ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

コロちゃん

2022-10-31 08:28:45 | 日記・エッセイ・コラム
真打登場。
言わずもがなコロコロコロちゃんである。
あのコロナウイルスのことである。
ここ2~3年大いに賑してくれた。
やっと静かになってきた。
まだ予断はゆるさないが。
てかこれはコロちゃんが悪いのではない。
すべて人間の仕業である。
コロちゃんはコロちゃん、
ただそれだけのことです。
・・・・・
コロちゃんは人間がいるずっと前からいる。
時々おいたをするが、関係性を深めればなんとかなる。
よく言われるように、共生しているのです。
それを可能にしてるのは、
ヒトが持っている免疫力です。
免疫力がコロちゃんと話し合って折り合いを付ける。
人間から見れば要諦はここにある。
だから何よりも免疫力が大事だと。
ゆえにこの免疫力を維持すること、
できれば高められたらなお良いと。
そういうことかと。
ただ致死率が異常に高いとこれは問題である。
今回の問題の一つはここにあった。
当初は致死率が高いように見えた。
実際そのように見えていたのです。
ときに免疫力だけでは不安である。
ならば徹底的に避けねばならない。
そういう対策が必要になると。
さらに治療薬も必要かと。
たとえコロちゃんを除去できなくとも、
症状を軽くさせ命を維持できればいい、
ということであったかと。
そこでワクチンが大々的に登場した。
ワクチンも薬(の類)ではあろう。
でも直接治療するものではない。
感染しないよう助力するもの。
と言うことは、
これは免疫力に加勢するものです。
免疫力が無ければそも意味がない。
結局何を言いたいのか。
てか免疫力がすべてだということ。
自己免疫力がすべてだということ。
ワクチン万能の風潮は究極のウソ。
それを知っておこう。
・・・・・
ずっとそう思ってきた。
だからそこに注力してきた。
ワクチンは初めから打つ気なし。
実際打っていない。
まあ高齢に達しており現役でもないし、
社会的要請に向き合う必要もなかった。
それだから、
いつ死んでも不足のない年齢でもあり、
勿論感染しないよう注意はしていたが、
実にのん気なもんであった。
それはこれからも同じ。
だが非常に怒っていた。
緊急事態宣言とかいろいろ対策があったが、
それら一々に文句を言うつもりはない。
まあ試行錯誤ですから。
何に怒っていたかと言うと、
それはワクチンにです。
これには憤慨していた。
例え効果があったとしても本人の自由。
確かに直接的強制は無かったようだが。
それにしても、
当時もそして今も効果があるとは思えない。
それにあると言ったからかゴールを動かす。
感染しないから感染しにくいへ。
更に感染しても重症化しないへ。
検証しようもないのか、
言葉の言い換えばかり。
元をただせば、
そも自己免疫力の援軍でしかないのに、
それをまるで万能薬かのよう。
そんなもんを、
不安を煽り且つ脅しに脅して、
そこまでして打たせたいのは、
一体これは何なんだ。
ハッキリと説明しろ。
てか言っても無駄か。
・・・・・
そこにどんな目論見があるのか。
それをホントに知りたいのだが。
それはさておき、
コロちゃんには迷惑な話し。
シナ人に傷つけられて放り出され、
ちゃんと回収すればいいのに、
それができなくて大騒ぎ。
その騒ぎを利用して、
悪魔が動き出す。
そしてコロちゃんは悪者にされる。
おおかた濡れ衣だろうに。
コロちゃんに申し訳ない。
役不足のうえ当事者でもないが、
私がコロちゃんにお詫びします。
御免なさい。
てかなんか最近謝ってばかり。
まあいいか。

