ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

いよいよ参上

2016-10-25 17:18:21 | 日記・エッセイ・コラム
面白い人物が参上する。
フィリピンの大統領、ドゥテルテである。
似てると言えば、アメリカの大統領候補トランプである。
どちらも自国第一である。
至極ごもっともなことである。
トランプは現状形勢不利のようだが、
それでも蓋を開けるまで分からない。
ドゥテルテは現に大統領である。
それもすごい支持率である。
立派なものである。
その彼がいよいよ日本に来る。
・・・・・
大統領になる前から、強権を発動していた。
悪名高き治安を改善するために。
とりわけ麻薬撲滅に力を注いでいる。
結果相当改善されたようである。
治安が良くならなければ、発展も望めないのだから。
外交では結構波風を立てている。
どうもアメリカが嫌いらしい。
人権問題でイチャモンを付けられたこともあるが、
それだけではなさそうだ。
もともとフィリピンはアメリカの植民地であった。
その時に相当酷い仕打ちを受けている。
そのことがあるのだろう。
今回、シナにはちょっと良い顔をしている。
争いをしたくないこともあろうが、
得られるなら経済援助を得たいのだろう。
恐れてのことではないと思う。
あくまで駆け引きなのだろう。
・・・・・
翻って日本はどうか。
何と言っても、日本はそのアメリカと戦ったのである。
フィリピンと戦ったのではない。
あくまでもアメリカなのである。
とはいえ、フィリピン人も沢山犠牲になっている。
アメリカ軍の傭兵として戦った人もいる。
それにマニラでは市街戦となり、
多くの民間人が犠牲になっている。
なかなか微妙なのである。
しかし、結果としてフィリピンは独立した。
戦後に相当経済援助もしている。
だから日本に好意を持ってる人も多い。
ドゥテルテはどうもそちらのようだ。
ところで、今の安倍政権はシナを押さえようとしている。
為にアメリカとは同盟を強固にしている。
その点では、ドゥテルテの動きはちょっと…。
・・・・・
日本の本当の望みは、
日本を取り戻すことである。
だから、
蓋としての日米同盟なら不要であり、
真に対等な日米同盟なら良しである。
これはドゥテルテ大統領の思いとも合致する。
だから日比の関係は盤石で揺るがない。
さて、今回の会談は…。



おもしろい国

2016-10-20 10:25:53 | 日記・エッセイ・コラム
大変興味がある。
北朝鮮のことである。
新聞でも雑誌でも、はたまたネット情報でも、
いろいろ言っているのだが、
話を合わせてみるとハテ?サテ?である。
それぞれの思いの中で、
それなりに分析しており、
結構面白いのだが。
でも結局何も分からない。
・・・
地上の楽園と言って祖国帰還運動があった。
本当に楽園なのか。
今は信じてる人はいない。
軍事独裁で国民は疲弊・困窮していると謂う。
本当にそうだろうか。
そうなら暴動が多発して既に破綻してる筈だ。
未だに破綻していないのは?
シナとつるんでいると言われる。
そういう時期もあっただろうが、今はそれも怪しい。
経済的なつながりはあるようだが。
では本当の関係は?
北朝鮮は孤立していると言われる。
でも、れっきとした国連加盟国である。
外交関係を持つ国は多数ある。
ヨーロッパの中にも平譲に大使館を置いてる国もある。
また特に親しいといわれる国がある。
モンゴル、キューバ、イランである。
本当に親しいのか。
他に親しい国はないのか。
よく分からない。
・・・・・
情報はそれなりに発信されている。
隔靴掻痒ではあるが。
ひとつ言えるのは、北朝鮮は情報統制が徹底してるということだ。
なかなか、したたかな国である。
ひるがえって日本はどうだろう。
政府は国民と同じ程度の情報しかないのだろうか。
そんなことはない。
そんななまやさしい国ではない。
現存する世界最古の王朝国家である。
だが敗戦という重荷を背負っている。
日本を貶める仕掛けが随所にある。
その罠をすり抜けて対処しなければならない。
罠の最たるものは左翼リベラルの存在である。
一筋縄ではいかないのだ。
それに情報とは、
真実の情報と偽の情報、
さらに、
知らせたいもの、知らせたくないもの、
謀として知らせるもの、謀を潰すために知らせるもの、
興味本位だけのもの、
それらすべてがないまぜになっている。
そういうものである。
・・・・・
私の取扱方針。
先ず、何も分かっていないことを自覚する。
次に、入って来る情報は一旦認める。
本当か嘘かは問わない。
だから何も信じないし何も疑わない。
いよいよ考えることになるが、
頭の中でむやみにひねくり回さない、
身体全体で考える、
つまり腑に落ちるものだけを取り込む。
それでも勿論、分かったとはならない。
結局、最後に残るのは現実である。
過去と未来を包含した目の前の現実である。
それがすべてだ。

