ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

私見

2018-09-24 13:44:27 | 日記・エッセイ・コラム
改めて私見ということはないのだが。
もともとすべてが私見である。
敢えてそう言うのは、
かねてより疑問に思うことがあったが、
それが自分なりに了解できたからだ。
それは二つある。
・・・・・
一つは、米ドルのことである。
リーマンショック後、金融緩和政策でドルが大量に発行された。
それ以前からも緩和傾向にはあったが。
故にドルがいつ暴落してもおかしくないと思っていた。
だが、そんな様子はまったくなかった。
むしろ決済通貨としてのドルが不足していたのだ。
これは何なんだ、と。
よく分からなかった。
米ドルは本来アメリカでこそ通用するものだ。
アメリカで交換できるものに比して、あまりに多くのドルが出回れば、
どう考えてもドルは下落するのだが。
それがそうはならない。
それは米ドルが基軸通貨であるからだ。
基軸通貨とはつまり世界通貨ということです。
アメリカだけではなく、世界のものと交換できるのです。
世界のすべてのものと交換できるということは
世界が担保しているようなものである。
暴落しないのは当然だろう。
で、これは了解した。
・・・・・
ではなぜ基軸通貨となったのか。
ではなぜ基軸通貨でいられるのか。
勿論それは戦後のアメリカが超大国であったからだ。
最近は少し揺らいできたが。
特に経済的な面ではそうだ。
基軸通貨の地位を失えば決定的に危うくなるだろう。
でも今なおその地位を保持しているのはなぜなのか。
勿論ご承知の通り、それは軍事力である。
圧倒的な軍事力である。
さりながらオバマがそうであったが、
トランプはアメリカの国益の為に世界の警察を引こうとしている。
ために同盟国に応分の負担を求めている。
だが勿論完全には引けない。
引いたら基軸通貨を手放さなければならない。
それはアメリカ経済の自殺行為だ。
だからなのだ、むしろ軍事費を増強しようとしてるのは。
相対的には引こうとしてるのだが、そこが難しいところである。
まあしかしトランプ大統領は面白い。
見ていて飽きない。
・・・・・
もう一つはシナである。
無茶苦茶な経済運営でいつ破綻してもおかしくない、
と巷では言っている。
私もそう思っている。
だがなかなか破綻しないのだ。
その訳は?
それは成長である。
圧倒的な経済成長である。
成長は紙切れを金にすることができる。
だから成長してる間はどんどんお金が刷れるのだ。
成長が止まればそれはできない。
シナで交換できるものに比して、通貨(元)が圧倒的に多くなれば、
元が暴落するのは明らかである。
そのとき終了である。
最近は多分ほとんど成長していない。
相当に苦しい筈だ。
貿易戦争をしてる場合ではない。
シナとしては望んでしてる訳ではないだろう。
でもやり過ぎたのだ。
いろいろと。
彼の国民性(中華思想)からして、もう止められないだろう。
だから潰れるより他ない。
このことも了解している。
・・・・・
とは言うものの、
私の了解など、
それはそれだけのことです。
現実の世界はもっと複雑でややこしい。
はてさて、
どうなることやら。

