ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

英語の教育

2014-02-26 10:02:23 | 日記・エッセイ・コラム

最近やたらに英語教育の重要性が言われる。

小学校で英語教育を増やそうとしている。

また、社内の公用語を英語にするという変な会社もある。

外国語を学ぶのが悪いわけではない。

とりわけ世界語化している英語は。

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外国語を学ぶのは意思疎通のためである。

それはもちろん必要であろう。

でも、母語である国語を学ぶのは単に意思疎通のためではない。

それは自分に問うためである。

己が魂に問うためである。

次元が違う。

自分自身が持っている人間としての力を高めるためである。

人格、品性、想像力等なべて育てるのである。

内面の充実が何より大事である。

言っておく。

日本人をつくっているのは日本語である。

日本語は日本人の魂である。

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英語を学ぶことに否はない。

それは外国人と意思疎通をはかるには良い道具である。

でも、中身のない者が道具だけ持っても意味がない。

何より母語をしっかり学ぶ。

日本語をしっかり学ぶ。

そのことが重要である。

その上で英語を学ぶのは、それは素晴らしい。

それはそれとして、

ちょっと良いなあと思っていることがある。

それは中学校での英語教育なのだが。

英語が母語の人が先生になっていることである。

これは良い。

外国人と意思疎通をするという本質に適っている。

まあ必要なものは必要である。


我れ思うゆえ

2014-02-19 09:40:13 | 日記・エッセイ・コラム

いつも言うことだが、言葉より思いが先である。

デカルトも言っている。

「我れ思うゆえに我れ在り」と。

もの「思うゆえ」とは、

もの思う力を持っているということである。

人間以外の生き物も当然持っている。

それゆえ生きているのである。

ならば、人間と他の生き物を分けているのは何か。

それは言葉だと思う。

言葉こそ人間と他の生き物を分けている。

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言葉とはいったい何なのか。

一般的には意思疎通の道具だと言われている。

その通りではある。

だが、他の生き物も意思疎通をしている。

言葉なしで。

鳴き声、叫び声あるいはある種の行動を通して。

信号、合図の類である。

言葉も意思疎通の道具としては信号、合図などと変わらない。

相当高度ではあるが。

では言葉と合図の境界は何なのか。

他に何があるのか。

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思うに、

言葉が合図と決定的に違うのは、

自分に問うことができる、

という点にある。

これこそ言葉が言葉たる所以である。

自分の発見である。

明確な自分、自我の確立である。

だが、それはまた別の問題を持ち込む。

自分は何者か。

何の為に生まれてきたのか。

何をすれば良いのか。

答えのない問題と向き合うことになる。

人間の業である。


三角と円環

2014-02-05 13:46:44 | 日記・エッセイ・コラム

欧米はどうも性悪説のようである。

人をあまり信用しない。

ほっておけば社会は乱れる。

だから、秩序の維持はもっぱら力に頼る。

社会はピラミッド型となる。

頂点にある者が支配する。

次に支配を支える者がいる。

そして多くの被支配者がいる。

三角型の階級社会である。

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日本人は人を信用する。

信用できない者もいるが、基本的に人を信用しようとする。

何よりも信頼関係を大切にする。

もとより、秩序維持には上下関係が不可欠である。

それはその限りなのである。

存在としてはあくまで対等である。

つまり、

秩序維持のための上下関係はあっても、

存在価値に上下はない。

対等なのである。

このことは人間関係だけでなく、

すべての存在についても同様である。

人も犬も木や山や海も。

ついでに言えば、

歴史的に奴隷制度のない社会であったことは、

まさにこの故である。

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和をもって尊しとなす。

何事もよく相談して決めよ。

等々。

トップダウン型のピラミッド社会ではない。

ボトムアップ型のフラット社会である。

形で言えば、円環型の社会である。

頂上はないが中心がある。

同心円で大きく広がる社会である。

では中心はどこか。

中心には何があるのか。

言うまでもない。

天皇である。

日本は、

天皇中心の円環型社会である。