地球に命が誕生したのはいつだろう。
最初は細胞単体であったと云う。
今騒がせているウイルスらは生命体とは言い難いとも。
その当たりはそこはかとなくそこはかとない。
それに誕生しても消えてしまえばそこで絶滅。
当初はそれを繰り返したか。
それが今では命の宝庫となっている。
そこには大きな力が働いてる。
その力を風と言おう。
いのちの風と。
・・・・・
その風は命をつなぐもの。
命はつないでこそ命、あり続けてこそ命。
そも個体として存在し続けることはできない。
変化が常の世界ではそれは変化の否定となり、
根本的に矛盾なのだ。
だからつなぐのです。
それが命の戦略だと。
ために、新陳代謝がある。
ために、世代交代がある。
ために、種の入替がある。
ために、太陽があり地球がある。
ために、星雲がある。
ために、宇宙は無限である。
だから、命は消えない。
命はいのちの風によって担保されている。
初めから担保されていると。
そういうことだと。
・・・・・
動物とくに人間をおもふ。
つなぐためには子を生む必要がある。
それができるのは女である。
それは命懸けの行為であり、
だからそも命を懸けている。
ときにタヒすることも。
他の生物では必ず死ぬことにも。
例えば、アユやタコなど。
アユの場合は雄もですが。
でもそれは生きることそのもの。
哺乳類は大方すぐに歩けるようになる。
人間は大きな例外である。
だから母親がつきっきりになる。
それを守るのは男である。
ためには命を懸けるのだ。
だから男は皆戦士になる。
そこでやっと女と対等になれる。
それがそれぞれの生き方となり、
それがそれぞれの文化となる。
それを「らしさ」とかいう。
もとより環境が変わればその内容も変わる。
それは当然で変化が常の世界だから。
国柄によっても違うだろうが、
根は共通してると思う。
なのにおかしなことに、
現今はそれを否定する。
差別だというのである。
どうも頂けない。
・・・・・
日本には風が吹いている。
神風という風が。
ところで、
今は「元寇」とは言わないようだ。
つまらん言葉狩りが横行していて。
変える必要などないのに。
ときに神風が吹いた。
それは季節柄の台風のことらしい。
それにより元軍は退散していった。
それを以って神風と。
そういう話だが、
最近の研究では、
実は武士が勇敢に戦ったからだと。
命の本義に従い、命を懸けたのだ。
それが本当の神風だと。
大東亜戦争でもそれがあった。
それを「特攻」という。
神風特別攻撃隊による攻撃である。
それは実に必死の攻撃であった。
それはタヒすることではない。
命の本義に従い生きること。
あくまで命をつなぐため。
だからと言って、
好んでするものではない。
止むを得ずの究極の選択だったか。
ちなみに東日本大震災時に於ける、
日本人の行動にもそれがあったと。
それほどには際立ってないが。
・・・・・
靖国は祀っている。
祀っているのは「神」ですが、
神と謂う抽象的言辞ではなく、
生きていた時には人であって、
死して神となった者達である。
それは「いのちの風」となった人らであり、
その極みは特攻隊員であるが、
他の者らもそこに違いはない。
であるから、
靖国は「いのちの風」を祀っているとも謂える。
祀り主は勿論天皇陛下である。
今までもこれからも。
ちなみに、
今ウクライナでは神風が吹いている。
てか吹かされているような気もする。
ゆえにかロシアが苦戦している。
でも風向きはときとして変わる。
ロシアにも止むに止まれぬ事情があるなら、
そしてそのことが事実ならば、
風向きは変わる。
ときにロシアにも風が吹く、
と、
最初は細胞単体であったと云う。
今騒がせているウイルスらは生命体とは言い難いとも。
その当たりはそこはかとなくそこはかとない。
それに誕生しても消えてしまえばそこで絶滅。
当初はそれを繰り返したか。
それが今では命の宝庫となっている。
そこには大きな力が働いてる。
その力を風と言おう。
いのちの風と。
・・・・・
その風は命をつなぐもの。
命はつないでこそ命、あり続けてこそ命。
そも個体として存在し続けることはできない。
変化が常の世界ではそれは変化の否定となり、
根本的に矛盾なのだ。
だからつなぐのです。
それが命の戦略だと。
ために、新陳代謝がある。
ために、世代交代がある。
ために、種の入替がある。
ために、太陽があり地球がある。
ために、星雲がある。
ために、宇宙は無限である。
だから、命は消えない。
命はいのちの風によって担保されている。
初めから担保されていると。
そういうことだと。
・・・・・
動物とくに人間をおもふ。
つなぐためには子を生む必要がある。
それができるのは女である。
それは命懸けの行為であり、
だからそも命を懸けている。
ときにタヒすることも。
他の生物では必ず死ぬことにも。
例えば、アユやタコなど。
アユの場合は雄もですが。
でもそれは生きることそのもの。
哺乳類は大方すぐに歩けるようになる。
人間は大きな例外である。
だから母親がつきっきりになる。
それを守るのは男である。
ためには命を懸けるのだ。
だから男は皆戦士になる。
そこでやっと女と対等になれる。
それがそれぞれの生き方となり、
それがそれぞれの文化となる。
それを「らしさ」とかいう。
もとより環境が変わればその内容も変わる。
それは当然で変化が常の世界だから。
国柄によっても違うだろうが、
根は共通してると思う。
なのにおかしなことに、
現今はそれを否定する。
差別だというのである。
どうも頂けない。
・・・・・
日本には風が吹いている。
神風という風が。
ところで、
今は「元寇」とは言わないようだ。
つまらん言葉狩りが横行していて。
変える必要などないのに。
ときに神風が吹いた。
それは季節柄の台風のことらしい。
それにより元軍は退散していった。
それを以って神風と。
そういう話だが、
最近の研究では、
実は武士が勇敢に戦ったからだと。
命の本義に従い、命を懸けたのだ。
それが本当の神風だと。
大東亜戦争でもそれがあった。
それを「特攻」という。
神風特別攻撃隊による攻撃である。
それは実に必死の攻撃であった。
それはタヒすることではない。
命の本義に従い生きること。
あくまで命をつなぐため。
だからと言って、
好んでするものではない。
止むを得ずの究極の選択だったか。
ちなみに東日本大震災時に於ける、
日本人の行動にもそれがあったと。
それほどには際立ってないが。
・・・・・
靖国は祀っている。
祀っているのは「神」ですが、
神と謂う抽象的言辞ではなく、
生きていた時には人であって、
死して神となった者達である。
それは「いのちの風」となった人らであり、
その極みは特攻隊員であるが、
他の者らもそこに違いはない。
であるから、
靖国は「いのちの風」を祀っているとも謂える。
祀り主は勿論天皇陛下である。
今までもこれからも。
ちなみに、
今ウクライナでは神風が吹いている。
てか吹かされているような気もする。
ゆえにかロシアが苦戦している。
でも風向きはときとして変わる。
ロシアにも止むに止まれぬ事情があるなら、
そしてそのことが事実ならば、
風向きは変わる。
ときにロシアにも風が吹く、
と、