ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

馬鹿はどこにでもいる

2018-12-24 15:27:37 | 日記・エッセイ・コラム
戦争はなぜ起こるのか。
それが問題である。
でも、この問題が何しろ難問である。
それが解ければ平和が来るだろうに。
本当の平和が…。
・・・・・
だから真剣に考えよう。
でもそれを本気で考えている人はいるのだろうか。
いたとしても陰謀論者などと括られて隅に追いやられてはいまいか。
少なくとも戦争は勝手に起こるのではない。
人が起こしているのである。
だから、人を知らねばならない。
その思いの真底・深奥を。
ちなみに法律(憲法等)が戦争を起こさせるのではない。
ちなみに勿論、法律が戦争を防いでいる訳でもない。
戦争は利害の衝突や覇権争いの結果として起こるのです。
どこまでも実生活の延長であり、現実問題なのです。
法律は心に線を引くだけである。
なのに、法律が戦争を起こさせるかのように言う人がいる。
なのに、法律が戦争を防いでいるかのように言う人がいる。
まあ馬鹿です。
しかもである。
詐欺師こそ詐欺師の顔をしないように、
悪人こそ正義の衣を着るものです。
それなのに正義の衣が世界を救うと思ってる。
そんな人が沢山いる。
政治の世界にも、報道の世界にも、それになんと学問の世界にも。
あの最高学府の東大にも、である。
まあどこにでもいるということだ。
・・・・・
今、アメリカとシナが喧嘩をしている。
その様子を見ていると、シナ人の馬鹿さ加減にはホトホト呆れる。
現下の世界はITが席捲している。
ITが無ければ政治、経済、社会、すべてが成り立たない。
ITはすべての基本インフラになっているのだ。
勿論当然軍事的にも。
だから、それを押さえられたら手も足も出なくなる。
今や安全保障の要である。
シナは中華思想の宿痾か、自分が強くなれば必ず上位に立とうとする。
為にITの覇権を握ろうとしたのか。
アメリカがそれを見逃すとでも思ったのか。
そんな馬鹿な、である。
結局、虎の尾を踏んでしまった。
始めから本気で喧嘩をする気なら、それも一興だが。
だが彼らにそんな気はない。
脅しは得意だが、喧嘩はめっぽう弱いのだ。
アメリカのグローバリスト(リベラル)はずっとシナを利用してきた。
リベラルの先兵役を担わせて。
あたかも米中蜜月かのごとく。
そのグローバリスト達も当然反発する。
今や抜き差しならない。
シナとしては駄々降りするか戦争かである。
馬鹿としか言いようがない。
・・・・・
しかもである。
国内向けではあろうが、表向き突っ張らねばならない。
そして欧州諸国からも総すかんを食らう。
そうなれば亡命もできなくなるだろうに。
国内が混乱すれば、シナの大地で野垂れ死か。
これがシナ王朝の末路である。
まあこれは極端な話ではある。
しかし来年は正念場になる。
もし本当にシナがこければ、
その時は日本のリベラルもこけるだろう、
馬鹿をさらして。
戦争は望まないが、
大いに期待しよう。

