ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

私怒っています

2021-08-30 10:01:31 | 日記・エッセイ・コラム
どこかで聞いた科白である。
安倍政権時代にリベラル諸氏が言っていた、
デモや演説などのときに言っていたような、
よく覚えていないがそのような。
科白と言うより標語だったかも。
それを今私が言っている。
心の中で思いっきり。
・・・・・
今アフガンで三者がそろい踏み。
シナやタリバンを育てたのはアメリカである。
シナに関しては日本が大いに協力しているが。
そのシナは、
一方でウイグルを弾圧しながら、
一方でタリバンと手を組んでいる?
中華思想の面目躍如。
自分に利あればどこにでも付く。
ところでアメリカとは喧嘩をしている模様。
そも育ての親なのに。
タリバンはだからアメリカと通じているのだろう、
表向きは敵対しており、今まさに喧嘩の真っ最中。
直近のテロはISの仕業と言ってるが。
しかしてその実態は闇の中。
シナに対してもダンマリ。
同朋とも言えるウイグルを弾圧しているのに。
アメリカも今はシナと喧嘩している振り、
人権問題を表に出して。
今に始まったことではないのに。
チベットは既に欲しいままに蹂躙されている。
これまでも問題にすることはあったが、
つまりはご都合主義で本気が疑われる。
今回のコロナ問題でも右往左往、
シナに責任があると言ったり、
そんなことはないと言ったり。
それがアフガンでそろい踏み。
つまりは手を握りながら、足で蹴り合いの最中てか。
世界はいいように振り回されている。
・・・・・
アメリカはあきらかに混迷している。
そもアメリカは二つあって、
それが今までは余り表に出なかった。
それがトランプ大統領の登場によって明確になった。
リベラルでグローバリズムのアメリカと、
保守でモンロー主義のアメリカ。
リベラルとは言葉を武器に言いくるめる技。
彼らは言葉にたけている。
でもそれだけでは無理で、
だから言葉を生業にする職業に入り込む。
特にメディアである。
それらは既にほぼ乗っ取られている。
その力の大元はお金である。
お金で会社を買収するのだ。
表向きそう見えなくとも、お金の力で縛っている。
そして人事権を握る、これで雁字搦めになる。
結果おおかた支配は完了。
賢いと言えば賢い。
もう一つのアメリカはトランプだ。
アメリカファーストとは、
世界を押しのけてアメリカが先頭に出る、ではない。
アメリカ人は先ずアメリカのことを考える、である。
つまり各国は各国一番でいいのです。
安倍政権の「日本を取り戻す」も同じ。
それを一言で言えば「棲み分けによる共生」である。
これはあの大東亜共栄圏にも通じる。
日本人の思いは昔も今も変わらない。
私の思い入れも入っているが、
まあそういうことです。
これで先の大統領選挙の顛末が分かる。
あの身体的にも精神的にも活気の乏しい人間を、
大統領候補にした上に、それを通してしまった。
何をか言わんや。
・・・・・
ちなみに、
日本の武力を削ごうとするのもアメリカ、
日本に武力を持てとせまるのもアメリカ、
つまりは、
これもアメリカが二つあるからか。
反日自虐史観がどちらにあるかは明白。
だからシナ・韓国の反日の源泉も明白。
これは源泉があってこそだが、
何より彼ら(シナ・韓国)にとって都合がいいからだ。
そんなことで根は深い。
ところで表題の言だが、
上に記したことで怒っているのではない、
勿論怒ってはいるが。
ではなくアフガンとコロナの件です。
自衛隊が邦人救出のために救援機を出したが、
上手くいかないようです。
この期に及んで、
自衛隊の手足を縛っているのは言語道断。
自由に動けるようにするのは当然。
暴走が心配ならその上で議論すればいい。
議論はできるのです。
歯止めは掛けられる。
羹に懲りて膾を吹く、のは止めよう。
それにしても、
リベラル界隈は腐っている。
言っていることが支離滅裂。
うん!

