この世界(宇宙)は在る。
確かに在る。
とは言ってもである。
「在る」とはどういうことか。
「在る」とは不可思議である。
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不可思議は不可思議である。
問うても分からない。
ゆえに、問わずに解決することにした。
それが神である。
在るという現実の前で、まず在らしめる力があるとする。
そしてその力の根源を想定する。
そのものに名を付ける。
その名に祈る。
本来名前はない。
それは人が勝手に付けたものである。
神は名ではない。
存在そのものだ。
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不可思議を徹底的に追及した者がいる。
沢山いたと思う。
その一人が釈迦である。
瞑想と修行のはてに悟りを開いた。
自分なりに解決したのである。
その教えが仏の教えである。
在るという不可思議への回答を、
言葉での示唆と行動で示した。
仏教に神はない。
祈りもない。
悟りが根本である。
凡人のために、
仏への祈りを付加した者がおる。
それは後のことである。
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ついでのことです。
神に祈るのは信仰です。
信仰とは一人ひとりの内にあるものです。
宗教ではない。
宗教とは信仰をもとに集い、その教えを伝えるものです。
しかし組織化には権力争いがつきものです。
そして腐敗する。
宗教は常にそういう危険がある。
釈迦の教えは修行です。
修行で悟りを開くことです。
信仰ではない。
だから仏教は宗教ではなく哲学だと言う人もいる。
でも釈迦の後の時代に、
仏教は宗教になった。