ベムちゃん

2022-10-24 09:07:54 | 日記・エッセイ・コラム
新聞を見てたら?な記事が出ていた。
性に関して固定観念を持つのは幼少期から、
という調査研究である。
某有名大学の調査です。
それを大新聞が載せていたのである。
一寸考えられないほどの、
実にバカバカしいことで、
これが賢い人の有様かと、
暗澹たる思いに襲われた。
・・・・・
そも幼少期に順序は分からないが、
言葉を持ち、自分を知り、父母を知り、
そこで性の違いも知る。
ときにイメージをもつ。
イメージとは脳内に創られた念である。
念とは今の心と記す。
実になるほどの表現であり、
それが定着して言葉となる。
そのイメージには何かしら共通性があって、
それが互いに共有できてついに言葉となる。
そこに文化(生き方の総体)がある。
その昔読んだ本に、
「初めにイメージありき」という本がある。
如何にして言葉を得たのかを考察したもの。
結論は結局のところ?のままなのだが。
それはさておき
言葉とは念であり、観念も同じものと。
何を言いたいのか、
それなら固定観念とは結局言葉そのものだろう。
言葉とは観念を固定したものだと。
なら幼少期に言葉を得るとして、
それは固定観念を持つことで、
件の記事は当然のことかと。
何を今更である。
それにこの件だけではない。
リベラルはよく言うのです、
固定観念を持つのは良くないと。
自分が良しとしないものは、
こういう言い回しで否定するが、
にも関わらず、
自分が良しとするものは、
ガチガチに固定して一歩も譲らない。
自由平等友愛とか人権とか。
それら多くは抽象的概念で、現実には存在しないもの。
こういう言葉を持ち出して、現実に発した言葉を退けようと。
それがいま進められている。
歴史伝統文化の破壊である。
・・・・・
先の記事のことだが、
そこに出てくる固定観念は、
それらを持つ時期は多少異なるが、
「女性は優しい」「男性は賢い」ということらしい。
それもそういう傾向があるということで、
皆が皆同じという訳ではない、
個人差はあるのだ。
しかし考えてみれば何もおかしくはない。
女性(母)と男性(父)では役割が違うのだ。
それも決定的に違う。
母は身ごもって生み、
そのあと付きっ切りで面倒を見る。
まさに一心同体そして献身的。
それは父にはできないのです。
ときに母は身がままならない。
だから父はそれを見守る。
それも全知全能を傾けて。
以前にも言ったが、
母親の体内で生命進化の過程を追体験し、
誕生後は人類発展の過程を追体験すると。
なら「女性は優しい」「男性は賢い」となるに疑問なし。
まったくもって尤もなことと。
そういう環境の中で生き、その間に言葉を習得する。
そこでのイメージが言葉を育てるが、
それが言葉の技であり言葉の妙なのだ。
それをジェンダーへの偏見だと言うのか。
この件だけではない。
女らしさ男らしさという言葉もなくそうとする。
その中身は人それぞれでガチガチではないのに。
でも勿論共通する思いはある。
それは当然でそれが言葉というもの。
それを調査研究をしていたのが京大である。
あの立派な大学である。
でその記事を載せていたのが産経新聞です。
保守を任じる立派な新聞です。
私は今産経新聞を取っている。
応援しているからだが、
なのにこの有様、
何なんだ、
・・・・・
悪魔ちゃんはそれを知って悪用する人。
悪魔ちゃんがどこにいるかは知らない。
悪夢ちゃんはそれに乗せられている人。
悪夢ちゃんはどこにでもいる一杯いる。
残念ながら庶民にも。
でも特に目立つのは、
言葉を生業としている職業にです。
「私が正しい」と言うヒトはほぼそう、
「私だけが正しい」と言い張るヒトは、
モロに完全に100%そっちです。
そういう人を嫌ってる。
もうとことん嫌ってる。
御免なさい。
でも悪夢ちゃんは悪夢を払えばちゃんとする。
にもかかわらず彷徨っている。
今日も今日とて彷徨っている。
「人間になりたい」と言って。
ん?
てか間違えた、
これは妖怪人間ベムちゃんだった。
てへ、

