ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

正男さんのこと

2017-02-28 08:47:27 | 日記・エッセイ・コラム
連日洪水のごとく報道されている。
トランプのことも終わった訳ではないのだが、
今はとにかく正男さんだ。
・・・・・
しかし何か、定番の刑事ドラマのようである。
先ず殺人事件がある。
その背景が語られる。
中に、非常に怪しい人間がいる。
でなんだかんだあって、結局犯人ではないと。
犯人は意外な人物なのだ。
そんな物語である。
今回もそうかも知れない。
私は天邪鬼だから特にそう思う。
皆が言えば言うほど、
そう思う。
・・・・・
亡くなったのは本当に正男さんなのか。
シナが警護してたのではないのか。
どうしても邪魔になるなら、
誰も分からないところで、ひっそりやればいいのに。
いやしくもプロならば。
そんな余裕がなかったと言う人もいる。
余裕の問題だとは思えない。
もし本当に追い詰められてるなら、
これは尋常ではない。
近々戦争が起こっても不思議ではない。
そこまで切迫してるのか。
それよりも、
正男さんが死んだということを、
見せるのが目的ではないのか。
あくまでも見せるのが。
堂々と皆に見せるのが。
こうもあっけらかんと見せられれば、
そう思ってしまう。
・・・・・
ともかく北朝鮮は分からない。
しかしこれだけは確信している。
この種の事件は、
個人的な恨みや怒りでなされることはない。
必ず政治的なのである。
別の情報では正恩さんは泣いていたという。
そうであってもおかしくない。
たとえ自分の命令でやったとしてもだ。
そういうものである。
それにしてもマレーシアはよく利用される。
例の行方不明の旅客機(マレーシア航空370便)もそうだ。
どこかで破片の一部が見つかったとも言われるが、
決定的な証拠ではなさそうだ。
結局うやむやのままである。
どうもマレーシアには魑魅魍魎が跋扈してるようだ。
住人にははた迷惑なことである。
・・・・・
世の多くの人々は陰謀論を否定する。
そういう人はどう考えるのか。
少なくとも今回の件は陰謀そのものではないか。
誰が犯人であっても。
思うに、
陰謀論を頭から否定してしまえば、
政治の現実など分かろう筈がない。






イエスの社

2017-02-21 11:03:38 | 日記・エッセイ・コラム
神の言葉を預かる者がいる。
預言者という。
聖書にはそんな預言者が沢山出てくる。
彼らは本当に聞いたのだろうか。
神の声を。
私には分からない。
・・・・・
でも多くの人はそれを信じている。
私も疑ってる訳ではない。
でも注意してる。
それが本当に神の声か。
現に神の言葉と謂われるものは、
本当に神の言葉なのか、
実は人の言葉では…。
私には区別できない。
何しろ神の声を聞いたことがないから。
それにそれが本当だとしても、
正しく伝えられているのか、
伝言ゲームのように変質してはいまいか、
あるいは曲解されてはいまいか、
…。
・・・・・
イエスは預言者ではない。
イエスは神である。
キリスト者にとっては。
そこはムハンマドとは違う。
ムハンマドはムスリムにとっては預言者なのだ。
神ではなく、神から言葉を預かる者だ。
イスラム最大の聖者ではあるが。
そこが大きく違う。
あくまでも人なのだ。
もちろんイエスも生きている間は人であったかも知れない。
キリスト者はどう思っているか知らないが。
どちらにしても、イエスの言葉は神の言葉である。
預かった言葉などではない。
そのイエスの言行を記しているのが福音書である。
曰く、新約聖書である。
イエスの弟子(使徒)によって残された。
・・・・・
イエスはその生き方を通して、自身が神であることを示した。
ここに意味がある。
自分が神だから従えとか、神である自分の言葉は絶対だ、
などとそんな半端なことは言ってない。
あくまでも示したのだ。
自らの言行を通して。
ヨハネがその福音書の中で記したイエスの言葉に、
「わたしが道であり、真理であり、命なのです」
というものがある。
栄光の羊飼いとも称されるイエスは示したのです、
羊が羊飼いに従うように。
道を示したのです。
言葉で命じたのではない。
道なのです。
私流に解せば、ときに言葉は危ういのです。
人の言葉は最後は嘘になる。
神の言葉も人が扱えばやはり同じこと。
・・・・・
わたしとはイエスであり神である。
わたしの道とはつまり神の道である。
その道を歩みなさい、と。
言葉に惑わされず、ただひたすらに。
それが意だと思う。
なら、これは神道と記してもいいだろう。
神道は実に日本の根(心柱)です。
その神道最大の神社は伊勢の神宮(内宮)です。
そこに祀られているのは天照大神である。
だがその実体はイエスだと言う人がいる。
最初に聞いたときは奇異に感じた。
だが、今は有り得ると思っている。
少なくとも奇異には感じていない。

