ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

世間のさま

2020-02-24 11:00:41 | 日記・エッセイ・コラム
世間は新型肺炎で騒がしい。
もはや全国で感染者が出ているようだが、
これ以上の大事にならないよう祈るのみ。
それに、
経済のことも問題だろうが、
それは横に置いて、
オリンピックが心配だ。
そこを目指して必死に頑張ってる人が沢山いる。
予定通りの開催となってほしい。
それにしても政府のゴテゴテは情けない。
全くの無事はそも難しかったろう。
それでも対応が毅然としていれば、
開催への暗雲もなんのそのである。
万一ダメになっても前向きに受け取れるし。
それがこのざまである。
ちょっと心配だ。
・・・・・
早くから警鐘を鳴らしてる人がいた。
作家の百田氏や医者の高須先生などである。
ネット上ではもっと前からだ。
信憑性の程は定かではないが。
今回の一番の厄介は未知のウイルスだということです。
つまり分からないのです。
心配の一番は、分からない、ということです。
正体が見えていれば動揺は少ない。
それなりに覚悟ができるから。
分からないのが、不安の種であり心配の大元です。
だから従来のインフルエンザなどとは違うのです。
時に必要なのはその心配を如何に差配するかです。
疫病そのものは医者が一番知っている。
その医者が状況を説明すれば、
少しは安心材料になるだろう。
でも説明は説明であって解決策ではない。
必要なのは対策である。
方針を立てて、それを実行することだ。
それは医者の仕事ではない。
政治家の仕事です。
人を仕切るのが政治です。
政治が安心を届けるのです。
それが無理なら覚悟を促すのです。
それが政治です。
為に方針を立てて実行する。
人はそれを見ている。
そして心を定める。
さすれば、より良い事態の収まりが期待できる。
警鐘はその為に鳴らすのだ。
今回政治はそれに応えていない。
それでも表向き動いてないようでも、
裏で対策を立てているならまだしも。
そこにも疑問がある。
動くのが遅いうえに、それもゴテゴテである。
今までの安倍政権とは様子が違う。
なぜだろう、
危機感が欠如していたのか。
誰かに忖度しているのか。
それにしても最近の安倍政権はおかしい。
日本を取り戻す、とは裏腹の政策が多い。
どうしたのか。
何か他に意図でもあるのか。
分からない…。
特にシナへの対応が。
・・・・・
ところで、
もう一つ気に入らないことがある、
安倍政権のことは横に置いて。
それは世間のさまの一つであるが、
警鐘を鳴らしてる人に、
不安を煽るなと揶揄する人達である。
分からないのが不安の元であり、
だから心配するのは当たり前で、
取り敢えずは大いに心配しよう。
少なくとも正体の一端が見えるまで。
それにである。
あんなに異常なシナの対応を見たことがない。
それにアメリカなど世界の対応を見ていても。
それなのに、
インフルエンザと同じようなものだ、とか。
インフルエンザの方が怖い、とか。
話の内容は尤もだが。
それでも先ずは警鐘であろう。
警鐘は大いに鳴らそう。
パニックなど恐れるな。
日本の庶民は賢明です。
現に私はパニックになっていない、
周りでもパニックになってる人はいない。
そういうことです。