換骨奪胎

2016-10-15 16:22:51 | 日記・エッセイ・コラム
言わずもがな、安倍政権は保守である。
現実を大事にする保守政権である。
何より現実と伴にある(人間の)心を大事にする。
先達の当今のそしてこれからの、すべての人々の。
だから「日本を取り戻す」なのだ。
・・・・・
戦後日本はそこに蓋をされた。
日本を取り戻すとはその蓋をはずすことである。
第一次安倍政権でのことだが、
安倍首相が慰安婦問題で思いの一端を語ったとき、
韓国はともかく、
アメリカ(の権力中枢)から矢が飛んできた。
これこそ蓋である。
戦後支配体制による蓋である。
その蓋はリベラルの皮をかぶっている。
リベラルこそ蓋なのだが、なお日本のリベラルは更に異質である。
アメリカもそうだが、世界のリベラルはいづれも愛国であり国益を重視する。
日本のリベラルには愛国はない、国益はこれは無視である。
これが蓋である所以なのだ。
日本のリベラル人士は皆洗脳されている。
もちろん彼らはそうは思ってないだろう。
実にきつい洗脳なのだ。
・・・・・
今次の安倍政権の政策は一見リベラルと見間違う。
リベラルに転向でもしたのか。
そんなことはあろう筈がない。
それは日本を取り戻すまでの策だろう。
だからこそ強い政権になっている。
リベラル野党がなかなか攻められないのだ。
何しろ彼らのお株を奪っているから。
そうなんだろうが、でも私には気に入らない。
分かっていても気に入らない。
一つ、グローバリズム(またはTPP)の推進。
(グローバリズムとは強者の論理であり国家の破壊である)
一つ、男女共同参画(または女性登用)の推進。
(人類の初めより男女共同参画でなかった時代はない)
(時代によりその在り方が変わるのは当然だが)
一つ、同一労働・同一賃金の提唱。
(同じような労働はあっても同じ労働はない)
一つ、もと慰安婦への和解金の支払。
(所謂慰安婦問題はまったくの嘘である、ついでに南京大虐殺も)
取り敢えずこんなとこかな。
・・・・・
注意すべきは、リベラルの取扱である。
人間にとって言葉ほど重いものはない。
言葉があるから人間なのであり、なければヒトという猿でしかない。
言葉は現実である、神にとっては。
言葉は現実と伴にあらねばならない、人にとっては。
このこと胆に命じよう。
だから言葉が先走っては駄目なのである。
観念論に陥っては駄目なのである。
学問や遊びなら良いだろう。
先を照らす灯りとして用いるなら、それも良いだろう。
だが言葉の中に現実を閉じ込めるのは最悪である。
すべてを見失う。
だからリベラルには注意しよう。