成長は素晴らしい

2018-09-17 11:27:42 | 日記・エッセイ・コラム
日本人の働きがある限り、
円は紙切れにはならない。
とは言うものの、
働き量が一定なのにお金を増やせばお金の価値は下がる。
逆から見れば、働きの価値が上がるとも言える。
相対的なものであり、単に比率の問題だ。
価値の実体は何も変わらない。
それにしてもこれは実体経済での話であり、
増やしたお金がマネーゲームに流れるばかりなら、
それも変わらないだろう。
多少の影響は…。
・・・・・
国民経済にとって、
働き量(成果=価値)が増えるのは素晴らしい。
これには二つの要素がある。
一つは働き手を増やすこと。
新たな働き手の発掘もありだが、
失業率を低下させることになればなおいい。
移民は問題が多過ぎる。
日本が好きで、喜んで来る人はいいのだが。
一つは技量の向上をもって増やすこと。
これはなおいい。
国民一人ひとりの収入が増えるから。
どちらにしても素晴らしい。
規模の拡大はお金を増やすことになる。
それは経済を回すのに必要なのだ。
ここにミソがある。
お金を増やすとは紙切れが金になるということだ。
成長は紙切れが金になることを許すのである。
日本人の働きがそれを担保する。
しかして、それを享受するのは通貨発行権を持つ者である。
それが国なら、最初に使うのは国(政府)である。
財源は税金だけではないのだ。
だから経済成長は素晴らしい。
・・・・・
だが際限なく成長するのは難しい。
それは時に資源の浪費になる、そして自然破壊に繫がる。
敢えて言えば、今のシナがそれである。
成長を求めれば、どうしてもそうなる。
ならば成長を求めないというのも、一つの方法である。
それを成熟経済とか言っている。
先進国はどうもそのようである。
なかなか成長しないのだ。
お金を刷っても刷っても成長しないのだ。
それはそうである。
新しい価値の創出が無い限り、それはできないのである。
それでもそれを為そうと思えば、破壊するしかない。
壊れれば成長が見込めるのだ。
そこに戦争の誘惑がある。
現実が膠着すればするほどその誘惑にかられる。
はたして第3次世界大戦はあるのか。
人間の馬鹿さ加減に鑑みれば…。
桑原!桑原!

ま~ね

2018-09-10 13:18:27 | 日記・エッセイ・コラム
何のこっちゃ?
マネーの話である。
当方は学者でもジャーナリストでもない。
ただの庶民である。
でも思うことはある。
ありきたりの義務教育と少しばかりの読書を基として。
でもそれは脳だけの技ではない。
脳を通して全身に降ろし、それを再び脳に戻す。
そしたらそこに現れる。
それが私の思いである。
勿論大したことはない。
ただの庶民だから。
・・・・・
マネーとはつまり数字である。
交換価値を表わす数字である。
コンピュータの時代になって、それがはっきりした。
価値の交換を数字で取り行うのだ。
その数字をマネーと言う。
現下ではまだ貨幣が使われている。
その内すべてが数字になるかも知れない。
その昔の自給自足社会なら物は物と交換した。
でも分業社会になればそれは難しくなる。
数多の物品の交換において基準(物差し)が必要になる。
だからマネーが現れる。
最初は希少価値のある物をその基準とした。
金銀銅などである。
とりわけ金なのだ。
だからお金と言う。
当初は金そのものを使っていた。
それは持ち運びに不便であり、ときに危険でもあった。
だから預り証で代用するようになる。
硬貨から紙幣になるのだ。
言うまでもないが、
お金とは交換価値を計る物差しでしかない、
価値そのものではないのだ。
だから現下は金でもなく、預り証でもなく、ただの紙きれになってしまった。
その内さらに単なる数字になるだろう。
ともかくそれで用は足りるのだ。
・・・・・
以前はマネーの価値を金が担保していた。
兌換紙幣といって、金との交換が保証されていたのだ。
確かに金はそれ自体に価値があるだろう。
稀少性に優れ、使用価値もいろいろある。
だが水や空気や食物のように人間にとって本当に必要なものではない。
その価値は社会が生んだ共同幻想のようなものである。
故にそのものよりも基準(物差し)としての効用の方が大きいのだ。
つまり金である必要がないのだ。
だから今やすべて不換紙幣となっている。
ただの紙きれなのである。
だがこの時何か仕掛けられたように思う。
基準(物差し)は価値そのものではない。
なのに価値そのものに変身するのである。
一応納得してるが、でも不可解なのです。
ただ確信してることがある。
それはマネーを担保してるのは人だということです。
つまり本当の価値は人の働きなのです。
それが物であってもサービスであっても。
それらの価値実体を得るために使用する物差しがマネーなのです。
だから先記の通り、数字だけでいいのです。
それがマネーとして認められれば。
・・・・・
日本円は日本人が担保している。
日本人の働きが担保している。
日本円は日本に持ってくると日本人の働き(の成果)と交換できる。
これが日本円の価値です。
日本円が暴落するとは、日本人が壊れることです。
近い将来そんなことは考えられない。
あの敗戦後においてもそうだったように。
だから日本円は暴落しない。
日本人が日本人である限り。
戦後は相当酷いインフレではあったが、
それでもハイパーインフレにはならなかった。
それは日本人がいたからです。
歴史・伝統・文化に育まれた日本人がいたからです。
日本人の働きがあったからです。
それなのに円が暴落すると言う輩がいる。
何ともはや!

