ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

観光と移民

2018-10-29 10:30:25 | 日記・エッセイ・コラム
取り敢えずは観光のことである。
常々思っていることがある。
観光立国とは亡国の道だということです。
自分を支えるのは自分です。
為に汗を流して働く。
衣食住を整えるため。
その有様及びその結実を見たいというなら、
どうぞ見て下さい、
というのが観光だと思っている。
観光も悪くはないのだ。
しかも、そこでの働きもまた働きに違いないのだから。
でも観光に依存するのは…。
・・・・・
今言ったのは、主として文化のことである。
その地域或いは国の文化(生き方の総体)のことです。
勿論自然を対象とするのもあるだろう。
それでも観光と言う限り、人と無縁ではありえない。
その自然を良しとし、そこに生きる人々がいる筈だ。
人とまったく無縁なら、それはむしろ冒険と言うべきだろう。
当然だが観光とは観光業を見せるのではない。
見るべき文化や自然が必要なのだ。
それを心地よく上手に見せるのが観光業である。
何より必要なのは、
人の生き様とその結果の各種の設えであり、
もとよりそれは自然との関りの結果であり、
それが根本にある。
その上に観光業があるのです。
そういうことですが、
見てもらうべきものがあるというのは素晴らしい、
それに誇らしいことでもあり、
大いに見ていただきたいものである。
・・・・・
日本に来る外国人は概ね中流以上の人達だろう。
観光にはお金が必要なのだから。
大多数の貧しい人々は来たくても来られない。
それでも昔と違って情報は結構持っているだろう。
テレビやスマホ(パソコン)などで。
漫画やアニメは今や世界的に受け入れられているようですし。
でも現実こそ最高の情報である。
だから観光は日本を知ってもらう大いなる機会です。
なので来ていただくのは結構なことです。
それにお金を使われるので、その面でも好都合なのだ。
だから観光を振興するのに異存はない。
大いに振興すればいい。
なら大多数の貧しい人々はどうすればいい。
移民(例えば難民として)するしかないのか。
でも移民は問題が多い。
欧州の例を持ち出すまでもない。
私は大反対である。
・・・・・
さりながら今、
入管法(出入国管理及び難民認定法)が改正されようとしている。
労働力不足から外国人労働者の受け入れを考えているようだ。
一方的に反対するつもりはないが危惧している。
貧しい外国人(労働者)が、
日本に来て、
日本を知り、
日本を好きになって、
そして帰っていただくなら、
何の問題もない。
結構なことである。
また日本に順応して残っていただくのも悪くはない。
しかしである。
それが日本を壊すことになるなら問題だ。
そうなれば取り返しがつかない。
日本(日本という在り方)が世界の最後の砦なのだ。
それを思えば…
・・・・・
観光もそれに依存すれば大問題だが、
特に外国人労働者は両刃の剣になりかねない。
なのになぜ改正が急がれるのか。
碌に議論もせずに。
私には分からない。
今は信じるしかないのか、
安倍政権を。