あからさま

2021-08-23 09:57:10 | 日記・エッセイ・コラム
先の大統領選挙であきらかになったが、
現下の情勢はあからさまである。
リベラルが言葉を選別して憚らず、
自分の都合を一方的に押し付ける。
何があろうと不正はなかったとか、
小さな不正はあってもそれは結果に影響はないとか、
何が何でも押し通す。
すべての力を使って。
一番はメディアだが司法も取り込んでいる。
どちらも言葉を武器とする。
ことに鑑みれば、
これまで社会を席巻してきたポリコレは、
まさに彼らの武器でそれをせっせと磨いてきた。
リベラル界隈は知ってか知らずか、
無邪気に従っている。
亡霊の如し。
・・・・・
今般コロナウイルスが大きな問題になっている。
これも彼らの手の中にある。
その発生源は分からない。
それに彼らが関わっていると思うが、
よく分からないので保留としておく。
でも結果としては、
この有様を徹底的に利用している。
その恐ろしさを強調して人々を閉じ込める。
それに訳の分からんワクチンを広めている。
効くと言えば効く、
効かないと言えば効かない、
どうとでも言えるもの。
ユーチューブを初め世界のSNSは、
ある種の話は消している。
これは検閲である。
でも尤もらしく正当化している。
ポリコレ同様社会正義の名のもとに、
あからさまな言いくるめだ。
あげくの果てにワクチンパスポート。
いよいよ人間を選別し始めた。
リベラルはこれにも無邪気に従う。
付ける薬なし。
・・・・・
表題を「あからさま」としたが、
それは上記のことではない。
今まさに起きているアフガニスタンのこと。
現下はそこに焦点が当たっている。
これまで私が言ってきた三者がそこに揃ったのだ。
タリバンは原理主義に違いなし。
一般にはイスラム原理主義と言われるが、
イスラムは隠れ蓑、
そこに宗教の基である信仰(祈り)はない。
むしろ宗教の敵にしか見えない。
私が驚いているのは、
これまで戦闘状態にあったのは聞いていたが、
あっという間に首都が陥落したこと。
この現実の少し前に、
タリバンとシナ共産党が会談していた。
それは前触れだったのか。
てかその前に大統領選挙があった。
トランプ大統領もアフガンから引こうとしていた。
でも情勢に合わせて押したり引いたり。
完全撤兵を目指してはいたが。
現下のバイデン政権はそれらを無視。
状況を知りながら?である。
後は見ての通り。
トランプ元大統領がそれに噛みついたが、
むべなるかな。
でも彼らは人権とかで口を挟むだけ。
トランプの前のオバマ政権に瓜二つ。
でも知っておくべきと、
人権とは言葉だけで、人間は置き去りです、
このアフガンのように。
しかもこの情勢はむしろ彼らの望むところ。
彼等とは原理主義と中華思想とリベラルである。
このことが、
今まさに「あからさま」になった、
ということです。
・・・・・
であるのですが、
あいかわらずリベラル界隈は無頓着。
それが彼らに加担することに…。
ということだが、
大方善意の人で、
善意ゆえに良さげな言葉に流される、
そしてそこに安住する。
鐘を鳴らしても聞かず。
返って怒り出す。
でもそろそろ気付こう。
これだけ「あからさま」なのだから。
それにしても疲れます。

墓(はか)

