ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

プーチンの失敗

2016-12-26 16:37:05 | 日記・エッセイ・コラム
安倍・プーチンの会談があった。
この会談は成功だったのか、失敗だったのか。
微妙である。
北方四島は1ミリも動かず。
日本としては失敗のように見える。
もとより成功とは言えない。
ロシアから見ればどうだろう。
彼の国には彼の国の事情がある。
どういう事情があるのかよくは知らない。
でも、なぜ1ミリも動かせないのか。
それに言葉がない。
日本人に対するそれなりの。
そこは失敗だと思う。
・・・・・
世界はまことにずるがしこい。
それは現実だ。
だから当然駆け引きをする。
果てしなく駆け引きをする。
それはそうだが。
しかし日本は少々違う。
駆け引きはするが、それをあまり好まない。
まことの国だから。
長い歴史の中で、安定的な永い歴史の中で、
争いを好まず、嘘を嫌い、言葉を大事にしてきた。
そんな言霊の幸はふ国である。
祈り主の言霊に包まれたれ国である。
駆け引きの過ぎる人間は好まない。
そんな人間を本心で相手にすることはない。
そういう人々が暮らす国である。
だからである。
プーチンは失敗した、
と思う。
聞けば日本を嫌いではなさそうだ。
でも日本を知らない。
・・・・・
日本は失敗してない。
経済協力を約束したとしてもだ。
日本は約束を守る国だ。
世界では珍しいほどに。
だから約束は実行する。
なら、ロシアの食い逃げになるのでは。
もしそうなら、それはそうだ。
だがである。
そうだとしたら、そこから先はない。
それだけのことだ。
先のことを考えれば必ず失敗になる。
ロシアにとって。
まあ、そういうことだ。
しかし、本当のところは分からない。
どういう会談であったのかは。
・・・・・
思えば中韓には酷い目に会わされている。
資金や技術で協力しても、まったく感謝されない。
それどころか仇で返される。
それが今、反中・嫌韓となっている。
その結果、困るのは結局中韓である。
ロシアもそうなるのだろうか。
さて、
じっくり見ていよう。




世界の行方

2016-12-18 16:05:10 | 日記・エッセイ・コラム
世界は嘘でできている。
と、いつも言っている。
とはいえ、言う機会がないので実際に言ってる訳ではない。
そう思っているだけだが。
・・・・・
揉め事があったとして、
その当事者はどちらにも言い分がある。
一方的な場合もあるかも知れないが、
それならそれは犯罪というべきであろう。
でなければ、当然どちらにも言い分がある。
これ理なり。
喧嘩して勝ったから正しいとか、
負けたから悪いというものではない。
正義があるとしても、それは勝ち負けとは別のことだ。
勿論勝った者の言い分が通されるのは仕方ない。
それが勝つということだ。
だから「俺が勝ったから俺の言い分を通す」というのは、
残念だが納得せざるを得ない。
だがそれは「俺が正しいから」とか「お前が悪いから」とかではない。
そんな理屈は欺瞞でしかない。
だがご存知のとおり、そういう欺瞞が戦後世界の実態である。
そういう思想をGHQが日本社会に埋め込んだ。
そして中韓をして補強せしめてきた。
日本誹謗の最初の発信が日本にあるのはその為だ。
中韓にとっては手伝いのようなものだが、
それが彼らの利益になるから実に積極的である。
中韓はそも嘘と本当の区別をしないし。
・・・・・
その世界が変わるかも知れない。
一つ、6月のイギリスEU離脱の決定、
一つ、言わずと知れたアメリカ大統領選挙のトランプの当選、
である。
この後に起こったことがある。
安倍首相がトランプと会ったのである。
それも結構長い時間である。
相前後して、
プーチンがトランプに電話をした。
これも相当長かったらしい。
さらにである。
安倍首相がプーチンに会ったのだ。
この日本で。
これも結構長い時間であった。
ここに奇妙な三角形ができている。
安倍・トランプ・プーチンのトライアングルである。
これがどんな意味があるのか知らない。
だが、これからが楽しみだ。
このまま何事もなく進むとはとても思えない。
・・・・・
ともかく、
あからさまな嘘はなくしてほしい。
そんな世界であってほしい。
来年は酉年である。
新たな旅立ちを…。







