ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

もめごと

2020-08-31 10:36:59 | 日記・エッセイ・コラム
終戦記念日を過ぎて、やっと静かになった。
と思った所に、あの安倍総理の会見である。
又ぞろ騒がしいことになった。
残念ではあるが、致し方ない。
ところで、それらの少し前に、
百田先生と橋下氏の間でちょっとした論争があった。
ツイッター上でのやり取りであったが、
それは靖国問題についてだ。
双方とも相当熱くなっていたが、
いつの間にかなくなった。
終戦記念日を前にして、
何よりであった。
・・・・・
私はハッキリ百田先生寄りである。
靖国参拝について外国からとやかく言われる筋合いはない。
これは日本の根幹に関わる。
持論だが日本は祈りの国である。
祈りと共に生きて来た。
祈りの中で生きて来た。
祈りとは、
言葉を持ってしまった人間にとって、
言葉に絡めとられた縛りから逃れる、
唯一の方途であり、
それはその発信源である魂を鎮める。
祈りは宗教ではない。
宗教はその根に祈りを持つが、
祈りの上に教義という作り物がのっている。
だから~教と付くのだ。
必ずしも悪くはないが、だから諍いの種にもなる。
言葉とは厄介なのだ。
祈りは一対一の関係である。
神と人との。
そこに嘘はない。
真言(まこと)しかない。
それを思う。
百田先生は日本人である。
まことの人である。
・・・・・
橋下氏は弁護士であり政治家でもあった。
どちらも、人に関わる生業である。
どちらも、人を仕切る仕事である。
それも言葉によってである。
だから言葉は武器なのだ。
その点では、橋下氏は有能である。
闘う相手にとっては強敵であるが、
味方にとっては頼もしい限り。
でも、その言葉はまことではない。
まことである必要はないのだ。
根底にまことがあるとしても。
それはそうだろう。
まこととは神と人との関係である。
人と人との間ではそうはいかない。
そこは駆け引きで満ちている。
策術の戦いなのだ。
だから百田先生と橋下氏の論争は無意味だと。
そも土俵が違うのだ。
しかし初めに言ったように、
私はハッキリ百田先生寄りである。
私にとって靖国問題とは、
日本人の魂の問題だから。
そこは譲れない。
・・・・・
昨今のシナ朝鮮を見れば明らか。
まことの欠片もなく詭弁ばかり。
中華思想の名に恥じず、自分の都合があるのみ。
すなわち祈りを見失なっている。
それを知らねば。
欧米にはその根に宗教がある。
宗教は場合によっては胡散臭くなるが、
根っこには信仰(祈り)がある。
故にである、象山先生と諭吉翁に学ぶべし。
つまり「和魂洋才」・「脱亜入欧」だ。
おっと、少し話が逸れた。
だから、靖国参拝を政治問題にしてはいけない。
これは日本の根幹に関わる。
この問題は欧米も怪しいが、
リベラルという祈りを忘れた輩がいるからだが、
それでも直接文句は言っていない。
イチャモンはもっぱらシナ朝鮮である。
なお一番の問題は日本人である。
反日自虐史観に染まった日本人である。
そも日本人全員がすべからくNoと言えばそれで済む。
実に簡単に解決するのだ。
為にも、ここは橋下氏に頑張ってもらおう。
ですが、闘う相手を間違ってはいけない。
そこんとこ、どうかよろしく。

