ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

皆で渡れば…

2017-12-25 12:30:53 | 日記・エッセイ・コラム
ビットコインの続きです。
よく分からないのですが、
ビットコインには担保がないのです。
一般的には誰も言ってないが、
各国の通貨は結局のところ国民が担保している、
と私は思っている。
その点からすれば、
ビットコインは誰も担保していない、
のです。
はて?
・・・・・
知っての通り、
コンピュータの中だけに在る仮想通貨なのですが、
分からないながらも、
どうも次のようです。
新たな発行が誰にもできない、
コンピュータ自身の仕組みの中でしかできない、
それに発行に限度があるらしい、
また偽造・変造もできない、
その上で、
取引に関わったすべての人が相互に承認しあう、
ということらしい。
ゆえに通貨として成立している、
と言う。
やっぱり分からない。
誰も担保してないのに成立してるって?
赤信号皆で渡れば怖くない、
ってか。
ただ、まったく担保がない訳ではない。
ビットコインをビットコインで買うのは意味がない。
買う時はドルや円やユーロなどを使う。
ビットコインと通貨の交換である。
だから相場が立っている。
ならばである。
引き換えに使用された通貨がその裏にあるということだ。
そこだけは担保されている。
確かに。
そうは思うのだが。
・・・・・
なお不可思議なことがある。
そんないかがわしいものであるのに、
FRBや日本銀行のような歴とした通貨当局が、
異議を唱えているとは聞かない。
極めつけはIMF(国際通貨基金)である。
皆ダンマリである。
そこも分からない。
これは私の憶測だが、
これから予定している世界通貨の予行演習ではないのか、
と。
紙幣では無理があっても、電子通貨なら可能だろう。
何しろコンピュータの性能が桁違いに向上している。
それにAIの進展が目覚ましい。
人間を凌駕するのも時間の問題だと言う。
なら世界通貨も可能である。
だからだろう、彼らが何も言わないのは。
としか思えないのだが…。

ビットコイン?

2017-12-19 10:23:15 | 日記・エッセイ・コラム
よく分からない。
ビットコインのことである。
今大きく値上がりしていて、
持っていれば大儲けである、
らしい。
コインとは硬貨のことだが、
実はなく電子マネーである、
ようだ。
コンピュータの中にしかなく、
やり取りや決済はすべて電子的に行う、
パソコンやスマホの端末から。
少し前のことだが、
何かの番組でチラッと説明をしていたが、
よく分からなかった。
・・・・・
現今の貨幣は国が発行している。
厳密に言えば銀行であるが。
アメリカでは連邦準備制度理事会(FRB)であり、
日本では日本銀行である。
通過は硬貨もあるが主には紙幣である。
もとは只の紙切れである。
それに価値が認められるのは国家の信用による。
では信用とはなんだろう。
本来は金である。
金がすべての価値を収斂している。
昔も今も。
もともと紙幣は金の預り証であった。
でも、それが正当な預り証であるかをどう確認するのか。
そこが大問題である。
だから、それを保証する者が必要だ。
国(や銀行)がそれを行なっている。
これは国が金を保有していることが前提であった。
だから、いつでも金と交換できたのである。
ところが、今はその交換ができない。
国の信用を金が担保していないのだ。
ならば…。
・・・・・
では国の信用とは何か。
通貨は本来その国でしか通用しないものだ。
だからである、
その国に行けばそれなりの価値あるものに交換できる、
ということが必要である。
でなければ、その通貨に価値は認められない。
当然の理である。
その為には資源や財・サービスがなければならない。
資源は自然のもので、これはどうにもならない。
生まれた地の定めである。
一方、財やサービスは人が創るものである。
価値ある財やサービスは人が創るのだ。
それに結局資源もだ、それを取り出すのは人だから。
つまり人である。
人の働きである。
ということは、国の信用とは人ということだ。
金に替わるのは人である。
円を担保しているのは故に日本人である。
その歴史・伝統・文化の中で育まれた人、
働くことを良しとする、
そういう日本人である。
・・・・・
ところでである。
国債(円建て国債)が暴落すると言う人がいる。
国債とは円そのものであるのに。
円が暴落しない限り、国債は暴落しない。
これは当然の理。
なお、円が暴落すると言う人もいる。
円の暴落とは日本人が壊れることである。
つまり日本が壊れることである。
これはもはや経済問題ではない。
政治・経済・社会等すべてに渡る大問題である。
その小さな現れはあった。
それは大東亜戦争による敗北である。
それも日本人は乗り越えた。
日本人が壊れない限り、決定的に壊れることはない。
要するに、人が大事なのである。
このこと胆に銘ずべし。
ところでビットコインだが、
これがサッパリわからない。
これは誰が担保してるのか。
はて?