2021-08-22 09:04:48 | 日記・エッセイ・コラム
日本は本当に風物詩が豊かだ。
今年はオリンピックがあってなお特別ではある。
そのオリンピックが無事に終えることができた。
と思えば、夏の高校野球が始まった。
2年ぶりである。
無観客なのがちょっと寂しいが。
それにお盆である。
盆と正月、これは本当に味わい深いものです。
でもコロナのせいで、帰省は控えてくれとか。
いやはやである。
・・・・・
お盆は一般的には仏教の行事である。
この時期、お坊さんが駆けずり回る。
各家では準備をしてご先祖様をお迎えする。
私は毎年墓参りをするのだが、
実は墓にはご先祖様はいない、
それぞれの家に帰られていて。
だから墓参りをする時期としてはふさわしくないとも。
でも墓参りをしている。
同じようにしている人も多くいる。
そも墓にはご先祖様はいないとか、
既に神仏のもとに帰っておられて。
墓は残された者にとっての支えで、
ご先祖様との繋がりの起点である。
そこは思いの交錯する場所であり、
その思いの交錯こそ参る者にとって糧となる、
そういうことだと。
だから私にはお盆の墓参りに違和感はない。
それに終に独り身で子孫を残せてもいない。
昔で言えば末っ子の放蕩暮らし。
野垂れ死にがいいところ、
だから何ぞ今更である。
それに家に迎える準備もしていない。
墓参りが妥当なところ。
なお、
迎えるという点では正月もそうである。
歳神様を迎えておもてなしする。
そして終わればお見送りをする。
だからお盆と正月は神道の行事なのです。
迎える神様が自然神か祖先神かの違いだ。
と謂うことです。
表向きは仏教行事になっているが、
でもその基は神道行事に違いなし。
亡くなった人の御霊を祀ると謂う。
靖国神社でも毎年御霊祭りが行われている。
そも神社とは御霊を祀るところである。
私は知らない、神道葬はあっても神道墓は…。
氏神の社は各地にあって、
そこではご先祖様(の御霊)を祀っている。
もとより墓ではない。
ただ天皇の陵には遺体が埋葬されているとか。
でも遺体は主役ではないだろう。
御霊こそが祀られているのだと。
にしても墓は必要なのだ。
そこは仏教と棲み分けをしたのかも。
その点、中東や欧米は遺体を大事にする。
それを復活再生の基とするから。
大方エジプトを起源としているようだ。
日本はそうではない。
遺体と記すように、本体ではないのだ。
遺産が残された財産なら、
遺体は残された自分であったものである。
本体は別にある。
それを「たま」(魂)と言っている。
それが日本人の想いである。
勝手ながらそう思っている。
・・・・・
もう40年位になるだろう。
母が亡くなってから。
その時は凄い衝撃であった。
目の前が紫色になった。
漫画によくあるあれで、
額に斜線を引いたあの図柄のように。
それが何日も日続いた。
そして思ったのである。
これは永遠の別れではないと。
大いなる再会の初めなのだと。
私もいずれそこへ帰ると。
それで何とか落ち着いた。
そこで、もう一つ思った。
葬儀は亡くなった人の為にあるのではないと。
残された人の為だと。
勿論亡くなった人の為でもある。
でも亡くなった人はその時点で救われている。
神仏によって。
まさにそこへ帰るのだから。
して見ればである。
墓もそうだと。
礼を以って霊を送った後、
礼を以って遺体(遺骨)を始末せねばならない。
だから必要なのだ。
だがそれは残された者にこそ意味があるのだと。
その残された者とは、
今いる者だけでなく、
これから生まれてくる者らもで、
つまり子孫の為に必要なのだと。
つくづく思う。
先祖供養は世界のどこにでもある。
祖先崇拝は世界のどこにでもある。
言葉を持ち意識を持ったときから。
そこは十字路である。
思いの十字路である。
今生きている者達の横の繋がりと、
祖先と子孫を繋ぐ縦の繋がりとの。
墓参りとは、
その起点に立つことである。
そして己の原点に立ち返る。
そういうものだと。
ちなみに、
神社に参ることは同じ線上にある。
棲み分けたのはこの故かもと思う。
・・・・・
それにしても今や墓は危うい。
どんどん失われている。
子孫が絶えれば致し方ないが、
子孫がいても危うくなっている。
嘆かわしいことだ。
その理由はあきらかだ。
言葉が溢れ情報が溢れ、
ゆえに分かったような気になってるが、
逆にそれが目くらましとなる。
表面をなぞるだけで、
想いが至らないのだ。
しかもである、
言葉が恣意的に選別されている、
当然だが情報も選別されている。
私はそれに抵抗している。
微々たる力だが。

