終戦記念日を過ぎて、やっと静かになった。
と思った所に、あの安倍総理の会見である。
又ぞろ騒がしいことになった。
残念ではあるが、致し方ない。
ところで、それらの少し前に、
百田先生と橋下氏の間でちょっとした論争があった。
ツイッター上でのやり取りであったが、
それは靖国問題についてだ。
双方とも相当熱くなっていたが、
いつの間にかなくなった。
終戦記念日を前にして、
何よりであった。
・・・・・
私はハッキリ百田先生寄りである。
靖国参拝について外国からとやかく言われる筋合いはない。
これは日本の根幹に関わる。
持論だが日本は祈りの国である。
祈りと共に生きて来た。
祈りの中で生きて来た。
祈りとは、
言葉を持ってしまった人間にとって、
言葉に絡めとられた縛りから逃れる、
唯一の方途であり、
それはその発信源である魂を鎮める。
祈りは宗教ではない。
宗教はその根に祈りを持つが、
祈りの上に教義という作り物がのっている。
だから~教と付くのだ。
必ずしも悪くはないが、だから諍いの種にもなる。
言葉とは厄介なのだ。
祈りは一対一の関係である。
神と人との。
そこに嘘はない。
真言(まこと)しかない。
それを思う。
百田先生は日本人である。
まことの人である。
・・・・・
橋下氏は弁護士であり政治家でもあった。
どちらも、人に関わる生業である。
どちらも、人を仕切る仕事である。
それも言葉によってである。
だから言葉は武器なのだ。
その点では、橋下氏は有能である。
闘う相手にとっては強敵であるが、
味方にとっては頼もしい限り。
でも、その言葉はまことではない。
まことである必要はないのだ。
根底にまことがあるとしても。
それはそうだろう。
まこととは神と人との関係である。
人と人との間ではそうはいかない。
そこは駆け引きで満ちている。
策術の戦いなのだ。
だから百田先生と橋下氏の論争は無意味だと。
そも土俵が違うのだ。
しかし初めに言ったように、
私はハッキリ百田先生寄りである。
私にとって靖国問題とは、
日本人の魂の問題だから。
そこは譲れない。
・・・・・
昨今のシナ朝鮮を見れば明らか。
まことの欠片もなく詭弁ばかり。
中華思想の名に恥じず、自分の都合があるのみ。
すなわち祈りを見失なっている。
それを知らねば。
欧米にはその根に宗教がある。
宗教は場合によっては胡散臭くなるが、
根っこには信仰(祈り)がある。
故にである、象山先生と諭吉翁に学ぶべし。
つまり「和魂洋才」・「脱亜入欧」だ。
おっと、少し話が逸れた。
だから、靖国参拝を政治問題にしてはいけない。
これは日本の根幹に関わる。
この問題は欧米も怪しいが、
リベラルという祈りを忘れた輩がいるからだが、
それでも直接文句は言っていない。
イチャモンはもっぱらシナ朝鮮である。
なお一番の問題は日本人である。
反日自虐史観に染まった日本人である。
そも日本人全員がすべからくNoと言えばそれで済む。
実に簡単に解決するのだ。
為にも、ここは橋下氏に頑張ってもらおう。
ですが、闘う相手を間違ってはいけない。
そこんとこ、どうかよろしく。
と思った所に、あの安倍総理の会見である。
又ぞろ騒がしいことになった。
残念ではあるが、致し方ない。
ところで、それらの少し前に、
百田先生と橋下氏の間でちょっとした論争があった。
ツイッター上でのやり取りであったが、
それは靖国問題についてだ。
双方とも相当熱くなっていたが、
いつの間にかなくなった。
終戦記念日を前にして、
何よりであった。
・・・・・
私はハッキリ百田先生寄りである。
靖国参拝について外国からとやかく言われる筋合いはない。
これは日本の根幹に関わる。
持論だが日本は祈りの国である。
祈りと共に生きて来た。
祈りの中で生きて来た。
祈りとは、
言葉を持ってしまった人間にとって、
言葉に絡めとられた縛りから逃れる、
唯一の方途であり、
それはその発信源である魂を鎮める。
祈りは宗教ではない。
宗教はその根に祈りを持つが、
祈りの上に教義という作り物がのっている。
だから~教と付くのだ。
必ずしも悪くはないが、だから諍いの種にもなる。
言葉とは厄介なのだ。
祈りは一対一の関係である。
神と人との。
そこに嘘はない。
真言(まこと)しかない。
それを思う。
百田先生は日本人である。
まことの人である。
・・・・・
橋下氏は弁護士であり政治家でもあった。
どちらも、人に関わる生業である。
どちらも、人を仕切る仕事である。
それも言葉によってである。
だから言葉は武器なのだ。
その点では、橋下氏は有能である。
闘う相手にとっては強敵であるが、
味方にとっては頼もしい限り。
でも、その言葉はまことではない。
まことである必要はないのだ。
根底にまことがあるとしても。
それはそうだろう。
まこととは神と人との関係である。
人と人との間ではそうはいかない。
そこは駆け引きで満ちている。
策術の戦いなのだ。
だから百田先生と橋下氏の論争は無意味だと。
そも土俵が違うのだ。
しかし初めに言ったように、
私はハッキリ百田先生寄りである。
私にとって靖国問題とは、
日本人の魂の問題だから。
そこは譲れない。
・・・・・
昨今のシナ朝鮮を見れば明らか。
まことの欠片もなく詭弁ばかり。
中華思想の名に恥じず、自分の都合があるのみ。
すなわち祈りを見失なっている。
それを知らねば。
欧米にはその根に宗教がある。
宗教は場合によっては胡散臭くなるが、
根っこには信仰(祈り)がある。
故にである、象山先生と諭吉翁に学ぶべし。
つまり「和魂洋才」・「脱亜入欧」だ。
おっと、少し話が逸れた。
だから、靖国参拝を政治問題にしてはいけない。
これは日本の根幹に関わる。
この問題は欧米も怪しいが、
リベラルという祈りを忘れた輩がいるからだが、
それでも直接文句は言っていない。
イチャモンはもっぱらシナ朝鮮である。
なお一番の問題は日本人である。
反日自虐史観に染まった日本人である。
そも日本人全員がすべからくNoと言えばそれで済む。
実に簡単に解決するのだ。
為にも、ここは橋下氏に頑張ってもらおう。
ですが、闘う相手を間違ってはいけない。
そこんとこ、どうかよろしく。