やれやれ

2020-08-24 12:57:55 | 日記・エッセイ・コラム
やっと弟が帰った。
迷惑な訳ではないが、やれやれである。
この時期は何かと、もの思う時期です。
先祖の霊を祀って迎える、という大きな行事がある。
日本の二大行事の一つです。
もう一つは勿論正月である。
正月は心あらたに明日に向き合う、の時です。
お盆は心静かに来し方を振り返る、の時です。
どちらも心魂に清めの風を通し穢れを落とす。
祈りに生きる日本人の神髄です。
大事にしたいものだ。
・・・・・
お盆のこの時期はだから静かに過ごすのです。
それが先の戦争の終戦(敗戦)時期と重なる。
なので思うところが多くなる。
靖国神社、国の為に生命を奉げた人々を祀る。
終戦記念日と重なるこの時期は大いなる鎮魂の時です。
本祭は別にあって大々的な祭りは行われないが。
なのに外野が喧しい。
静かに振り返り、心からの祈りを捧げたいのに。
靖国参拝を外交問題にするな!
シナや韓国が何と言おうと跳ね返せばいい。
まことに憤慨に堪えない。
でも考えれば、
これはシナや韓国の問題ではない、
日本の問題である。
自分(朝日新聞界隈だが)で火を着けたのだから、
自分で消せばいいだけ。
でもそれが出来ないのだ。
日本の中に問題があるから。
メディアの報道を見ていれば分かる。
あからさまにそして時にこっそりと、
反日自虐史観を持ち出してくる。
そんなリベラルに毒された者達がいる、
要所要所に。
彼らが煽るのだ。
・・・・・
同様に酷いことがある。
いつまで経っても日本に反省を求める。
反省とは自らが振り返って思うことだ。
他人に求めるものではない。
それに日本は既に反省している、一億総懺悔と。
敵のしたことには目を瞑って。
それでもそれは、
戦争という手段に訴えたこと、
実際酷い目にあった人々もいるだろうし、
にです。
やってもいないことに反省などできない。
特に酷いのは南京大虐殺に従軍慰安婦の強制連行だ。
メディアの嘘はそれだけではない。
反省を求めるのが誰かが分からないのだ。
シナ・朝鮮だけでも胡散臭いが、
それがアジアとか世界とかとは正に大嘘だ。
むしろ、あんた方であろう、
反日・自虐史観を振りまいてる輩、
すなわち自称日本人の面々。
後ろに誰が控えているのか知らないが、
表に出てる面々は明らかだ。
必ず歴史(本当の歴史)が糾弾するだろう。
今やアーカイブが残るのだ。
言いっぱなしは通用しない。
覚悟せよ。
・・・・・
この時期、もう一つ厭なことがある。
平和の語り部が出てくることだ。
戦争の悲惨さをこれでもかと訴える。
風化させてはならないと。
伝えることは大事だ。
それこそ人間の技だから。
でも何もかもは伝えられない。
何を伝えるかだ。
それに風化はするものだ。
それが自然の倣いである。
中でも不快なのが、
それが平和の為になると思っていることだ。
思い違いも甚だしい。
悲惨さを知らないから戦争が起こるのではない。
分かっていても起こるのだ。
現に戦争が起こっている所では、
悲惨なことが起きている。
でも戦争はなくならない。
それが世界の現実だ。
本当の平和運動とは、
悲惨さを伝えることではない、
それでも起こるのをどう防ぐかである、
そこを考えてこそだ。
・・・・・
この時期いろいろ思うことがある。
静かに振り返り、鎮魂のまにまに、
浸りたい。
なのにである、
それがかき乱される。
なんでやねん、
本当にもう、
やれやれ。

帰省

2020-08-17 11:33:11 | 日記・エッセイ・コラム
帰省が規制されている。
親父ギャグはさておき、
そうではないのだが、現実そのようである。
実際例年とは比ぶべくもない。
私はずっと地元で暮している。
既に両親は亡くなっているが、
弟が盆と正月には帰って来る。
だからその受け皿をしている。
ちょうどいい暇つぶし、
ってとこか。
・・・・・
私にとってはコロナ騒動は既に終息している。
当初は人一倍心配していたが。
百田先生や高須先生と同じく。
心配とは言っても、自分のことではない。
当方いつ死んでも不足のない歳になっている。
心配とは日本のことです。
案の定、最初からグダグダの対応であった。
緊急事態宣言はよかったが、
その後もやっぱりグダグダである。
でも最初から言っていたが、
日本人を国民を信頼せよと。
政府がグダグダでも何とかなると。
実際そのようだ。
何かグダグダという言葉が多いが、
それはご容赦。
でも大きな疑問がある。
新型ウイルスとは言っても結局ウイルスである。
似たものはこれまでにもあった。
風邪やインフルエンザそれにエボラやサーズなど。
問題ではあったが、それなりに治まっている。
それが今回は世界中でこの大騒動だ。
しかも、まだまだ治まりそうにない。
これが何とも不自然なのだ。
まったくもって腑に落ちん。
もう一つは日本の対応です。
日本は世界最古の王朝国家であり、
少なくとも二千年以上続いている。
そんな国だから根っこに芯があり、
ともかくも柔な国ではないはずだ。
にもかかわらず、この対応である。
このグダグダの対応にも何か理由があるのでは、
とつい思ってしまう。
私の買い被りか。
・・・・・
今回は弟に注意のメールを送っておいた。
感染の可能性があれば帰って来るな、と。
冗談半分だったが。
そしたら返信があった。
少し前に発熱があったとか…。
それも40度以上である。
止むを得ず救急車を呼んだらしい。
ともかく診察の結果、病名がハッキリしたと。
~病とか言っていたが。
念の為、PCR検査もしたと。
念の為という言葉が気になる。
でも信用するしかない。
そもそもPCR検査に疑問を持っている。
検査自体ではない。
検査自体に不信感はない。
気に入らないのは、健康な人に検査することです。
医者は病人を診るものです。
症状を見て必要な検査をする。
そして診断する。
そこから治療が始まる。
健康な人に検査するのは医者の仕事ではない。
それが必要なら、それは医者以外の専門家であろう。
しかし、そんな専門家はいるのか。
保健所の職員はそれらしいが。
今回はそこに焦点が当たった。
てか当たり過ぎたように思う。
そして混乱した。
今もまだ混乱している。
・・・・・
弟がやっと帰った。
その間いつもの通りゴルフに行った。
多少の宴会もした。
さて、この後どうなるか。
しばらくは自主隔離して様子を見よう。
自分の事は心配していない。
世間に迷惑を懸けないようにと。
誰でも先ずは自分ありだが、
世間のことも大切にせねば。
場があって自分があり、自分があって場がある。
密接不可分、一心同体。
それが仲間であれ、国であれ、世界であれ。
それが日本人の思想です。
場(全体)と自分(個)は協働するもの、
決して対立するものではない。
シナ人の思考では永遠に無理、
孝が最高徳目で公がないのだ。
欧米人には何とかなりそうだ。
絶対的公への信仰があるとか。
自我が強くて頑固ではあるが。
ということが、
さて…

