書店には精神世界というジャンルがある。
行ったらいつもそこへ寄る。
面白そうなものがないかと。
今の世は、
これが真実だ・これが正義だと、
平気で嘘を言う人で溢れている。
それに比べれば信憑性が薄かろうと、
陰謀論やトンデモ本の方がまだましかと。
初めからそういう建付けだし。
内容的には突飛なようでも、
心底は謙虚で結構まともなのだ。
そも自分が絶対だとは言わない。
なので嘘つきよりはずっと良い。
・・・・・
ヒトは言葉に頼りすぎている。
もともとは以心伝心であったろうに。
欧米ではテレパシーとか謂うようだ。
想うにそれは今もあると。
まあ当然のことか。
そのイメージはやはり波動だろうか。
そこで聖書(創世記)を想う。
初めに神は天と地を創られた。
次に光あれと言われたら光があった。
これが天地創造の冒頭で、
世界(「ものごと」)の始まりなのだが、
ここに想がある。
「もの」は物だが「こと」は事であり、
事とは変化(運動振動波動)の様である。
それは現象とも言い、神の言葉により成る。
それをイエスは、
神の口から出る一つひとつの言葉に依ると言い、
つまり空虚な概念ではなく、
音(声)という実であると。
音は空気を媒体とした波でつまりは波動である。
それが「こと」の正体なのか。
そしてその発信元を神(の口)とした。
これがときのヒトの発想である。
なら以心伝心も言葉も根は同じ。
だがそれは以心伝心を遙かに超えた力を持つ。
それも圧倒的にです。
ときにヒトはその力に驚愕する。
それゆえに囚われることとなる。
それが言葉の落し穴。
そもそれは現実ではない。
それは仮想でしかないのです。
だから聖書は警告したのだろうと。
現実と仮想を混同すれば世界を見失う。
さなればそれは嘘となる。
現下はそんな嘘がまかり通っている。
げに恐ろしき時代である。
・・・・・
音は空気を媒体とする。
科学的にはそうだが、
なら宇宙空間では?、
空気がないから音もないのか。
なら言葉など存在し得ないと。
てかそんな後付けの理屈など無用。
音とは方便である、ヒトの方便である。
本義は波動である。
光がそれに関わる。
聖書では最初に言葉で創られたのは光である。
光は「もの」であり「こと」である。
物と事の両方の性質を持つ。
静止状態では物として在り、
運動状態では事(波)として振る舞う、
と言うことらしい。
つまり媒体が不要なのです。
てか自ら媒体となるのです。
不可思議の極み。
それが宇宙空間に満ちている。
地球にとってはそれは太陽である。
広大無辺な宇宙ではそんな星が無数にある。
だから光が満ちている。
だから光が満ち満ちている。
思えば、
存在とは「もの」と「こと」のこと、
しかしてそれは本来一体のもので、
「ものごと」としてあるのです。
そこに現われる綾こそ波動であると。
生命や心魂とは、
まさにその剝き出しの波動のことか、
私はそれを想う。
・・・・・
それにしても神話は凄い。
そのことを初めから捉えている。
それが聖書の創世記。
日本にもある。
古き事の記、古事記。
ともかくも存在のすべては神の力。
全体を一つとすれば神はひとつ。
無数の集合とすれば神はむすう。
それだけのこと。
それに全を一にするを「むすび」と言う。
何とも趣のある言葉です。
しかして何より凄いのは、
光を捉えていること。
最高神を天照大神としているのです。
凄すぎる。
そも日本人は天照大神につながると。
その徴(しるし)として皇室がある。
天皇陛下がおられる。
素晴らしい。
と謂うことだが、
にしても日本人が特別な訳ではない。
他国のヒトらもまた同じ。
すべては波動なのだから。
行ったらいつもそこへ寄る。
面白そうなものがないかと。
今の世は、
これが真実だ・これが正義だと、
平気で嘘を言う人で溢れている。
それに比べれば信憑性が薄かろうと、
陰謀論やトンデモ本の方がまだましかと。
初めからそういう建付けだし。
内容的には突飛なようでも、
心底は謙虚で結構まともなのだ。
そも自分が絶対だとは言わない。
なので嘘つきよりはずっと良い。
・・・・・
ヒトは言葉に頼りすぎている。
もともとは以心伝心であったろうに。
欧米ではテレパシーとか謂うようだ。
想うにそれは今もあると。
まあ当然のことか。
そのイメージはやはり波動だろうか。
そこで聖書(創世記)を想う。
初めに神は天と地を創られた。
次に光あれと言われたら光があった。
これが天地創造の冒頭で、
世界(「ものごと」)の始まりなのだが、
ここに想がある。
「もの」は物だが「こと」は事であり、
事とは変化(運動振動波動)の様である。
それは現象とも言い、神の言葉により成る。
それをイエスは、
神の口から出る一つひとつの言葉に依ると言い、
つまり空虚な概念ではなく、
音(声)という実であると。
音は空気を媒体とした波でつまりは波動である。
それが「こと」の正体なのか。
そしてその発信元を神(の口)とした。
これがときのヒトの発想である。
なら以心伝心も言葉も根は同じ。
だがそれは以心伝心を遙かに超えた力を持つ。
それも圧倒的にです。
ときにヒトはその力に驚愕する。
それゆえに囚われることとなる。
それが言葉の落し穴。
そもそれは現実ではない。
それは仮想でしかないのです。
だから聖書は警告したのだろうと。
現実と仮想を混同すれば世界を見失う。
さなればそれは嘘となる。
現下はそんな嘘がまかり通っている。
げに恐ろしき時代である。
・・・・・
音は空気を媒体とする。
科学的にはそうだが、
なら宇宙空間では?、
空気がないから音もないのか。
なら言葉など存在し得ないと。
てかそんな後付けの理屈など無用。
音とは方便である、ヒトの方便である。
本義は波動である。
光がそれに関わる。
聖書では最初に言葉で創られたのは光である。
光は「もの」であり「こと」である。
物と事の両方の性質を持つ。
静止状態では物として在り、
運動状態では事(波)として振る舞う、
と言うことらしい。
つまり媒体が不要なのです。
てか自ら媒体となるのです。
不可思議の極み。
それが宇宙空間に満ちている。
地球にとってはそれは太陽である。
広大無辺な宇宙ではそんな星が無数にある。
だから光が満ちている。
だから光が満ち満ちている。
思えば、
存在とは「もの」と「こと」のこと、
しかしてそれは本来一体のもので、
「ものごと」としてあるのです。
そこに現われる綾こそ波動であると。
生命や心魂とは、
まさにその剝き出しの波動のことか、
私はそれを想う。
・・・・・
それにしても神話は凄い。
そのことを初めから捉えている。
それが聖書の創世記。
日本にもある。
古き事の記、古事記。
ともかくも存在のすべては神の力。
全体を一つとすれば神はひとつ。
無数の集合とすれば神はむすう。
それだけのこと。
それに全を一にするを「むすび」と言う。
何とも趣のある言葉です。
しかして何より凄いのは、
光を捉えていること。
最高神を天照大神としているのです。
凄すぎる。
そも日本人は天照大神につながると。
その徴(しるし)として皇室がある。
天皇陛下がおられる。
素晴らしい。
と謂うことだが、
にしても日本人が特別な訳ではない。
他国のヒトらもまた同じ。
すべては波動なのだから。