日本隠し

2018-10-22 12:35:09 | 日記・エッセイ・コラム
日本は特殊な国である。
だから、ある種の人達には日本が邪魔なのである。
そこで日本隠しが行われる。
世界でも日本でも。
それが顕著に現れるのが歴史記述においてである。
為に必要なのはお金であり、それを駆使して教育とメディアを取り込むのだ。
そうでなければ、
あのような(南京事件や慰安婦問題)大嘘がまかり通る筈がない。
シナや韓国は体よく使われているのだ。
勿論それは彼らの思惑と合致するから。
・・・・・
ところで読売新聞が消費税の件で勇み足をした。
一応既定路線なので消費税増税はなされることになっている。
それを敢えて今決まるかのように報じた。
これは?である。
財務省の差し金だと言われているが、
財務省はなぜ消費税増税に拘るのか。
巷で言われているように、増税しても税収は増えないのに。
過去の事実がそれを物語っている。
必ず景気が落ち込むのだ。
税収を増やすのに必要なのは、増税ではなく景気を拡大させることだ。
ないものは取れない、あるところから取る。
だからこそ好景気が必要なのだ。
財務省の役人には頭に良い人がそろっていると聞く。
本当の馬鹿でなければ、それぐらいは分かるだろう。
だから彼らは確信犯なのだ。
その目的は日本潰しである。
あのバブル景気を潰したように。
勿論日本人だから?、本当に潰す気はないだろうが。
プチ日本潰しはつまり日本隠しである。
私はそう思っている。
・・・・・
ちなみにシナは明らかにバブル景気である。
日本のバブル景気時に比べればそのスケールは更に大きい。
本当ならもう潰れていてしかるべきだ。
それが未だ潰れていない。
日本のバブル景気は故意に潰された形跡がある。
シナはできうる施策を総動員して延命している。
その差であろう。
だから潰れたときは余程酷いことになるだろう。
国が分裂することも考えられる。
まあ覚悟しておこう。
それは世界にとっては良いことだが。
なおこのままでは、
日本は財政破綻すると言ってる者がいるが、
これは大嘘である。
借金を返せなくなったら、新たに円を刷ればいいのだ。
日本国には通貨発行権があるのだから。
ただし刷りすぎれば円の値打ちは下がるが。
それだけのことだ。
そも国債と円とは何が違うのだ。
信用という面ではまったく同じである。
利子が付くか付かないか、だけである。
破綻するのは外貨で借りた金が返せなくなった時だけだ。
貿易黒字の日本にそんな形跡はまったくない。
なぜこんな大嘘がまかり通るのか。
・・・・・
読売新聞はそんな財務省に加担したのだ。
メディアは総じてそうなのだが。
その読売新聞が過去に戦後の特集記事を掲載したことがある。
大東亜戦争の戦後の総決算として。
その副題が「日本はどこで道を誤ったか」であった、
と記憶しているが。
これは定かではない。
ともかく内容は読んでいない。
そもその副題が気に入らなかったのだ。
総決算なら白紙でやるべきである。
始めに結果ありきで何が総決算か。
それに大東亜戦争という言葉は使ってなかったと思う。
これもWGIP(ウォーギフトインフォメイションプログラム)の綱領通りである。
今回のことといい、読売新聞よ「お前もか」ということだ。
一人産経新聞だけが中立に近いようだ。
朝日新聞はさすがにやり過ぎた。
完全にリベラルのプロパガンダ紙になっている。
もはや新聞の名に値しない。
・・・・・
それにしてもである。
財務省も怪しいが、文科省と外務省はもっと怪しい。
文科省は国内的に、外務省は対外的にだが。
ともに反日の手伝いをしている。
止むを得ずそうしてるのか、積極的にそうしてるのか。
逆らえば出世に響くのか。
そういう仕組みが作られているのか。
そうは言ってもだ、
それは日本を潰そうとしてるのか、
或いは日本を守ろうとしてるのか、
そこは分からない。
何れにしても今も尚、昭和天皇の言葉が身に沁みる。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…」である。

邪魔な国

2018-10-15 12:54:10 | 日記・エッセイ・コラム
日本は特殊な国である。
とは言え、現下の人類はホモサピエンスという単一種である。
だから、ざっくり言えば皆同じである。
であるのに、特殊というのは一体どういうことか。
それはまあ先に述べた通りではある。
もし日本が最後の砦・希望だとして、
そういう日本を守り通すことができるのか。
潰れることはないのか。
そこが心配である。
只今は大きな逆風(リベラル風)の中にある。
それにしても邪魔なのである。
世界を一つにしようとする者には。
この日本(の特殊性)が。
・・・・・
人間は社会的動物だと謂われる。
個々バラバラに生きていては不利だから、
集まって生きることを選んだ。
ならば協働が当り前である。
だが日本以外の世界ではそれが見えにくくなっている。
近親の間ではともかく、社会全体では見失われたかのようである。
王侯・貴族と奴隷または奴隷状態の者とに分断された。
そして王侯同士のせめぎあい。
大陸はそういう世界であった。
少し前ならアフリカ等の部族社会には残っていただろう。
今それが残っているのは日本だけである。
私の知る限りでは。
それを支えているのは天皇である。
天皇が世界の王侯と違うのは、
覇王ではなく祭祀王だということ、
頂点にいるのではなく中心にいるということ、
であり、
だから絢爛豪華な宮殿に住むこともなく、
酒池肉林に耽ることもない。
そして自ら田植えをし、稲刈りを行なう。
祈る者であり、
祈り続ける者である天皇陛下は、
常に神のもとに在り、
神に近い存在である。
それを遠くから見れば神のごときであり、
ときに人はそれを現人神と謂う。
その天皇の祈りの中で培われたのが、
日本の歴史・伝統・文化である。
個は全体の為、全体は個の為、である。
いたずらに我を主張せず、周りのことを気に掛ける。
自分が大事なのは当然ながら、
なお全体と個を対立させないのだ。
むしろ、ときに譲るのである。
そこに知恵がある。
それが災害時の行動に現れる。
とりわけ東日本大震災時の振る舞いがそうであった。
世界はそれを驚嘆する。
既に見失っているから。
・・・・・
そういう日本が目障りなのだ。
邪魔になるのだ。
世界を思いのままに動かそうとする者には。
助け合い協調する者達は簡単には支配できないのです。
だから今、彼らの攻撃が激しい。
既知のことに、南京大虐殺や従軍慰安婦の件がある。
これらは勿論まったくの嘘である。
それが世界の真中で堂々と論じられるのだ。
まあ南京の件は少し影が薄くなったが。
最近は慰安婦の方が喧しい。
あの朝日新聞が強制はなかったと認めたのに。
余りにあからさまなごり押しである。
さりながら一番の問題は天皇である。
天皇が在る限り日本は安泰である。
だから天皇への攻撃が問題なのだ。
だがこのことではあからさまな攻撃はなされない。
そこは巧妙で、外堀を埋めるかのようにそろそろと攻めるのだ。
これがなかなか厄介である。
・・・・・
それにしても来年のご譲位は…。
どのような意味があるのか。
何が起こるのか。
ともかくも画期的なことである。
日本の底力に期待しよう。