病は気から

2017-02-16 15:01:20 | 日記・エッセイ・コラム
病は気から、とはよく言われることだ。
だから病と気を合体させて病気という。
確かに、病気には原因がある。
その原因を除けば病気は治る。
それが物的なものならばだ。
心的なものならどうだろう。
それは難しそうだ。
さりながら、大抵の場合は自然治癒力で知らぬ間に治っている。
その場合、病であっても病気ではない。
病気は病であると思った時から始まるのだ。
単なる疲れや体調不良などは普通にあることだ。
それを一々病気とは言わない。
・・・・・
人間以外の動物には病気はない。
つまり病気という言葉(概念)がないからだ。
もちろん、病はあるだろう。
気もそれなりにあるだろう。
その生物なりに。
でもそれを意識する言葉を持たないのだ。
だから、現実を現実のままひたすら生きるのみである。
どこまでも自然に任せるより他ない。
神のみぞ知る、である。
人間は言葉を持った。
それがすべての始まりである。
故にである。
病気という言葉を持って、病気に苦しむことになる。
お釈迦様は生老病死等を四苦八苦と言ったというが、
その四苦八苦からどうしたら解放されるかを探った。
そして長い修行の上で悟ったという。
修行とは何か。
修行は身体(全身全霊)に問うことである。
単に脳に問うことではないのだ。
言葉からの解放を言葉によっては求められない。
世にお釈迦様が残したという言葉がある。
それらは弟子達が伝えたものである。
しかし注意が必要だ。
それらの言葉は悟りの一端でしかない、
ということを。
・・・・・
人間にとって、この世界は言葉でできている。
そのことを知らねばならない。
言葉を捨てればただ現実があるだけなのだ、どこまでも。
だが、その現実をどうしても言葉で表現する。
そして、その表現されたものを世界とする。
入れ替わるのだ、現実と表現されたものとが。
だからいつも言う。
言葉は現実と伴にあらねばならないと。
言葉が現実から離れれば幻でしかない。
バーチャル・リアリティの世界となる。
映画「マトリックス」の世界のように。
さりながら、人間が人間であるのは言葉ゆえだ。
今さら言葉を捨てられない。
だから常に現実を直視していなければならない。
そして時にはお釈迦様にように言葉を捨てることも。
座禅による瞑想、
不立文字、
考案(言外の言を問う)、
等々。
・・・・・
聖書では言葉は神そのものだと謂う。
人間はその神である言葉を使うのだ。
何とも畏れ多いことである。
知る限りであるが世界の中で唯一、
このことに留意している国がある。
日本である。
言霊の幸はう国である。
言葉を弄ばない。
言葉はどこまでも「まこと」である。
つまり、
言が成る(誠)であり、
真の言(真言)である、
のだ。