70

2018-12-17 18:18:44 | 日記・エッセイ・コラム
少し過ぎたが、これはほぼ私の年齢である。
団塊の世代の只中である。
この70とは意味深な数字(年数)である。
終戦直後に生まれたのだが、
それはつまり戦後日本そのものなのである。
そこを生きてきた。
・・・・・
翻ってである。
幕末の慶応年間から70年後は昭和初期である。
昭和10年ぐらいか。
幕末、明治、大正、昭和のこの70年余は、
稀有な時代相を持っている。
覚悟を決めて荒波に乗り出し、戦争も辞さない修羅を進んだ。
戦争を望んだのではない、独立自尊を望んだだけだ。
言うまでもないことだが。
でも世界は戦争の世紀であった。
戦争といっても、それは勝ち組(欧米)の内輪揉めである。
日本はどちらかと言えば部外者である。
でも完全な部外者ではいられない。
巻き込まれるのは必定であった。
さらに部外者を望まない者もいた。
あれやこれや、である。
・・・・・
話が逸れた。
幕末から昭和初期の70年はまことに稀有な時代であった。
丁髷・草鞋の自給自足的生活から船舶等の機械が溢れる近代的生活へ。
内向的鎖国の時代から開放的交易の時代へ。
科学技術や政治経済の変わりようも凄まじいのだが、
何より時代相の移り変わりが圧倒的なのである。
振り返れば、そう思わざるを得ない。
平均寿命は今ほどではなく、
人生50年としても、
働き盛りの者にとっては、
70年と言えばあきらかに2世代である。
そんな時代を先人は生きた。
振り返って、戦後をみれば私の人生と一致する。
これは1世代である。
長く生きる時代になったものだ。
この70年も科学技術の面では勿論大いに変わったと謂える。
だが時代相はほとんど変わっていない。
言葉過多の腑抜けた時代になってしまったが。
でも終戦から10年20年はそうでなかった。
皆食うや食わずの貧しい生活で、
そんな状況を必死に生き抜いた。
そして高度経済成長の礎を築いたのだ。
それを為したのは、
先の70年と後の70年の間、
つまり戦前・戦中を生きた人々であった。
彼らに負うところが大きいのである。
そこはそうなのだが、
戦後という括りで見れば時代相はあまり変わっていない。
特にこの日本では。
大きな相の切れ目がなかったのだ。
敢えてそうしなかったのか、
機を得なかったのか。
・・・・・
ちなみに、
だから私は団塊の世代が大嫌いである。
日本を腑抜けた国にした張本人だから。
勿論そんな輩ばかりではない。
それにしても、自戒あるのみ。
そんな私が今感じているのです、相の変わり目を。
世界もだが、特にこの日本で。
それを最後まで見届けられるかどうかは分からないが。
その大きな起爆剤になるのが天皇陛下のご譲位である。
それも崩御によるものでないから、大いに祝福できるのである。
祝福の中で船出ができるのです。
これは楽しみである。
呵呵!

西郷どん

2018-12-10 12:42:57 | 日記・エッセイ・コラム
いよいよ終わりです。
興味があるのでずっと見ていた。
史実は押さえているだろうが、これはあくまでフィクションです。
西郷どんの真実は西郷どんの中にしかない。
真実は一つながら、思いは人の数だけある。
周りにいた人々にとってはそれぞれの西郷どんがいるのです。
それぞれの語りがあるのです。
それをできるだけ集約すれば、それが皆の西郷どんという訳です。
この西郷どんは脚本家や演出家にとっての西郷どんである。
でも西郷どんである。
色んな人の思いを受け止めた上での、西郷どんである。
間違いなく。
・・・・・
西郷どんは維新の中心にいた一人です。
だから西郷どんを語ることは維新を語ることでもある。
西郷どんを通して歴史の一端を知るのです。
維新という大きな歴史の。
ちなみに人間だから欠点も弱点もありましょう。
当然聖人のように素晴らしいことばかりではないでしょう。
でも成果は成果である、確かに。
その成果が大きければ大きいほど持てはやされる。
その中でそれは濾過され凝縮される。
そして時に神話になる。
神話はまったきフィクションではないのです。
実があってこそなのです。
神話も歴史の一部ということである。
・・・・・
維新では活躍している者が多数いる。
多く語られるのは西国雄藩であるが、
幕府や東北諸藩さらに日本全国にも活躍の志士はいる。
それに有力商人を含め庶民すべてが関係者だ。
当然ながら、日本人全員が当事者なのである。
そういう維新はまさに奇跡です。
奇跡の大変革である。
支配者(武士)が支配者(武士)から降り、
四民平等が実現されたのである。
それも革命ではなく継続としてである。
圧倒的なしがらみをほとんど瞬時に解体したその力は…。
現下の日本を鑑みると想像もできないことだ。
これを奇跡と言わずして何と言うか。
・・・・・
しかるに維新は間違いだったとか、
だから結局道を間違えたのだとか、
ときに知識人は訳の分からんことを言う。
過去(歴史)を現代の目で断罪するな。
過去は過去として向き合え。
それが歴史(魂の軌跡)を知ることだ。
人を知ることだ。
直近では坂本龍馬を歴史の教科書からはずすとか。
確かに司馬遼太郎の小説以来、龍馬は持てはやされ過ぎている。
だがである。
龍馬は暗殺された。
維新の渦中にいて暗殺されたのだ。
単なる私怨ではないだろう。
だからその軌跡を知ることは維新を知ることにもなる。
それも大いにだ。
龍馬を語る意味はあるのです。
・・・・・
最近は何かと歴史(の教科書)を変えたがる。
聖徳太子の件もそうだ。
作り話のようで、実在は疑わしいとか。
どうも変な力がうごめいているようだ。
つまり日本隠しであり日本潰しである。
日本人(の心・魂)が邪魔なのだろう。