悪魔ちゃん

2022-10-17 08:59:51 | 日記・エッセイ・コラム
悪夢ちゃんの次は悪魔ちゃんの番。
似ているがまったくの別物である。
しかしてこれがすべての因である。
今はその悪魔ちゃんが世界を仕切っている。
それは見ての通り。
気候変動に脱炭素それに新型ウイルスとか、
訳の分からんことを言っている。
と言うより押し付けている。
無理押しごり押しご苦労様。
為の力はすべて言葉である。
概念という魑魅魍魎を使い、
人心を雁字搦めに絡めとる。
搦めとられたのは誰だろう。
それは悪夢ちゃん。
・・・・・
当初は地球温暖化が喧伝されたが、
ちょっと雲行き怪しく気候変動に。
これなら寒冷化してもOKてか?
てか気候は変動するもの何を今更。
足元を見られる前に脱炭素と言う。
すべての元素は初めからあるもの。
そこに善悪良し悪しあろう筈なし。
そも生命は有機物であり、
それは炭素である。
それに人類の文明は火の文明。
火を手にして文明はなったと。
それは炭素を燃やして出来る。
一般的に言えば酸化作用だが、
その爆発的な酸化作用のこと。
それを灯りにしエネルギーにしている。
しかしてそれはすべてを浄化するもの。
有機物などを元の世界に戻すのだ。
なくてはならぬもの。
なのになぜか炭素を悪者に。
炭素に支えられたこの世界なのに。
そうはいっても、
人間はあまりに炭素に頼り過ぎた。
確かにそういう面はあろうと。
だからそれを是正しようとは、
そのことに異論なし。
ちなみに、
昔から利用してきたエネルギーに、
水力と風力がある。
ご存じの水車や風車である。
今でも大いに利用している。
大本は引力であり回転力である。
太陽光はまんまで利用するのは当然だが、
変換しての利用は難しかった。
今もそれは変わっていない?
いろいろ騙しはあるようだが。
近来になっての特記事項は原子力である。
夢のエネルギーとも言われた。
これは原子が崩壊するときに発生する熱、
崩壊熱を利用するのだが、
大きな危険が付きまとう。
なかなかに難しいのです。
現今では崩壊ではなく融合をも研究している。
こちらは危険はないとか?
しかして、
私には分からない世界、
ちんぷんかんぷん。
・・・・・
近代になって出てきたエネルギーに、
電気というものがある。
今はこれが圧倒的である。
何もかも電気に頼っている。
電気は自然界に充満している。
人間の身体にもある。
体中に纏わりついている。
それが社会の中に満ちている。
電気なしではもう何も始まらない。
そうなってしまった。
為にはそれを取り出さなければならない。
為にはそれを作り出さなければならない。
それを大々的に行うには、
物が必要なのだ。
それが石油石炭や放射性物質(ウラン等)である。
そこで思うのです。
存在と謂うは「ものごと」のこと。
その一側面として「もの」と「こと」がある。
「もの」は存在の要だが絶えず動いている。
「こと」はその動きのことで、それは運動振動波動のこと。
エネルギー(力)とは「こと」であり流れるもの、
それは媒体(物)を必要とする。
水力なら水、風力なら風である。
そもエネルギーは溜まるものではない。
そもエネルギーは流れるもの。
溜めるは不合理だと。
だから蓄電は自然界には馴染まない?
雷は一時的にそれが溜まってしまい、
故にこそ急激に放電してしまうもの。
だからそれを使うなら、
それを絶えず集めなければならない、
それを絶えず作り出さねばならない、
そういうものだと。
何を言いたいのか。
蓄電というのが不自然だということ。
それは一時的かつ少量なら可能かと。
雷の超小型版である。
私はそのように思っている。
だから今喧伝されている計画は失敗すると。
電気自動車のことです。
PHEVなどは別です。
これは電気を作りながら走るから。
現に成功してるのは電車です。
これは絶えず流されている電気を利用する。
理に適っているのです。
でもまあ私の言うことです、
当るも八卦当たらぬも八卦、
なんちゃって。
・・・・・
それにしても、
悪魔のやることはハタ迷惑。
碌に説明もせず指示ばかり。
てか説明できないのは嘘だからか?
そも火の文明を愚弄していると。
文明の転換が必要だと言うなら、
それをちゃんと説明すればいい。
それに物と事とを混同している。
しても物と事は本来一体のもの。
混同自体は必ずしも変ではない。
でも言葉は分けてしまうのです。
それがヒトの言葉の本質である。
だからこそそこに嘘が紛れ込む。
悪魔ちゃんはそれを知っている。
てか知ってるから利用する。
そして今や世界に嘘が蔓延。
それを隠すためかファクトチェックとか言う。
嘘のごり押しである。
そんなこんなで、
悪夢ちゃんは騙される。
今日も明日も明後日も。
これが今次の世界です。
だから私は待っている。
新たな時代が来るのを。
果報は寝て待てと言うから、
寝て待っている。
そしたら悪夢ちゃんが現れる。
もうどもならん。
ちゃんちゃん!。

