ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

わたくしごと

2017-08-27 08:38:52 | 日記・エッセイ・コラム
生まれて初めてである。
入院して手術を受けた。
入院する前は普通に元気だった。
退院した後も普通に元気である。
たった4日のことだ。
・・・・・
不整脈でカテーテル・アブレーションとかいう術を受けた。
心臓に灸をするようなものらしい。
身体への負担はほとんどない。
それでも入院して制服(寝間着)を着ればその気になる。
俺は病人だ、てか。
手術前に点滴を受けたり、尿管に管を通される。
そして手術室へ、もうすっかり病人である。
終わった直後は酷い、これはもう完全に病人だ。
でも、すぐ退院である。
有難いことだ。
医療の進歩を実感した。
そして何より有難いと思ったのは医療制度である。
国民皆保険で誰でもそれなりの治療が受けられる。
多少保険料は高いが、それは大した問題ではない。
皆平等に同じような治療が受けられるということが素晴らしい。
例外もある、特に高度な先進医療など。
それもまあ大した問題ではない、今のところ。
外国ではそうはいかない。
先進国でもそれほど平等とは言えない。
一番の問題はお金だろう。
お金が有れば思い通りの治療が受けられる。
でなければ、
病院を自由に選べないとか、
受診まで日数がかかるとか、
…。
途上国では尚更である。
・・・・・
改めて思う、日本には天皇が在る。
天皇がしらす(しろしめす)国であり、
しらすとは権力をほしいままにすることではなく、
国民ひとり一人の幸せを祈ることである。
そんな一君万民の国である。
ゆえに奴隷もいないし、いなかった。
奴隷文化そのものが無いのだ。
そんな国である。
天皇の前では皆対等なのだ。
生前の高松宮殿下も、天皇の前では臣と言っていた。
医療制度も当然その中にある。
だからゆえの制度である。
とは言え、このまま維持するのは難しいだろう。
部分的に形が変わるのは止むを得まい。
だが、その精神を変えてはならない。
それでは日本が日本でなくなる。
今グローバル化の中で日本を壊そうとする者がいる。
注意しなければならない。
・・・・・
ここはもう、
国民の叡智に期待しよう。
もとより、
天皇の存在は決定的に大きいのだが、
それでも、
国の実を支えているのは、
国民なのだから。



リトマス試験紙

2017-08-21 08:56:54 | 日記・エッセイ・コラム
これは酸性とアルカリ性とを簡便に判別するものです。
昔からあるもので、今でも重宝されている。
私も同様のものを持っている。
しごく簡便なもので、それは人を判別するのです。
それは保守とリベラルとを見分ける。
とは言っても、世間の仕分けとは違うかも。
・・・・・
判別に用いる要素は否定という概念である。
神ならぬ人間は当然のこと突き詰めれば何も分かっていない。
言葉という道具を使って、いかにも分かったような気にはなれるが。
それはあくまで分かったような気になるだけだ。
所詮何も分かっていないのです。
然して目の前の現実を只認めるのみ。
そしてそれに従って生きるのみ。
そこは人以外の生物と代わらない。
人もまた只の生物なのだ。
違うのは言葉を持ってしまったことである。
この言葉というのが実に奇妙かつ特別なものなのです。
だから取扱に注意を要する。
聖書によればである。
言葉は本来神のものである。
言葉は神であり現実である。
人の身にとって現実を的確に言葉に置き換えるのは難しい。
それなりに表現しても、本当に的確かは誰にも分からない。
あくまでも分かったような気になるだけだ。
それは止むを得ない。
だから分からないことは分からないと認めよう。
そして何より現実を否定しない。
たとえそれが気に入らなくとも。
否定という概念は余程慎重に使わねばならない。
綾を表現するのに時に有用だとしても。
・・・・・
現実は一つだ、神の目から見れば。
しかし、それを的確に言葉にするのは難しい。
人にはおよそ難しい。
人には人の数だけ現実があるから。
私には私の現実が…。
彼方には彼方の現実が…。
人の思いの数だけ現実があるのだ。
それを否定してはいけない。
気に入らなければ、気に入らないと言うのはいい。
私と違うのなら、私とは違うと言えばいい。
それだけのことだ。
だが世間には否定する人がいる。
頑なに否定して譲らない人がいる。
所謂リベラル人士である。
中にはそうでない人もいる。
そういう人はむしろ保守系だと思っている。
討論などを聞いていれば分かるだろう。
相手の意見は意見として認め、その上で自分の意見を主張する。
これが保守陣営である。
就中、真正保守である。
所謂保守陣営の中にも相手の意見を否定する人がいる。
そういう人は保守ではない。
偽装保守のリベラル人士である。
そう思っている。
・・・・・
人には人の思いがあり、
それは人それぞれである。
だが、その現実を認められない人がいる。
自分の気に入らないものは否定するのだ。
しかもたいていは完全否定である。
その辺を判別する。
これは難しいものではない。
実に簡便で分かりやすいのものです。
それが私のリトマス試験紙です。

