ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

揺らぎ

2023-02-27 08:32:17 | 日記・エッセイ・コラム
天の定めはある。
確かにあります。
これは絶対的に。
大宇宙では星々の定め(運動)は決まってる。
小宇宙では粒子の定め(振動)は不確定だが。
だがこれは大宇宙の定めには影響を与えない。
ここにも天のはからいがある。
しかしてすべては波動である、と思っている。
その典型が「いのち」である。
波動には初めも終わりもない。
だから生命にも終わりはない。
「わたし」とはときの波動の有様に過ぎない。
そう思っている。
お釈迦様の言を借りれば、
それを輪廻転生って言う、
のだろうと。
・・・・・
これは言葉遊びである。
てか言葉とは遊ぶもの。
現実から感光を受けてできた脳の傷、
それが積み重なってできたのが言葉。
だから何度も言っている。
言葉は現実をなぞっているだけ。
現実を超えることなどできない。
私はそれを踏まえている。
その上で言っている。
だから遊びだと。
揺らぎを遊ぶ、それが私の思考。
大宇宙に影響は与えられないが、
でも小宇宙はいつも揺らいでる。
そこで遊んでいる。
そこでは少しは変えられる。
身の回りや関わる者達には。
それも微々たるものですが。
それが大きくなれば歴史となる。
私にはそこは変えられない。
現下は酷い状況だが、
イエスの言葉を言葉とし、
昭和天皇のお言葉を胸に、
ただ耐え忍ぶだけである。
畏れ多いことだが、
昭和天皇は分っておられた。
陛下とはその様な存在かと。
だからのあのお言葉か。
歴史は一人では変えられない。
多くの人が関わってこそです。
それでこそ歴史となる。
そこでは英雄・偉人がもてはやされるが、
それは人々に影響を与えるからです。
そういう人がときに現れる。
だから歴史とは英雄・偉人伝とも言える。
それは個人を語るものだから、
歴史ではないと言う人もいる。
まったく持っての見当違いだ。
木を見て森を見ず、って言葉があるが、
森を見て木を見ず、ってことか。
木なくして森もないのに。
人を見ないで人の歴史もなし。
中心にいる人を語ってこそだ。
以前にも言ったが、
過去の因縁を踏まえ、
未来に因縁を結ぶ、
それが歴史人である。
基本的に命を繋ぐ人らは皆歴史人だが、
中でも人々に大きな影響を与えるのが、
まさに歴史人なのだ。
・・・・・
今世間ではLGBTなんちゃらが喧しい。
実に下らないことです。
命にとって最大の使命は生きること。
でも個体としては限界がある。
だから命を繋ぐのです。
そのことに命を懸ける。
使命とは文字通りかと。
自然界を見れば明らか。
有性の生き物にはオスメスがある。
ときに性が入れ替わるものもいる。
仮にLGBTのような存在があっても、
それはその場限りのあだ花となる。
人間で謂う歴史人にはなれないと。
でもそういう存在にも意義はあるだろう。
そも命を繋ぐのは一握りの生き残った者らである。
彼らを残す為には多くのあだ花が必要なのである。
でもそれは多分普通のオスメスであって、
LGBTなんちゃらはほとんどいないだろう。
てか言葉を持たないから、
彼らはそれを意識しない。
どこまでも自分を生きる。
そこで悩むことなどない。
翻って今次の人間の有様、
情けない限りです。
ヒトの子は産むにも限度があり、
生んでからも手が掛かることに。
その負担は大方女性にかかると。
それをやわらげる仕組みが婚姻。
男が或いは家族地域がそれを支える。
そういう仕組みとしてあるのだ。
私など歴とした?男だが、
そこにまったく関れずに一人暮らし。
だから陰ながらに応援するのみ。
邪魔するなどは論外のこと。
だから思うのです。
まともな人間ならLGBTであっても同じことかと。
同性同士にも結婚を認めろって?
バカ言ってんじゃない。
意味不明なだけでなく、
これはもう狂気の沙汰。
彼らLGBTらをおもちゃにしてるだけ。
と思うのだが、
言っても無駄かも、
でもほっとけんし、