悪夢ちゃん

2022-10-10 08:37:03 | 日記・エッセイ・コラム
昔こんな名前の番組があった。
このこと実は何の関係もない。
要は科学的な話である。
生命が誕生してから今日までの経過である。
実に壮大な話なのだ。
ここにはちょっと騙しがある。
科学的という言葉だ。
どこが科学的なのか?白々しい。
てか当方は適当に言ってるだけ。
口からのデマカセに近い。
でも本人はいたって真剣。
そんなとこです。
・・・・・
現今の科学的知見は知らず、
昔日の記憶によれば、
人間は受精して母親の胎内で成長する。
そして赤ちゃんとして生まれでる。
その間に生命進化のすべての過程を経験すると。
人間が進化の頂点にいるなら、
植物は横に置いて動物として、
単細胞から始まり、
昆虫、魚類、爬虫類、哺乳類そして猿から人へ、
そして生まれでる。
てことに違いなし。
この間は人は直接は関われない。
無事に生まれてくれと祈るだけ。
医学的には多少関われると雖も、
でもそれはことの本質ではない。
ことの本質はその奥の奥にある。
今ならそれはDNAと言うのか。
そして生まれたら、
そこから人の世界である。
しかして成長し最後は元に還る。
最後は還るのだがそれは於いて、
成長までのこと、
それは人類誕生から今日までの、
すべての過程を経験すると、
何とも?なことながら、
多分そうだろうと。
誕生までの生命進化の経験と、
成長までの人類発展の経験は、
それらは途切れず線上にある。
これは人間だけに限らないと。
犬猫や他の動物もそうだろう。
そして個人は必ず元に還るが、
人類と謂う種も又そうだろう。
尤もずっとずっと先だろうが。
・・・・・
思うに、
生まれでて成長までの過程は、
人類発展の過程そのものだと。
実に?な話に聞こえるだろう。
そこでの一番の特記事項は言葉である。
言葉を持つということである。
これは人類と謂う種が過去に経験したこと、
それを必ず個人も経験するのです。
しかしてそれは教えられない。
各々が自ずから手に入れると。
この一点があるからこそです、
人類発展の過程をたどるとは。
ここでも例外はある。
昔のことでいきさつは知らないが、
狼に育てられたという少年がいた。
発見された後、
人間としての教育をしても、
結局人間にはならなかった。
狼に育ってしまっていたのです。
もとよりDNAは最後まで関わるが、
そこは誰が育てるかによると。
だから話す言語も違ってくる。
狼少年は一生狼であったのだ。
それを想えば人類発展の過程とは、
別の言葉で言えば「歴史伝統文化」そのもの。
人間は皆それを背負っている。
それは心魂に染み付いている。
もとより蔑ろにはできないと。
てか基本・土台・主柱である。
それら根本の要に言葉がある。
何度でも言う、
人間は言葉の生き物である、
良くも悪くも。
・・・・・
今次の不幸はここにある。
これらを踏まえて今に至るのに、
それを踏み外す人がいる。
すべてを踏み外し、
ただ今時の言葉を、
無味乾燥な今時の言葉だけを繰返す。
多様性など無くなったことなし、
持続性など無くなったことなし、
歴史伝統文化はどこまでも続く。
一体何をしたいのか、
彼女彼らはリベラル人士たちは。
今目の前に起こっていることは、
悪夢としか言いようがない。
それを惹起してるのが彼らなら、
彼らを悪夢ちゃんと呼ぼう。
彼らは言葉を武器に攻撃(宣伝)するが、
自分の言葉以外は認めない。
気に入らなければ排除する。
ときにファクトチェックはし放題。
だから自分の非は一切認めない。
まことにアッパレアッパレぱ。
一寸こちらはしどろもどろ。
とはいえ我ながら、
悪夢ちゃんとは何とも可愛い命名。
てか彼らは皆良い人たちなのだ。
わずかな悪魔ちゃんを除いて。
ともかくもそういうことで、
今夜もうなされるだろう。
てか今夜だけではない、
ありがたや白昼夢も。