夏の風物詩

2021-08-09 09:57:13 | 日記・エッセイ・コラム
日本には季節の風物詩というものがある。
夏の定番の一つに怪談話がある。
この手の話に季節は関係ないのだが、
なぜか夏に集中している。
これも暑い夏を過ごす智慧なのか。
だいぶ前だが世間を席巻したのが、
貞子という名の女性が登場する映画である。
確か「リング」という題名だった。
海外でも結構評判になったようだ。
何しろ怖いのである。
その怖さは抜きんでている。
・・・・・
外国にもある。
怪談話というよりホラー映画と言うべきか。
必ずしも幽霊ではない。
記憶にあるのは、
ジェイソンという名を持つキャラクターである。
「13日の金曜日」という題名であった。
これは狂気の殺人鬼の話である。
斧を持って追いかけてくるのだ。
これがやはり怖いのだ。
幽霊的なものでは、
今でもよく作られているが、
ご存知のゾンビ映画がある。
最初は怖かったが今やエンターテイメント化している。
作られ過ぎてか、
出てくる前から正体がバレており、
だからかそんなに怖くはないのだ、
でもこれはこれで面白い。
・・・・・
怖さとは、
得体の知れない未知のものへの不安、
それがそも大元にある。
怪獣映画も最初の頃は怖さがあった。
得体の知れない何者かが潜んでいる、
という状況や場面では。
出てきてしまえば、それは消える。
そこからは対処の問題に絞られる。
現実に引き戻されるのだ。
して見れば、
今のコロナ問題がよく分かる。
ウイルスとしては風邪などと変わらない。
大昔から人間とともに存在している。
その種類や様相は余り分かってはいない。
ただ歴史的に人間に関わってきたものは、
ある程度分かっている。
だが時々新たなウイルスが関わってくる。
これが厄介である。
人々に大きな犠牲を強いる。
でも馴染んでくれば共存していける。
そも共存が根っこにあるらしい。
だから変異すれば余り害を及ぼさなくなる。
一般に言われる風邪はそうである。
インフルエンザというのはちょっと違うようだ。
風邪の一種に違いないが、
ときに強い影響を及ぼす。
・・・・・
ところで、
今回の騒動はどこか変である。
これだけ長期間(暑い夏も含めて)、
これだけ広範囲(全世界に於いて)、
に影響を及ぼしても未だ収まらない。
これは治めようとしていないのでは、
と勘ぐってしまう。
以下は日本のことです。
普通風邪などは暑くなれば収まる。
去年はそういう傾向にあった。
今年は全然収まらない。
ワクチンを相当数打っているのに。
それに変異株は弱毒化するという。
本当に変異株なのか?
感染者や死亡者の実体も、
風邪などと比べて特に多くもない。
なのにこの厳戒態勢、
しかも厳戒態勢なのに緊張感が感じられない、
このアンバランス。
医療大国のこの日本で医療体制が逼迫するとも。
それは大半の資源を使っていないから。
ここにも緊張感のなさがある。
法律のせいにしてるがそれは言い訳だ。
緊急事態宣言も本当は意味などないのでは。
不安を煽る為にやってるとしか。
だからこそ、
必要以上に、
医療体制の逼迫とか、
感染の拡大とか、
を喧伝する。
ウイルス自体の本質がよく分かっていないのか。
だとしてもこれまでは普通に共存している。
特に恐れてもいなかった。
なのに、である。
今回のウイルスは特別なのか。
そうならそれはなに故なのか。
そこが知りたい。
でも誰もそれを言わない。
そして怖さだけを強調する。
まるでホラー映画のように。
こんな状況では皆騙される。
・・・・・
私は深く思っている。
今回のウイルスは少し様子が違うと。
それは人間の手で改変されていると。
それが漏れたのだと。
或いはばら撒いたか。
それにそれと対抗するワクチンのこと。
これも遺伝子を操作して作っていると。
遺伝子そのものではなく、
情報を伝えるメッセンジャーRNAというものらしいが、
だから遺伝子本体には影響がないと。
それがどうした。
私は科学的には分からない。
だけど科学者だって本当は分かっていない。
分かってることはたかが知れている。
千年後の世界から見れば、
いつの時代でも魔女の時代だ。
反ワクチンを狂っていると言うなら、
親ワクチンも狂っている、
と謂うしかない。

