ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

香港が炙り出したもの

2019-06-24 12:49:02 | 日記・エッセイ・コラム
香港が騒がしい。
今回は本気で怒っている。
どこかの情報機関が仕掛けたとも考えられるが。
たとえそうであっても、
規模や実相を考えれば、
それはもう超えている。
また事態を闇に葬ることもできなくなった。
注目の的になってしまったのだ。
・・・・・
日本にも影響は大である。
沖縄の玉置知事も前言の撤回を迫られた。
今回の騒動が無ければ「馬の耳に念仏」であったろう。
またどこかの元政党代表がぬるいことを言ってるが、
炎上するのが落ちだろう。
まあ漏れ聞いた話ですが。
それにしても、
左派・リベラルの大方の連中はだんまりである。
命懸けの行動を軽々しくは語れないのだ。
彼らはいつも平和とか人権とかを連呼しているが、
馬耳東風のシナ共産党である。
彼らはまた話し合いが大事だとか言ってるが、
まったく応じないお隣の韓国。
言う通りにするなら応じるとは、それは話し合いとは言わない。
そんなシナ・韓国を擁護・応援してるのがリベラル界隈である。
そんなリベラルの欺瞞は既に剥がれている。
その上の今回の香港である、もう完全に剥がれてしまった。
どうするのでしょう。
・・・・・
そもシナ・朝鮮は中華思想が問題で、
その独善が彼らを貶めている。
でも今回の件を見れば、
同じ中国人である香港人がシナ共産党に否を言ってるのだ、
これはどういうことか。
一つは。
彼ら香港人はイギリス領であったがゆえ、
そこで民主的な自由を生きてきた。
根っこに中華思想があっても、既にその毒を流している。
ということか。
一つは。
シナ共産党は(中華思想は当然として)、
欧米リベラルの手先を担わされていたのだが、
その毒がいよいよ現れてきた、
ということか。
まあ中華の独善とリベラルの正義はそも似た者同士なのだ。
見せかけに過ぎないリベラルの正義と、
中華の独善が相まって押し寄せてきたのだ。
それが香港人の目にあきらかとなり、
今回の命懸けの否となったのだろう。
シナが中華思想なのは当のシナがそう宣言してる通りです。
シナ共産党がリベラルとは、これもシナがそう宣言してるのです。
それが国名等に示されている。
すなわち「中華人民共和国」「シナ共産党」という名称に。
初めから正体は隠していない。
まあ行動の面では当初は少しは隠していたが。
今や白昼堂々の正面開陳である。
アメリカが気付くのも当然です。
それが米中(経済)戦争である。
・・・・・
シナ共産党が欧米リベラルの手先であるのは戦前からです。
シナはそも欧米列強とは戦ったことがない。
むしろ自分たちの利得のため、欧米列強と手を組んだのだ。
そしてもっぱらゲリラ的に日本軍を苦しめた。
まともな戦闘はほとんど無かった。
だから所謂日中戦争などと謂うは幻想である。
事件や事変のことをそう言ってるだけだ。
終戦時のシナ駐留日本軍がほとんど無傷だったのはこの故です。
でもそのお陰でシナは戦勝国となった。
だから毛沢東は戦後の会談で日本に感謝を述べたのだ。
まあ社交辞令ではあったろうが。
ときにリベラルの顔は見せていない。
それが江沢民以降はまったきリベラルとなった。
自分のことは棚に上げて、もっぱら反日の為に。
この反日は戦前・戦中のことらしいが。
ちなみに韓国も同様である。
なお朝鮮は戦前・戦中は同じ国民として生きていた。
先の戦争もだから共に戦ったのである。
それが知っての通りの、今日の強烈な反日である。
これも欧米リベラルの画策に違いない。
でも薬が効き過ぎた。
いまや取り返しのつかない劇薬(毒)となっている。
ところで北朝鮮だが、
拉致問題もあり酷い国家のようではあるが、
欧米リベラルとは線を引いてるよう見える。
私の思い過ごしか。
・・・・・
さりながら日本のリベラルが最も質が悪い。
日中韓の反日リベラルの核心になっているのだ。
中韓だけを責められないのは当然です。
それももう終わるかも…。
余りにもやり過ぎたのだ。
にしても、
これから香港はどうなる。
シナ共産党は狡猾である、裏で何をしでかすか…。
そして更に悪夢は続くのか。
まあシナ共産党が改心することはないだろう。
潰れるか、悪夢の泥沼かだ。
イラン(中東)といいシナ(中華)といい、
日本は難しいところだ。
私としてはだ、
もうどうしていいかさっぱり分からない。
でも面白い、この面白い時を堪能しよう。