・・・・・
今世間はこの話で喧しいが、
まことにちぐはぐなことに、
その横で、
少子(高齢)化対策として、
子ども家庭庁をつくるとか。
子どもが大事は当然のこと。
そこは大いに賛同するが、
わざわざ省庁をつくる必要があるのか。
役人の仕事を増やすだけだろう。
てかたぶんそうなる。
そんなことはせずに、
本来の婚姻を奨励し、
男を立て女を守る手配りをすればいい。
あらためての制度など必要なし。
就中組織をつくるなど愚の骨頂。
てか今更どうにもならんか。
彼らは既に子ども国会をつくってる。
そして子どもらしい議論に夢中の様。
てか世界の真ん中には、
子ども総会ってのもあるようだ。
世界が困り果てているのに、
結論なき与太話ばかり。
チ~ン?
これは浄化音です。
さらに又チンチン。

世の終わり

2023-02-20 08:38:03 | 日記・エッセイ・コラム
世の終わりには何が起こるのですか、
とイエスの弟子たちが問うた。
ときにイエスは応えた。
エルサレム郊外のオリブ山にいるときに。
以下…
人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名のって現れ、
自分が救世主だと言って多くの人を惑わす。
また、戦争と戦争のうわさを聞くであろう。
注意していなさい、あわててはいけない。
それは起こらなければならないが、
まだ終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
またあちこちに、飢饉が起こり、また地震がある。
さらに…、
と。
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
しかしてそれらのあとに、
人の子(イエス)のしるしが天に現れる。
と、
・・・・・
端折った部分もあるが、
これは新約聖書・マタイの福音書の一節である。
実に今のことでありましょう。
呆れるぐらいに合致している。
確かに直接イエス(神)を名乗る者はいない。
それはさすがにバレバレで相手にはされない。
だがイエスはときに人であり預言者であった。
以前にも言ったが、
預言者とは神の言葉を預かる者である。
それは現代に於いては科学者であると。
現実を解きあかして言葉にするのです。
まさに現代の預言者である。
それが見ての通り、
政治に利用されるばかりで、
てかお雇い役者なのだろう。
揃いもそろって虚言ばかり。
本物の科学者は隠れている。
まことに胡乱な時代である。
戦争はもとより絶えたことがない。
現下はウクライナに焦点があるが、
他にも火種は幾らでもある。
いつ戦争になってもおかしくないような。
今や日本も安閑としていられない。
それに食料不足が叫ばれて久しい。
だから世界では価格が上昇している。
日本でも既にその兆候が表れてきた。
それに災害多発国日本では地震が絶えない。
さすがにそれはそれなりに対応しているが。
それが今回はトルコである。
これはもう酷い状況である。
私ごときにはどうすることもできない。
できるのは僅かな援助だけ。
翻って日本のことだが、
多くの国民はそうではなかろうが、
一部には不法が蔓延り、
親殺し子殺しが絶えず、
ルフィーとかも現れる。
何とも物騒な世の中である。
いろいろと余計なことを言ったが、
それが余りにも、
イエスの言葉に合致していて、
実に驚くばかり。
・・・・・
これは天の差配なのか、
或いは人の企みなのか。
あまりに合致していて、
驚くと同時に、
不謹慎だが大いに興味が湧いてくる。
でも実際は二者択一ではないだろう。
天の差配と人の企みが混じってると。
ときに占いを想う。
運命は確かにあると。
どの星に生まれるか、
どの時に生まれるか、
誰の子に生まれるか、
これは運命としか言えない。
如何ともしがたい。
これを定めという。
でも生物とくに動物は動くもの。
その上人間は言葉を持ったのだ。
そも生物に揺らぎは付き物、
その中でも特に動物は、
その中でも更に人間は。
運命と謂えども、
その根本は変えられないが、
揺らぎは変えられるのです。
自分の行動で変えられるのです。
そこに占いの真骨頂がある。
当たるも八卦・当たらぬも八卦と言うが、
占いが無くなることはない。
人間には必要なもの。
それは迷いを振り払うもの、
それは心魂を奮い立たせるもの。
そしてそれは祈りに繋がる。
日本ではこの今も人知れず、
亀甲占いをやっているとか。
話が一寸逸れたが、
それは横に置いて、
本題「世の終わり」について。
このイエスの警句を心に刻み、
その祈りをもって惑わされず。
うん!

