ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

私は番号

2015-09-29 14:11:40 | 日記・エッセイ・コラム
いよいよマイナンバー制度が始まる。
10月には番号が配布され、
実施は来年の年明けからである。
すぐにすべての情報が繋がるわけではないが、
ゆくゆくは、
銀行・証券の口座で資産は丸裸、
クレジットカードで生活様式や趣味・思考はまるばれ、
診察カードで健康状態も把握され、
携帯電話・ETCカードで行動は筒抜け、
その他諸々以下同じ。
ということで、
いよいよ、
私は番号になる。
・・・・・
なるほど生活は便利になるだろう。
たいていのことは番号を示せば事足りる。
何事も手続きが簡便になるのだ。
いたれりつくせり、である。
ということなのだが、
それは結局、
身の回りがすべて把握される、
ということだ。
時には文句も言いたくなるが、
少しならともかく、
決定的に逆らえば何もできなくなるだろう。
たぶんそうなる。
・・・・・
私は普通の人間だ。
自分で言うのも何だが、普通の善良な人間だ。
知られたら恥ずかしいことは幾らでもあるが、
どうしても隠したいというものはない。
しかし、釈然としない。
気に入らないのである。
でも逆らっても仕方ない。
なるようにしかならない。
どうぞ好きにして下さい、
というところである。
・・・・・
ということで、私は番号になる。
でも私は番号ではない。
私の情報が番号になるだけである。
私を管理したければすればいい。
たぶんできない。
何しろ、
私自身が私を管理できないのだから。








政治とは、かくも

2015-09-23 09:51:33 | 日記・エッセイ・コラム
民主党の無様さが露呈した。
安保法案に対する国会での仕儀である。
分かってはいたものの、あらためてそう思う。
解党しての出直しはしない、
と言ってるようだが、
ということは、
そういうことも考えなければならない状況なのか。
まあ、好きにしたらいい。
・・・・・
今回の一連の件は政権にとっては重荷のように見える。
デモとその報道、国会での仕儀などである。
現政権を支持してる者にとっても情けない限りであった。
でも、政治はそんなものではない。
表があれば裏もある、玄関があれば奥もある。
複雑怪奇なのだ。
憲法がよく問題になる。
アメリカに押し付けられたものだとか。
それは実質的に事実だ。
確かに日本人も少しは検討に加わっている。
何しろ国会で議決してるのだから。
でも、やはり押し付けられたものである。
それは変わらない。
だからである。
憲法9条が盾になる。
アメリカの戦争に加担せずに済んだのだ。
だが、今回の安保法制はそれに穴を開けることになる。
だから注意が必要なのだ。
現下の情勢では必要なものであっても、
穴はできるだけ小さくしておかなければならない。
そのためである。
強い反対があったということは、
ゆえに発動の縛りがきつくなったことは、
それに無理をして通したということは、
アリバイになるのだ。
ということは一連の重荷はむしろ政権側にとって好都合なのである。
そこが政治だ。
・・・・・
日本を仕切る者はヤワではない。
なにしろ現存する世界最古の国家である。
とはいえ、先の戦争では大失敗した。
ために、今は頸木の中にある。
真の独立を達成するには何より憲法改正が必要だ。
自分のことは自分で決める。
その当たり前が大事なのだ。
今回の安保法制はその為の一歩である。








見せかけの混乱

2015-09-21 09:27:03 | 日記・エッセイ・コラム
安全保障関連法案が可決成立した。
これで少しは静かになるだろう。
支持派は反対派より少ないようであったが?
新聞の世論調査によればである。
社の立場によって多少?開きはあるようだ。
まあすべては政治的演出である。
・・・・・
しかしである、支持派はその中身が濃い。
現実を俯瞰して支持している。
覚悟して支持している。
反対派はほとんど見せかけである。
平和などと言う情緒的な言葉に踊らされているだけだ。
現実に対する感性などまったくない。
平和とは、
戦争をしないという決意を持つこと、
戦争をさせないという力を持つこと、
で成り立つ。
どちらか一方ではダメなのである。
リベラルはいつも一方を無視する。
極めつけは安保法を戦争法だというレッテルを貼る。
安保法は字義のとおりである。
「安全保障」の法案である。
いづれ時が証明するだろう。
・・・・・
にしても、国会周辺のデモは酷かった。
特にその言辞において。
誹謗中傷や罵倒に終始し、建設的意見など影形なし。
報道では驚くほど多くの人が参加したという。
実際はそれほどではなかったようだ。
ネット情報は必ずしも信用できないが、
正しい情報も同時に流れてる。
その結果、今や報道の嘘は筒抜けだ。
デモは本来意義のあるものだ。
広く世間に知らせるには有効である。
法的にも合法なものだ。
だが、やり方によれば問題もある。
本気だったとは思えないが、
デモによって法案を破棄させると言うのは、
穏やかではない。
国会の機能を破壊し、デモ者の意見を立てるというのか。
そういうのは普通クーデターと言う。
・・・・・
今回のことを検証すれば分かるだろう。
もちろん今回だけではないのだが。
リベラルは、
現実無視と言葉のレッテル貼りに終始し、
しかも自分の言ってることは矛盾だらけ、
なのである。
昔から何も変わってない。