働き方改革

2016-10-10 10:15:24 | 日記・エッセイ・コラム
私は安倍政権支持である。
絶対的支持である。
何より「日本を取り戻す」を支持している。
そういうことだが、個々の政策には支持しないものも多い。
この「働き方改革」もそれである。
・・・・・
日本を支えているのは日本人である。
日本の庶民である。
なお、私は庶民という言葉を敢えて使っている。
庶民というのは元を糺せば余り好ましい言葉ではないらしい。
でも、私は日本人は皆天皇の庶子だと思っている。
それに、それ以上に市民という言葉が嫌いなのである。
だから敢えて庶民という言葉を使う。
それはさておき、日本の経済は日本人の働きそのものだ。
日本人の働きの総計が日本の経済力なのだ。
いろいろ言われるが、今も日本の経済力は強いのである。
それは日本人の働きが強いからだ。
ではなぜ強いのか。
日本人にとって働くことは生きることそのものなのだ。
働きがどこまでも自分の為なら、それは遊びと変わらない。
働きを働きと謂うは自分の為でもあり、他人の為でもあるからだ。
働きとは世に関わり・世に貢献し・世に在ることである。
それが場を生きる日本人の働きだ。
なお、これがボランティアという言葉がなじまない一因である。
ボランティアとは働きの外にあるのではなく、
あくまでも働きと伴にあるものなのだ。
だから働きを除くとどうも偽善ぽく見えてしまう。
まあ、最近はちょっと変わってきたが。
日本では最高神の天照大神ですら田植えをし、機を織るのである。
今上天皇もまた田植えをし、稲刈りを為される。
働くことも祀りの一つのように。
さなればこそ、労働は神聖なものなのだ。
当然、自分は何もせず他人にだけ働かせるのを良しとしない。
「働かざる者、食うべからず」である。
なるほど奴隷制度がなかった訳である。
ここが違うのである、
労働を必要悪のように思っている欧米や、
蔑視するシナ・朝鮮とは。
・・・・・
だからである。
日本人の働き方は変える必要がない。
むしろ変えてはいけない。
そうは言うものの、働き過ぎというのは少し問題だ。
何でもそうだが、遊びは必要なのだ。
と言うより、むしろ非常に大事である。
働きと伴にある遊びは。
働き過ぎを何とかしようというなら、そこは良しとする。
江戸時代は庶民は結構遊んでいたらしい。
江戸文化は庶民の遊びが育てたようなものである。
働きと伴にある遊びは素晴らしいのだ。
でも今次の「働き方改革」には気になる文言がある。
曰く「同一労働・同一賃金」。
これは嘘である。
同じ労働などこの世にない。
人は皆それぞれ違うのである。
歌にもある、件の「世界に一つだけの花」のように。
もちろん、同じような仕事には同じような賃金を払うべきである。
そのことに異論はない。
でも同じ仕事はないのである。
「同一労働・同一賃金」とはリベラル特有の虚である。
そこは非常に危惧する。
・・・・・
そんなことは先刻承知かも知れない。
敢えて言ってるのかも…。
どちらにしてもである。
日本を取り戻すためには、
嘘を排除しなければならない。
リベラル特有の嘘を。

本当は世界一の日本経済

2016-10-03 13:48:33 | 日記・エッセイ・コラム
これは今読んでいる本の題名である。
著者は上念司という。
彼の本は以前から結構読んでいる。
もちろん面白いと思うからだが、
言っていることに外連味がないのがいい。
とはいえ、当方それほど読解力がある訳ではない。
だが、大いに納得しているのだ。
・・・・・
今時の経済学者はほとんど信用できない。
戦後、先生が先生でなくなったのと同じである。
こころは、
職業名先生というただの労働者になってしまった、
ということだ。
これは日教組の先生方のことである。
これと同じである。
経済学者はそれを飯のタネとするただの労働者なのか、
さもなければ自分の意見が絶対だという宗教者なのか、
そういう風に見える人が多い。
戦後流行ったマルクス経済学の影響なのか…。
彼の経済学は人間が持っている志というものを無視し、
すべて十把ひとからげの労働者にしてしまう。
その結果、ほとんど言葉遊びとなる。
小難しい言葉をさも論理的に使っているようで、
結局何を言ってるのかさっぱり分からない。
そういう素晴らしい学問である。
それでも、マルクスの言っていることには一遍の理はある。
だから資本論は古典なのだ。
それにしても今次の経済学は現実との関わりが濃すぎる。
学問は学問である、現実は現実である。
よくできた学問が現実と重なる部分があるのは当然だ。
そこは利用できるだろう。
だが学問という仮説に現実をまんま乗せれば危ういことになる。
だからである、現実(実業)に根を置いている人は信用できる。
著者はそういう人である。
・・・・・
ところで、
日本経済は世界一であるということだが、
それは私もそう思っている、
ずっと前から。
経済とはすなわち、「もの」(物とサービス)の生産と交換のことである。
物々交換であれ、貨幣が仲介するのであれ。
それがそれぞれの個人の生活を為さしめ豊かにさせる。
好景気とはそれが上手く機能することである。
経済とはそもそも貨幣のことではない。
貨幣が無くても機能するなら、貨幣など創る必要はない。
だが今次は貨幣経済である。
貨幣の機能を大いに利用している。
むしろ貨幣の機能に頼っている。
だから貨幣の重要性は大きく、その有様が一層重要になる。
そのことに異論はない。
だが、根は「もの」である。
そのことを忘れてはならない。
「もの」は人が作るものである。
人の働きがすべてである。
ここに日本が世界一という所以がある。
つまり日本人の働きが世界一ということである。
それは歴史・伝統・文化に根ざしている。
そう簡単に変わらない。
・・・・・
日本経済は世界一である。
たとえ景気が悪いと言われようと。
何しろそこに日本人の働きがあるのだから。
ましてや破綻するなど考えられない。
もし破綻するなら、
それは日本人(の働き)が壊れる時である。
このこと間違いなし。
世間では破綻すると言う人もいるようだが、
これはもうまったく信用できない。
いやはや!