戦後の日本の女性運動は奇妙である。
女性は社会的に下位の置かれていると、必要以上に反発している。
確かに過去においては、
政治的役割としては希薄であったし、経済的役割もさほどではないように見える。
でも、見えないところではそれなりに力があったのではないか。
そもそも日本は女性蔑視の国ではない。
なにしろ、神々の中の最高神が天照大神(女神)である。
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思うに、
命あるものの最大の使命は生きることである。
生き続けることである。
人間も同じである。
だが、個人としては老いて必ず死ぬ。
ゆえに子供を残すのである。
その繰り返しが、生き続けるということである。
世の中のすべての仕事はそのためにある。
博士も大臣も社長も。
つまり、すべての仕事は子供を生み育てることのためにある。
生み育てるという力を優れて持っているのは女性である。
女性が子供を産まなければ、人類は絶滅である。
「子供を取るか仕事を取るか」という問いに意味はない。
子供を取るのである。
すべての仕事はそれを支えるためにある。
博士も大臣も社長もである。
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女性こそ命の根幹を握っている。
そのことを知るべきである。
男女は何事においても同じでなければならない、
という発想そのものが不条理である。
すべての生き物はその種や性また個別的存在においても、
皆それぞれであり存在の形は相違する。
存在の仕方はそれぞれであるが、
もとよりその存在価値に上下はない。
当たり前のことである。
思うに、
戦後の女性運動は女の持っている力を阻害する運動であり、
女が女を否定し、女が女をバカにする運動であった。
今も......