教科書検定

2020-08-10 09:57:18 | 日記・エッセイ・コラム
週刊誌の情報だから信憑性は疑問だが、
気になる情報が入ってきた。
教科書の検定委員に北朝鮮のスパイがいるとか。
以下は韓国でのことだが、
押収した資料の中に北朝鮮スパイのリストがあり、
その中に日本人の名前があって、
それが教科書検定に関わっているとか。
聞き捨てならない。
ゆゆしきことだ。
・・・・・
教科書検定には以前から不満がある。
前回に続いて今回も、
竹田恒泰先生の歴史教科書が不合格になっている。
新しい歴史教科書を作る会の教科書に至っては、
不合格どころか門前払いである。
それに合格した教科書の中には、
従軍慰安婦という文言が復活しているとか、
日本の歴史なのにシナ・朝鮮の記載がやたら多いとか、
よく知らないので何とも言えないが、
そうらしい。
良くなってきたと思っていたのに、
何ということだ、
むしろ逆行している。
前文科省事務次官があの前川氏だから宜なるかな。
闇が深いと思っていたが、もう真っ暗である。
教科書にもいろいろあるが、
歴史教科書こそがそのターゲットである。
歴史こそ国の根幹であり、
そこが歪められたら国(国柄・国體)が揺らぐ。
だからこそ心配なのだが、
どうも不穏な空気である。
・・・・・
竹田恒泰先生の教科書は神話の記載が多いとか。
最初の不合格はそれも原因であったと。
今回そこは修正していた。
それでも不合格であった。
神話こそ歴史の根幹なのに…。
くどいほど言っている、
神話とは、
言葉を持ってしまった人間にとって、
現実を心魂に投影して、
そこからほとばしり出るもので、
それが再び心魂に戻って修まる、
その物語りである。
単なる合図や記号ではない、物語りなのだ。
しかして原初の物語りは魂そのものであり、
その物語は即ち祈りとなり、
それが以降の人格(国體)を形成するのだ。
語り継がれた神話は歴史の根底にあるもので、
神話なくして歴史はない。
リベラルが言う、
神話は事実ではないから歴史ではないと、
笑止千万、
心魂にとっては、
それはなけなしの事実なのだ、
実にそこから始まる。
・・・・・
検定委員の決定的な嘘。
仁徳天皇が御陵に祀られている、
という表現がおかしいと言った。
葬られている、と言うべきだと。
実におかしい。
まことに変です。
日本人とは思えない。
もちろん人は死ねばお墓に葬られる。
でも日本では葬られたら神仏になる。
しかして、そこからは祀られるのである。
祈りの対象として。
多くの家には仏壇があるでしょう。
そこに人は葬られていない。
祀られているのです。
だから祈るのです。
お墓も同じ。
一旦葬られても、以降はそこで祀られる。
だから墓参りは祈りなのです。
御陵で天皇が祀られているのは厳然たる事実です。
それをおかしいと言うのは、
北朝鮮のスパイに違いない。
こんなことでいいのか、文科省。
このスットコドッコイめが。
なんちゃって。
・・・・・
以前は日教組が元凶だと思っていた。
それはその通りだが、
日教組に力がなくなった今、
実は文科省こそが元凶だと。
何だそうだったのか。
これでスッキリした。
てか、
スッキリしてる場合ではない。
うん。