物価が上がらないのは…

2018-09-03 12:34:37 | 日記・エッセイ・コラム
日本銀行が物価目標を取り下げたようだ。
そうではない、期限を切るのを止めただけ、と言うだろう。
まあ同じことだ。
年間2パーセントの目標がどうにも達成できないのだ。
当初はお金を増やせば(金融緩和)物価は上がると考えられた。
その考えが間違ってるとは思えない。
物に比してお金の量が増えれば当然そうなるのだが。
それがそうならないのだ。
・・・・・
理由は簡単だ。
お金が増えていないのだ。
お金が実体経済の中ではちっとも増えてないのだ。
だから物価が上がらない。
これまた至極当然である。
それは広く国民に行き渡っていないということだ。
どこかで滞留してるのだろう。
それがすべてである。
お金はよく血に例えられる。
血はその身体に適した量があればいい。
それが身体全体に行き渡ればいいのだ。
少ないのは拙い。
貧血を起こす。(これをデフレと謂う)
少し多いのは悪くはないだろう。
でも多過ぎれば問題だ。
体調を崩すことになる。(これインフレと謂う)
つまり量だけの問題ではないのだ。
勿論身体が大きくなってるときは増えなければならない。
これは成長期には必要である。
ともかく身体に見合った量が必要で、
それが行き渡たればいいのである。
マネーゲームの中でだけ動いていても意味がない。
広く国民に行き渡らねばならない。
トリクルダウンを言う輩がいるが、それはまやかしである。
おこぼれでは埒が開かないのだ。
何よりも皆の収入が増えなければならない。
であるから、お金の量の調節だけで物価目標は達成できない。
日本銀行だけでは無理なのです。
むしろ歪な状況を作ることになる。
・・・・・
今次の世界は金持ちにお金が集まる仕組みになっている。
本当に賢い人ならそれくらい分かるだろう。
てか、分かっててやってるのか。
そうとしか思えない。
今や先進国では概ね同じ状況である。
お金を増やしてるのに物価が上がらないのだ。
まあ当然である。
一応必要なものは取り敢えずはある。
そんでもって庶民は収入が増えない。
だから物価が上がらない。
それでも物が不足してくれば物価は上がるだろう。
でもそうなれば社会は混乱する。
暴動が頻発するだろう。
支配者はそこが頭痛の種になる。
ならば監視社会にするしかない。
そのような状況を着々と準備している。
今のシナはそのようだ。
欧米もまた同じだろう。
キャッシュを電子マネーにしてしまうのだ。
電子マネーは皆ひも付きである。
何をしても筒抜けなのだ。
そして人々を監視する。
シナはそれを露骨にやっている。
欧米は言葉を使ってやんわり行う。
それが各種リベラル的言辞の氾濫である。
最近はやんわりでもないが。
・・・・・
日銀や財務省には賢い人が集まっている。
それなのにこの体たらくである。
どうにも腑に落ちない。
分かっててやってるとしか思えない。
そこにどんな思惑があるのか。
はたまたどういう力が働いてるのか。
どうも政治的に過ぎる。
その典型が消費税増税を推すことである。
これは広く国民から税金を取ろうとするものであり、
結果金持ちを優遇することになる。
気の利いた人は皆言っている。
そんなことしても財政再建はできない、と。
景気が悪化してむしろ赤字が増える、と。
過去の歴史がそれを証明している、と。
そも財政再建が必要なのか。
そこにも議論の余地がある。
隠れて増税の根回しをするくらいなら、
堂々と必要性を説けばいいのに。
その姑息さこそ、怪しさの表われだ。