うたう国

2020-02-17 14:25:44 | 日記・エッセイ・コラム
うたう国とは?
うたう国とは歌う国であるが、
それは日本である。
今年も歌会始があった。
天皇皇后両陛下が歌われ、他の皇族方も歌われる。
国民も誰でも応募ができ、そして歌うことができる。
選ばれるかどうかは分からないが、
歌うのは自由であり、
日本はそんな歌う国なのだ。
・・・・・
人間はすぐれて言葉の生物です。
他に言葉を持った生物はいない。
旧約聖書(創世記)は言う。
この世界を創ったのは神であり、
初めに天と地を創ったのだが、
そこに手段は記されていない。
その「天と地」とは「もの」でありましょう。
その後で創ったのは手段が記されており、
それは神の言葉によるとある。
先ずは光に始まり続くのだが、第7日目には休まれたと。
その後はなお今日に至るまで、神の創造は続いているのです。
7日に一度、休息して。
そしてそれは「こと」と謂う。
言葉で創られたのだから「ことのは」であり、
それは「事の端」とも記す。
でも最初に創られた光は実に微妙・奇妙・霊妙なのです。
光は「もの」か「こと」かは定かではなく、
むしろ「もの」と「こと」を繋ぐものかと、
私は思っている。
・・・・・
だからかイエスの弟子ヨハネは言う。
その福音書の冒頭で「言葉は神そのもの」だと。
人はその言葉を手に入れたのだ。
神そのものである言葉を手に入れたのだ。
それが聖書に謂う、
人は神に似せて創られた、
ということか。
にしても人は神そのものではない。
ここが肝要である。
だから言葉の取扱は要注意なのだ。
人である所以であり魂を露わにし、
それに何より便利かつ有用なのだ。
故にこそ危うくなる。
自ら神たらんとすれば壊れてしまうのだ。
そのとき言葉は嘘となる。
神である言葉が神でなくなるのだ。
日本人はそれを知る。
言霊の幸はう国と謂うは故なり。
だから嘘を嫌う。
だから「まこと」を求める。
ゆえに歌うのです。
・・・・・
歌はすぐれて言葉である。
音階・旋律も重要だが、それは飾りなのです。
歌はすぐれて言葉なのだ。
しかも理屈ではない。
心魂をまんまに写すものです。
そしてそれを全身全霊で表す。
そのとき言葉は神そのものとなり、
それは神への交信(祈り)となる。
神に繋がるのです。
まさに歌うことは祈ることであり、
ここに歌う国日本の真骨頂がある。
歌う国日本は祈りの国です。
万葉の昔より今日まで、そしてこれからも。
天皇皇后両陛下が歌われるのだが、それは庶民に至る。
和歌や俳句そしてその他諸々。
ところで祈るとは歌うことだけではない。
歌うことは祈りの原点だが、
祈りは諸事万端に至る。
音曲は元より舞もその他の所作もすべて含まれる。
そこに心魂のまことを示しさえすれば。
祭りはその準備から終いまですべてが祈りである。
言うまでもない。
・・・・・
ところでシナは哀れなり。
その昔は歌う人がいた。
すぐれた歌い人がいた、李白や杜甫、白楽天など。
最近はつとに見かけない。
今や「歌を忘れたカナリヤ」である。
後ろの山に捨てるしかないのか。
それが可哀そうと言うなら、どうすればいい。
思い出すまで待てばいいのか。
しかし思い出してくれそうにない。
難儀なことだ。
なら関わりを持たずにほっとくしかない。
それが今新型肺炎で苦しんでいる。
できる範囲での援助はするべきだ。
でもやっぱりほっとこう。
思い出すまで。

時のうねり

2020-02-10 12:59:53 | 日記・エッセイ・コラム
ここ数年その兆候はあったが、
今年になってそれがハッキリと現れた、
時の大きなうねりとして。
先に波乱の根について述べたが、
それらがいよいよ退場するのか。
・・・・・
リベラルとは自ら神になろうとする傲慢の極み、
自分が正義でそれに反対する者は否定あるのみ、
しかして世界を一つに纏めて支配しようとする。
中華は神を見失い混沌の中で力が支配する世界、
ゆえに序列がすべてで下位の者は忍従あるのみ、
力を得た者だけがやりたい放題の唯我独尊の場。
イスラム原理主義は己の言葉を神の言葉と宣し、
その言葉の中に神を封じるという超荒業をなす、
それ即ち自ら神たらんとすリベラルと同じなり。
三者三様だが、考えてみれば皆同じだ。
つまりは傲慢・唯我独尊・自己中心で、
その行き付くところは絶対支配である。
これまでは何となく棲み分けてきたが、
とどのつまりは大喧嘩となってしまう。
現に昔から小競合いを繰り返している。
しかして今大喧嘩の前に退場するのだ。
それが今年になってハッキリしてきた。
・・・・・
アメリカではトランプ大統領への誹謗・中傷が止まず、
無理筋のロシア疑惑やウクライナ疑惑、
そして挙句の果ての弾劾裁判である。
シナはそのアメリカから貿易戦争を仕掛けられ、
対抗措置を講ずるも四苦八苦、
それにこの新型肺炎の大騒動である。
中東ではイランが標的にされており、
核合意を反故にされ経済制裁、
さらにスレイマニ司令官を殺害され、
そのうえ国内は大荒れである。
イギリスはやっとのブレグジットだが、
これはEUの終りの始まりか、
グローバリズムの終焉なのか。
これだけ兆候が現れたからは、
もう後戻りはできないだろう。
これら一連の動きの最大のきっかけは、
何と言ってもトランプ大統領の登場だ。
これは痛快であった。
安倍総理もその側にいるのだが、
なにせ敗戦国の重荷を背負っている、
簡単には動けない。
だからトランプ大統領の後を付いて行く、
自分の道を慎重に探りながら。
昨今のモリカケとサクラも、
トランプ大統領追及の件と相似象である。
リベラル最後の悪あがきか。
そんなこんなの昨今です。
・・・・・
これは自己中心の絶対主義
(グローバリズム)
⦅共産主義、中華思想、宗教原理主義は皆同類⦆
(世界政府の樹立)
(反対意見の抹殺)