イラン訪問

2019-06-17 19:53:42 | 日記・エッセイ・コラム
安倍首相がイランを訪問した。
話し合いの内容は如何、そこはよく分からない。
お互いの思いを語るのだが、
政治は人を仕切るという真に厄介な代物で、
そこには多くの人間の思いが詰っており、
本音を隠した駆け引きに満ち満ちている。
そこは日本は下手で、外国は長けている。
大陸はそも食うか食われるかの世界であった。
民族の興亡も激しく彼らはそこを生きてきた。
強面で自分を主張するのが本性となっている。
でも日本は日本である。
それを覚悟して日本らしさを通せばいい。
私はそう思っている。
安倍首相はどうだったのか。
報道は横目には見ているが、
そもそも信用していない。
・・・・・
政治とは見せるものである。
人々に見せて、それを伝手に仕切るのである。
だから、行くことに意味があったのだと思う。
それだけでもです。
安倍首相(安倍政権を支える日本)の意思もあるが、
トランプ大統領(トランプ政権を支えるアメリカ)の意向もある。
二人とも当然戦争など望んでいない。
だから行くのです。
だから行くことに同意したのです。
そも戦争は偶発的には起こらない。
小競り合いならともかく。
大きな戦争は必ずそこに意図があると思うべし。
先の戦争も、その前の第一次世界大戦も。
最初は偶発的に見えても、
そこで終わるかどうかは企図があるかないかで、
決まるのだと。
それにしてもである。
その企図してる者が何者なのかが分からない。
分かるぐらいなら止められるだろう。
先の日米戦争も日本はしたくはなかった。
それはいろんな記録から明白である。
アメリカにも同様の意見は大いにあったようだ。
特に当時の駐日大使グルーはそうだった。
なのに戦争になってしまった。
明らかに戦争を欲した者等がいたのだ。
その者は庶民には容易には見えないが、
大戦争には必ずいると断言してもいい。
そう言うと陰謀論だとか言って否定されるが。
実はこの陰謀論という言葉(レッテル)こそ怪しいのです。
そういうレッテルを貼って隠すのである。
自分たちが仕切る為の戦略などは決して言わない。
そんな不都合なこと言う筈がない。
騙されないようにしよう。
・・・・・
中東には古来から多くの大帝国があった。
ササン朝ペルシャやオスマントルコ等の。
だが、その内実は部族社会であったろう。
近代的な意味での国民国家ではなかった。
欧米に無理やり国境線を引かれ、今は国らしい態を繕ってはいる。
さりながら、その内実は今も変わっていない。
そのように思量している。
大帝国とはそういう社会の仕切り役であったのだ。
その名残としてイランやトルコがあるが、今はその力はない。
イランはペルシャ人でトルコは勿論トルコ人である。
でも中東の多くはアラブ人である。
日本人には余り区別はつかないが三者三様である。
ややこしいことに、そこにイスラエルが創られた。
イスラエルは知っての通りユダヤ人である。
その故にかユダヤとアラブの間にはパレスチナ問題が発生し、
それが今や収拾の付かない状態である。
かくして彼の地は真に仕切りが難しくなっている。
そんなところに膨大な石油が眠っているのである。
問題が起こらない訳がない。
さらに宗教がまた一筋縄ではいかない。
ほとんどがイスラム教だが、中でスンニ派とシーア派が骨肉の争いをしている。
イスラエルはユダヤ教だがパレスチナ問題もありイスラムとは仲が悪い。
また中東には一部ではあるがキリスト教徒もいる。
これは古来からの古いキリスト教のようだ。
それにユダヤ人には欧米のキリスト教徒からの迫害の歴史もある。
さらにである、そも中世以来欧米キリスト教とイスラムは犬猿の仲である。
かくて宗教間の折り合いは甚だ難しいのだ。
さらにイスラエルのエルサレム(強硬に首都宣言している)には、
それらすべての宗教にとっての聖地がある。
これも諍いの因になりかねない。
かくのごとく中東は争いの絶えない場所で、
だから世界の火薬庫と言われている。
・・・・・
次の大戦争は中東からと言われて久しい。
その状況は今も変わっていない。
どうもそれを起こしたい勢力があるようだ。
それに待ったをかける力もある。
私はそれが今回のイラン訪問だと思っている。
安倍首相の思いなのだが、勿論後押しはトランプ大統領である。
メディアは時に個人的思惑のように伝えるが、
そも首相などのトップの行動にそんな余地はない。
皆国を背負っているのである。
国の意思(国益)に違いない。
トップ個人の思いと同調してはいても。
何度も言うが、先の戦争はしたくてしたものではない。
だがこの日本にも戦争を煽る者がいただろう。
単に煽るのではなく、周到に計画してそうさせる力が。
アメリカの中だけではなかったのだ。
今もそうだろう。
メディアは安倍首相もトランプ大統領も戦争を欲してるように言う。
私はそれは逆だと思っている。
これを記している時にもニュースが入ってきた。
安倍首相がホメイニ師と会談してる日に、
日本のタンカーが何者かに攻撃されたと。
こんなことは個人でできることではない。
事前に計画してなければできない。
それなりの大きな力が働いてるに違いない。
まあ一々動揺することはない。
・・・・・
それにしても、
現下の世界は戦争を起こしにくくなっている、
それは確かだ。
何しろ情報社会である。
既存のメディアだけではないのだ。
ネットで情報が飛び交っている。
誰もが情報を伝えられる。
誰もが情報を得られる。
そこにも勿論限界はあろうが。
だから昔のように誤解や偏見それにデマ等ではなかなか動かない。
戦争を仕掛けたい勢力がいくら扇動しても限界があるのだ。
そこはそうだが、
既存のメディアにはやはり注意しよう。
間違っても戦前の轍は踏まないように。
うん!