時代相

2023-02-13 09:14:47 | 日記・エッセイ・コラム
明治開国以降70年余りで、
大戦争の罠に嵌まったが、
それまでは実に奇跡の成長であった。
あの世界の状況を鑑みればまさに。
ときに恐慌での停滞はあったが。
それがあの戦争で頓挫してしまった。
そして時代は様変わり、
その相が変わった。
次は終戦以降70年余りだが、
これもまた奇跡の成長であった。
あの町々の壊滅的状況を鑑みれば。
これもバブル崩壊で停滞したが、
曰く未だ停滞中?のようだが。
それがここにきて、
時代は変わった。
その相が明らかに変わった。
そう想うのです。
そして今、令和の時代。
・・・・・
何が変わったのか。
一番変わったのは言葉である。
もとより言葉の生き物・人間である。
言葉に捉われて生きている。
それが神話を生み、
宗教をおこし、哲学をたて、科学がなった。
すべては言葉である。
現下は科学の時代である。
宗教はその基をくるわせ、
哲学は言葉遊びを免れず、
そして科学の時代となる。
もとより、
すべては言葉で出来てるのだが、
そのことに対する思い入れが無さすぎる。
余りに当り前過ぎて気付かないのか、
目先の現実に惑わされるからか、
それが大きな落し穴となる。
だからむしろ、
それに気付けば大転換の時代となるのに。
思えば、
当初の70年余りは、
科学が目に見える時代であった。
前の時代から見れば驚異的であっても、
それが目に見えていた。
次の70年余りは、
科学が目に見えにくくなってきた。
軽薄短小とか言って。
でもやはり目には見えていた。
それを変えたのは、
コンピュータの出現である。
当初はそれほどでもなかったが、
ここに来てもはや魑魅魍魎のごとし。
何度も言ってるが、
コンピュータは半導体と電気で出来ている、
のではないと。
それらは只の物とエネルギーである。
たしかにそれらはそのものではある。
でも本体ではない。
本体は「言葉」である。
言葉に始まり言葉に終わる。
それがコンピュータである。
それを知ろう。
今まさに情報化時代と言われるが、
言い得て妙というか、
そのまんまというか。
冒頭で、
一番変わったのは言葉だと言ったが、
それはまさにこのことで、
裏に隠れていた言葉が表に出て来た、
とも言えるが、
人と共にあった言葉が、
人から離れてしまった、
とも言えると。
危うい時代である。
・・・・・
これは余談だが、
昨今歴史が玩具にされているのは、
国家という存在を消したいからか。
それが目的の自虐史観への誘導か。
現に日本がそうだが、
それは日本だけではない、
先進諸国はなべてそうである。
違うのは、
日本のそれはほぼ嘘で出来ており、
他は大方事実だということである。
余談はさておき、
この先は目に見えない時代である。
光や電子などを扱う量子の時代。
最早まったくもって見えない。
そこはもっぱら言葉の世界。
だから知っておこう。
言葉は現実をなぞるだけ、
現実は越えられない。
触るのが関の山。
うん!