やかましいこと

2017-02-09 15:54:00 | 日記・エッセイ・コラム
毎日やかましいことである。
ニュースを見れば先ずトランプである。
一番やかましいのはアメリカだろうが、
実際の空気感はよく分からない。
メディアは余り信用できないし。
日本でのことなら、少しは分かるのだが。
ところで他の国ではどうだろう。
関心があるのは違いなかろうが。
・・・・・
ともかく今回のことでよく分かった。
メディアが信用できない、ということが。
日本もアメリカも同じだ。
たぶん他の国でも。
どこもリベラルは嘘つきなのだ。
とはいえ、シナ・朝鮮はその範疇にはない。
彼の国はメディアどころか国家そのものが嘘を付くから。
それにしても朝日新聞とCNNはよく似てる。
データの切り取り・改竄はもちろん、時に平気で嘘を付く。
指摘されて困ったら、見解の相違と言う。
更に困ったら、論点をずらす。
さらに更に困ったら、黙って頬かむり。
人の噂も七十五日てか。
・・・・・
言葉を弄んではいけない。
聖書では、神がこの世界を創ったという。
しかもそれは言葉によって。
ゆえに神の言葉が世界(現実)そのものなのだ。
似ているとしても、
人の言葉は人の言葉であり、
神の言葉ではない。
だからである。
人の言葉は現実に寄り添ってこそ意味がある。
現実から離れれば空虚になる。
すなわち嘘になる。
そのこと忘れてはいけない。
言葉を弄んではいけないのだ。
・・・・・
トランプ大統領は毎日のようにつぶやく。
ツイッターを利用して。
そも大統領は現実を動かす者である。
だからか、彼のつぶやきは現実的である。
やや傲慢ではあっても。
少なくとも、
その言葉が現実に添っていれば、
問題はない。
観念論が駄目なのだ。
観念論は最後は嘘になる。
それは所詮脳内の幻想でしかないのだ。
先を照らす灯りとするのは良いのだが。
言葉の中に現実を閉じ込めてはいけないのだ。
それこそ本末転倒であり、神を私物化することになる。
その時壊れる。
勿論壊れるのは現実ではない、人である。
リベラルとはそういう危うい思想なのだ。
灯りと現実とを見極め、
ほどほど適当に利用すれば非常に有用である。
そこにこそ、リベラルの意味がある。
リベラル人士の奮起を期待する。
・・・・・
脳は身体の一部でしかない。
一部である脳にだけ頼るのは止めよう。
脳は脳としてしっかり使い、最後は身体に聞こう。
60兆個の細胞すべてに問うのだ。
曰く「腑に落ちる」ことに従おう。

苦戦している模様

2017-02-05 21:05:58 | 日記・エッセイ・コラム
旋風を巻き起こし、
世界を揺らしているトランプ大統領だが、
苦戦している模様である。
大統領令が裁判所から無効とされたのだ。
綺麗ごとはなかなか手強い。
・・・・・
不謹慎だが、
ここで大きなテロが起きれば、
また事情が変わる。
でもたぶん起きないだろう。
当分の間は。
トランプ大統領が挑戦しているのは戦後支配体制そのものだ。
体制側は自分に不利なことは抑え込むだろう。
世界はそういうふうにできている。
まあしかし、それは結構なことだ。
実際のところ平和は何よりである。
なお綺麗ごとで世界が平和になるなら、
これほど結構なことはないだろう。
しかしうかうかしてたら、また騙される。
燃えている火は元から消さねばならない。
火の粉を払っているだけではどうにもならないのだ。
この騒ぎの中で、本当の問題が見えなくなる。
そしてその間に、次の問題が準備されるかも。
注意して見ていよう。
・・・・・
戦後支配体制とはすなわちグローバリズムである。
だから分かると思うが、
トランプ大統領に敵対していないのは誰なのか。
ロシアのプーチン大統領、
イギリスのメイ首相、
日本の安倍首相、
フィリピンのドゥテルテ大統領、
台湾の祭英文総統、
他…。
もちろん直接連携してる訳ではないだろう。
共通しているのは皆自国第一ということだ。
イギリスもアメリカも本来明らかに支配体制側である。
であるのに挑戦している。
それはここにきて矛盾が噴出してきたからだ。
内部分裂を止められなくなったのだ。
もともと戦勝国と敗戦国とに分けられるのだが、
双方ともその中に協力者とそうでない者がいる。
そのせめぎあいの中でやってきた。
だが支配体制側がやり過ぎたのだ。
・・・・・
ソビエト連邦やシナは共産主義政権だから、もともと体制側いる。
共産主義とはグローバリズムに他ならないのだ。
だがロシアはソビエト連邦崩壊により体制側から抜けた。
だからか欧米のマスメディアに叩かれる。
シナは今もって共産党政権で体制側にいる。
それがこの前のダボス会議での演説である。
言ってることはグローバリズムそのものだ。
イギリスはブレグジットで立場が決まった。
日本にも体制側の協力者が一杯いるが、
安倍首相の立場は初めから決まっている。
すなわち「日本を取り戻す」である。
台湾の立場は自ずと決まっている。
国民党政権ならいざ知らず、本省人の思いは…。
フィリピンは大統領の発言でこれも明確だ。
後は…、
ちょっと分からない。
・・・・・
だから今年は面白い。
世界を見ていて飽きることがない。
とはいえ、
いつも言うことだが、
できるだけ平和の内に、
と祈るだけである。