無観客

2021-08-02 09:03:52 | 日記・エッセイ・コラム
世界はコロナ騒ぎでバラバラにされている。
国家間も人々の間でも。
オリンピック開催はそれに風穴を開ける。
だからその反対運動は激しかった。
やってるのは極一部の人たちだが。
開催が始まっても尚性懲りもなく。
少数なのに存在感が大きいのはすべてメディアの力。
それでも今は手のひら返しの状況。
それにしても、
世界をバラバラにしたい者にとっての最大の武器は言葉である。
目的は直接的破壊ではなく間接的破壊なのだ。
その対抗手段は第一に開催すること。
たとえ無観客になってもだ。
・・・・・
思えばコロナ騒動自体が言葉の罠かも知れない。
このウイルスは他のウイルスと基本的に変わらないと。
もし違いがあるなら、それは元が不自然なこと。
それなのにこの騒動である。
そこが何とも解せない。
そこへもってきて一連のワクチン狂騒劇。
反ワクチンではないが、どうにも信用できない。
それに終にワクチンパスポートまで持ち出してきた。
いよいよ選別が始まるのか。
一事が万事かくの如し。
言葉は要注意だが、
この不穏な時代にあっては、
本当ならテロが最大の脅威となる。
特に自爆テロが。
これは防ぎようがない。
それがウイルスを用いたら、と思う。
これだけの世界への広がりにテロの関与はないのか。
ないとは断言できない、
と思っている。
そこで無観客の仕儀だが、
これが開催の一つの条件になってしまったの感、
ところが同時にこれは究極のテロ対策にもなる。
苦肉の策かも、と。
とにかく無事に終わってほしい。
その先に日本の未来がある。
その先に世界の未来がある。
・・・・・
言葉が本当に生きるのは、
そこに信頼があってこそ。
今世界に信頼に足る言葉は見当たらない。
思えばトランプ前大統領に嘘はなかった。
やっていたことはほぼ公約通り。
有言実行の人であった。
それに戦争をあきらかに避けていた。
それをビジネスマンだからとか、
関心は金銭にあるだけとか、
今にすれば見当はずれ。
手段を経済に絞っていたのだ。
そして平和裏にことを進めようと。
人権への言及は余りなかったが、
それはそれを材料にしなかっただけ、
勝利の先には解決を見据える。
現下は人権と言いつつ、
容赦なくシナを追い詰める。
とどのつまりは戦争か。
民主党はそれを画策してる?
その可能性は大である。
それがアメリカの歴史です。
逆にシナの歴史はその反対。
戦争をすれば政権は必ず滅ぶ。
ゆえに大言壮語で虚に吠える。
今は断末魔の声。
その様に見える。
・・・・・
人間は言葉の生物である。
それは空気の如くであり、身体心魂にまとわりつく。
だから取扱注意なのです。
しかるにである、
現下の世界は脅迫に牽制それに反対や否定等が蔓延する。
負のオーラで満ちているのだ。
今こそ取り戻さなければ、絆を繋ぐ瑞々しい言霊を。
それを「まこと」と言う。
日本はそれを文化の背骨に持つ。
その様に時を刻み(歴史)その様に紡いで(伝統)きた。
それを生き方の総体(文化)としている。
東日本大震災時の行動にそれは顕われた。
それを知ろう。
このバラバラになった世界は、
今不信と不安で覆われている。
そこに信頼は乏しい。
そんな中において、日本は特別である。
まことの国であり、信頼に足る国である。
世界はそれを知り始めた。
このオリンピックを無事に終えれば、
それさえ成ればその暁に、
世界は日本に寄ってくる。
日本の優位は信頼にある。
それを覚えておこう。