天安門

2019-06-10 14:59:18 | 日記・エッセイ・コラム
天安門とは北京の紫禁城入口にある大きな門である。
その前にあるのが天安門広場である。
門とは何か…は言わずもがな。
では天安とは?
これは天神(天父神)アンのことである。
紫禁城は文字通り城であり、皇帝が住まう所である。
皇帝は天の命を受けて統治すると謂う。
だから、そこに天神の門があるのです。
実際に天神を祀ってる建物は別にある。
それは観光名所にもなっている天壇と言われるものです。
ちなみに北京には地壇といわれるものもある。
これは地神(地母神)エン・キを祀っている。
これらは明清時代のものだが、
シナにも元々は祈りがあったということです。
それが今では自己中(中華思想)と共産主義で跡形もない。
残っているのは建物のみ。
観光名所だから残ってるのだろうか、
そうでなければ藻屑になっていたか、
・・・・・
その天安門の前で大事件があった。
正真正銘の大事件である。
その事件からちょうど30年です。
日本でも珍しくニュース等で取り上げられている。
シナに阿ってるメディアにしては珍しい。
米中(経済)戦争の煽りかも。
それにしても、シナは厄介極まりない。
自分の起こした大虐殺は無かったことにしている。
逆に根も葉もない南京大虐殺を喧伝している。
あまつさえ国連ユネスコの世界記憶遺産に登録しているのだ。
厚顔無恥とはこのことである。
しかもだ、内容の開示を求めても一切応じない。
そも内容などある筈がない。
元々無いのだから。
しかも更に厄介なことがある。
シナもだが、世界そのものがである。
国連が嘘を受け入れるのは、利害が一致するからだ。
国連とはつまり戦勝国連合であり、戦後体制の表看板なのである。
してみれば、むしろシナが利用されてるのか。
多分そういうことだろうが、
シナにも都合がよかろうし。
にしても象徴的である。
戦後世界が嘘で出来ているということの。
有ったことを無いと言い、無いものを有ると言う。
胡散臭いことこの上ない。
まことに、まことに、
・・・・・
近頃朝日新聞の発行部数が減っている。
当然だろう。
日本の新聞でありながら酷い反日なのだから。
思えばである。
当初シナは南京大虐殺などほとんど言及していなかった。
靖国神社の参拝にも口出ししていなかった。
帰化した石平さんの言を待つまでもないだろう。
当時の彼らの教科書を見れば分かる。
それに胡耀邦が総書記のときは、
その友好に偽りはなかったと思うのです。
それがなぜ今日の状況になったのか。
すべて朝日新聞が火を付けたのだ。
火のない所に無理やり煙を上げて。
勿論焚き付けたのは戦後体制(の奥ノ院)そのものだ。
欧米(とシナとこの日本)に網の目のように巣くっている。
だから容易には消せないのです。
勿論朝日新聞だけではない。
他のメディアも、そして教育界も官界も、それに政治家達にも。
政治家の国籍は当然に日本だが、それも怪しい。
簡単に帰化できて、帰化一世でもなれるのです。
ともかく日本の中に地雷が一杯埋められている。
それにである。
厄介なことに多くはデュープスなのだ。
心底はほぼほぼ善良だから困るのだ。
韓国もシナ同様に利用されている。
妬みはあったとしても反日ではなかったのに。
それが今や反日の毒が回っている。
昨今は取り返しのつかない状態である。
これから一体どうなるやら。
シナの反日は政治的な匂いがするが、
韓国の反日は感情的で取り付く島がない。
何とも哀れだ。
・・・・・
にしても、米中(経済)戦争はどうなるのか。
日本も火の粉は浴びるだろう。
覚悟しておこう。
でもである。
これで戦後が終わるかも知れない。
それなら大変結構なことだが。