公平で呉越同舟の相互主義
(棲み分けによる共生)
(国柄や異文化の尊重)
(自由や多様性の保証)
との
大きな戦いである。
喧伝されるような大戦争に至るのか、
それを避けられるのか。
トランプ大統領は粗野で喧嘩好きと言われるが、
実際は平和主義者でありましょう。
それは今までの実績が示している。
この大きなうねりはあの1989年にも匹敵する。
ベルリンの壁崩壊や天安門事件、それに続くソ連邦の崩壊などの。
いやそれ以上かも知れない。
そんな大きな時代相である。
今年は本当に目が離せない。

おとぼけ?

2020-02-02 13:43:57 | 日記・エッセイ・コラム
もう一体どうなってるのか。
今回の新型肺炎のことです。
マスコミの報道も、政治家の対応も、よく分からない。
特に政治家の対応が。
国会の審議は大半がサクラ。
現実の対応はゴテゴテだし。
日本は大丈夫か。
武漢は東京にも匹敵するほどの大都市だ。
その町を軍を動員して封鎖してるのです。
これは尋常ではない。
あの共産党政権がまさに狼狽えてるのだ。
このような判断を迅速に実行できるとは。
たぶん少し前から準備してたに違いない。
もとより人権などないからできるのだが。
それはともかく、
状況は逼迫しているのです。
・・・・・
でもである。
日本がそこまでバカだとは思えない。
本当の日本は見えない所にあるのか。
だてに2680年続いてる訳ではないだろう。
表の政治はそも茶番劇なのかも。
それにしても今回は余りにもお粗末である。
当初はまったくの他人事であった。
サクラを見世物にするのもいいが、
もっと大事なことがあるだろうに。
情報は広く惜しまず出してほしい。
このご時世である。
いろんな情報がSNS等で一人歩きする。
そこにはフェイクがあるかも知れないが事実もあるだろう。
むしろ事実の方が多いかも。
それが一面的であったり局所的であったりしても。
だからこそ全体を俯瞰した情報が必要なのだ。
そこに目配せするのが大事である。
確かに情報の取捨選択は難しい。
政府やメディアも大変だろう。
昔は言質をとられるのを嫌がって文字にするのを避けた。
今は記録媒体が発達したので、音声や映像でも残る。
特に正式な会見やニュースに至っては。
だからと言って出し惜しみはいけない。
言わないということも情報の一つだが。
隠してたら後で糾弾されることになる。
だから言うべきは正直に言う方がいい。
切り取られないように注意は必要だが。
でも心配すれば切りがない、
そこは難しいが覚悟しよう。
それにしても、
今のシナ政府の対応は反面教師である。
あのような轍を踏まないようにせねば。
とりわけ、
これを言ったらパニックになるなどと、
庶民を小バカにするのは止めてほしい。
お惚けは通用しないと思うべし
日本人はバカではない。
特に日本の庶民は。
・・・・・
そも情報媒体の一にして始まりは新聞である。
その新聞の雄が朝日新聞である。
その新聞がこれまでフェイクニュースを垂れ流してきた。
それはいずれ隠せなくなるだろう。
てか、もうバレバレである。
初めから晒してるのだから。
もう潰れるより他ない。
ジャーナリズム精神など欠片もなく、
ただのプロパガンダ紙に堕している。
それはそれとして次にテレビ(地上波)である。
民放も酷いが、特にNHKです。
テレビ放送が始まったころは、23時には放送が終了していた。
そのとき画面には国旗が映り、君が代が流されていた。
立派な日本の公共放送だったのだ。
それがいつからか反日になってしまった。
理由は分からない。
それは今も続いている。
新聞同様、映像も今は後に残る。
検証ができてしまうのです。
だから言う、検証に堪える放送をせよと。
無用な反日は止めよと。
勿論大半はまともな内容であろう。
そこに巧妙に織り込んでくるのだ。
見る人が見ればもうバレバレです。
お惚けは通用しません!