鐘の声

2018-12-02 15:37:22 | 日記・エッセイ・コラム
最近ゴーンという鐘の声が聞こえた。
思わず平家物語を思い出した。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」。
私には現下の資本主義が性に合わない。
グローバリズムを標榜し、会社は株主のものだと言う。
とりわけ会社は株主のものだと謂うのが…。
確かに会社は株主のものでもある。
しかし核は生業そのものにあり、
それを体現するものこそ核に違いなく、
それは即ち社員(役職員)である。
それに社員以外でもその生業に関わる者はすべて、
その会社の関係者であり他者ではないのだ。
つまり会社は公器なのである。
だから今回の鐘の声は、
ひん曲がった資本主義、
グローバリズム資本主義終焉の合図に聞こえた。
そう思ったのだが、さて。
・・・・・
今のメディアはほとんどがリベラルである。
情報の選別はおろか、偽造・捏造も厭わず、挙句の果ては言葉狩りである。
自分等は何を言っても正義で、気に入らなければヘイトだと言う。
そんな彼らはグローバリズムを信奉する。
て言うか、リベラルとはグローバリズムの道具に過ぎない。
今回日本のメディアは否定的な報道はしていない。
淡々と事実を伝えているだけのようだ。
欧米ではどうなのかはよく分からないが、関心も高く大いに注目してるだろう。
漏れ聞くところでは総じて批判的なような気がする。
中には日本の陰謀だと言う人もいるようだ。
そう言う人はメディア側の知識人で、即ちグローバリストの類であろう。
ネットもよく見るのだが、そこではむしろ喝采してるようだ。
庶民はあきらかに現下の強欲資本主義に怒っている。
今フランスで起きている過激なデモは、
燃料税の増税反対を叫んでいるもので、
だから今回の件とは関係なさそうだが、
何かしらの影響は与えているようです。
それもあってか、あからさまな日本への非難はない。
それにルノーでも内部調査を行うとか。
でもフランスのことはよく分からない。
・・・・・
今回の件に陰謀はあるのか。
勿論あると思う。
この種の件はすべからく政治的なのです。
ちなみにフランスでは政財界人の大物は絶対逮捕されないとか。
上流階級は皆お友達だから…と。
庶民はそう思っているようです。
それでも時に少しはあるだろう。
それはおそらく内部での争いだ。
陰謀というより内輪喧嘩と言った方が…。
まあ同じものです。
日本人もほんと酷い目にあっている。
すなわち「南京大虐殺」とか「従軍慰安婦」とか…で。
今回はルノーと日産の不平等条約がある。
大きい方が小さい方に押さえられているのだ。
理不尽極まりない。
それに英米と仏の対立もある。
トランプのアメリカはあきらかに反グローバリズムである。
少し前のフランスでの第一次世界大戦終結100周年記念行事で火花が散っていた。
トランプとマクロンの間で。
私にはそう見えた。
あの時のマクロン大統領の不気味な顔は印象的であった。
今やグローバリズムの表看板然としている。
その為に立てられたのだろう。
・・・・・
ちなみに陰謀とは計画および計画の為の戦略であり、
それは政治の世界では普通にあることです。
表に出ないものが陰謀だと言うなら、
政治の世界は陰謀だらけというより他ない。
だから私は陰謀論を頭から否定する人は信用しない。
そんな人に政治が分かる筈がない。
今回の件で色んな話が飛び交うのは当然です。
まあすべて話半分(以下)ですが。
ところで科学者の武田邦彦先生は陰謀論を採らないとのことです。
それは結果として現れなければ、その陰謀には意味がないということ。
それを陰謀というなら、あまりにもあり過ぎて、考えても切りがないこと。
結果として現れたら、その時じっくり考える。
つまり表に現れたものの意味を問うことこそが大事だと。
至極最もな意見で、納得せざるを得ない。
ただ、進行中で表に出ていないものは考慮できない。
そこは注意が必要だ。
うん!