ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

言葉を乗っ取る者

2015-12-27 13:50:32 | 日記・エッセイ・コラム
神ならぬ人の身では真実は分からない。
それは当然のことだが、
人でありながら、
言葉を乗っ取り、
言葉を絶対化し、
世界を仕切ろうとする者がいる。
神はそれを咎めた。
聖書はそれを記している。
禁断の木の実を食べたことを。
罪を背負ってしまったことを。
・・・・・
考えられないような悲劇がある。
カンボジアのポルポト、
オウム真理教の麻原、
等々。
理想を語る。
理想を実現しようとする。
それに反対する者もいる。
反対する者は理想の敵である。
理想の敵は悪である。
悪は退治する。
そして殺す。
殺すことは正義となる。
正義の名で殺す。
どこまでも殺す。
これが悲劇でなくて何なのか。
・・・・・
今それに類する者がいる。
リベラルである。
彼らは自由・人権・平和などの美辞を口にする。
だが現実の世界は美辞のごとくにはない。
それに美辞はある意味嘘でもある。
だから現実的に対応しようとする。
ために美辞を一旦横に置く。
そしたら糾弾する。
何が何でも糾弾する。
彼らは自分が正義だと思っている。
自分だけが正義だと。
そして人を殺す。
殺さないまでも見殺しにする。
レッテル貼りもそのひとつだ。
彼らは皆善良である。
ほんとうに善良である。
そして厄介な人達である。
・・・・・
私には口癖がある、
理想は未来を照らす明かりとせよ、
理想の中に現実を閉じ込めるな、
現実こそ存在の証である、
現実を否定することは存在の否定である、
という。
まあ、人それぞれだが。










極右というレッテル

2015-12-22 09:45:30 | 日記・エッセイ・コラム
フランスで選挙があった。
地方選挙であったと思う。
そこに国民戦線という政党が出ていた。
予備選挙では多くの地区で第一党となったが、
本選挙ではすべて第一党から落ちた。
とは言っても、それなりの支持があったろう。
・・・・・
日本でもそうだが、
右翼というのは人権軽視や好戦的なものだと思われている。
それは偏見である。
言ってることを素直に聞けばわかる。
歴史・伝統・文化を尊重し、
その中で育まれた生き方・在り様を大切にしているだけだ。
国民戦線の主張はよくは知らない。
でも言ってることは、そういうことだろう。
右翼という言葉だけでもレッテル貼りなのだが、
それぐらいなら立ち位置を示すだけで穏当ではある。
それを極右と言うのである。
人権蹂躙の極悪集団のごとき言い様である。
まったく酷いレッテル貼りだ。
・・・・・
同じような生き方、価値観を持った者が集まるのは自然だ。
それが町や村を作る。
そして国を作る。
そんな国があちこちにできる。
それが世界である。
世界は皆同じでなければならないとは胡乱なことである。
人に個性があるように、町や村もそれぞれである。
それぞれの歴史・伝統・文化がある。
それぞれの生き様がある。
その生き様を脅かす者が現れれば、排除しようとするのは当然だ。
人に免疫機能があるように、外部からの異物は排除しようとする。
徐々に同化するなら、それは良いのだが。
急激に起これば軋轢を生む。
それは一般的に病気と言う。
・・・・・
何もかも同じでなければならない、
そうでなければ平等ではない、
と言うのは現実を無視した屁理屈である。
現実は雑多である。
現実の世界は棲み分けである。
棲み分けという言葉こそ鍵なのだ。
棲み分けによる共生、
その中での緩やかな連帯、
それを平和と言う。