となりのトトロ

2016-12-12 14:15:36 | 日記・エッセイ・コラム
これも映画である。
実に素晴らしい。
何回見ても飽きない。
つい半月前にも見た。
テレビで放映されていたのである。
最初に見たのもテレビであった。
その時はたぶん三度目だったか。
初めて見た時、なかなか面白いと思った。
二度目も勿論テレビである。
既に見ていたので、積極的に見ようと思った訳ではない。
暇にまかせて何となく見たのである。
それが引き込まれた。
最初よりなお面白く感じられた。
そして三度目である。
にもかかわらず、なおなお面白く感じた。
素晴らしい。
もはや古典である。
それにしても、劇場で見なかったのは残念である。
・・・・・
海外でも評判が良いと聞く。
彼らの捉え方はよく分からないのだが、
日本人の私には、その情緒・情感が何とも素晴らしい。
いかにも日本的なのである。
それが海外でも人気という。
してみれば万国共通だということか。
とても日本的なように思えるのだが。
という訳で、その後はジブリの映画はすべて見ている。
それも劇場で。
見ていなかったものでも、
ジブリは度々テレビで放映されるので、
その折に見ている。
今は制作を止めているというが、
実に残念である。
・・・・・
今回の「君の名は。」を見て思った、
これはジブリに勝るとも劣らない素晴らしいものだと。
新しい才能が出てきたのである。
大変喜ばしいことだ。
新海監督の今後はまことに期待大である。
私なりに応援して行くつもりだ。
この監督の作品はこれが初めてだが、
ジブリと似たところがあるように感じた。
それは日本人の情緒・情感・情念である。
宮崎監督のは少しバタ臭いところがある。
題材が欧米発のものが多いからだろうか。
それにしても、
宮崎作品には神社や神道を連想させるものが余り出てこない。
私の思い違いかも知れないが。
少なくとも、宮崎監督は戦前の日本が嫌いらしい。
そういう言辞が時々発せられる、と聞く。
その点、新海監督は自由だ。
思う存分、日本を描く。
そんなことで、
ますます応援したくなる。


君の名は。

2016-12-05 10:10:15 | 日記・エッセイ・コラム
今年一番のヒット映画である。
今も上映されている。
新ゴジラもそうだが、
それ以上のロングランになっているようだ。
それほど見る気はなかったのだが、
まあ暇つぶしに見ようかと思った。
そしたら良かったのである、これが。
しかもちょっとどころではない。
期待してなかったこともあって、
最初は筋について行けなかった。
ということで、
二回も見てしまった。
・・・・・
これはちょっとした社会現象である。
だからか、そのヒット要因を探るテレビ番組があった。
悪名高い?あのNHKである。
筋立ては昔語りの「とりかえばや物語」などと同じであり、
陳腐だがそこに普遍的な面白味があること。
個々の描写が素晴らしいこと、何より全体の映像が美しいこと。
等々と。
でも、その要因の一番は「結び」という言葉にあると、
そういうことだったと記憶している。
伝統的な組紐に投影された「結び」という言葉、
その言葉が醸し出す思い、情念・情緒が見事に表現されていた、
ということか。
「結び」という言葉に着目したのは、
さすがだと思った。
・・・・・
「結び」とは、
古事記・日本書紀の冒頭に出てくる神様、
すなわち原初三神の名でもある。
天御中主尊と、
高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)、
神皇産霊尊(かむみむすひのみこと)、
である。
天の真中の御神と結びのニ神である。
「結び」とは実に神道の心である。
だから、あの映画は神社が必須で重要な役割をしている。
だが、NHKは当然分かってるのだろうが、
そこは(神社や神道のこと)まったく触れない。
やはりNHKである、筋が通っている。
日本的なものは嫌いらしい。
それでも無視はできないので、
言葉だけは取り上げている。
・・・・・
「結び」とはつまり神の道である。
すべてが繋がっているのだ、人も物も、時でさえ。
全体(宇宙:存在)は全体という一つのものだが、
それは無数の部分の集合であり、合体なのである。
当然、部分と部分はすべて繋がっている。
そのことを紐という物によって表象している。
「結び」こそ現実であり、現実の妙である。
天と地も、過去と未来も、
あらゆるものが縦横無尽に繋がっているのだ。
だから神人一体なのである。
人と神は繋がっているのだ。
もちろん鳥や獣や、山川草木も。
神はすべてのものに繋がっているのだ。
人だけ特別という訳ではない。
それが「結び」である。
何んと素晴らしい言葉だろう。
・・・・・
その紐は道である。
神の道である。
すべてのものを繋ぐ神の道である。
だから祈るのである、
その道を。