レッテル貼り

2017-12-11 10:31:09 | 日記・エッセイ・コラム
レッテル貼りによる印章操作、という言葉がある。
最近はメディアがよく使う手である。
モリカケ騒動は正にそうです。
あれは酷いものだが、
考えてみればレッテル貼りとは言葉の技であり実であり、
言葉とはつまりレッテル貼りなのです。
とは言え何故レッテルを貼るのか。
それは物事を切り分け、名を付し、その本質に迫らんとする為である。
それこそ言葉の機能の最たるものである。
・・・・・
昨今のメディアによるレッテル貼りは真逆である。
本質にまったく迫らない。
むしろ捻じ曲げ、実のない印象を播き散らすのみ。
本質に迫るにはまこと(真言)でなければならない。
今のメディアはそれを探ろうとしない。
彼らはジャーナリズムはどうあるべきかは知っている。
にも拘らず、それを無視する。
どうにも分からない。
これはどういうことか。
ジャーナリズムなどどうでもよく、
ともかくジャーナリストの装いをしてるだけなのか。
表に出ている者はそのように見える。
では裏には何があるのか。
操っている者が居るのか、居ないのか。
そこが見えない。
・・・・・
旧ソ連のプラウダなどは初めからプロパガンダだから、
むしろ清々しいほどである。
現シナ共産党の人民日報なども同様である。
初めからフィクションだと思えば、それはそれなりの見世物である。
ところがである。
自由主義国のメディアこそ問題である。
如何にもジャーナリズムに則っているかのように見せる。
どっこい際どいところは嘘ばかり。
そうまでやって誘導しようとする。
タチが悪いのだ。
これは日本でも、世界でもである。
トランプ大統領がよく言っている。
CNNのニュースはフェイクだと。
日本では朝日新聞がその代表です。
テレビではNHKだ。
その他にも多士済々である。
・・・・・
フェイクと言えば国内ではモリカケだが、
世界では南京大虐殺と従軍慰安婦である。
これはまったく同じ構図です。
ひたすら、日本を貶めることを目指している。
モリカケ騒動は一見安倍首相個人を責めているように見える。
だが安倍政権の本当の目的は「日本を取り戻す」である。
それを阻止しようとしているのだ。
それがモリカケである。
だからまったく同じ構図なのだ。
それにしても朝日新聞寄りの良識的日本人はタチが悪い。
いかにも良い人ぶるのである。
根は嘘ばかりなのに。
にしても何故ここまで日本を叩くのか。
それは戦勝国連合(国際連合)が、
それを立てた権力がだが、
日本を畏れているからである。
敗戦国条項が未だ廃止されないのも、
ユネスコが日本を貶めるのも、
すべてその顕われである。
・・・・・
にも拘わらず、
途上国など世界の多くは日本が好きなようである。
と言うことは、
日本がそれだけ凄い国である、
ということだ。
まあそういうことです。

私の定義

2017-12-04 11:05:25 | 日記・エッセイ・コラム
私は左派とリベラルは一括りにしている。
左派・リベラルと謂って。
人によっては左派とリベラルは違うもので、
言葉としては勿論違うのだが、定義そのものが違うというのだ。
辞書で調べてはいないが、それはそうだろうと思う。
でも私は一括りにしている。
私の定義ではそうです。
・・・・・
くどいほど言っていることがある。
言葉より前に現実がある。
現実があって言葉がある。
言葉は現実を切り裂く道具である。
言葉だけなら、それは空想であり、妄想でしかない。
人は現実を生きる。
現実に囚われるのは当然のことです。
言葉に囚われれば、
その言葉が現実を反映しているなら理はあるが、
空想・妄想なら理などなく、
言葉(概念)の奴隷となるしかない。
言葉の奴隷となれば、現実を見失うのは必定。
そうなれば壊れてしまう。
その時、壊れるのは現実ではない。
現実など壊れようもなく、
壊れるのは人(自分)です。
・・・・・
空想・妄想でも端からそう宣言するなら、
それは問題ない。
それをフィクションという。
それはそれで楽しめる。
だが事実だと主張すれば問題である。
勿論例外もある。
それは科学だ。
科学とは本来は自然科学を謂う。
自然科学が素晴らしいのは、
仮説(空想・妄想)はあくまでも仮説であって、
現実(実験・観察)によって証を得なければ認められないのだ。
すなわち必ず現実に寄り添う。
そこに嘘はない。
科学は信用できるのです。
・・・・・
左派・リベラルに対する私の定義は、
現実から乖離した言葉(空想・妄想)を頑なに主張する者、
としている。
主張が問題なのである。
自分が正しいと。
主張ではなく、正しいかどうかはともかく、
自分はこう思うと言うだけなら、それは問題ない。
思いは人それぞれ、そこは自由だから。
頑なに主張するのが問題なのだ。
世間ではリベラルと言われていても、
そこをわきまえているなら、
私はその人をリベラルとは言わない。
左派・リベラルの逆は保守であるのだが、
世間で保守と言われていても、
頑なに主張するなら、
私はむしろ左派・リベラルと言う。
・・・・・
右派という言葉もあるのだが、私は右派・保守とは言わない。
それは一括りにしないのだ。
右派も往々にして頑なな主張をする。
まあ極端な右派のことですが。
だから普通は左派・リベラルと言っているのだが、
時には左派・リベラル・右派と括ったほうが、
いいと思うこともあります。
なお、
私は保守である、真正保守である。
手前味噌ですが。