反日とは言うけれど

2015-09-16 10:16:02 | 日記・エッセイ・コラム
中韓は反日である。
国を挙げての反日である。
それぞれの建国の事情により反日(抗日)を国是としたらしい。
でも、戦後間もない頃はそんなに酷くはなかった。
なぜなら、戦前・戦中を生きた人々は現実を知っていたから。
朝鮮併合の現実を生きていたから。
軍閥抗争の現実を生きていたから。
だから、そこに嘘の入り込む余地はほとんどなかった。
そんなこともあって、実態は言うほど反日ではなかったようだ。
むしろ好感を持っていた人もいたようだ。
その手の話が幾らでもある。
・・・・・
だが、戦後50年を過ぎた頃から酷くなってきた。
現下の状況は最悪である。
それぞれの国の事情があり様相は違うのだが。
ともかく戦前・戦中の現実を知る者がいなくなり、
戦後教育で育った者が多数を占めるようになると、
反日になるのは当然だ。
それはそういう教育なのだから。
だからこその今の現実である。
日韓のサッカーワールドカップ共同開催の時、
テレ朝の報道ステーションが言っていた。
戦後世代が手を取り合って本当の友好関係ができる、と。
バカか、である。
それは話がまったく逆だ。
現実を知る者同士でしか本当の友好はない。
何度でも言うが、これがリベラル最大の欠点である。
言葉(観念)を弄ぶのである。
・・・・・
とは言うものの、奇妙なことがある。
反日が国是なのだが、国民はそれほど反日ではなさそうだ。
むしろ好きだと言う人もいる。
その証拠に日本へ来る人が増えている。
特に観光旅行で来る人が。
昨今の土産物爆買のニュースがそれである。
ともかく彼の国では、
あからさまに親日を口にすると酷い目に合うらしい。
だから親日の人は黙ってる。
反日の人は遠慮なく声を上げる。
だから反日しか見えない。
もちろん両方ともあるのだろうが、
本当のところはどうなのか。
どうも、よく分からん。

















偽りの世界

2015-09-15 14:19:46 | 日記・エッセイ・コラム
この世界は神が創った。
聖書にはそう記されている。
暗闇の中、「光あれ」の言葉で先ず光が現れた。
そして昼と夜があった。
次に天空を。
次に大地と海を。
次に太陽や月ならびに星々を。
次に魚と鳥を。
次に獣さらに最後に人を。
そして休息。
なのであるが、
ではどういう方途でこの世界を創ったのか。
言葉である。
それは神の言葉である。
・・・・・
だからヨハネは言った。
「初めに言葉があった、言葉は神とともにあった、言葉は神であった」と。
言葉は真実(世界)の種である。
言葉は真実(世界)そのものである。
人はその真実の楽園にいた。
しかし禁を犯してしまった。
食べてはいけないものを食べてしまったのだ。
智慧の実とも言われるものである。
智慧とは言葉であろうか。
言葉を得て神に成ろうとでもしたのか。
そんなつもりではなかっただろう。
さりながら結果として、
神の怒りに触れ楽園を追われた。
それが人が背負った原罪である。
・・・・・
人にとって言葉は罪である。
就中、言葉を弄ぶのは最大の罪である。
神の言葉は真実であるが、
人の言葉は真実を語らない、
最後は必ず嘘になる。
だから気を付けよう。
真実を語ろうとするな。
ただ思いだけを伝えよう。
それも控えめに。
しかるに、聖書を聖典としている筈の欧米が言葉を弄する。
必要以上に言葉を弄する。
今、リベラルというのがそれである。
・・・・・
質の悪いのは何もリベラルだけではない。
近隣に、もっと質の悪いのがいる。
思いは人それぞれで良いのだが、
あからさまに嘘を言うのである。
情けない限りである。
さらに、もっと情けないことがある。
何のことはない、日本にもいるのだ。
さらに輪をかけたような輩が。
他所のことばかりは言えないのである。