さらに呪術

2022-10-03 08:28:01 | 日記・エッセイ・コラム
言葉は分けるものと、そう言った。
分けて分けて分ける、そしてそれだけ。
お分かりだと思うが、それはつまり言葉はデジタルだと。
分断が本領であって、それゆえ分かったと言えるのです。
現実は繋がっている。
そもアナログでありそこに分断はない。
一言で言えば「ものごと」であり、
その在り様は運動振動波動である。
だからか聖書は、
それを神の口から出る言葉である、
と言っている。
つらつらと、
そんなこと、
勝手ながらに思っている。
・・・・・
だからさらに想う。
分断が本領だから、ほっとけば分断される。
それを避けるには、その使い方に注意が必要。
それは神の言葉に寄せること。
それを真言(まこと)と謂う。
具体的には、
もっぱら現実に寄り添うこと、
もっぱら自然にまかせること、
良くも悪くもまんまに受け入れて。
もうひとつ、
それは言葉を捨てること。
言葉の生き物・人間はそれができない。
それをすれば人間を止めることになる。
すなわち本当に虫になる。
これ人間存在の絶対矛盾。
でも一時的に離すことはできる。
言葉の意味を伏せればいいのだ。
意味とは脳が創るもの、
脳に問う限りは無理で、
なら身体に問えばいい。
脳も含めた身体全体(60兆個の細胞)に問えと。
波動を全身で、すなわちすべての細胞で感得する。
ときに言葉(意味)から解放される。
てかそれは実は日常的にしていると。
それを意識して取り戻せばいいのだ。
その方途を呪術という。
その呪術の究極は祈りです。
祈りには相手(神)が必要です。
その相手に全身全霊をゆだねる。
時に言葉を唱えるがそれは方便。
波動を交換する為の方便である。
ただし良き言葉であるべしかと。
なお自分に問う方法もある。
それを修行と言い、
それが成ったとき、
それを悟りと言う。
それは全身で受け止めた波動を、
全身で応じて同期同調するもの。
但しこれは難しい。
少なくとも私には。
さらにひとつ、
ここ一番で使える簡便なやり方がある。
とことん迷ったら、最後は身体に訊く。
つまり「腑に落ちる」ことに従うのだ。
腑とは食物や液体の溜まる臓器のこと。
はらわたつまり腸のことか。
ときに脳だけに任せないと。
こんな言い回しがあるのだ。
日本っていいな~。
・・・・・
ところで少しまえ、
安倍元総理の国葬があった。
それに対して騒ぐ者が目立っていた。
少数だからこそ目立つように仕向けられたか。
それは国(民)が分断されたと大声で言いたいからか。
人間誰でも好き嫌いがあり、
思いはそれぞれであって、
そこは致し方ないかと。
でも敢えてのそれも尖がった反対に何の意味があろう。
意味はそも脳の技なり。
それをするには意図がある。
先に言ったが分断は言葉がする。
それは意図をもって脳で創られると。
そしてありもしない分断を見せるのです。
それは勿論日本を弱体化させるため。
世界は初めから分断が常態、
ゆえにそれがない日本が目障りか。
戦後は大方そのために仕組まれた。
そして言葉過多で万事きれいごと。
そんな状況に益々追い込まれてる。
いい加減だまされるのは止めよう。
心底では分かっていると思いたい。
でも表向きは酷くなる一方。
しかも心優しき人こそ騙される。
まことに心痛む日々。
今はまだ堪えるときか。
昭和天皇の言葉を想う。
さながら日は沈んでもまた昇る。
あの自衛隊旗の図柄を見よ。
かならずや復活すると。
幕末明治の維新や昭和の戦後復興を思えば。
ただ目を覚ませばいいだけ。
難しくはない。
喝!
・・・・・
つらつらと考えているが、
そも日本語で考えている。
日本語だからこそ思いつくことが多い。
そのことに驚くほどです。
言葉は「ものごと」を分断して、
分かったような気になるもの。
だがそこに言霊があるのだ。
ただしまことの内にだけ。
日本語はそこを押える。
日本の歴史伝統文化を知ろう。
生き方の総体としての文化を。
ゆえ日本の文学を知ろう。
日本語は詠う言葉、
文字通り歌うように語る言葉、
それは脳にも伝わるが、
それは身体に伝えるもの。
それが心魂に伝わる。
だから天皇陛下は歌われる。
だから天皇陛下は詠うように語られる。
そう思っている。
私ごときの思いだから、
どうでもいいとしても、
真に畏れ多い限りです。