天の定めはある。
確かにあります。
これは絶対的に。
大宇宙では星々の定め(運動)は決まってる。
小宇宙では粒子の定め(振動)は不確定だが。
だがこれは大宇宙の定めには影響を与えない。
ここにも天のはからいがある。
しかしてすべては波動である、と思っている。
その典型が「いのち」である。
波動には初めも終わりもない。
だから生命にも終わりはない。
「わたし」とはときの波動の有様に過ぎない。
そう思っている。
お釈迦様の言を借りれば、
それを輪廻転生って言う、
のだろうと。
・・・・・
これは言葉遊びである。
てか言葉とは遊ぶもの。
現実から感光を受けてできた脳の傷、
それが積み重なってできたのが言葉。
だから何度も言っている。
言葉は現実をなぞっているだけ。
現実を超えることなどできない。
私はそれを踏まえている。
その上で言っている。
だから遊びだと。
揺らぎを遊ぶ、それが私の思考。
大宇宙に影響は与えられないが、
でも小宇宙はいつも揺らいでる。
そこで遊んでいる。
そこでは少しは変えられる。
身の回りや関わる者達には。
それも微々たるものですが。
それが大きくなれば歴史となる。
私にはそこは変えられない。
現下は酷い状況だが、
イエスの言葉を言葉とし、
昭和天皇のお言葉を胸に、
ただ耐え忍ぶだけである。
畏れ多いことだが、
昭和天皇は分っておられた。
陛下とはその様な存在かと。
だからのあのお言葉か。
歴史は一人では変えられない。
多くの人が関わってこそです。
それでこそ歴史となる。
そこでは英雄・偉人がもてはやされるが、
それは人々に影響を与えるからです。
そういう人がときに現れる。
だから歴史とは英雄・偉人伝とも言える。
それは個人を語るものだから、
歴史ではないと言う人もいる。
まったく持っての見当違いだ。
木を見て森を見ず、って言葉があるが、
森を見て木を見ず、ってことか。
木なくして森もないのに。
人を見ないで人の歴史もなし。
中心にいる人を語ってこそだ。
以前にも言ったが、
過去の因縁を踏まえ、
未来に因縁を結ぶ、
それが歴史人である。
基本的に命を繋ぐ人らは皆歴史人だが、
中でも人々に大きな影響を与えるのが、
まさに歴史人なのだ。
・・・・・
今世間ではLGBTなんちゃらが喧しい。
実に下らないことです。
命にとって最大の使命は生きること。
でも個体としては限界がある。
だから命を繋ぐのです。
そのことに命を懸ける。
使命とは文字通りかと。
自然界を見れば明らか。
有性の生き物にはオスメスがある。
ときに性が入れ替わるものもいる。
仮にLGBTのような存在があっても、
それはその場限りのあだ花となる。
人間で謂う歴史人にはなれないと。
でもそういう存在にも意義はあるだろう。
そも命を繋ぐのは一握りの生き残った者らである。
彼らを残す為には多くのあだ花が必要なのである。
でもそれは多分普通のオスメスであって、
LGBTなんちゃらはほとんどいないだろう。
てか言葉を持たないから、
彼らはそれを意識しない。
どこまでも自分を生きる。
そこで悩むことなどない。
翻って今次の人間の有様、
情けない限りです。
ヒトの子は産むにも限度があり、
生んでからも手が掛かることに。
その負担は大方女性にかかると。
それをやわらげる仕組みが婚姻。
男が或いは家族地域がそれを支える。
そういう仕組みとしてあるのだ。
私など歴とした?男だが、
そこにまったく関れずに一人暮らし。
だから陰ながらに応援するのみ。
邪魔するなどは論外のこと。
だから思うのです。
まともな人間ならLGBTであっても同じことかと。
同性同士にも結婚を認めろって?
バカ言ってんじゃない。
意味不明なだけでなく、
これはもう狂気の沙汰。
彼らLGBTらをおもちゃにしてるだけ。
と思うのだが、
言っても無駄かも、
でもほっとけんし、
…
・・・・・
今世間はこの話で喧しいが、
まことにちぐはぐなことに、
その横で、
少子(高齢)化対策として、
子ども家庭庁をつくるとか。
子どもが大事は当然のこと。
そこは大いに賛同するが、
わざわざ省庁をつくる必要があるのか。
役人の仕事を増やすだけだろう。
てかたぶんそうなる。
そんなことはせずに、
本来の婚姻を奨励し、
男を立て女を守る手配りをすればいい。
あらためての制度など必要なし。
就中組織をつくるなど愚の骨頂。
てか今更どうにもならんか。
彼らは既に子ども国会をつくってる。
そして子どもらしい議論に夢中の様。
てか世界の真ん中には、
子ども総会ってのもあるようだ。
世界が困り果てているのに、
結論なき与太話ばかり。
チ~ン?