憲法

2019-06-03 11:19:55 | 日記・エッセイ・コラム
私は一応大学は出ている。
勉強した記憶はないが、卒業証書は持っている。
まあそういうことです。
どうも経済学部に行っていたようだ。
なんの役にも立たない学部です。
そこの出身者は皆好き勝手に言っていて、
本当のところはさっぱり分からない。
それに財務省の官僚は皆法学部出身らしい。
経済官庁なのに。
面妖なことである。
・・・・・
そんな私が法律に疑問を持っている。
まあ素人の素朴な疑問ですが。
憲法は法律の中の法律と言われている。
各法律はその憲法に則って作られる。
それは人の行動に一定の枠をはめるもので、
社会を円滑に運営するには必要なものです。
それはそうだが、
法律が有って人が在るのではない、
人が在って為に法律が有るのです。
無くても支障がなければ、そも要らないのだ。
でも現実問題、それは無理なようです。
だから必要性に疑問はない。
にしても法律以前の生き方こそが根っこにある。
だから法律など持ち出さないで納められるなら、
それに越したことはない。
私はいつも「文化とは生き方の総体である」と言っている。
もし本当に優れた文化なら法律は要らない、
てか又はそれを最小限にすることができる。
日本には優れた文化があった。
元々それほど法律に頼っていなかった。
近頃は何でも法律問題にして鬱陶しい限りだ。
さらにヘイトやハラスメントとか謂うものを法律にする。
変な欧米化はもう止めようよ。
そも各法律は人の行動に枠をはめるものだ。
人の心(魂)に枠をはめるのは馴染まない。
心に枠をはめるのは自分自身である。
生活の中で学びつつ身に付けるのだ。
学びは強制ではなく自発的なものだ。
心(魂)こそ自由なのです。
本来の自由を取り戻そう。
為に文化の復興とその更なる高みを目指そう。
・・・・・
憲法は法律の中の法律である。
各法律はその精神を汲んで立法しようとする。
なら、憲法とは精神に如かず。
各法律が具体的に行動を律しようとするなら、
憲法は心の持ち方・立て方を律するものです。
勿論人間はその心と行動は本来一体であろう。
だから合わせて一体なのはその通りなのだが。
イギリスでは成文憲法はないと謂う。
過去の憲章や判例の積み重ねがそれに当たるらしい。
それはつまり生き方そのもであり、文化とも言える。
もしそうなら我が意を得たりである。
それは私の思いと同じである
とはいえ、
これは浅薄な当方の一方的な思い込みである、
ご容赦を…。
・・・・・
ちなみに、
日本には憲法と言われるものが過去にある。
聖徳太子の「十七条の憲法」である。
それに明治天皇の「五箇条の御誓文」もそうかも知れない。
どちらも心を立てている。
何にしても、私は思う。
憲法とは歴史・伝統・文化に他ならない。
生き方の総体としての文化そのものだと。
さすればである、
昨今の憲法改正論議は見るに堪えない。
押し付けられた、とかは横に置いてもよい。
要するに内容である。
実に堪えがたい箇所がある。
戦争はしないと宣言し明記するのはいい、
だが侵略してきたら、その時は徹底的に戦う、
ということも記すべきであろう。
それでこそ平和国家というものだ。
先の川崎市登戸の事件を思えば当然のことではないか。
自分の身を盾にしてでも守らなければならないものがある。
なのに憲法に新たに条項を加えるとも言っている。
教育無償化~である。
これはどうかと思う。
そんな具体的なことは不要だろう。
加えるなら、
子供は未来であり・宝である、
ということでしょう。
とにもかくにも、
そういう、
日本人の思いを結集すればいいのだ。
そしてそれを時代に沿って解釈する。
こんなもんで、どうでしょう。
・・・・・
ちなみに日本に憲法学者はほとんどいない。
憲法のことを真剣に考えてる者のことだが。
さりながら憲法教の原理主義者は沢山いる。
原理や信念は個人的に持つのは素晴らしい。
茫漠としたこの世界で己の心を立てるため。
それを他人に押し付けるのは止めてほしい。
です!