歴史人

2023-02-06 08:57:52 | 日記・エッセイ・コラム
歴史人という言葉を知った。
れきしびと、と読むらしい。
その言い回しが新鮮でなるほどと思った。
私も使おうと思う。
てかその使い方は少し違うかも。
それとも合っているのか。
まあ私は私の思いの中で。
・・・・・
本来はすべての人が歴史人である。
親や祖先の想いの中で誕生し育てられ、
大きくなれば自ら親になり子を生み育てる。
それが未来(の子孫)を育む。
その中で人としての生き方や思いが伝えられる。
その繰り返しが歴史となる。
人は皆歴史人なのだ。
特に女性はそうである。
生み育てる力を持っているから。
それにしても、
最近は個人を強調しすぎる。
個としての独立は必要だが、
所謂個人主義は馴染まない。
馴染まない個人主義に偽りの自由がくっ付けば、
悲惨なことになる。
現代はそういう時代である。
それはさておき、
歴史人と言えば、
普通は歴史に名を残す人かと。
それは特に時代の画期に現れる。
源平時代の平清盛や源頼朝とかがそうである。
去年の大河ドラマでは北条氏が描かれ、
それなりに時代の空気が伝わってきた。
思うに、
名を残す人らは、
個人の欲得は当然にあるとしても、
それだけではなかろうと。
それでは何も為し得ないかと。
そこには先人の思いと、
未来の子孫が関わる。
その中にこそ歴史がある。
だからその中にあってこそで、
そこに歴史人が現れる。
とはいえ名を残せなくとも、
そこに関わった人らは、
勿論皆歴史人です。
・・・・・
今に戻せば、
歴史人と言えば、
リベラルから見れば、
否一般人から見てもだが、
あの嫌われている例の人です。
そうですプーチンです。
と言うより三人います。
前大統領のトランプ、元首相の故安倍氏、
それに現大統領のプーチンである。
皆それぞれ国(歴史)を背負っており、
だから生き方の総体としての文化を誇りとし、
そして根っこに思い(信仰)がある、
そういうあの御三方である。
日本を取り戻す、アメリカファースト、
もとよりロシアも同様であろう。
彼らは今メディアには皆嫌われているようだ。
あの大統領選挙を見ればあきらか。
あのモリかけ桜を見ればあきらか。
プーチンはどうか。
ロシアのメディアではそうでもないようだが、
左傾化してる西側メディアでは糞味噌である。
でもそれは現状では致し方ないと。
さりながら余りに一方的ではある。
歴史つまりその因縁を一切報道しない。
ただただ悪いの一辺倒。
そこは例の大統領選挙やモリかけ桜も同じ。
もうバレバレのバレバレ。
昨今急激に変わったのは世界の相。
トランプが選挙に負けた後である。
彼は化石燃料を良しとしていたし、
ときの病もときの医療で克服した。
それがあの結果の後は様変わりだ。
まるで事前に決まっていたかの様。
だからこそ何が何でもだったのか。
この日本でもそこはまったく同じ。
脱炭素とコロワク一辺倒。
だからです、
安倍晋三氏のあの状況は。
首相降板は止むを得ずか、
その後のことは何なんだ、
消されたのか消えたのか、
変である、
西大寺の変である。
・・・・・
ともかくも、
リベラルがすべての元凶。
前からだがこの今も、
男女共同参画とか男女同権とか、
余りに当り前過ぎて言うのもバカバカしいことを、
延々と言い募り煙に巻く。
そも違いはあきらかにあるのに、
それに多様性を良しとするのに。
だから役割分担があり、
だから協調共助があり、
だから共同共働があるのに。
それを夫婦別姓とか言って分断しようとする。
言っていることがチンプンカンプン。
おまけにLGBTをやけに持ち上げ、
彼らの意向は知らず晒しものにする。
自由にまかせればいいのに。
これはもう社会を分断させようとの、
奇怪な企みとしか思えない。
歴史に名を残すこともない個人が、
それが孤人となれば、
それはあだ花となり、
泡となり消えるのみ。
歴史人にはなれない。
さらに怪しい動きがある。
こども庁とか何とか。
こどもは親が育てるもの。
だから皆歴史人になれる。
それを親から奪おうとしてるのか。
何とか言えよ。
てかおっとと、
これはさすがに当方の思い過ごしか。
それならいいのだが、
さて?