さらに他の国は

2020-08-03 10:42:52 | 日記・エッセイ・コラム
ここで一つ大きな力が抜けている。
ヨーロッパである。
ヨーロッパ内にも強い国がある。
イギリス、フランス、ドイツである。
スペインは往時は強かったが今は見る影もない。
イタリアはそも小国の集まりでまとまりがなく、
だからか強さに欠けている。
中欧にはオーストリアという強い国があったが、
ハプスブルク家が引いた後は小国となっている。
スウェーデンは強そうだが、
如何せん人口が少なすぎる。
・・・・・
ヨーロッパにいるのは所謂白人である。
彼らは個人主義で、だからか我が強い。
そこはシナ人と似ている。
シナには中華思想があり、ゆえに事大主義なのだ。
強い者になびく性向があり、
強い者になびいて身を保ち、利を得ようとする。
でも心底では信奉していない。
拠り所は血族だけである。
それゆえ夫婦別姓なのだ。
だから日本と違って、公がなく考が最上なのだ。
結果離散集合が激しく、国境という概念もない。
当然である。
考とは血の原理であり、しかも片手落ちなのだ。
そもホモサピエンスは一つの血に収斂される。
血の原理なら、人類皆兄弟である。
それを私は魂の原理と言う。
つまりシナ人には魂の原理(祈り)がないのである。
これこそ繰り返し言ってきたことで、
これがシナの宿痾である。
・・・・・
ヨーロッパ人はシナ人に似ていても、
あきらかに違う。
魂の原理を持っているのです。
それがギリシャ・ローマに起因するのか、
キリスト教に起因するのかは不明ながら。
どちらにしても神話がある。
魂の表出である神話がある。
言葉を持ってしまった人間の、その物語りです。
勿論シナにも神話はある。
でもシナ人は神話を語らない。
久しく語らない。
今や無きも同然なのだ。
そこが違う。
ところで白人には2種類いるようだ。
そのように言う人がいるが、
私もそう思っている。
だから階級社会なのです。
日本人には分からないだろう。
日本にも似たものはある。
身分とか階層とか。
でもそこには決定的な線は引かれていない。
彼らは王侯貴族(上級)と庶民(一般)の間に強固な線を引く。
王制を廃した国が多いが実態は変わらない。
今も階級社会なのです。
そのように聞いている。
・・・・・
ところで、
ウクライナ人で日本で活躍している人に、
ナザレンコ・アンドリーという人がいる。
彼のツイートをよく見ている。
そこに、
「欧米の制度的レイシズムは白人に対してのもの、
 日本の制度的レイシズムは日本人に対してのもの」
というのがあった。
さすればだ、
欧米でも白人の自虐史観のようなものがあるのだろう。
その因が過去の植民地支配にあるなら、それも致し方ない。
結果そういう教育がなされているのか。
何か変だ。
その主因は一般白人にはない。
主に上級白人(支配階級)のせいである。
ここでも倒錯している。
一般白人に自虐史観を教えているのは、
その上流階級の知識人らなのだ。
思えば鉄の宰相と言われた、
イギリスのサッチャー首相は、
教育改革を大きな柱としていた。
それは一つにはその自虐史観に対してか、
そしてもう一つは経済改革であったろう。
すべての植民地を失ったうえに、
国民の勤労意欲が低いまま、福祉国家を目指したのだ。
「揺り籠から墓場まで」と。
経済が疲弊するのは当たり前。
以降少しは改善の兆しがあったが、低迷は免れなかった。
そしての今、ブレグジットである。
(国民の為の)国家への回帰か。
・・・・・
フランスとドイツはどうだろう。
フランスは地理的・文化的に欧州の中心で、
もっぱら文化大国を自認し、
大国ではあるが実のところ強くはない。
ハッキリ言って戦争は苦手だ。
だからか政治的には強く振る舞う。
革命で王制を廃し共和制になっているが、
その過程で口先だけは達者になっている。
総じてそれほど強くはない。
ドイツはそうではない。
実際的に強い、特に経済力が。
軍事的にも弱くはなかろうが、
敗戦国ゆえそこは抑えている。
なら敗戦国としての自虐史観はあるのだろうか。
白人全般としての自虐史観はあろうが、
それが昨今の移民問題として現れているが、
でも日本のようなことはない。
そんな嘘に基づくものはなさそうだ。
その筈である。
彼らは逃げたのだ。
すべてをナチスのせいにして。
だからかナチスを厳しく追及する。
まあズルイとしか言いようがない。
ゆえに手酷い自虐史観はなかろう。
うまく立ち回っているが、
この先の雲行きは怪しい。
・・・・・
EUはなんの為に創られたのだろう。
域内の戦争を回避するためか。
一体化しての経済力のためか。
それらは当然にあるだろうが、
それは口実であって、
実はグローバリズムの実験場ではなかったのか、
世界政府のひな型として。
そんな気がしている。
ゆえに各国の主権は事実上反故にされた。
それが今、揺れている。
イギリスが一抜けしたうえ、
残ったフランスやドイツも揺れている。
そもグローバリズムの先兵でもあった、
ソ連が崩壊し、次のシナも揺れている。
シナは何かにつけ大口をたたいてるが、
それも後ろ盾になる力が有ったからだ。
それも怪しくなってきた。
そして今や世界は大揺れである。
2020は新しい時代の目印か。
なんか、二つ目の形をしている。