私の朝日新聞

2017-08-14 15:27:27 | 日記・エッセイ・コラム
先の戦争の本当の反省・検証はなされていない。
そしてそこには嘘が一杯流布されている。
嘘を流布したい者が検証するはずもない。
むしろ検証されれば困るのだ。
呆れることに、この状況は未だ変わっていない。
戦後70年以上経っているのに。
少しはましになってるが。
・・・・・
朝日新聞は昨今部数が減っているようだが、
戦前・戦後を通じて日本はおろか世界的にも大新聞であった。
記者も多く抱え、取材能力は高かった。
だから、日々の活動を通じて多くの事実を知っているはずだ。
当時日本であった朝鮮・台湾も含めて。
だが、そのことにまったく言及しない。
問題があれば更に詳しく取材や調査もできるのに。
なぜか戦前のことは語らない。
都合の悪いことでもあるのか。
巷間では戦争を煽ったのは新聞だとも言われる。
今と違ってテレビはないし、メディアの中心は新聞であった。
その影響は非常に大きかったのだ。
・・・・・
戦争を煽ったのは事実として、
なぜ煽ったのか。
単に戦争をさせたかったのか。
その目的は?
新聞を売りたかったのか。
軍部を潰したかったのか。
皇室を潰したかったのか。
日本を潰したかったのか。
よく分からない。
ひとつ分かってるのは、
ゾルゲ事件で朝日新聞の記者が関わっていたことである。
なら共産主義に加担してたのか。
ソ連との戦争を避けるため、敢えて他との戦争を煽ったのか。
シナには余り敬意を払っていたようには見えない。
当時のシナは国の態を為しておらず、共産主義でもなかったし。
それが今では逆である。
戦争を忌避し、平和・平和と叫んでいる。
ソ連の後であるロシアには敬意を払ってるように見えない。
逆にシナにはほとんど言いなりのごとく従っている。
それは共産主義を掲げているからなのか。
実態は共産主義と程遠いが。
・・・・・
朝日新聞は戦前のことを反省し、戦後は変わったと言われる。
確かにそのように見える。
あんなに戦争を煽っていたのに、今は逆に平和一辺倒である。
だが私は騙されない。
実は何も変わっていないのだ。
日本に力がある時は戦争を煽り、
力が削がれたら平和一辺倒である。
つまり日本の力を押さえたいだけだ。
今回の「もりかけ騒動」もその一貫である。
腐っても鯛、それなりに取材能力はあるだろう。
事実関係の調査など簡単にできるはずだ。
それがあの様である。
明らかに確信犯である。
すなわち、朝日新聞は朝日新聞なのだ。
何も変わっていない。
昨日も今日も明日も、
…。

藤原氏の不思議

2017-08-07 11:01:00 | 日記・エッセイ・コラム
天皇とは誰か、
これが私の最大のテーマ、
である。
同時に同じほど興味があるのが藤原氏である。
乙巳の変の鎌足から先の戦争に至るまで、
日本の中心にいたのが藤原氏である。
一般的には鎌足からなのだが、
本当は不比等こそ始まりだと思う。
鎌足もだが不比等こそ正体が分からないのだ。
不比等とは本来は史人であり、
官僚の中の官僚であったろう。
日本書紀の編纂を主導し日本を定めたとも言える。
ところで、
藤原氏は藤原という姓を嫌い、
実際は藤原姓を名乗っていない。
九条、一条、近衛等々。
先の戦争に大きく関わった藤原氏は近衛文麿という。
しかも藤原氏の中の藤原氏であった。
しかして彼らは決して天皇になろうとはしない。
真に奇妙なことで…。
・・・・・
先の戦争においても、
その経緯において近衛文麿は大きく関わっている。
何しろ何度も首相になっている。
開戦時はご存知のように東条英機が首相であった。
だから東条英機がやり玉に上がるのだが。
しかし実際は近衛文麿の方が責任が大きいとも言われる。
たぶんそうだろう。
なら軍部の独走というより文民の不手際である。
それも貴族の中の貴族による。
まあどうとでも言えるのだが、
本当の意味での反省・検証がなされていないので、
そこは?である。
・・・・・
でも事実として分かってることがある。
近衛の長男はモスクワに留学している。
長男本人の意思もあろうが、父も当然関わっていただろう。
近衛はその政治において、
東京朝日新聞の記者であった尾崎秀実をブレーンとして、
日中戦争を指導している。
尾崎はあの有名なゾルゲ事件の主役である。
ゾルゲはソ連のスパイであったのだが、
当時ソ連は対ドイツ戦で厳しい状況にあり、
日本を相手にする余裕はなかった。
だから日本の目をソ連に向けさせたくなかった。
為にスパイ工作をしており、その協力を尾崎がしていた。
それが発覚して尾崎とゾルゲは処刑されるのだが、
この工作は近衛と無関係とは思えない。
近衛個人の意思なのか、
藤原氏の中の藤原氏としての意思なのか、
はたまた…、
そこは分からない。
新聞も大いに利用された。
よく言われるように、新聞が戦争を煽ったのだ。
軍部の独走が元凶のように言われるが、
国民が否と言えばできるものではない。
日本は当時も今も、
独裁の国ではなく、
国民の国家である。
・・・・・
長男は結局ソ連にて処刑された。
近衛も終戦直後に自死している。
その思いは闇の中…。
しかして、事態は現今にも関わっている。
共産主義とは正にグローバリズムであり、
世界一体化の強力な推進力である。
しかしそれは本体ではなく先兵だろう。
近衛はそのグローバリスト本体に付いていたというのか。
事実は分からないが、
少なくとも、
私はそう思っている。