特殊な国

2018-10-08 10:12:22 | 日記・エッセイ・コラム
日本は特殊な国である。
これは以前はよく言われていた。
勿論今でもだが。
日本の常識は世界の非常識とか。
欧米に比べて日本は異質だとか。
最近は少しは理解されるようになったが。
でも未だ日本を知らない人が多い。
呆れることに日本人ですらだ。
・・・・・
欧米人は個人主義である。
しかも言語過多で議論を好み、何事も白黒を付けたがる。
故に二元論的発想を好む。
確かに曖昧さはなくなる。
私から見れば、曖昧さこそ真実の欠片なのだが。
でも彼らはそれを好まない。
だから結局最後は嘘になる。
でもそれが分からないのだ。
個人主義の対極は全体主義である。
個人主義を旨とするから、全体主義を否定する。
個人を抑圧するものだと毛嫌いする。
その象徴がドイツのナチズムである。
分からないでもない。
・・・・・
以前にも言ったが、
人間の身体を考えれば分かるだろう。
もともと一つの細胞が一つの生命体であった。
でも単体でいきるより合体した方がいいと考えた。
そして60兆個もの細胞の超連合体となる。
それが人間の身体である。
細胞は様々な組織を造り、各組織はそれぞれの役割がある。
それらは矛盾することなく協働している。
脳が偉い訳ではない。
価値においては手足等と同等である。
手足あっての脳であり、脳あっての手足である。
そのこと疑問なし。
人間の社会も同じである。
一人で生きるよりも集まって生きる方がいいと考えた。
その方が生存に有利なのだ。
そして社会ができた。
人間は社会的動物である、
と謂われる所以だ。
・・・・・
ならばである。
全体あっての個人であり、個人あっての全体である。
全体と個人は協調が前提なのだ。
なのになぜ対立的に捉えるのか。
むやみな対立は病(統合失調症)と言うべきであろう。
個人主義もほどほどに。
しかして全体を立てなければならない。
そこにこそ協働がある。
このこと私は疑わない。
なおナチズムを毛嫌いするのは理解できる。
ナチズムを全体主義だと言うが、それがそもそもの間違いだ。
国家を一個人だとすれば、それはまったき個人主義である。
全体のことなど考えていない。
むしろ個人主義の弊害とみるべきだ。
ところで日本は違う。
先の戦争での日本は違うのである。
それが大東亜共栄圏であり八紘一宇である。
個人も国家も超えていたのだ。
それが日本の戦争であった。
・・・・・
さらにところでシナはもっと酷い。
欧米は個人主義と謂えども信仰がある。
信仰とは神との契約であり、
その契約は神を通じて他者に繋がっている。
個人主義ながら救いはあるのだ。
それに比べればシナは酷い。
欧米と同様に個人主義なのだが、そこに信仰はないのです。
ゆえに契約という観念がないのだ。
勿論言葉としてはあるのだろうが、
それは守るべきものとの意識がないのです。
守りたいときは守り、都合が悪くなれば無視する。
だから知っての通り、嘘と本当の区別もしない。
実に厄介な相手です。
言語過多(特にリベラル的言辞)の欧米も厄介だが、
シナは更に厄介なのである。
なおもっと厄介なのが韓国である。
端にも棒にも掛からない。
・・・・・
ということで、分かるのです。
日本の特殊性が。
日本は全体主義でありながら個人主義でもある。
全体と個人とを調和の中に置こうとする。
まさに和の国であります。
それは神武天皇の建国の精神でもありましょう。
本当の民主主義や自由は日本にこそあると思うべし。
だから世界のことを考えれば、日本の責任は重大だと思う。
出しゃばる必要もないし、殊更に主張する必要もない。
日本は日本としてただ在ればいい。
戦前を反省するなら、そのことだけでしょう。
しかして日本が日本であることが、
世界の最後の砦であり希望である。
真に特殊な話ではある。