これは浄化音です。
さらに又チンチン。
確かにあります。
これは絶対的に。
大宇宙では星々の定め(運動)は決まってる。
小宇宙では粒子の定め(振動)は不確定だが。
だがこれは大宇宙の定めには影響を与えない。
ここにも天のはからいがある。
しかしてすべては波動である、と思っている。
その典型が「いのち」である。
波動には初めも終わりもない。
だから生命にも終わりはない。
「わたし」とはときの波動の有様に過ぎない。
そう思っている。
お釈迦様の言を借りれば、
それを輪廻転生って言う、
のだろうと。
・・・・・
これは言葉遊びである。
てか言葉とは遊ぶもの。
現実から感光を受けてできた脳の傷、
それが積み重なってできたのが言葉。
だから何度も言っている。
言葉は現実をなぞっているだけ。
現実を超えることなどできない。
私はそれを踏まえている。
その上で言っている。
だから遊びだと。
揺らぎを遊ぶ、それが私の思考。
大宇宙に影響は与えられないが、
でも小宇宙はいつも揺らいでる。
そこで遊んでいる。
そこでは少しは変えられる。
身の回りや関わる者達には。
それも微々たるものですが。
それが大きくなれば歴史となる。
私にはそこは変えられない。
現下は酷い状況だが、
イエスの言葉を言葉とし、
昭和天皇のお言葉を胸に、
ただ耐え忍ぶだけである。
畏れ多いことだが、
昭和天皇は分っておられた。
陛下とはその様な存在かと。
だからのあのお言葉か。
歴史は一人では変えられない。
多くの人が関わってこそです。
それでこそ歴史となる。
そこでは英雄・偉人がもてはやされるが、
それは人々に影響を与えるからです。
そういう人がときに現れる。
だから歴史とは英雄・偉人伝とも言える。
それは個人を語るものだから、
歴史ではないと言う人もいる。
まったく持っての見当違いだ。
木を見て森を見ず、って言葉があるが、
森を見て木を見ず、ってことか。
木なくして森もないのに。
人を見ないで人の歴史もなし。
中心にいる人を語ってこそだ。
以前にも言ったが、
過去の因縁を踏まえ、
未来に因縁を結ぶ、
それが歴史人である。
基本的に命を繋ぐ人らは皆歴史人だが、
中でも人々に大きな影響を与えるのが、
まさに歴史人なのだ。
・・・・・
今世間ではLGBTなんちゃらが喧しい。
実に下らないことです。
命にとって最大の使命は生きること。
でも個体としては限界がある。
だから命を繋ぐのです。
そのことに命を懸ける。
使命とは文字通りかと。
自然界を見れば明らか。
有性の生き物にはオスメスがある。
ときに性が入れ替わるものもいる。
仮にLGBTのような存在があっても、
それはその場限りのあだ花となる。
人間で謂う歴史人にはなれないと。
でもそういう存在にも意義はあるだろう。
そも命を繋ぐのは一握りの生き残った者らである。
彼らを残す為には多くのあだ花が必要なのである。
でもそれは多分普通のオスメスであって、
LGBTなんちゃらはほとんどいないだろう。
てか言葉を持たないから、
彼らはそれを意識しない。
どこまでも自分を生きる。
そこで悩むことなどない。
翻って今次の人間の有様、
情けない限りです。
ヒトの子は産むにも限度があり、
生んでからも手が掛かることに。
その負担は大方女性にかかると。
それをやわらげる仕組みが婚姻。
男が或いは家族地域がそれを支える。
そういう仕組みとしてあるのだ。
私など歴とした?男だが、
そこにまったく関れずに一人暮らし。
だから陰ながらに応援するのみ。
邪魔するなどは論外のこと。
だから思うのです。
まともな人間ならLGBTであっても同じことかと。
同性同士にも結婚を認めろって?
バカ言ってんじゃない。
意味不明なだけでなく、
これはもう狂気の沙汰。
彼らLGBTらをおもちゃにしてるだけ。
と思うのだが、
言っても無駄かも、
でもほっとけんし、
…
・・・・・
今世間はこの話で喧しいが、
まことにちぐはぐなことに、
その横で、
少子(高齢)化対策として、
子ども家庭庁をつくるとか。
子どもが大事は当然のこと。
そこは大いに賛同するが、
わざわざ省庁をつくる必要があるのか。
役人の仕事を増やすだけだろう。
てかたぶんそうなる。
そんなことはせずに、
本来の婚姻を奨励し、
男を立て女を守る手配りをすればいい。
あらためての制度など必要なし。
就中組織をつくるなど愚の骨頂。
てか今更どうにもならんか。
彼らは既に子ども国会をつくってる。
そして子どもらしい議論に夢中の様。
てか世界の真ん中には、
子ども総会ってのもあるようだ。
世界が困り果てているのに、
結論なき与太話ばかり。
チ~ン?
これは浄化音です。
さらに又チンチン。
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