドであり、
ときに日本である。
間違ってもシナはない。
もうひとつの揺らぎがある。
無神論である。
無神論は欧米人の中にこそ起こる。
信仰に対するアンチテーゼとして。
ちなみに日本人には無神論はない。
そもそも信仰が融通無碍で見えないから。
見えないとはつまりありすぎて見えないのだ。
ちなみにシナにもない。
そもそも神観念が無いのだ。
もとは有ったと思うのだが、今はまったく見られない。
信仰と祈りの無い不毛の国になってしまった。
・・・・・
ここに典型的な言葉がある。
一人はニーチェである。
彼は「神は死んだ」と言った。
もう一人はアインシュタインである。
大正時代に日本を訪れたのだが、
その時彼は言った。
「神に感謝します」
「この世界に日本という国を残しておいてくれたことを」
と。
この二つの言葉に欧米のジレンマが現れている。
と思っている。