見えてきた構図

2018-10-01 17:49:46 | 日記・エッセイ・コラム
見えてきたのである。
いよいよ明らかになってきたのだ。
勿論分かる人には既に自明のことだが。
何を今更ではある。
・・・・・
自分の思うままに世界を動かしたい。
それがグローバリズムの正体である。
それを為そうとする力がある。
その力がどこにどうあるのか、それがよく分からないのだが。
彼らの主たる武器はお金と言葉である。
武力が最初にあるのではない。
武力はお金と言葉でどうにでもなるのだ。
先ずはお金である。
次に言葉である。
お金はご存知の通りである。
経済を博打場にしてしまい、金持ちにお金が集まるよう仕組まれている。
おこぼれに預かる人も多少はいるが。
言葉は本来多様であるのだが、それも独占しようとする。
為にメディアを支配する。
そして自分に都合のいい言葉のみを発する。
それがリベラル的言辞の数々である。
しかして都合の悪い言葉は排除する。
そのとき持ち出すのが差別という言葉である。
差別反対というのが錦の御旗なのだ。
ダシとして最も使われるのが人種であるが、
最近は女性やLGBTもよく使われる。
なかなかいいダシが出るのだ。
平和という言葉もその一つである。
お金や言葉の前に武力が立てば、それはそれで困るのである。
武力で抑えられるのを嫌うのだ。
為に平和という言葉を持ち出す。
この言葉も実にいいダシが出るのです。
だからと言って彼らは平和を好む訳ではない。
むしろ逆である。
・・・・・
これは主として自由主義国での話である。
シナのような共産主義国ではどうだろう。
考えるまでもない、共産主義こそグローバリズムそのものである。
お金も言葉も独占である。
おまけに武力も。
さりながらシナは決して本体ではなかろう。
共産主義はあくまで見せかけである。
そして今のところは本体の忠実な手先なのです。
その証がある。
習近平は去年2月のダボス会議に招かれて基調演説をした。
貿易の自由を謳いグローバリズム経済を強調したのである。
あの共産主義国のトップがである。
ちなみにダボス会議はグローバリストの祭りである。
まあそういうことです。
ところで安倍首相はこの9月に行われた国連総会で演説をした。
そして各国代表の前で自由貿易を守ると宣言した。
しかしてその演説の後、握手を求める人が列をなしたのである。
このことメディアは無視である。
ここで確認である。
自由貿易は何もグローバリズムの専売ではないのです。
安倍さんの自由貿易とは各国がまず立って、
その上でお互いに納得ずくで貿易をしよう、
というものである。
それはアメリカのトランプ大統領も同じだ。
だから馬が合うのです。
・・・・・
ところでこの沖縄県知事選でのことだが、
小沢一郎自由党代表と志位和夫日本共産党委員長とが、
翁長氏ゆかりの地で仲良く慰霊をしたとのことである。
元自民党と日本共産党であるのに。
さりながら、ともにグローバリズムの仲間というならおかしくはない。
むしろそうなんだろう。
もともと同志である石破茂氏もそうだろう。
彼は先の自民党総裁選挙で、
もともと軍事オタクで安全保障の専門家と称されているのに、
憲法改正に反対していた。
あからさまに反対していた訳ではないが、
この期に及んでできそうもない改正案に固執することこそ、
その証である。
それに、だからこそ多くの野党の指示を得ていた。
さらに、当然のごとくメディアの指示も得ていた。
ここにハッキリと一本の糸が見える。
今や歪んだグローバリズムと真っ当な現実主義の戦いである。
そんな構図がはっきりしてきた。
うん!