よく似た話

2015-12-15 11:42:03 | 日記・エッセイ・コラム
大茶番劇が行われた。
一つはヨーロッパで、一つはシナで。
似ていると言っても、内容のことではない。
それが大嘘だということだ。
気候変動枠組条約締約国会議(COP21)と南京大虐殺追悼式典である。
ずっと前から言っている。
世界は嘘で満ちていると。
・・・・・
気候はもちろん生物に影響を与える。
というより、その中で育まれ生きている。
気候あっての生物なのだ。
それが現実である。
その逆ではない。
もちろん、生物も少しは気候に影響を与えるだろう。
それは微々たるものだ。
それが人間でもだ。
所以、気候が最も影響を受けるのは太陽だ。
その太陽の変化は太陽自身と太陽系全体の内に因がある。
さらにもっと大きく言えば、宇宙そのものの揺らぎこそ大元である。
そんなことは分かりきっている。
地球の歴史を見れば明かだ。
よく似た話に石油の件がある。
原油埋蔵量には限界があり、そしていづれ枯渇すると。
いわゆるピークオイルというやつである。
話としては尤もなことで、大いに信じられた。
その話が事実なら、今次の世界は大変困ったことになってる筈だ。
しかし今はまったく言われない。
枯渇するとしても千年以上先のことらしい。
・・・・・
南京大虐殺の件も同じである。
大嘘なのだ。
以前にも言ったが、れっきとした証人がいる。
政治宣伝として嘘を吹聴する一部の者ではない。
南京攻略に参加した多くの日本兵、
その時南京にいた多くの中国人、
さらの南京に赴任していた欧米の外交官等、
あるいは商用で滞在していた外国人、
並びに日本の新聞社の従軍記者、
とりわけ当時最大の新聞社であった朝日新聞の記者、
等々である。
これだけ多くの証人がいるのである。
彼らの証言が無いことが何よりの証言である。
さらに可笑しなことがある。
戦後しばらくはほとんど話題にも上らなかった。
あの東京裁判でもまったく相手にされなかった。
なのに、年が経つにつれて話が大きくなる。
現実を知る人がいなくなるほど話が大きくなる。
典型的な嘘である。
・・・・・
胆に命じるべし。
世界は嘘で満ちている。
とりわけ中韓には。










ちょっと高いので

2015-12-11 13:23:35 | 日記・エッセイ・コラム
血圧である。
最近高くなってきた。
夏はいいのだが、
寒くなってくればどうしても…。
薬は飲みたくないので、
思案している。
・・・・・
夏のことだが疲れて非常にしんどい時があった。
座っていてもしんどいのである。
念のため血圧を計ったら、
上下とも普段より30以上低い。
極度に低くかったのである。
やはり低いのもダメである。
高めの方が調子が良いなら、高くてもかまわないと思う。
高い方が血行は良いのだから。
自分に合ってさえいれば良いのである。
とはいえ、それはどれ位なのか。
はてさて。
・・・・・
そろそろ飲んだ方が良いと言われる。
進められるのは西洋医学の薬である。
今の自分に合った高さに整えられるなら良いのだが。
それは所謂漢方薬の発想である。
西洋医学は基本的に対処療法である。
下げるといえば下げるである。
数字に縛られて右往左往する。
だから好きじゃない。
根っこから良くするという発想ではない。
悪い所に手を入れるだけである。
それはそれで良いのだが、全体を考えてはいない。
下手すれば却って悪くなる。
・・・・・
この発想は医学だけではない。
基本的にすべてがそうである。
現下の中東難民やテロの問題も同じである。
すべて対処療法である。
その場しのぎに過ぎず、最後の破綻を待ってるだけ。
難民受入や空爆が典型である。
根本的な解決には程遠い。
まあ、好きにすればいい。
自分の播いた種は自分で刈れ、
である。





天動説と地動説

2015-12-03 11:12:11 | 日記・エッセイ・コラム
「それでも地球は動いてる」。
ガリレオが言った言葉である。
それまではキリスト教会の教えである天動説であった。
それをガリレオは教会の反対に屈せず地動説を唱えた。
如何せん裁判においては、それは否定された。
その時の言葉である。
・・・・・
もちろんガリレオは天動説を否定していない。
ただ「地球は動いてる」と言っただけである。
ご存知の通り、太陽も星々も宇宙に在るものはすべて動いている。
その意味では天動説の方が正しい。
地球もその天の一部であるだけだ。
ガリレオはその事を否定してはいないだろう。
というより、言及していなかったと思う。
ただ地球は動いてると言ったのだ。
とはいえ、実際どんな議論があったのかは知らない。
当時の天動説を否定したのは事実だ。
つまり、
地球は動いてなく、天だけが動いてる、
ということを。
・・・・・
しかし、当時の天動説も事実といえば事実である。
見るということは視点が必要である。
その視点から見てどう見えるか。
対象を観察するとして、
その視点から見えた事実も一つの事実だ。
それを否定できない。
地球という視点もあれば、太陽という視点もある。
私やあなたという視点もある。
無数の視点から同時に見るということはそもそも不可能だ。
視点を定めて見なければならない。
でなければ観察は成り立たない。
人類は太古から天空に関心を持ち観察してきたが、
それはそういうことだ。
それを一概に否定はできない。
・・・・・
一つの視点から見た事実も事実である。
むしろ、すべてはそこから始まる。
それを主観というなら、主観こそ原点である。
先ず主観があるのだ。
それはそうなのだが、
その主観からの事実だけを事実とすれば間違うだろう。
別の主観もあるのである。
さらに、もっと別の主観もある。
それを認めなければならない。
客観とはどういうものかよく分からないが、
それを踏まえていれば、
少しは客観的になれるだろう。
心したいものだ。